Alkaid   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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8.Bitter & Sweet

「えらい量やな……」

「これが梨杏からで、こっちが寧々で、これが或果で、あとこっちは前に助けた子たちからかな」

 大きめな紙袋にいっぱいになるほどのチョコレート。大小さまざまな箱とチロルチョコが一つ(ちなみにこれは由真の幼馴染みである亘理梨杏からのものだ)、とても一人で食べられる量ではない。尋常じゃないモテ方だ――と瀧口星音はその壮観な光景を眺めていた。

「みんなわざわざ義理堅いよね。別にこっちは仕事でやってんのに」

「せ……せやな……」

 それが全部本命の可能性は考えていないんだろうか。星音は首を傾げる。

(考えてたらこんなこと言わへんか……)

 梨杏からのチロルチョコ以外義理と言うにはあまりにも高級そうなチョコ、もしくは手作りばかりなのに、由真はそれに気が付いていないようだ。

「由真さん、それ食べきれるんですか?」

「全部一つずつは食べるけど、でもこの辺は『皆さんでどうぞ』って渡されたし」

「皆さんでどうぞにこんな高級チョコを……」

 多分本命なんだけど言うことはできなかったんだろう。気持ちはわかる。星音は一人でうんうんと頷いた。言ったところで伝わらなさそうだし。でも律儀に全部一つずつは食べるのは由真さんらしい。それは星音以外の喫茶アルカイドの店員たちも同じ意見だろう。

(ていうかこの状況どうすればいいんだ……既にこんなに貰っている人にチョコを追加するの、絶対良くないと思うんだけど。しかも何でうち初めての手作りとかに挑戦した?)

 星音は表情を崩さないようにしながらも心の中で頭を抱える。初めてのバレンタインデーに張り切りすぎてしまった。由真にチョコレートを渡したいという気持ちだけが先走りすぎて、渡すときのことを何も考えていなかったのだ。

「甘いもの食べたらコーヒー飲みたくなってきた」

 星音の懊悩をよそに、由真はのんきなことを言ってコーヒーを淹れ始める。ただし彼女はブラックコーヒーが飲めず、砂糖とミルクは必須なので、結局甘い飲み物になってしまう。けれどそのことを指摘する余裕は星音にはなかった。

「星音?」

「な……なんですか?」

「いや、何か悩んでんのかなと思って」

 何でこういうところは目ざといんだこの人。星音は額に手の甲を当てて溜息を吐いた。このまま隠し通すのも無理だと悟った星音は、意を決して、鞄から綺麗にラッピングした小さな箱を取り出す。

「あ、あの……今日バレンタインなんで、由真さんに!」

「ありがと。でも星音まで気を遣わなくて良かったのに」

「いや、えっと……友達と手作りチョコ交換しようってなって、練習兼ねて作ってたら作りすぎちゃったんで……」

 本当は由真にあげるために練習してたら作りすぎてしまったので友達にもあげたのだが、正直に言うことはできなかった。本命と言って受け取ってもらえなかった場合ダメージが大きすぎる。由真が突き返すような人でないことはわかっていても、踏み出せないのが恋心というものだ。

「ってことはこれ手作りなんだ」

「あ、はい……レシピは寧々さんに教えてもらったんですけど……」

 生チョコは極めようと思うと難しいけれど、普通に手作りするだけなら比較的簡単にできる。難しくはなかったけれど、それで喜んでもらえるかどうかはわからない。星音は不安な顔をしながら、剣の形をしたピックを使って生チョコを食べる由真を見守る。

「うん、美味しい」

 そう言って由真が笑みを浮かべた。由真は意外に思っていることが顔に出るから、少なくとも不味くはなかったのだろう。星音がほっと胸を撫で下ろしていると、由真の右手首につけている端末が振動した。この喫茶店の店主・ハルからの連絡だ。由真が小さく溜息を吐く。この端末が振動するときは、喫茶アルカイド店員としての本来の仕事をしなければならないときなのだ。由真が端末に触れて、低い声で通話に応じる。

「――はい」

『エリアA-5で謎の事件が続発しているらしいんだけど、今行けそう?』

「お客さんは誰もいないけど……寧々たちはまだやってんの?」

 今日の担当は本来、渚寧々と、数ヶ月前に週二回のバイトとして雇われた杏木黄乃だ。しかし二人は一時間ほど前から他の事件の対応のために出ている。そちらがまだ終わっていないなら、由真と星音が出るしかない。残る月島或果と亘理梨杏は今日は休みだ。

『結構苦戦しているらしい。終わり次第加勢するように言っておくから』

「了解。じゃあ行こっか、星音」

 由真がチョコレートの箱を紙袋にしまいながら言う。星音のチョコレートはその一番上に乗せられ、紙袋ごと店の業務用冷蔵庫の中にしまわれた。

 

 

『わっ! え、ちょっと待って!』

「標的は二時の方向と十時の方向。来るよ!」

『ちょっと待ってってば……っ!』

 慌ててはいるけれど充分戦えてはいる。寧々は腕組みをしながら戦闘の様子を見守る。黄乃は機械を操る能力を持っているということがわかったので、それなら攻撃に使える機械を作ってしまえばいいということになり、二週間前からその機械が実戦に投入された。寧々は少し離れたところで戦闘の様子を見守りながらインカムで指示を出す。寧々が戦闘を組み立て、黄乃がそれを実行する。戦闘の展開の速さについていけない黄乃が半ばパニックに陥っているが、寧々の言うことはきちんと聞こえているようで、おかげでそれなりに戦えるようになってきている。

(由真より言うこと聞いてくれるしね)

 由真が店に来たばかりのときは寧々とペアを組むことが多かった。けれど由真は寧々の指示を聞きながらも完全に無視したりすることが度々あった。

(それにしても……このままじゃ埒があかない)

 どこからか飛んでくる小さな鉄の玉を防ぎ、たまに撃ち落とすことはできている。こちらに注意を引きつけている間に近隣の住民は避難させた。けれど誰が攻撃しているのかがわからない限り問題は解決しない。

(能力は物体を発射する力……けれどあまり重いものは飛ばせない、かな。多分この鉄の玉が限界。十分危ないけど)

 速度があるから、銃で攻撃されているのと変わらない。早く狙撃手を見つけなければ永遠に平行線だ。寧々が能力の残滓を辿りながら周囲を見回していると、手首につけている端末が振動した。

「ああもう、何、ハル姉!?︎ 取り込み中なんだけど!」

『エリアAー5で謎の事件が続発していると連絡が入った。今、星音と由真が向かったけど、そっちも終わり次第駆けつけてくれ』

「謎の事件が続発?」

『突然何人もの人が倒れたり、暴れ出したりしているらしい』

「それ由真は詳細聞いて行ったの?」

『星音の端末に送っておいた』

 対応としてはそれが正解だ。由真に言ったところで聞きはしない。寧々は戦闘の状況からは目を離さないようにしながらハルに応える。

「てか、由真たちの方が本命じゃない? こっち陽動で」

『だろうな』

「わかった。五分以内に終わらせる」

 寧々は通信を切り、左目を手で覆った。早く終わらせるためには本気を出すしかない。こちらは狙撃手を倒してしまえば一応は終わるのだ。あまりやりたくはなかったが仕方ない。

「見えた。二時の方向、飛距離最大で」

『え!?︎ まだそれ使ったことないよ……!』

「頑張ればできる!」

『そんなぁ……!』

 ほとんど泣きべそをかいている黄乃。寧々はインカムに向かって、彼にとっての殺し文句を言った。

「こっちさっさと切り上げて、由真の方に加勢しに行くよ!」

『え、由真さんたちも出てるんですか!?︎』

「そうみたい。黄乃が頑張れば由真もちょっと楽できるかなぁ」

『わ、わかりました! わかんないけど、やってみます……っ!』

 由真の名前を出すと黄乃は弱い。それに気が付いていないのは由真だけだ。どうやら由真が黄乃の推しに少し似ているかららしいが、寧々にとっては関係のないことだった。どんな手を使ってでも、人を利用してでも、早く由真のところに行かなければならない。

 黄乃が持っている球体型の機械から白い光が放たれる。その真っ白な光線には能力者の能力をほとんど使えなくする力がある。でも実戦に投入するのは初めてだ。そしてこの光を長時間浴びせるのも良くないらしい。寧々は黄乃をその場に待機させたまま、標的がいる場所に向かって走り出した。能力者は、能力が使えなくなると体を動かすことができなくなる。その間に確保すれば、傷をつけずに標的を捕まえることができる。実験ではうまくいった。けれど実際に戦闘で使うのは初めてだ。うまくいっていることを願いながら、寧々は廃ビルの階段を駆け昇った。

 屋上の扉を開けると、寧々たちよりも少し年下に見える少年が蹲っていた。少年は寧々に気が付くと、鋭い視線を寧々に向ける。

「事情はあとで聞くから」

 寧々は少年に電子手錠をかけながら、彼を冷たく見下ろす。あまり人には見せたくない姿だ。自分自身の苛烈さを普段は抑え込んで生きているのに、ある一つのことに関してだけは余裕がなくなってしまう。

「でもひとつ教えて。――向こうは何人いるの?」

 由真たちが対応している場所の方が敵の数は多い。むしろそちらが本命だ。加勢する前に出来るだけ情報を入れておきたい。

「……教えるわけないだろ。あんたらは俺たち能力者を狩る側だ」

「私たちは能力者がそうでない人と共存できる方法を模索してるだけなんだけど」

「共存なんてできるわけないだろ? あいつらは俺たちに何をした!?︎ お前たちだって能力者ならわかってるんだろ!」

「わかってる。でもそれに負けて暴れてるんじゃあいつらと同じでしょ」

 能力者は差別され、迫害されている。それはこの世界での真実だ。けれどそれに耐えきれずに暴れれば、更に能力者が危険視される原因になってしまう。どうすればいいのかなんて、寧々にもまだわかってはいなかった。きっと誰にもわからない。ただ、目の前のことに一つずつ向き合うことしかできないのだ。

「……私たちがどんな気持ちで闘ってるかなんて、わかるわけないよね」

 共存の手立てを探して、能力者たちのトラブルを解決するために喫茶〈アルカイド〉は作られた。けれどその活動の中で、何度も同族である能力者を攻撃しなければならないことがあった。その度に無能力者の味方なのかと言われ、矢面に立たされ続けている仲間のことを寧々は想う。

「私はみんなと違って自分勝手だから、目的のためなら何でもするよ」

 寧々はそう言うと、懐に手を入れ、片手に収まるほどの小さな銃を少年に突きつけた。撃つつもりはない。情報を漏らす程度に少年を脅せればそれでいい。

「言いなさい。――向こうは何人いるの?」

 

 

「五人はいるやん……こっち二人なのに」

「寧々と黄乃が入ってくれればまだ……黄乃の攻撃、やったことはないはずだけど広範囲もいけるから」

「それまで保たんかったら意味ないですよ……」

「大丈夫。そこまでは保たせる」

 由真が口元に笑みを浮かべる。星音はその表情を見て密かに胸を撫で下ろした。今日は調子が良さそうだ。けれどいつでも力を使えるように準備しておかなければならない。

 星音が持つのは傷などを修復する能力だ。戦闘には向かない力なので、必然的に後方支援に回ることになる。最近は寧々が黄乃と組むようになったため、星音が由真と組むようになっている。

 由真が右手を開くと、そこに銀色の剣が現れる。この剣は或果の能力で作られた特別製で、条件が揃えばいつでも出現させることができるものだ。由真の場合、武器は何でも問題ないらしいが、基本的には一番使い慣れているこの剣を使うことが多い。由真が剣の柄を握りしめた瞬間に、炎の玉をいくつも纏った少女が突進してくる。直線的な動き。星音にも、少女が戦闘に慣れていないのがよくわかった。流石にそんな素人に遅れは取らない。飛んでくる炎は全て斬り伏せ、少女との間合いを一気に詰める。けれどその刃は少女本人には向けられることなく、由真は剣の柄で少女の鳩尾を突いた。少女が呻き声を漏らしてその場にうずくまる。けれど、それでもかなり手加減されていることを星音は知っていた。

(普通に全力でやったら斬らなくても死ぬもんなぁ……)

 由真の能力の詳細は、解析能力を持つ寧々でもわからないらしい。けれどそれがあまりにも強大な力だということはわかる。手加減しなければ簡単に人を殺すことができてしまうほどの破壊力。しかしこの戦闘は相手を殺すことを目的とはしていない。あくまで傷つけずに無力化して捕らえなければならない。

「星音、この子よろしく」

 由真はそう言い残して少女の横を通り抜けようとする。けれどまだ戦意を失っていないらしい少女は、右手を僅かに動かして能力を発動させようとする。それに気が付いた星音は、慌てて少女の腕を捻り上げ、その手に電子手錠をかけた。

「……っ、くそ……っ!」

 一人があっさりやられたことで、他の仲間たちも一斉にこちらに向かって来ることにしたようだ。相手は高校生くらいの男女が四人。こちらは一人だ。星音は歯噛みする。こういうとき、戦闘向きの能力を持っていない自分には何もできない。容赦なく能力をぶつけて来ようとする能力者たちに対峙する由真の背中があまりに華奢で、星音はいつもたまらなく不安になってしまう。

 ――いつか、手の届かない場所に一人で行ってしまいそうで。

「……どうして、こんなことするの」

 由真も、理由があれば人を傷つけていいと思っているわけではない。けれどいつもその理由を尋ねようとする。答えはなくとも、何も聞かずに最初から悪と決めつけることはしたくないのだと言っていた。

「力を持ってるだけでコソコソ生きてかなきゃいけないのは嫌なんだよ!」

 暴れる人の理由の中で一番多い。望んで能力を手に入れたわけでもないのに、それを隠して生きていかなければならない状況は、確かに苦しいものだ。だからといって能力で人を傷つけていい理由にもならないのだ。一人は無数の氷の刃を作り出して、それを一斉に由真に向けて飛ばす。由真の武器は剣だから相性は悪い。けれど相手は由真の能力がどんなものなのか理解していないのが、その単純な攻撃でわかる。

「な……っ!」

 剣戟だけでは説明のつかない範囲の氷が消し飛ぶ。それに動揺した相手の一瞬の隙を突いて、由真はポケットから出したスタンガンを相手の首筋に当てた。気絶して倒れ込んだ相手が頭を打たないように地面に置いてから、由真は一瞬、星音に目配せをする。ここから先は星音の仕事だ。倒れた少年に触れて体に異常がないか確認する。

 他の三人は仲間がやられたことに逆上して、一斉に攻撃を仕掛けてくる。一対一なら負ける相手ではないけれど、由真が剣を主に使う以上、一対多の戦闘では分が悪い。

 三人のうちの一人の懐に由真が潜り込んだ瞬間に、その動きが止まる。星音が目を凝らして見ると、透明で細い蜘蛛の糸のようなものが由真の四肢に巻きついていた。三人の中で一番背の高い少年が動けない由真の目の前に立つ。おそらくこの少年がリーダー格なのだろう。

「これまで散々俺たちを邪魔してくれたな」

「……邪魔してたつもりはない」

 星音は居ても立っても居られずに走り出そうとするが、いつの間にか張り巡らされていた透明な糸に阻まれた。一人一人の能力はそれほど強くはない。けれど動きを封じられている中で一方的に攻撃されて平気なわけではないのだ。強い力を持っていても、その体は生身の、普通の少女のものなのだから。

「――無能力者(ノーマ)の犬が」

「私は犬じゃない。誰かにやらされてるわけじゃない」

「でも、一度は思ったことがあるだろ? そんな強い力を持ってるんだ。――自分を虐げる人間なんてその気になれば全員殺してしまえるのに、って」

 由真は応えない。それがほとんど肯定を意味していることは、その場にいる全員が理解できた。でも、その想いを抱いていたとしても、今の由真は人を守る道を選んだ。そこに迷いはない。

「……それでも、私は」

 透明な糸は硬質で、身じろぎすれば皮膚に食い込んでいく。それでも由真は腕に力を込めた。屈するわけにはいかない。負けるわけにはいかない。想うことはただそれだけで、誰に勝とうとしているのかなどとは考えない。

「っ……!」

 限界を超えた皮膚が切れ、血が滲み始める。誰かが叫ぶ声が響いたけれど、由真には届いていなかった。深くなる一方の傷には構わずに力を込め続ける由真に少年が怯んだ瞬間に、どこからか飛んできた光が少年の体を貫いた。

「由真さん……っ!」

 一瞬で透明な糸が消え、勢いを殺しきれなかった由真が地面に膝を突く。しかし次の瞬間には剣を杖のようにして立ち上がった。

「大丈夫ですか、由真さん……!?︎」

「ありがと、黄乃。助かった」

 相手の能力を一時的に失わせる攻撃を放ったのは、駆けつけてきた寧々と黄乃だった。由真は優しい笑みを浮かべて黄乃を見るが、黄乃は由真の腕の傷を見て眉尻を下げた。

「ふん、一人増えたところで変わりはしない。そっちのは随分とひ弱そうだし」

「あんまり舐めた口きいてると、後で痛い目見るよ。うちの秘密兵器に」

 挑発するような由真の言葉に、当の黄乃本人が焦りを見せる。秘密兵器と呼ばれるほど実戦を積んだこともないのに――と言う間もなく、インカムから寧々の指示が飛んでくる。

『敵全員に最大出力で照射――あ、由真には当てないでね?』

「そんな細かい調整まだ無理だってば……っ!」

『あともう一人いるかも。油断しないで』

「そんなこと言われても……!」

 でも状況的にはやるしかない。黄乃は呼吸を整えて機械に自らの意思を伝える。目の前にいる標的能力を一時的に使えなくして、動きを止める。その瞬間、由真は標的の後ろに回ってスタンガンを構えた。一人、二人と気絶させていき、最後の一人――リーダー格の少年の後ろに回ると同時に、寧々と由真の声が重なった。

「黄乃!」

 どこからか飛んできた蝶の大群に目の前を遮られ、黄乃の意識が逸れる。その刹那に、リーダー格の少年が透明な糸を放った。

「……っ!」

 誰かに突き飛ばされた、と黄乃が状況を把握したときには、既に由真が黄乃の目の前に立っていた。その腕は不自然に宙に浮いたまま固定され、破れた皮膚からは赤い血が流れ落ちている。

「由真さん……っ!」

「大丈夫?」

「いや、あのぼくは大丈夫だけど……!」

 安心したように微笑む由真の姿に、黄乃は息を呑んだ。かつて画面越しに出会った「彼女」の姿に重なるその表情。味方すら戦慄させるような、凄絶な笑顔の影。それに気を取られていた黄乃だが、由真の次の言葉ではっと我に返った。

「私の陰になってるから、向こうからこっちの動きは見えない。だから今のうちに、私越しにそれを使って」

「え、でも、そんなことしてもし外れたら……ていうか範囲的に絶対……」

「私は大丈夫。だから」

 明らかに大丈夫そうには見えなかった。けれど由真の言葉をインカム越しに聞いていた寧々からも容赦のない指示が飛ぶ。

『できるだけ時間をかけないで終わらせるから。だから由真の言う通りにして』

「で、でも……!」

『今は信じて。むしろ長引くほど由真に負担がかかる』

 黄乃は覚悟を決めて、球体型の機械を両手で包み込んだ。能力を一時的に失わせる光線。便利に使えるのは確かだが、中にはその攻撃が致命傷になりかねない能力者が存在する。喫茶〈アルカイド〉で働く能力者の中では、柊由真だけがそれに該当した。

 黄乃が両手に力を込めた瞬間に、球体の表面を覆っていた金属板が動き、その隙間から光が照射される。その範囲は人の陰から撃つには広く、狙った相手だけではなく、盾になっている由真にも当たってしまう。微かに漏れた由真の吐息を聞きながら、きつく目を閉じた。

『目標を確保。もう止めていいよ』

 インカムから聞こえる寧々の声を合図に、黄乃はおそるおそる目を開いた。涙で霞んだ視界に、黄乃を見つめる由真の目だけがはっきりと映った。

「由真さん……っ」

「良く頑張ったね、黄乃……」

 黄乃以外には聞こえないような小さな声で由真が言う。由真は柔らかな表情で腕を広げ、泣きじゃくっている黄乃を抱きしめた。

 

 

「だからもう泣かなくてもいいって……すぐ治るから」

「でも……」

 喫茶〈アルカイド〉の二階にある由真の部屋で、黄乃は涙を服の袖で拭った。由真は実家から出て、ここで寧々たちと暮らしながら働いている。それまでにどんな事情があったのかを知っているのは、喫茶店のメンバーの中では店主であるハルと、寧々と梨杏だけだ。働き始めて半年も経っていない黄乃はもちろん、星音や或果も事情は知らされていないという。

 由真の部屋は黄乃が想像していたよりも年頃の少女らしさがあった。ぬいぐるみがいくつか置かれているのは意外だった。けれど物はそれほど多くなくて、落ち着いた雰囲気がある。

「こっちの怪我は油断した私のせいだし。最後のは私がやれって言ったんだから」

「うぅ……でも……」

「星音に力も使ってもらったから、明日には治ってると思うよ」

 由真の腕には、星音の能力で作られた包帯のようなものが巻かれていた。それで覆われている部分の傷は半日ほどで治る。そして包帯が触れていればそこから体力や気力を回復することもできる。

「星音も疲れるだろうから別にいいって言ったんだけどね、聞いてくれなくて」

「いや、だって結構な傷だったよ……」

「でも普通にしてても治るからさ。まあ早く治るのはありがたいけど」

 由真はそう言って腕に巻かれた包帯を撫でた。見た目は普通の包帯と変わらないが、星音の能力で作られた包帯は、傷が治ると自然に消えるようになっている。由真はしばらく自分の腕を見つめていたが、やがて俯いている黄乃に気付き、その顔を覗き込んだ。

「何かあった?」

「いや、何かっていうか……わからなくて。由真さん、どうしてそんなに怪我してまでこの仕事してるのかなって……」

 能力者を相手にしている以上、攻撃されて怪我をすることは避けられない。警察なんかは一人の能力者に対して五人で対応することすらあるし、銃を使うことすらあるのに、由真はいつも生身で、たった一人でも相手に向かっていく。その勇気はどこからくるのか。何か目的があってこの仕事をしているのか。黄乃は真っ直ぐに由真に問いかけた。

「助けたいって思ったから……それだけだよ。でも、今でも自分に何かできているとは思ってない」

「そんなことないと思うけど……」

「この力でできることってそんな多くはないんだよ。星音みたいに傷を治すこともできないし、或果みたいに何かを作ることもできないし、ただ人を傷つけることにしか使えない。……でも、ここにいれば、それでも誰かを助けることができるかもしれないって」

 能力を解析できる力を持つ寧々ですら、由真の力の正体はいまだに掴めていないらしい。わかっているのは、その膨大なエネルギーは、剣に纏わせる形で制御していても、加減を間違えば相手を殺してしまうほど強いということだけだ。

「……でも、やってることは能力者狩りとたいして変わらないこともわかってる」

「でも! でもぼくは……由真さんに助けてもらったし……それにお礼のチョコだってあんなにいっぱいもらってたじゃないですか……! それに、あのときだってずっとそばにいてくれたし……!」

 必死で言葉を並び立てる黄乃を見て、由真は小さく笑みをこぼした。

「ありがと。ちょっと元気出たかも」

「由真さん……」

「私が慰められてちゃ駄目だね。先輩なのに」

「そんなことないよ……! どっちかというといつも助けられてる気がするし……お皿割っちゃったときとか……」

 助けられたり慰められている回数の方が明らかに多いのに、自分の弱さはあまり見せようとしない。強くあろうと思う由真のその行動が、時折周囲の人間の心に引っ掻き傷のようなものをつけていることに、由真自身はまだ気が付いていなかった。

「あ、そうだ。黄乃に渡したいものがあったんだ」

「え?」

「えっとね……そこの鞄取ってくれる?」

 黄乃がソファーの上に置かれた真っ黒なシンプルな鞄を手に取り由真に渡すと、由真はその中から小さな箱を二つ取り出した。

「こっちはチョコね。今日バレンタインだから」

「え!?︎ ぼくに……!?︎」

「だってバレンタインだし……チョコ苦手だったりしないよね?」

「そ、それは大丈夫なんだけど……!」

 まさか由真からチョコレートが貰えるとは思っていなかった黄乃は、感動すら覚えながら渡されたチョコレートの箱を両手で握り締めた。それを見て由真が笑う。

「チョコ溶けちゃうよ?」

「あ、ほんとだ! え、どうしよう……!」

「鞄にしまえばいいんじゃないかな」

 混乱している黄乃を、由真はベッドの上から悪戯な笑みを浮かべて眺める。黄乃本人はおそらくからかわれていることに気付いてはいないだろう。

「ていうかチョコは本題じゃないんだよ。メインはこっち」

 由真はもうひとつの箱を黄乃に突き出す。黄乃は首を傾げながら包装紙を剥がした。包装紙の下から出てきた箱は、つい先日黄乃が高すぎて泣く泣く断念した服と同じブランドのものだった。恐る恐る箱を開けると、中にはイヤリングが入っていた。中に小さな花が入っている球体がぶら下がる可愛らしいデザインのもの。

「これは……?」

「誕生日でしょ、今日」

「え!?︎」

「何で自分の誕生日でそんな驚いてんの……?」

「だって誰にも言ったことないし……!」

 男なのにバレンタインデーが誕生日なんて、という気恥ずかしさもあって、わざわざ聞かれなければ誕生日を人に言うことはなかった。だから由真が知っていることを予想できなかったし、その上プレゼントまでもらえるなんて完全に想定外だった。

「でも通話アプリのプロフィールには書いてたじゃん」

「た、確かに……でも、それだけで祝ってくれる人とかいなかったし……!」

「そうなの? でも仲間の誕生日祝うのは普通じゃない?」

 そう言われると普通のような気がしてしまうのは、黄乃の推しが弱すぎるのもあるだろうか。ひとしきり驚いた黄乃は、呼吸を整えてから、もう一度由真からのプレゼントを眺めた。

「服にしようかなと思ったんだけど、流石に予算が」

「いや、あのっ、そんな……むしろ気持ちだけで嬉しいっていうか……っ! すごく可愛いし!」

「それならよかった。あ、そうだ。今からそれちょっとつけてみてよ」

「今から!?︎」

 黄乃はイヤリングを台紙から外そうとするが、何故か手が滑って台紙を掴むことができなかった。見かねた由真が台紙からイヤリングを外し、銀色の金具で黄乃の耳たぶを挟む。

「痛くない?」

「だ、大丈夫です……!」

 耳に触れられるということは、必然的にそれだけ由真の顔が近くにあるということだ。なるべく見ないようにしていても、その整った顔立ちが目に入ってしまう。耐えきれずに両手で目を覆ってしまった黄乃の顔を由真が不思議そうに覗き込む。

「どうかした?」

「何でもないです……!」

「そういや寧々が『黄乃相手なら由真の顔だけでプレゼントじゃない?』とか言ってたんだけど意味わかる?」

「わ、わかるけど……わかるけど……!」

「そんな大した顔じゃないと思うんだけどな……」

 遠い昔、この世界にまだ能力者が存在していなかった頃に、ある少女が世を席巻した。黄乃がたまたま見た映像の中にいたその少女と、いま目の前にいる柊由真の顔はよく似ている。生まれ変わりなのか、実は辿っていけば血が繋がっているんじゃないかと思うほどだ。けれどそのことを由真に直接言ったことはない。

「ていうか顔隠してたら似合ってるかどうか確認できないじゃん」

「いや、無理です……なんかもう顔が燃えそうだから……!」

「え、何で? 熱でもある? 星音呼んでこようか?」

「そうじゃないんです……っ!」

 でも呼んでもらった方が助かるかもしれない、と黄乃は密かに思った。これ以上二人きりで部屋にいたら寿命が縮んでしまう。けれど助けを呼んだらあとでからかわれる未来も見える。黄乃はそばにあったぬいぐるみを手に取り、赤くなった顔をそれで隠した。

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