Alkaid   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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11.闇を祓う

「弓なんですね」

 由真を救出する作戦を決行するその日、理世子が或果に作ってもらったという武器は弓だった。どうやらそれが一番うまく力を使えたらしい。

「あれ、でも矢はどこに……」

「矢は作るのよ」

 どういうことなのかと星音が尋ねる前に、寧々が二人を呼んだ。今日は旧校舎の中には入らないらしい。寧々曰く、あの幽霊が作った世界は旧校舎を覆うようにドーム型に広がっているという。それなら鍵を持ち出せるこの学校の生徒がいる必要はなかったのではないかと思ったのだが、星音はどうやらもしものためにと作戦に投入されているらしい。ちなみにカナエは今日は家で休んでいる。

(もしものこと……はない方がええよな)

 寧々が懸念しているのは、理世子が怪我をしたり、由真が負傷しているという可能性だ。外傷なら星音の能力で治せる。だから星音はここに呼ばれているのだ。今回は自分は役立たずでいた方がいいのだが――星音は祈るように、理世子と寧々の背中を見つめていた。

「そろそろ行くわよ」

 寧々が右目を覆う眼帯を外す。どうやらあのとき能力を使った影響で角膜に少し傷がついてしまい、しばらく眼帯をつけて過ごすようにと言われたらしい。

 寧々が真っ直ぐに前を見据える。その瞬間に、星音にもぼんやりと旧校舎を覆う黒いドーム型のものが見えた。

「理世子、緊張してる?」

「うん……でも、由真を助けるためだもん」

「サポートはするわ。あのあたりを狙って欲しいけど……黒いところならどこに当たってもなんとかなるから、安心していいわ」

「あのあたりがいいっていうのは?」

 理世子の質問に寧々が笑みを浮かべる。やけに自信ありげなその表情は、見守っている星音から見ても頼もしく思えた。

「だいたいあのあたりに由真がいると思うわ」

 理世子は頷き、弓を構える。青白く光る矢が現れ、星音は目を見張った。矢を作るとはそういうことなのか。あれは能力波の塊だ。性質としては星音が作る包帯と似たようなものだ。

 理世子が弓を引き絞り、勢いよく矢が放たれる。矢に貫かれた黒いドームは弾け、周囲に一瞬だけ真昼のような青空が広がった。何が起きたのかを問う前に、星音の目は空中に舞う、探し求めていた姿を見つける。

「由真さん……!」

 星音は駆け寄って、その華奢な体を受け止める。

「星音……? じゃあ、ここは……」

「由真さん! 由真さん……っ!」

 由真は力なくその場に崩れ落ちる。その腹部の生々しい傷を見て、星音は逆に自分が冷静になっていくのを感じた。やることはたった一つだ。慌てている暇はない。傷口に触れ、能力で生み出した包帯を巻き付ける。傷が大きくて一瞬では治せないが、応急処置くらいにはなっただろう。

「由真!」

 理世子と寧々が駆け寄ってくる。由真は理世子の姿を認めると、微かに笑みを浮かべた。

「あの矢は、理世子の……?」

「うん……そうだよ」

「そう。……すごかったよ。すごい色の空だったのに、理世子の力で一瞬で青空になって……」

 由真はそれだけ言い切ると、ゆっくりと目を閉じた。呼吸は安定している。けれど体力はかなり消耗しているようだった。

「ひとまず無事……と言えるかしらね。歩月先生には話を通してあるから、とりあえずそこに運ぶわよ」

 

 

 寧々には帰ってもいいと言われたが、星音は帰る気になれず、由真にあてがわれた個室のソファーをベッドの代わりにして、仮眠をとりつつ一晩を過ごすことになった。

 あれから由真はずっと眠っている。歩月の診察では特におかしいところはないとのことなので、暫く様子を見ることになったのだ。

 ソファーに横になって目を閉じていると、微かに声が聞こえた。星音は慌てて体を起こす。

「っ……やだ、来ないで……」

 由真は酷く魘されているようだった。星音は由真の手を握りしめて何度も声をかける。何度も続けているうちに、由真が目を覚ました。由真の目は暫く宙を彷徨っていたが、やがて星音を見つけて落ち着きを取り戻す。

「由真さん……」

「ごめん、星音……」

「謝らんといてください。先生呼びます?」

「うん……そうしてくれると嬉しい……」

 星音は枕元のナースコールを押した。すぐに歩月が部屋に入ってくる。もしものときのために歩月もずっと待機していたのだ。

「ゆーちゃん、どうしたの?」

「気持ち悪くて……吐きそう」

 歩月は手際良く袋を用意して由真に持たせる。戻ってきてからずっと寝ていたため胃が空っぽだったのか、吐いた量はそれほど多くはないようだったが、苦しそうなその表情に星音は胸が締め付けられた。

「自家中毒……ではないわよね。さっき診た感じでも」

「それとは違う。……でも、あの幽霊のせいで嫌なこと思い出して……」

「そう……。でも大丈夫よ。ここにはゆーちゃんを苦しめるものは何もないんだから」

 

 他の患者のこともあるので、由真が落ち着いたのを確認した歩月は仮眠室に戻って行った。病室に残された星音と由真の間に長い沈黙が流れる。

 気まずくなった星音が由真に話しかけようとすると、先に由真の方が口を開いた。

「……変なとこ見せちゃってごめんね」

「変なとことか言わんといてください。――でも」

 何があったのか、と聞きたい気持ちを星音はぐっと堪える。由真が話したくないものを無理に聞くつもりはない。

「気になってるなら聞いてもいいよ。答えるか答えないかは私が決めることだから」

「由真さん……」

「北斗の家での、最後の日の記憶を掘り起こされたの。普段は思い出さないようにしてるんだけど」

 由真は淡々と話し始める。幽霊の世界に引き込まれ、殺されかけたこと。そしてその中で思い出すことを避けるほどの記憶に触れられたこと。それが良くないものであることは先程の様子を見ればわかる。

「でも精神汚染でかなり朦朧としてたから、結局あんまりはっきりとは覚えてないんだけど……感覚だけは残ってる」

 微笑みさえ浮かべながら由真は言う。けれどその言葉はそう易々と片付けられるものではなかった。意識が朦朧としていたからはっきりとは覚えていない。それなら、仮にしっかり覚えていたとしたらどうなってしまうのだろう。

「もうあの人たちはいない。わかってるのに……今でも、怖い」

「怖いのなんて……当たり前やないですか。どんな理由があるにしろ、あの頃中学生かそこらだった人間に意識が朦朧とするまで精神汚染の能力使う人たちなんてまともやない」

「星音……」

「あの幽霊だって……まあ幽霊を人間の基準で測ってええのかはわからんけど……でも、あまりに理不尽すぎるやろ」

 理不尽なことには理不尽だと言わなければならない。けれど渦中にいる間には意外にその理不尽さに気がつかないものだ。だからこそ星音は言う。あれは必要のない苦しみだったのだと。耐える必要もないし、もっと自分への仕打ちに怒っていい。由真は時折それを忘れかけているような気がするのだ。

「……あのとき、理世子の力で空が晴れ上がって……そのあとすぐに星音が来てくれて、すごくホッとした。私だけだったら本当に死んでいたかもしれない。寧々がいなかったらそもそもあの作戦自体成立しなかったのもわかってる。だから――早く、この記憶から抜け出したい」

 どうすればいいのだろうか。由真のために何ができるのだろうか。由真もわかっているのだ。今の場所で、あのときのような扱いをされることはないのだと。ここは安心できる場所なのだと。それでも思い出した過去に囚われてしまっている。

「……あの、由真さん」

「何?」

「抱きしめていいですか?」

「急だね。いいよ」

 おいでと言わんばかりに腕を伸ばされて、これは逆なのではないかとも思いながら、星音は由真の華奢な体を抱きしめた。華奢だけれど鍛えているのもあって、筋肉はしっかりついている。そしてその服の下には無数の傷跡がある。古い傷から新しい傷まで。その全てを星音の力で治そうとすれば、星音が数ヶ月寝込むことになるだろうほどの傷。そして新しい方の傷は、たいてい誰かのために行動してついたものだ。

 由真の能力は有効距離が最も短い部類だと寧々が前に言っていた。ただ背中に触れるだけではなく、前から腕を回して、抱き締めるようにしなければ使えない。その間相手との距離は無くなる。それだけ相手に近付くということは、抱きしめた相手に逆に傷つけられることも覚悟しなければならない。けれどこの距離でなければ伝わらない温もりもある。

「星音には何度か力を使ったことがあるけど――嫌じゃなかった?」

「嫌なんて思ったことないです」

「他人に入り込まれるのって、普通は嫌だと思うんだけど……」

「多分、由真さんじゃなかったら嫌やと思う」

 普通の人には触れられない部分に、自分の深い場所に触れられても、それが由真だから受け入れられる。むしろ安心感すら覚える。けれど今背中に当てられている手は、少しだけいつもと違うような気がした。

「これでも……同じことが言える?」

 少しだけ低くなった声と同時に、体の奥に鈍痛が走った。何かをこじ開けられているような感覚。深く入り込んでくる由真の指を強く意識してしまう。

「っ……由真、さん……」

「……ごめんね。酷いことしてるよね、私」

 今、由真が何をしているのかはわからない。けれど謝るその声が涙で濡れているような気がした。

「私は嫌だった。ずっと……自分の中に他人が入り込んでくる感覚だけは気持ち悪くてどうしようもなかった。自家中毒も、それを拒んでるから起こるんだって言われた」

 受け入れれば苦しまなくて済むのだと、そう言われたのだ。けれど由真は受け入れられなかったのだろう。何があったのか、その言葉だけではわからないけれど、受け入れてしまっていたらきっと今の由真は存在しなかったのだろうと星音は思った。

「由真さ……っ、せやけど、私は……」

 痛みはあるし、苦しくもある。それでも嫌だと思わないのは、相手が由真だからだ。試しているのだろうか。星音が嫌がるかどうかを。だとしたら何故そんなことをするのだろう。

「――ねえ、今……私は星音を殺そうと思ったらいつでも殺せるんだよ」

「っ……由真さん、そんなことするつもり……ないでしょ……」

「この状態でよくそんなこと思えるね。今私が手を握るだけで、星音は死んじゃうんだよ」

 それでも、星音は知っている。もう手遅れだとわかっていた見ず知らずの人間ですら殺したくなかったと泣いていた由真の姿を。あのときの由真と、今の由真。どちらも嘘のない本当の姿ではあるだろう。でも――本質はきっと変わっていない。

「っ、う……由真さ……っ!」

 こめかみを汗が伝う。由真の言っていることはおそらく本当なのだろうと思った。種は能力者の第二の心臓のようなもの。それに簡単に触れることができるなら、命を奪うこともきっと容易くできるのだろう。それはわかる。けれど今与えられている痛みには、きっとそれ以上の意味があると星音は思った。けれど由真本人も説明はできないのだろう。心は過去に囚われて、未だ混乱している。

「……泣きながら言われても、説得力ないねん」

「星音……」

「こんなことされても、私は……私が由真さんと同じようなことされてるとは思えへん。由真さんのことを怖いとも思わないし、由真さんに酷いことをした人たちと同じとも思わない」

 由真の中では同じような行為なのかもしれない。けれど星音にとっては同列に語れるものではなかった。由真の手から力が抜けて、星音の背を滑り落ちる。

「酷いことして、ごめんね」

「少しは楽になりました?」

「どうだろ……よくわかんない。でも星音がいてくれたらちゃんと寝れる気がする」

 星音は微笑んだ。もとより今日はずっとそばにいるつもりだったのだ。再びベッドに横になった由真の手を、星音はそっと握る。

「ずっとこうしてますから」

「それじゃ星音が寝れないでしょ」

「実は座ったままでもどこでも寝られるというのが特技の一つで……」

 由真が笑う。その表情を見て星音は少しだけ安心した。そのまま目を閉じる由真を見守りながら、今度は由真が悪い夢を見ないようにと強く願った。

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