鷲の頭をあしらったステッキ――その男が現れた瞬間に目に入ったものを見て、寧々は溜息を吐いた。髪の毛全てが白くなった老人の足取りは、杖など必要ないだろうと思うくらいにしっかりしている。そもそもこの老人が見た目通りの年齢なのかも怪しいものだ。何せ三十年近くも見た目が変わらないのだ。
「何なの、こんなところに人を呼び出して」
寧々が呼び出されたのは老人の住む豪邸だった。飲み物が置かれたコースターひとつとっても高級品しかない。理世子や或果のようなお嬢様ならいざ知らず、表面上は一般家庭だった寧々には居心地の悪い空間だ。
「だって君、店に入れてくれないじゃないか」
「ええ、出禁客リストにしっかり入ってるわよ」
「僕たちはもっとちゃんと協力すべきだと思うけれどね。君が本気を出せばもう世界を手に入れることもできる」
「何度も言ったけどそれはお断りよ。あなたは私にとって最優先の事項をいつも無視するもの」
寧々にとって一番大切なのは由真だった。世界の変革も由真のためにやっていることで、由真がいないのなら全ては意味がなくなってしまう。
「僕は能力者のパワーバランスを保ちたいだけなんだがね」
「……それが由真を排除することに繋がるからいつも断ってるんだけど?」
「こちらもいつも言っているが、僕は別に彼女を隔離するだとか殺してしまうだとかそういうことを言っているのではない。『七星』最上位の女王をちゃんと女王として能力者の世界に据えるべきだと言ってるんだ」
「それが排除だって言ってんのよ、ボケ老人」
「君は相変わらず口が悪いね」
口の悪さは寧々自身自覚がある。それでも普段は抑えている方だ。老人はステッキの先の鷲の頭を寧々に近付けた。寧々は怯まずに老人を睨み返す。
「月島に続き、進藤も君たちに潰された。まあ進藤は本来の当主候補も全当主も亡くなってしまってからは、随分と没落していたがね」
「月島はほぼ自滅したようなもんでしょ。今回のことだって、私たちは頼まれた依頼を解決しようとした結果そうなっただけで」
能力者の中でも大きな権力を持つ家系がいくつかある。そのうちのふたつを結果として潰すことになったのは事実だ。けれど両方とも潰したくてやったわけではない。目の前の仕事をこなした結果としてそういうことになってしまっただけなのだ。
「それはわかっているよ。けれどそのせいで危うい均衡を保ってきた能力者の家系同士がにわかに騒がしくなってきている。他の家が介入してくるのも時間の問題かもしれないな」
「自分だってそう思ってるんじゃないの、じいさん」
「僕は能力者の新しい秩序を作り出したいたまけだよ。この世界を支配するのにふさわしい進化した存在は我々の方なのに、いつまで無能力者に虐げられなければならないのか」
寧々は舌打ちをした。結局はいつも同じ話だ。能力者が上に立つ世界に寧々は興味がない。それよりも、この老人が作ろうとしている秩序とやらの要になる人物が問題だった。
「あんたのくだらない野望に由真を巻き込まないで」
「彼女にとっても悪い話ではないはずなんだけどね。少なくとも今より彼女の身の安全は保証されるだろう」
「少なくとも由真は嫌だって言うと思うけど」
神のように祭り上げられるなんて、きっと由真は嫌がるだろう。何よりも能力者の頂点として崇め奉られるような、由真が人間として扱われないような未来を寧々は望んでいない。
「まあいきなり頷いてくれるとも思ってはいないよ。今日は、今後は直接君たちを狙ってくる家もあるだろうということを伝えたかっただけだ」
「他人事みたいに言ってるけど、あなただって旧家の一員でしょう」
「不破は暫くは静観していることにするよ。うちは分家も多いから――少なくとも血が途絶えて家が終わるという可能性は低い」
不破勲――それがこの老人の名だ。能力者の旧家の中では最も大きく、分家筋も多い不破の本家の現当主。調停人としては関わらなければならない相手だが、寧々としてはできるだけ避けたい人物だ。
「まあ分家中の分家くらいになってしまうと、随分と可愛らしい能力になってしまうようだが」
不破家に受け継がれるのは気象を操る能力だ。現当主である勲の力は中でも非常に強く、若かりし頃は自らの命を顧みずに力を使えば、都市一つを鎮めることもできると言われていた。それが分家のさらに分家、本家との繋がりがほとんどない人物となると、気象などとは何にも関係ない、決して害にはならない能力になっていたりする。
「それにしても、もう親戚とは呼べないくらい遠い人の能力まで把握してるのね」
「遠縁といえど不破を名乗っている以上、関係がないとはいえないからね。それに……それを名乗る以上、命を狙われる可能性も常に念頭に置いておかねばならない」
不破鼎――本人の能力はもふもふと呼ばれる白い毛玉のようなものを生み出すだけのものだが、確かに不破の人間だと思わせることは何度かあった。僅かな味の違いで薬が混入されていることに気がついたのもそうだし、星音が連れ去られたと連絡してきたときも変に冷静だった。寧々が知らないだけで、彼女にもおそらく色々なことがあったのだろう。
「……私はそんなの関係なく、平和に暮らせる世界を望んでいるんだけど。カナエの能力だって、可愛くて気持ちいい以外に効果はないのだし」
「それには秩序が必要だ。何度も言っているだろう」
「堂々巡りね。これ以上は時間の無駄だから、私は帰るわ」
寧々は溜息と共に立ち上がり、部屋を後にした。不破勲との会話はいつもこんな調子だ。時折電話で釘を刺してくることさえあるが、最終的な目的が寧々とあまりに食い違っているために、話はいつも平行線だ。
「あなたの狙い通りにはさせないわよ」
由真を女王として祭り上げるなどもってのほかだ。そんなものは自由で人間らしい生活とは程遠い。
それでも、寧々には気掛かりなことがあった。あの老人が以前語っていたことだ。
由真の能力はその全てが発現されているとは言えない――。かつて同じ力を持っていた人を知っている老人の言葉は流石に無視できず、寧々の心の中にずっとわだかまり続けていた。