忘れられることが宿命。
全てを消すのが名誉。
それが私の世界の普通だった。誰かにとって都合の悪いものを消すだけ消して、感謝されることもなく忘れ去られる。そんな人生を私は否定した。
計画を実行したのは大学生のときだ。卒業すれば家の仕事をしなければなくなる。兄よりも強い能力を持っていた私は、すでに進藤の次期当主になることを定められていた。私はその運命を否定するために、家族の目の前で炎に身を投げた。そして以前立てた計画の通りに、元々いもしなかった旧校舎の幽霊に姿を変え、力を蓄えながらずっと待っていた。
協力者である兄がそこを訪れ、鍵を開けてくれるときを。
兄はそれからたまたま取得していた教員免許を利用し、数年の時間をかけてようやく旧校舎に辿り着いた。兄は約束を忘れずにそこに来た。その時点で私は気付くべきだったのかもしれない。
兄はそのときまで私を忘れていなかった。だからあの旧校舎の鍵を開けることができたのだと。
私の願いを叶えてくれる人はずっと私のそばにいたのだ。こんなことをしなくても、兄はずっと私を覚えていたのだ。
「兄さん……」
私に致命傷を与えた少女は、今は私たちを見ないように背を向けている。私の計画を潰した憎らしい存在。けれど今はもうそんなことはどうでも良くなってしまった。
「ごめんなさい……ずっと、兄さんを巻き込んでしまって」
私の愚かさで、兄の人生はこれからも捻じ曲がったまま続いてしまうのだろう。もう罪を消すことはできない。幽霊の種は普通は機能しない。私はもう私の能力を使うことはできない。私は兄のためにできることはもう一つものこっていないのだ。
「俺も……抗いたかったんだ。環が忘れられる運命から逃れられるなら、と思っていたのも本当なんだ」
そして、怪異として成長していくことを悲しんでいたのも。
「ありがとう、お兄ちゃん……今まで、私を忘れないでいてくれて」
「これからも忘れないさ。全てを覚えている」
私は首を横に振る。忘れられたくはない。私がこの世界に生きた証をどこかに残したい。それでも思ってしまった。兄を自由にしたいと。私のために捧げた年月から解放されてほしいと願ってしまった。
「少しくらいなら、忘れてもいいよ」
私は今、うまく笑えているだろうか。
それとも兄にはもう私の姿は見えていないだろうか。
月日に流されて私の声や顔が少しずつ忘れられてもいい。それでも兄はきっと、私がこの世界に生きたことを覚えていてくれる。私の命は兄が生きている限り永遠だ。
「私も兄さんのこと、ずっと忘れないから」
*
「――帰ろうか」
そのまま振り返らず、由真は言った。幽霊は消え去った。進藤のことは後から警察がどうにかするだろう。やるべきことはやった今、もうここにいる理由はなかった。
「……由真さん」
「行こう。今日は疲れたよ」
話しかけてきた星音を促して、寧々と理世子とカナエも連れてその場を離れる。ハルが運転する車に五人で乗り込んだあとも、車が学校から出て大通りで左に曲がるまでは誰も何も言わなかった。
「星音……」
由真は隣に座る星音にだけ聞こえるような声で呟いた。
「これでよかったのかな」
本当にこれでよかったろだろうか。幽霊である以上、この世界に意識があること自体が不自然なのかもしれない。それを自然の状態に返しただけだと言えるかもしれない。それでも拭い去れない疑問がある。他に方法はなかったのだろうか。助けることはできなかったのだろうかと考えてしまう。
「……それは、私にはわからないです」
星音にどんな答えを求めていたのだろうか。具体的なことは考えていなかったけれど、意外な答えだと思った。けれど何故だかそれがしっくり来るのも事実だった。
「そっか。わかんないよね。……私もわからない」
正しいやり方なんてなかったのかもしれない。やれることを全てやった結果があれだったのだから、仕方ないのかもしれない。いや人的被害がほとんどなかったと考えれば上出来とさえ言えるかもしれない。それでも――それでよかったかどうかはわからなかった。
「……由真さん」
「何?」
「あの……こんなときに違うかもしれへんけど……実は文化祭のときに、由真さんに似合いそうだなと思って買ったやつがあって」
「私に?」
星音が鞄から取り出した袋を丁寧に開ける。中から出てきたのは三角形の飾りがついた黒いチョーカーだった。
「ありがとう。でもわざわざよかったのに」
「いやこれそんな高くないんで! 百円やったし」
「そっか。ありがと」
由真はもらったチョーカーを早速つけてみようとするが、左腕が痛んでなかなか上手くいかなかった。
「大丈夫ですか?」
「筋肉痛だと思うんだけどね……旧校舎脱出したときかな……」
「筋肉痛も治せるんで……店着いてからやります」
このくらいなら何もしなくてと数日で治るだろうけれど、星音がそう言うのなら今日は甘えようと思った。星音も自分を助けたせいで筋肉痛になったと思い続けるのは嫌だろう。
「星音がつけて。私いま左腕上げたくないし」
「わかりました」
星音がチョーカーを持って、由真の首筋にそれを当てる。その瞬間に何故か星音が固まった。
「星音……?」
「……何でもないです。なんか虫いるように見えて。埃やったわ」
「埃も嫌だけど……」
星音はとても嘘が下手なんだと、そのとき由真は気がついた。冗談めかして埃を払うふりをしながら首に触れ、その瞬間に星音が目にしたものを察する。
(まだ消えてなかったか……)
寧々たちの目は誤魔化せても星音の目は誤魔化せないことがある。傷を治す能力を持っているせいなのか、星音は他人の怪我にひどく敏感だ。隠している傷も気付かれてしまう。おそらく今残っている痕も、星音でなければ気付かない程度のものだっただろう。
(いつか――言えるだろうか、本当のことを――)
隠し続けている一つの罪を。いまだに心の一部があの場所から抜け出せていないことを。
いつか言える日が来るのなら、ちゃんと話したい。言ったからといって何かが変わるわけではないかもしれない。それでも、本当は嘘を吐き続けているいたくはないのだ。