Alkaid   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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14.押し込める

「ほんっと、よく寝るね」

 星音は由真の手を握りしめたまま見事なまでに寝落ちしていた。特技は美味しそうに食べることと、どこでも眠れること。実に健康的だ。その明るさには時に救われることもある。けれど、星音にもまだ伝えられていないことは沢山あるのだ。

 由真は星音の手をそっと外し、ベッドから起き上がった。病院の屋上にある庭園。この時間なら誰もいないだろうと踏んで、由真は音を立てないようにそこに向かった。

「……アル」

 理世子の矢によって幽霊の世界が破られる少し前、アルは怒りによって制御を失いかけていた。こちらの世界に戻るときに自動的に元の状態になって、由真の左耳に付けられている制御装置で抑えられる程度にはなったが、能力は不安定になってしまっている。

 負の感情が原動力となるのは事実だが、それが許容量を超えると暴走状態に陥ってしまう。アルの存在はそれだけ不安定で、それを由真が無理に押さえつけているだけの状態なのだ。

 さっきはアルの方にも引き摺られ、星音には酷いことをしてしまった。由真は溜息を吐いた。自分の心が揺らげば、それだけアルを制御することは難しくなる。

 けれど、それは――由真自身が選んだ道だ。

 アルの願いとは裏腹に、由真の勝手で今の状態を選んだ。この状況は彼に取っては苦痛だろうとわかっているのに、いつまでも彼のことを解放できないままでいる。

「ねえ、アル……」

 応えはない。応えられる状態ではないのだと理解していても、淡い期待とともにその名を呼んでしまう。

 今のアルは怒りに支配された獣のようなものだ。あの日と同じで、由真のことを由真だと認識することもできなくなっている。あのままあの世界にとどまっていたらどうなってしまっていたのか。間に合ってよかった。そのおかげで最悪の結末だけは避けられたのだ。

 深呼吸をしてから、少しだけ制御を緩める。星音や歩月の前でこの状態を見せるわけにはいかなかった。だから押し込めていたのだ。

 右手が由真の意志とは関係なく動き始める。それが首筋に触れ、力が込められるのを由真は何もせずに待っていた。単に指の力だけではない力が喉を圧迫する。

「く……っ、ぅ……」

 頭に血が昇ってくる。これがアルにとっての負の感情の制御方法だった。力を使うために負の感情を増幅され、自分では抑えきれなくなったとき、彼は自分で自分の首を絞めて耐えていたのだ。

 由真はそんなアルを自由にすることを望んでいた。彼は生まれたときから北斗の家での世界しか知らなかったのだ。由真の知る世界も狭かったが、それよりもさらに狭く、絶望的な世界。それが彼にとっての普通だったから、彼は自分の置かれている状況のおかしさに気がつくこともなく、名前がないことを気にかけることもなく、ただ命じられるがままに力を振るっていたのだ。

 由真も外の世界に希望があったわけではなかった。けれどあの異常な世界よりはまだよかった。アルに知って欲しかったのだ。彼は夜空に浮かぶ月や星の美しさも、海の青さも、何一つその目で見たことはなかったのだから。たまに外に出されるときは仕事のとき。彼にとっての外の世界はいつも地の赤色だけに彩られていた。

 彼は知識として、精神汚染への対抗手段を知っていた。けれど彼自身にそれが使われたことはなかった。必要なかったのだ。そこまでしなくてもいうことを聞かせることができる。なぜならあの世界が彼にとっての普通だったからだ。

 

 それを壊したのは――アルに変化を与えてしまったのは由真だった。

 いつか脱走して外に出る。そんな夢物語を語っていた。二人でなら逃げられると思っていた。自由になることを何よりも望んでいた。それなのに全てが間に合わなかったのだ。

「いいよ、アル……あなたになら……殺されても構わない」

 能力の制御のために自分の首を絞めていた彼の姿を見ていたくなかった。それだけの理由で、かつての由真は彼の首にかかっていた手を自分の首に移動した。全て自分で選んだことなのだ。

 いつかこれが必要なくなるときを、穏やかに生きられるときを望んでいた。けれど思いとは裏腹に、全く逆の結果になってしまった。今のアルは普通にしていれば常に能力が制御できない状態だ。それを由真の制御装置と由真の能力で強引に安定させているだけ。そしてその状況は不可逆で、悪化することはあり得ても、改善することはまずないのだ。

 喉に指が食い込むほどに強い力で締め上げられる。由真自身に限界が来る前に止めなければならないのに、自由なはずの左手は動かなかった。

「……く、ぁ……っ」

 後悔しても遅いとわかっていても、考えてしまう。もしあのとき由真がアルの名前を呼ばなければ、そもそもアルにあの場所の異常さを教えなければ、識別コード以外の呼び名なんて付けなければ――未来は変えられたかもしれない。

 不意に喉にかかる力が急に緩められた。由真は体を折って咳き込む。呼吸はまだ整わず、由真は壁に寄りかかって座り込んだ。

「……アル」

 応えはない。けれど少しは落ち着いたのだろう。能力の方は安定していた。由真はそれを確認すると、力なく微笑む。

「全部、私のわがままだから……アルは気にしなくていいから……」

 この状態になってまでアルの意識をこの世界にとどめていることも、首を絞められる行為を受け入れていることも、由真が自分で決めたことだ。だから――。

「私のことは許さなくていいから、だから――消えたいなんて言わないで」

 いくら恨まれても、憎まれても仕方ないことをしている。その感情が全て由真に向けられても構わない。由真がどうしても僅かな可能性に賭けるのをやめられないだけなのだから。

 

 いつか、彼を本当の意味で自由にできる日が来るかもしれない。一縷の希望に縋り続けて、ただ時間だけが過ぎていく。

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