作戦通りに由真を連れ出したところまではよかった。予定ではすぐに歩月に引き渡すことになっていたが、由真がそれを頑なに拒んだ。
「あっちにも理世子さんとか純夏さんが行ってるから」
「……暴走が進行したら、私以外止められる人はいない」
「その状態で行くのは無茶やって!」
由真がかなり消耗しているのは誰の目にも明らかだった。自力で立つことも難しい状態だ。それなのに星音を見る目には強い力が宿っている。
「もしその犯人が暴走したとしても、それは力を使いすぎたせいなんやから自業自得やん」
「そういうことじゃないの」
「自力で立てもしない人を行かせるわけにはいかないので」
「確かに自業自得かもしれない。どうしようもなくなったら悠子たちだって対処できるのはわかってる。でも……私は梨杏を傷つけたあの人を許せない」
由真が発した言葉は決して美しいものではなかった。死なせてしまっては責めることもできなくなる。誰かを助けたいという思いと同じくらいに、大切なものを傷つけられたという怒りは大きかった。星音の服を掴む由真の力は服に皺が寄るほど強い。
「……負けないでくださいね」
由真は何も言わずに頷く。本当は行かせるべきではないのだろう。けれどその固い決意を揺るがすのはあまりに難しい。星音は歩月に寧々への伝言を頼み、由真と共にバイクに乗り込んだ。
「……星音。もうひとつ頼みたいことがあるんだけど」
「何ですか?」
「私が力を使ったら、すぐに――」
続いた由真の言葉に、星音は目を瞠った。それはどういう意味なのか。問いただす前にバイクは現場に到着してしまった。
*
結論から言えば、由真が星音に頼んだことは、対応として正しかったと歩月に言われた。軽度の暴走状態は鎮静剤を打てば収まることも多い。限界以上に力を使うとわかっていたからこそ、由真は星音に能力を使ったらすぐに鎮静剤を打ってほしいと言ったのだろう。逮捕された鎌鼬事件の犯人も病院で目を覚まし、今はおとなしく取調を受けているという。田崎のことは聞いていないが、寧々は然るべきところに引き渡したと言っていた。
一件落着とは程遠いが、作戦は全て終了した。あとは警察なり何なりに任せることになる。けれどあれから三日経っても由真は目を覚さなかった。それだけ消耗していたのも事実だが、このまま待っていたら目を覚ますだろうと楽観視することもできなかった。星音は由真にずっと付き添って、由真が起きるのを待っていた。
今の由真がどんな状態かは、寧々と歩月から聞かされている。限界近くまで特殊光線を浴びせられ、普通の人なら種が割れていてもおかしくはない状態らしい。耐えられているのは由真だからだろうと二人とも言っていた。
三日も軽い仮眠だけで由真のそばにいたせいで、星音は酷い眠気に襲われていた。点滴の針が刺さった由真の手を握りながら星音は目を閉じる。もし何かがあってもこうしていれば気がつけるだろう。意識はすぐに落ちていく。
暗闇に沈んだ意識が浮上したのは、その数時間後だった。握り締めた手の中で感じた微かな動き。星音は夢現のままで呟く。
「由真さん……?」
「寝るならちゃんとベッドで寝ないと、風邪引くよ」
柔らかで少し低い声。それは星音が待ち望んでいたはずのものだった。それなのに何故か違和感を覚えてしまう。覚醒した視界に映る由真の目を見て、星音はその違和感を確信に変える。
「……由真さん、やないな。あんた誰や?」
見た目は間違いなく由真だけれど、由真ではない。口調や気配を誤魔化すことはできても、何よりも雄弁なその目を誤魔化すことはできない。
「ちゃんと真似したつもりだったんだけど、こんな簡単にバレるとは」
「誰やって聞いてるんやけど」
「そんな睨まないでほしいな……。少なくとも僕と君の今の目的は同じなんだから」
看破された途端に誤魔化すこともなく、その人は堂々と居直った。警戒している星音に向かってその人は柔和な笑みを浮かべる。
「僕は
「その名前……もしかして」
「タリタと同じ、僕は北斗の家にいた能力者だよ。まあ体の方はもうとっくに死んでしまっているんだけど。簡単に言えば幽霊のようなものだね」
急に告げられた事実に理解が追いつかない。星音は混乱しながらもアルに尋ねた。
「……由真さんは」
「今は、種の修復と僕を押さえ込むのに力を割くのが精一杯って感じだ。だからこうして僕が表に出てきてみたんだけど。どういう状況かは聞いてるんだろう?」
「一応は」
「由真は自分一人でやるつもりみたいだけど、罅が入った種を修復するのは本来は不可能……ゆで卵を生卵に戻すくらいの難題だ。由真は由真自身のものなら修復はできるけど、今回はその能力を上回る程の損傷だ。生きているのが不思議なくらいだ」
由真の姿をした別人に由真の状況を説明される。それが更に星音の頭を混乱させていった。
「自分自身の種なら修復できるなんて、初めて聞いた」
「由真は普段、自分の能力の一割くらいしか使ってないよ。君たちが把握しているより遥かに多くのことができる。けれど……基本的には使いたくないんだろうな」
一割であれなら、全ての能力を使ったらどうなるのだろうか。空恐ろしさを感じた星音に、アルは真剣な眼差しを向ける。別人であることはわかる。けれどその真っ直ぐな瞳は、どこか由真に似ていた。
「――力を貸してほしいんだ。このままだと由真は永遠に目覚めないかもしれない」
「私は怪我は治せても、それ以外は何も」
「あの光線は種に対する物理的攻撃だ。種の外傷と考えれば君の力を応用できる。……あとで由真には怒られるだろうけどね」
アルは戸惑う星音を抱きしめ、その背中に触れた。触れられている部分が僅かな熱を持ち、能力を使われていることを感じる。覚えのある感覚だ。星音の種に指が触れたと思った瞬間に、それが更に奥に入り込んでくる。
「……っ!」
前、由真に同じことをされたときは、ただ触れられているという感覚が強かった。けれど今はそこにある何かを流し込まれているようだ。歯を食いしばる星音の手を、アルは由真の左胸に置く。触れたところが白い光を放ち、やがて星音の手はその体の中に沈んでいった。
何をされているのか。何が起こっているのか。わからないままに星音は手を伸ばす。その指先が触れたものが何か理解した星音は、思わず息を呑んだ。
他人の種の感触を知ることはできない。普通は触れられないものだ。由真だけが知っているそれは、固いけれど熱を持ち、臓器のように微かに脈動していた。指でなぞれば、その表面に罅が入って、中から血のように何かが流れ出しているのがわかる。
何が起きているのかはわからないが、やることはわかった。星音はその傷にそっと触れ、能力で作り出した包帯を巻いていく。終わると同時に種から手を離すと、ゆっくりと手が抜かれていった。
「……っ、今の……」
力を使ったというよりは使わされた感覚が残る。しかも種に触れることは普段の星音には絶対にできないことだ。アルは一体何をしたのか。その目的が由真を助けるためだということだけはわかるが、説明らしい説明は一切なかった。
「……勝手なことを」
星音が息を整えていると、由真が呟いた。
「大丈夫? どこか変なところとかない?」
星音を気遣う問いと、向けられた目に、星音は安堵の溜息を漏らした。間違いなく目の前にいるのは由真だ。
「私は特には……あの、由真さん」
「星音に何も影響がない保証ができないから、本当はやりたくなかったんだけど……でも、ありがとう。おかげで大分落ち着いた」
「じゃあ、あの人が言ってた通り……」
「アルは嘘は言わないから。隠す気もあんまりないし」
呆れたような口調の中にも優しさが滲んでいた。一体二人はどんな関係なのだろうか。身体の方はもう死んでしまっている――その言葉が嘘でないのなら、どうしてその精神が由真の中にいることになったのか。おそらくは、全てが北斗の家での最後の日に繋がっているのだろうことはわかった。
「――田崎さんはあのあとどうなったか聞いてる?」
「寧々さんは然るべきところに引き渡したって」
「然るべきところ、か……」
「それ以上は何も教えてくれなかったというか……」
「うん、大丈夫。だいたい見当はつくから。鎌鼬事件の犯人の方は?」
「全面的に罪を認めて自供してます。もう能力も使えないし大分大人しくしてるみたいですけど」
とはいえ、『自分の能力を試したかった』という身勝手な動機に世間の批判が集まっているのは事実だ。幸い死者は一人も出なかった事件だが、批判の声は暫くは消えないままだろう。
「――気になってるんでしょ? アルのこと」
「あれで気にならん人おらんやろ……。気になるのはそれだけじゃないし」
由真は一体どれだけのものを隠しているのだろう。アルは嘘は言わない――なら、能力を一割しか使っていないというのも本当のことになる。けれど由真が隠すのならそこには理由があるというのもわかっている。
「本当は、前に話をしたときにちゃんと言おうと思ってたんだけど……あのときはまだ言えなかった」
「無理して喋るくらいなら言わなくてもいいです。でも……由真さんが話したいと思うなら」
きっと話したいと心の中では思っているのだろう。由真はそもそも嘘も隠し事もあまり得意ではないだろう。それでも隠さなければならなかった事実がある。それを吐き出すことで少しでも背負っているものが軽くなるのなら、星音はそれを受け止めたいと思った。
「どこから話せばいいのか、ちょっとまだわからないんだけど……話せるだけ、話してもいい?」
「いいですよ。無理ならすぐやめてもいい」
由真は安心したように笑みを浮かべた。迷いながらも伸ばされた白い手を、星音はしっかりと握り締めた。