1.Good News Bad News
「こっちで会うのは久しぶりね」
エリアC-5、かつて渋谷と呼ばれた地区にある高層ビルの一つ。その地下にある空間で、寧々は黄緑色の燐光を纏う女――の姿をした人工知能と相対していた。Eta Ursae Majoris――おおぐま座η星、あるいは北斗七星の一つであるAlkaidを示す名を持つ人工知能。普段は地上で活動するための端末である蓮行晴とのやりとりが多い。ここに来るのは、ここでしかできない重要な話がある時だけだ。
「――で、こんなところにわざわざ呼び出した理由は何なの?」
彼女の管理者、つまり主人は寧々であるはずだ。しかしそれはまるで神のような不遜さで寧々と対峙する。人が作った機械ではあるが、その頭脳は人よりもはるかに進化しているのだ。
「良いニュースが二つほどある」
「それは普通悪いニュースと良いニュースがあるときの言葉じゃないの?」
「そうか。それなら……一つは由真にとっては悪いニュースかもしれないな」
「もったいぶらないで早く言いなさいよ。今日夕飯の当番私だから、遅くなると困るのよ」
どちらも良いニュースなのだから、この答えに意味はない。判断を委ねれば、AIは学習した笑みを浮かべる。
「瀧口星音の種のことだ。機動隊が使う光線によって彼女の種には罅が入っている。それを直す方法はないのかと由真にも寧々にも言われたが、私は不可能だと答えた」
「そうね。ゆで卵を生卵に戻せと言っているくらいに難題だと」
「だが、これ以上の進行を止める方法は見つかった。それがこれだ」
女の指が動いた瞬間に、寧々の目の前に、空中に浮かぶウィンドウが表示された。そこに羅列された文字に寧々はざっと目を通す。
「種を覆う膜のようなもの……それでこれ以上の進行を食い止めることは可能。光線にもある程度耐えるが、定期的に交換する必要はある、と……」
治せはしないが、現状、星音は今の状態でも安定を保っている。応急処置としてそれ以上酷くならないようにするというのは重要だ。これがわかれば由真も星音も安心するだろう。しかし、問題もある。
「これ、由真にしか使えないじゃない」
「そうだ。それが問題なんだ。種に直接触れる人間しかこの膜を取り付けることができない。由真に能力を使わせることになること、そして由真以外には扱えないこと。だからこれは由真にとっては悪いニュースにもなり得る」
「星音のためなら良いニュースって認識すると思うけどね。由真には言ったの?」
「いいや。話を通す順番は寧々が先の方が適切だと思ってな」
「まあそれは確かにそうね。由真に言ったら一も二もなくそれ使っちゃいそうだし。体への負担もほとんどないし、能力の出力にもさほど影響はない。問題があるとすれば――由真は使えないということね」
「由真の能力を利用しなければ使えない以上、そればかりはどうしようもない。自分自身の種を取り出すことはできないからな」
寧々は歯噛みした。由真は自分には使えないということをさほど気にはしないだろう。けれどあの光線を使う機動隊に狙われる可能性が最も高いのは由真なのだ。
「今の段階ではこれでいい。けれど、他の方法も継続して考えて。由真に使える方法をね」
「わかっている。以前種に作用できる薬があっただろう? 今あれを解析しながら参考にできないか考えているところだ」
「アズールは要になっていたのが空間支配能力だったから、そこを何かで代用しなければならないわけね。わかったわ。それで、もう一つのニュースは?」
寧々の後ろに3Dで出力された灰色の椅子が現れた。座れと言うことだろう。つまりはそれだけ長い話になるということだ。寧々はそこに腰掛けて
「機動隊の後ろにいるのが六つのうちのどれなのかを調査しろと言っていただろう? 当初は意図的に咲かせるようなことをするのは
「そう。てか由真がここに来たこと黙ってたわね? あいつ嘘が嫌いなくせに隠し事はするんだから……」
「『北斗の家』絡みかもしれないと気になったんだろう。だがその予想は外れた。今回関わっているのは私と同種の存在ではあるが、長姉ではない」
「随分もったいぶった言い方をするわね。さっさと言って」
寧々は足を組みながら言う。目の前にいるのが機械であることを忘れてしまいそうなほど、彼女は人間のような、いや人間の中でも相当もったいぶった言い方をする。機械なら機械らしくさっさと言いなさいよ、と八つ当たりしたのは一度や二度ではない。
「――朗報だ、寧々。機動隊、いや警察組織に後ろにいるのは
北斗七星の二つ目の星。二番目の姉。巨門星。それは寧々がずっと探していた復讐の相手だった。寧々は跳ねる心臓を押さえるように左胸の服を強く握る。
「ようやく尻尾を出しやがったわね。ここまで長かったわ。何なら間に関係ない奴に関わっちゃうくらいにはね……!」
「後悔はしていないだろう。その関係ない奴に関わったおかげで、運命に出会えたのだから」
「まあそれはそうなんだけど。でも、それとは関係のない私の敵にようやく会えたんだもの。祝杯をあげたいくらい」
「さすがに早すぎるだろう。まだ勝利を収めたわけではない」
「うるさいわねぇ、ちょっとくらいテンション上がったっていいでしょ?」
寧々は思い返す。両親が死んだ日のこと。そしてその日に初めて会った
「メラクが関わっているということは……目的は純粋に能力者を滅ぼすことね。咲いてしまう人間がいるのもわかっているけれど、その確率はそれほど高くないから、いざ咲いたらその後で殺してしまえばいいと思っているということか……どっちにしろ、咲いた人間で一週間以上生きてた例は聞かないし」
「そういうことになるな」
「機動隊の制圧、それからメラクの制圧あるいは破壊――なかなか大仕事になりそうね」
どうしても由真の力は必要になってしまうだろう。黄乃も充分戦えるようにはなってきたが、訓練を受けた警察組織の人間と互角にやり合えるほどではない。
「悠子の協力も取り付けるとして……色々と難しいわね。ねぇ、今回はさすがに協力してもらうわよ」
「基本的には深く干渉せずにいたいのだが、今回は手を貸そう。何せあれは私にとっても仇なのだから」
目の前の人工知能の現在の管理者は寧々だ。けれどかつては寧々の父がそれを管理していた。その父が亡くなったことによって権限が寧々に移ったのだ。寧々の父と良好な関係を築いていたという彼女は、その寧々の父を奪った二番目の姉を深く憎んでいる。だから寧々と
「それにもう一つの目的もある。そのためにはここでメラクを倒す必要がある」
「そうだな。尻尾を掴まれるような動きをしているところから見ても、また何か行動を起こしてくる可能性もある。気を付けて事に当たってくれ」
「それは由真にも言っといてよ。あいつ、機動隊に未だに付け狙われてるんだから」
機動隊員が由真を狙うのは、由真が北斗の家の事件を引き起こした犯人だと未だに疑っているからだ。けれど由真が何かをしたという証拠は何一つ残っていない。寧々が残らず灼き尽くしてしまったからだ。
「馬鹿だよねぇ、あいつらも。燃やしたのは私だってのに」
「さすがに予想できなかったのだろう。出会ったばかりの人間を庇うために何もかも燃やす子供がいるとは」
「あら、子供の犯罪って放火がわりと多いのよ?」
「実際のところは、何故あのとき全て燃やすことを決めたんだ?」
「今更聞くの?」
わかっているだろうに。寧々は溜息を吐いた。
「あのときは、由真がやったと思ったのよ。だから証拠ごと全部燃やせばいいと思った」
寧々とハルが踏み込んだときには、既に何もかもが終わっていた。研究所部分は白い壁が斑に赤く染められ、カモフラージュ用に運営されていた児童養護施設でも全ての人間が血を流し倒れていた。生きている人間は一人もいないと思われた。
「今から思うと、あの中の一部は脱走したタリタがどさくさに紛れてやったんだろうなと思う死体もあったし――でもあのときにその判断はできなかった」
由真の罪を全て消すために、あのとき寧々は施設ごと燃やすことを決めた。その判断を後悔はしていない。どちらにしろ由真以外は誰も生きてはいなかったのだ。でもそのあと由真と暮らし始めて、由真が未だに語らない事件の真相について、寧々は一つだけ確信していることがある。
「今は――あれは由真がやったことではないってわかってる」
「何故そう判断した?」
「由真にはできないわ。特に、罪のない子供を殺すなんて、由真には絶対無理」
咲いてしまえば一週間と保たない。死期を数日早めるだけのことすら、手を下した後に暫く動けなくなるほどに傷つくような人間だ。本当は誰かを殺したくはない。誰かを救う力が欲しかったと心の底から望んでいるような人が、あれだけ大量の人間を殺せるはずがない。それだけは確信を持って言える。
「それに……あの状態では無理だったわよ。動けないくらい消耗してたし」
「それもそうだな。だが……そうは思っていない連中もいる」
「それにしても、まさか公権力と組んでるとはね……あいつらは本当に能力者なんて死ねばいいって思ってるからね。能力者だって人間なのに」
寧々はゆっくりと立ち上がった。そろそろ帰らなければならない時間だ。今日は寧々が夕飯を作る当番なのだ。
「じゃあ行くわね。色々と考えたいこともあるし」
「ああ。くれぐれも無理はするなよ」
「わかってるわよ。良い作戦を出すためにはよく眠りよく食べろってお父さんも言ってたもの」
「そうだな」
僅かに目を細めたその顔を見て、寧々は思う。人工知能に与えられた感情はプログラムされたもので、そこから学習によって変わっていくものだという。父と
全てが終わったら聞いてみても良いかもしれない。寧々はそんなことを思いながら夜の街を歩いていった。