Alkaid   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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番外編
待ち人とホットチョコレート


 今年の理世子のチョコレートは、例年よりも気合が入っていた。パティシエのところでの修行が生きたのか、食べるのがもったいないとさえ思える宝石のようなチョコレートはそれなりに話題になり、いつもは人が少ないアルカイドの店にも人が集まるようになった。しかしそうなると人手が足りなくなるため、寧々は急遽シフトを変更し、店内にいる店員の数を増やしたのだった。そしてバレンタイン当日――二月十四日が誕生日の黄乃もしっかりそれに巻き込まれた。

「ごめんね、誕生日なのに」

「いや! 大丈夫です! 暇してたので!」

 ガトーショコラの横にクリームを搾り出し、上に小さなミントの葉を乗せながら言ったのは理世子だ。アルカイドの店員は全員に二種類の制服が支給されているが、理世子はそれにさらにレースを付け足すアレンジをしている。私服もいつもお姫様のような可愛らしいもので、黄乃は密かに理世子に憧れを抱いていたのであった。ただし理世子は非常に裕福なので、彼女の服は目が飛び出るような値段だったりするのだが。

「由真、これ三番テーブルに」

「了解」

 ガトーショコラの準備が終わると、由真がそれを素早く客のところに持っていく。三番テーブルの客は、以前仕事で由真が関わったことがある人らしく、ガトーショコラを受け取った後で、由真にチョコレートが入った箱を渡していた。

「今日観測しただけで二十個はもらってるわね……」

 理世子が呟く。かくいう理世子も店員全員分のチョコレートを用意していたので、その中に由真のものも含まれているのだが。由真に関しては相変わらずモテるなぁというのが店員全員の見解である。

 理世子はトレイに生チョコレートの皿と紅茶を置き、横に待機していた黄乃を呼んだ。

「これ四番テーブルにお願い」

「わかりました!」

 黄乃は紅茶をこぼさないように慎重にトレイを運ぶ。店に入った頃は緊張と持ち前のおっちょこちょいさが相俟って、よくコーヒーや紅茶をぶちまけたりしていたが、最近はそんな失敗も減った。

「お待たせしました。ご注文の品は以上でお揃いでしょうか?」

 四番テーブルの客は何も言わずに頷いた。何故か店内なのに目深にフードを被り、黒いマスクをしているせいで顔がほとんど見えない。雰囲気は男性のような気がするが、はっきりと断言はできない。その客のことが気になりながらも黄乃はカウンターに戻った。ちゃんと金を払ってくれる客に対しては深く踏み込まずに一定の距離を保つ。それが接客業の鉄則だと寧々にも言われていた。

 カウンターに戻ってから、ちらりと四番テーブルをうかがうと、その人はマスクを外して紅茶を飲んでいた。

「……あの人、昨日も来てたな。一昨日も、その前の日も」

 黄乃の視線に気が付いた由真が呟く。

「新しい常連さんってことですか?」

「そうだと嬉しいところだけど、どちらかといえば誰かを待っているか……理世子のチョコメニュー全部制覇したいかのどっちかかな」

「チョコ作りのための研究だったりして」

「それ今日やってたら遅くない?」

 結局、由真はそれ以上その客について追及するのはやめにしたようだ。考えても答えなど出ない話ではある。なおかついつも以上に客が多く忙しかったというのもあった。

 

 

 暫くして、黄乃たちはフードの客の目的を知ることになった。その客が生チョコレートを食べ終わる直前に店に男が入ってきて、フードの客の目の前に座ったのだ。その瞬間に目深に被っていたフードを外す。どうやらこの男を待っていたらしい。

「ブレンドひとつください」

 後から来た男の注文を受け、由真がコーヒーを淹れ始める。数分後にコーヒーが出来上がり、由真はそれを黄乃に運ぶように言った。

 四番テーブルの二人は何やら深刻な話をしているようだった。そういうときは邪魔しないようにさっと置いて戻るのが鉄則――わかっていたのに、カップをテーブルに置いた瞬間に二人の会話が聞こえてしまった。

「でもお前もいい加減に働かないとさ」

「……やろうとはしてるんだよ。でもちゃんとやらなきゃって思うほど失敗して……失敗したときのみんなの目が怖くて仕事行けなくなって」

「最初は誰だって失敗するもんだろ」

「それはわかってるんだけど……」

 フードの男の言葉に黄乃は少し共感を覚えた。自分もアルカイドに来たばかりのときは店の仕事も戦闘も満足にできなかった。一度転んで由真にアイスコーヒーをぶちまけたこともある。そんな失敗をしたあとのバイトはかなり憂鬱だった。ただアルカイドでの仕事は大抵それどころではない大変なことが起きがちなので、あたふたしているうちにここでの仕事に慣れてきていたのだ。

「大体能力者ってだけで白い目で見られたりもするしさ……たいして役に立たない力なのに、勢い余って物とか壊しちゃうし」

 まるで自分みたいだ、と黄乃は思った。黄乃も能力がうまく扱えずに機械を壊してしまうことはしょっちゅうだった。それでも何とかやってきたのは、正直何とかしなければならない状況が続いていたからだ。とはいえあまりに特殊な事例すぎてアドバイスめいたことは何も言えない。ただ、気持ちはわかるなと思うだけだ。結局何も言わずにコーヒーだけを置いてカウンターに戻る。喫茶店の客と店員の距離などそんなものだとわかっていても、何も言えなかったという気持ちに襲われてしまった。

「何かあった?」

「え?」

「落ち込んでるみたいな顔してたから」

 由真に尋ねられ、黄乃は慌てて首を横に振った。何かあったというほどでもないのに、由真はいつも僅かな表情の変化にも気づいてしまう。

 

 

 忙しいから簡単には来られないとわかっていたのに、「行けたら行く」という言葉を信じて四日も同じ店に通ってしまった。普段はあまり人のいない店だが、今年はバレンタイン用のチョコレートが話題になり、いつもより賑やかだ。賑やかなのはいい。自分の存在を隠してくれるから。誰にも気付かれたくなんてなかった。誰かに見つかってしまった瞬間に、自分の間違いを指摘されそうな気がした。

 子供の頃から得意なことは何もなかった。他人にできることが自分にはできなくて怒られるばかりだった。一度自分は何かの障害を持っているのではないかと思って検査をしたが、結果は普通の範囲内に収まる程度だった。だから悪いのは全部自分なんだと思って生きてきた。

 そんな自分をいつもサポートしてくれたのが親友の近藤だった。近藤は幼馴染で、何でも人より良くできて、自分の失敗をいつもカバーしてくれた。けれどまさか職場まで同じというわけにはいかない。就活の段階で躓いて派遣社員になってしまった自分と、能力者ながら大企業に就職した近藤。生きれば生きるほどに差は開いていく。派遣の仕事もすぐにやめてしまった自分に近藤は優しくしてくれるけれど、時折酷く惨めになる。

「悪い。急に会議が入ったから、今から戻らないと。お代は置いていくから」

 近藤がそう言って、急いでコーヒーを飲んで立ち上がる。ここで言わなければ彼は行ってしまう。最後に顔を見て、自慢の友達だったと伝えて、それから――。

「……いつもごめんね。もう呼び出さないから」

 近藤の目は疑っているようだった。きっと一時的に落ち込んでそんなことを言っていると思っているのだろう。けれど僕は本気だった。

「変な冗談はやめてくれよ」

 近藤が置いた代金は、僕の注文したものを払ってもお釣りが来るほどのものだった。いつもそういうことをする。それがどんなに僕を惨めにするのか、本当にわかっているのか。

 近藤が店を後にしたあと、僕は立ち上がることができなくなっていた。もうテーブルの上のものは全て空になっている。あとは帰るだけだというのに。フードを被り直して、誰とも目が合わないように俯いていると、遠慮がちな声が聞こえてきた。

「あ、あの……今日バレンタインなので、ホットチョコレートの試飲をお配りしているんですが……」

 その銀杏色の髪をした店員は緊張しているのかトレイを持つ手が震えていて、中身が溢れないか見ているこっちが冷や冷やしてしまう。自分も端から見ればこんな感じなのだろうか。いかにも頼りなく、思わず手を出してしまいたくなるような。けれど見られていると思うとますますできなくなる。

「……じゃあ、ください」

 飲んでやってもいいかな、と思った。小さな紙コップに入ったホットチョコレートが目の前に置かれる。店員が離れて行き、それに口をつけようとした瞬間に、店の扉が勢いよく開いた。大きな音に驚いてそちらを見ると、数人の男が先程店を出て行ったばかりの近藤を引き摺るようにして入ってきた。

「喧嘩するなら他所でやって欲しいんだけど」

 カウンターにいた髪の短い店員が言う。男の一人がその店員にナイフを向けながら言った。

「ここにいる全員人質だ! 殺されたくなかったら大人しくしろ!」

「事情はわからないけど、ここはお茶するところなんだけど」

 両手を上に上げながらその店員が言う。しかし次の瞬間、両手を上げたままの姿勢で回し蹴りを決めた。あまりの鮮やかさに時が止まる。その一瞬に回し蹴りを決めた店員はこちらの方を見た。いや、正確には僕の隣にいるもう一人の店員か。

 仲間の男たちが先程の店員に向かって行く。それぞれの能力を駆使してたった一人を潰そうとしていた。僕は思わず目を背ける。けれど恐れていた事態は起こらなかった。僕の横にいた店員が何やら銀色の機械を操作して男たちの動きを止めている。その隙を狙って、狙われていた店員がスタンガンで仕留めていた。

 何が起こったのか把握する前にあっという間に制圧されてしまった。銀杏色の髪の店員が安堵の溜息を漏らす。機械を取り出すときによっぽど慌てたのか、トレイの上のホットチョコレートは盛大にひっくり返っているが、ひとまず一件落着なのだろうか。

「――今のはこれが原因?」

 男たちを倒した店員が僕のテーブルまで近付いてきて、近藤が置いて行った紙幣を手に取る。近藤は床に座り込んだまま俯いていた。

「詳しいことは警察で話してもらうけど、まさか偽札を友達に押し付けて店を出るとは」

「……偽札?」

 僕が呟くと、近藤は唇を噛んだ。

「悪かった……実はお前にずっと黙ってたことがあるんだ」

 それから近藤は呻くような声で話し始めた。仕事は少し前にクビになっていたこと。そしてお金に困っているときに、先程の男たちに能力を買われて偽札作りに手を貸したが、罪悪感に苦しみ足を洗いたいと思っていたこと。そして証拠となる偽札を数枚くすねて逃げたこと。けれどいざとなったら怖気付いてしまい、それを僕に押し付けて逃げたこと。これまですごい人間だと思っていた近藤のメッキが音を立てて剥がれ落ちて行った。

「ふざけんなよ……!」

 僕は思わず叫んでしまった。いつも何でもできる近藤と比べて、自分は駄目な人間だと落ち込み続けてきたのに、今や犯罪者とそうではない人間で、立場が逆転してしまっている。この四日間は何だったのだろう。自分がこれ以上惨めにならないように、大切な友人ともう会わないと決めて臨んだ四日間は、予想もしない結末を迎えてしまった。

 

 

「なんでこう、しょっちゅう事件ばっかり起きるかなこの店は……」

 予定外に早まった閉店後、由真が雑巾を投げて呟いた。それはおそらくこの店の店員が能力者事件の調停人(トラブルシューター)を兼ねているというのも関係あるだろうが、それにしても一度お祓いでもした方がいいのではないかと思うくらいには事件が起きる。

 理世子は閉店作業が終わるとすぐに帰ってしまったので、店には由真の黄乃の二人だけが残されていた。黄乃はモップで床を掃除しながら由真の言葉を聞いていた。

「今日は黄乃がいたから楽勝だったけど」

「い、いやでも! そんな大したことはしてないというか……」

 実は一人でもどうにかなったのではないかと思うほど鮮やかな動きだった。由真は投げた雑巾を拾いながら言う。

「今日は寧々がいなかったのにあれだけちゃんと自分で判断して動けたじゃん。すごいことだと思うよ」

「いや、それなら由真さんの方が……」

「割と反射的にやってるだけのときあるけど、私」

 由真が笑う。どう考えても由真の方がすごいと思うけれど、時折こうやって励ましてくれるからここまでやってこれたのだろうなとも思う。至らないと思うところは沢山あるけれど、劣等感や惨めな気持ちにはならない。失敗しても笑って許してくれるような、そんな雰囲気がこの店にはあった。

「あ、そうだ。今日閉店早まっちゃったからホットチョコレートの材料余ってるんだよね。飲む?」

「飲みます!」

「それから、これ。今日誕生日でしょ?」

 由真がポケットから小さな袋を出してきた。黄乃は慌ててそれを受け取る。

「えっと……あけても……?」

「もちろん。そんなに大したものではないんだけど」

 袋を開けてみると、そこにはガラス細工のアクセサリーが入っていた。透明だけれど、光に当たると反射してキラキラと輝く。

「すごい……でもこれ割っちゃいそうで怖いなぁ……」

「この前五万円するティーカップ割ってたしねぇ」

「うわぁぁぁぁそれ言わないでください!」

「一応一年間の保証つきだって、それ」

 確かに袋の中には保証書が入っている。とはいえ由真から貰ったものを割るわけにもいかないので、これをつけているときは絶対に気をつけようと黄乃は心に誓った。

 暫くすると、由真は完成したホットチョコレートを黄乃の前に置き、自分はその向かい側に座った。まだ出来立てのホットチョコレートには手をつけない。猫舌なので飲めないのだ。

「今日のお客さんの話、ちょっとだけ聞いちゃったんです。仕事をしなきゃいけないのはわかってるのに、失敗したときの周りの目が怖くてできないって……なんだか、その気持ちはよくわかったんです」

「うん」

「でも、何て言えばいいのかわからなくて……結局何も言えないままでした」

「それでいいんじゃないかな、私たちは」

 由真が答える。マグカップを包み込んでいる両手は傷だらけで、けれど思っていたよりも小さく見えた。

「正解なんてわからないし……その人に『あなたの気持ちもわかるよ』って言っても、何にも知らないくせにって思われるかもしれないし。でも……今日私たちがしたことを、あの人はきっとちゃんと見ててくれたと思うよ」

「そうだといいんですけど……」

「私もわからないけどね。でも、あの人はきっと少しだけでも前に進めるんじゃないかな、とは思ったよ」

 黄乃がアルカイドでのバイトを始めたのは、寧々に誘われたからだ。理由は一つではないけれど、でも一歩を踏み出せば何かが変わるような気がした。そしてその一歩を踏み出した瞬間に転んでしまったとしても、ここには手を差し伸べてくれる人がいると思える。だからここまで何とかやってこれたのだと思う。あの人もこの後、そんな一歩を踏み出せるだろうか。そうなってほしい、と黄乃は心から祈った。

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