1.生まれた場所なんて知らない
*
「――私を騙してたの?」
最初にやらされたのは咲いた能力者の処理だった。暴走した能力者ならば、種を壊したところですぐに死ぬことはない。けれど体内で割れ、中のものが漏れ出し体のどこかに触れてしまった人間は遅くとも一週間以内に死ぬ。しかもその苦痛は死ぬまでずっと続くものなのだと説明された。これまでは他の能力者に処理をさせていたが、心臓を突いて絶命させても能力が漏れ出し、その処理に追われることになる。種を直接破壊できる由真の能力は彼らにとっては都合のいいものだったのだ。
「私はそんなことをするためにここに来たわけじゃない! そんなことをするくらいなら私は家に帰るよ」
「そう簡単に帰すわけにはいきませんよ」
「……っ」
由真の首筋には角田の手で小さなナイフが突きつけられていた。これまでの優しい表情はそのままで、だからこそ余計に恐ろしかった。
「秘密を知ってしまった人間を簡単に出すわけには行きませんから」
けれど角田はおそらく戦闘を任されてはいなかったのだろう。その動きには隙が多かった。由真は角田の腕を掴み、手首を捻ってナイフを床に落とさせる。嫌々やっていた習い事が図らずも役に立った。この男も能力者なら、種を壊して能力を奪って、そのときにできる隙を突いて逃げ出すことはできるか――そんな計算をしていた由真は、背後に急に現れた少年に気が付かずに、あっという間に動きを封じられてしまった。
「……っ!」
由真の頭を床に押し付ける手から痛みが伝わってくる。身に纏って使う能力の持ち主か。しかもこちらは実戦に慣れているらしい。隙らしいものは全くなかった。
「――諦めろ。ここはそういうところだ」
由真を押さえつける少年が言った。由真は動けないながらも少年を睨みつける。鮮やかな緑の双眸には何の光も宿っていなかったけれど、彼は由真の眼光にも怯むことはなかった。
「君は無能力者ばかりの環境でつらい目に遭ってきた。ここなら君の力を最大限に活かせる。君のすることがそのうち全ての能力者を救うことになるかもしれない」
「そんな嘘……誰が信じられるか!」
優しく話しかける角田を由真は睨んだ。この男の全てを信じていたわけではなかった。けれどどこにも居場所がない中で、それは唯一差し伸べられた手のように見えてしまったのだ。
「信じてもらう必要はないよ。――ここに来てしまった時点で君はもう手遅れだ」
角田の手が由真の頭を掴む。その瞬間に頭の芯がぼうっとして思考が途切れ途切れになっていった。目の前には現実の景色が広がっているはずなのに、眠りに落ちる直前のように何もかもがぼんやりとして見える。
「君にはこれからしっかりと働いてもらうよ――
何故か無抵抗にその言葉を受け入れてしまう。由真が緩慢に頷くと、角田はまだ由真の腕を握っている少年に言った。
「とりあえず今日は部屋で休ませよう。部屋は
「……わかった」
少年は由真を担ぐようにして部屋を出て行く。エレベーターに乗り込んで居住区のフロアについてからも、二人は一言も言葉を交わさなかった。
いくつも並ぶ白い扉のひとつを少年は軽くノックした。すぐに扉が開いて、手にアイスクリームのカップを持った少女が顔を出す。年齢は由真より少し上、少年と同じくらいに見える。
「こんな時間に珍しいじゃん、
「何にも聞いてないのか……」
「あー、なんか、もしかしたら近日中に同室の子が増えるかもって言ってたけどそれ?」
「そうだ」
同室――ということは、この少女がミザールなのか。アイスを食べる手は止めずに話し続けるミザールは、顎あたりまでの髪を緑がかった茶色に染めていた。猫のような目が由真を品定めするように眺めている。
「ってことはこの子が……」
「さっき見たけど間違いなく本物だな。……どうやって連れてきたかは知らないが」
「少なくとも同意ではなさそう」
アイスを食べ終わったミザールが、そのカップとプラスチックのスプーンを少年――アルコルに渡し、代わりに彼が抱えていた由真を受け取った。
「結構キツめにかけられてるね。下手したら一発で廃人じゃん。そんなに抵抗してたの?」
「僕が行かなかったら負けてただろうな。能力奪われてたら終わりだったな」
「にしてもこんな……。本人の意思なんてどうでもいいって感じね、相変わらず」
会話の内容は理解できるのに、頭に入ってこない。頭がぼんやりとしていてされるがままになっている由真は、ミザールが頭に触れることも拒むことはできなかった。
「――解いてやれ。お前ならできるだろ」
「まあこんくらいなら余裕――でも、それはあの人に逆らうことになるんじゃないの?」
「抵抗さえ封じられればそれでいいだろ。今のこの状態は――何となく気に入らない」
アルコルの緑の目が由真を捉えて、すぐに逸らされた。ミザールは苦笑してから、由真の頭に触れた手はそのままで目を閉じる。その瞬間に、ミザールの指先が暗い緑色に光った。
「……っ、」
急に頭の中の霧が晴れ、由真は目を見開く。ミザールは驚いて二人から距離を取る由真を見て笑みを浮かべた。
「……今の、は」
「あなたはあいつに精神汚染の能力を使われていた。そのままだと話をするのも難しそうだったし、私の力でそれを解いたってわけ。あ、ちなみに私は精神干渉系の能力なんだけど」
助けてくれたと礼を言えばいいのだろうか。けれどその隣に立つアルコルという少年は、先程明らかに角田の意に沿った行動を取っていた。誰も信じることはできないから、身構えるしかない。
「望んでここに来たわけじゃないのはわかってる。ていうか望んで来てる子の方が稀有だし。――けど、今のままじゃ何もわからないでしょ。だから私がざっと説明してあげる」
「……いらない。すぐ出て行くから」
「無理よ。一度入ったら簡単には出られない。逃げようとすれば酷い目に遭うよ」
「どんな目に遭わされても、人を殺してしまうくらいならその方が」
ミザールが腕を組む。二人の隙を突いて逃げようにも隙らしい隙は見受けられず、由真は歯噛みした。
「人を殺したくないんだね」
「好き好んで殺したい人なんていないと思うけど」
「それに関しては例外があるからなんとも言えないけど……私も好きではないかな。でも――私たちは外の世界でずっと殺されてきたとも思わない?」
ミザールの言葉は不思議とすんなりと頭に入ってきた。外の世界でずっと殺されてきた。その言葉の意味も尋ねることなく理解できてしまう。
どこにいても生きていると思うことはできなかった。水の中では人間は呼吸ができないのに、陸の上にいても息苦しい。
「そんな人間がここに引き寄せられてしまう。陸上がダメなら地下ならいい――とでも言うようにね」
「でも、私は」
「じゃあこう考えてみたらどう? どうして人を殺してはならないのか? って」
どうして殺してはいけないのか、という問いを今まで抱いたことはなかった。答えに窮する由真に、ミザールは悪戯っぽく笑いかけた。
「大丈夫。これに答えられる人そんないないから。何にせよ今日はもう遅いし――今晩は私と話をしながらここに泊まるってことにしない?」
由真は渋々ながらも頷いた。今からここを抜け出しても無事に帰れる保証はどこにもない。逃げるにしても今自分がどんな状況にあるのかは知りたい。
「てなわけで邪魔者は帰った帰った。ここからは乙女の空間だから」
「乙女ってキャラじゃないだろ……まあ言われたことはやったから帰るよ。明日の仕事、忘れるなよ」
「あんた本当に真面目だね」
仕事とか超だるい、とミザールは呟きながら肩を揉む。アルコルが出ていき、ドアが閉まると、ミザールは立ち上がった。
「とりあえずなんか飲む? 今あんまりないんだけど……コーヒーならあるかな」
「……砂糖とミルクがあれば飲める」
「うちに砂糖もミルクもないんだけど……てか見た目に反してお子ちゃまだね、味覚」
子供扱いされて少し腹が立つけれど、残念ながら事実なので何も反論できない。ブラックが飲めない由真のために棚を漁っていたミザールが紅茶のティーバッグを見つけたので、由真はそれをもらうことにした。
「ありがとうございます」
「いいよ、そんなかしこまらなくて。あ、私のことは、この部屋の中ではミザールじゃなくて
「それがあなたの本名?」
「そう。椎名蒔菜っていうの。本名使っちゃいけないわけじゃないんだけど、誰も呼んでくれないからさ。逆に本名嫌いだから呼ばないでって子もいるんだけどね。あ、そうだ。あなたの名前を聞いてなかったね」
「……柊由真」
「じゃあ由真って呼んでもいい? それが一番短いし」
ミザール――蒔菜はそう言って笑った。由真はふと疑問に思ったことを蒔菜に尋ねる。
「さっきの……あの人は?」
「アルコルのこと? あいつは生まれたときからここにいるから……
「生まれたときから?」
「まあ隠してるわけじゃないから言ってもいいか。あいつは人工的に作られたんだよ。ある能力を持つ子供を作りたかったらしくて、あいつはその成功例」
まるで映画のような話だった。けれどこの状況に置かれてそれを嘘だと笑うことはできなかった。
「ここは表向きは児童養護施設だけど、実際は強い能力者を作ろうとしている研究所なのよ。で、その強い能力者を使って世界を変えようとしている」
紅茶は熱くてまだ飲むことができなかった。少し冷めてから飲もうと、由真はマグカップをテーブルに戻す。
「……そんなあっさり言っちゃっていいの?」
「私には隠す理由も何もないし。それに――」
逃げられるものなら逃げたい。
蒔菜のその言葉は、頭の中に直接届いた。
《びっくりした? 能力の応用でテレパシーみたいなのも使えるんだよ。下手なことを言うと聞かれちゃうかもしれないから》
それなら先程この施設の目的をあっさりと喋ってしまったのは大丈夫なのだろうか。
《それは大丈夫。ここに数日いたらすぐに知るレベルのことだから。要はそれが外に出なければいい話》
つまり知ってしまった以上、ここから逃げることはできないという意味ではないか。身構えた由真に、蒔菜はコーヒーを一口飲んでから答えた。
「一度ここに入ってしまったら簡単には出られないよ。私たちはずっと見られているから」
「……でも、ここにはいたくない」
出たとしても、行く場所などないとわかってはいたけれど。それでも自由を奪われ、望んでいない役割を押し付けられるのは嫌だった。
《すぐには難しいけれど、いつか二人でここから逃げよう》
「……今日会ったばっかりなのに」
「私はやろうと思えば心も読めるから。だから由真が信用できる人だっていうのはわかるよ」
*
「私はさぁ、親に匙投げられちゃって」
蒔菜はあっけらかんと自分の境遇を語った。小学校に上がる直前、心が読めてしまう能力を気味悪がった両親が蒔菜を施設に預けることに決めたらしい。そしてその能力を買われ、北斗の家の裏側を知ることになったという。
「ここは最悪の場所かもしれないけど、この能力を認めてくれたのもここしかないんだよね」
「だから……従ってるの?」
「それ言われちゃうとな……。結局拒めないままここまで来てるのは私の弱さなんだろうし。アルコルのこともそうだけど」
蒔菜は精神系の能力者の中なら最強クラスと自分で言っていた。そんな彼女なら逃げられたのではないかと思ってしまう。けれどこの状況で簡単にそんなことを言うことはできないこともわかっていた。
「私たちのここでの名前は北斗七星を含むおおぐま座の星からつけられている。私や由真は特殊な力だから北斗七星の名前……そしてアルコルは
「ばんせい……?」
「要するに私たちはお互いに影響し合うペアの能力者ってこと。ここの連中は理論上存在するはずのミザールの伴星を意図的に生み出そうとして、成功したのがあいつってこと。遺伝子上は私がお母さんらしいよ。同い年に設定された息子とかさすがにどう接すればいいか全くわからないんだけど」
受精から全てを管理され、十七歳に成長させられたあとは、そこで時を止められてしまった体。実際にこの世界で生きている年数は三年ほどらしい。そんな生まれ方をした人間が何を考えているのか、由真には全く想像できなかった。
「あいつにとってはここが普通なんだよ。そんなわけないのに。由真に会って、久しぶりにそれを思い出した」
そう言って、蒔菜は部屋の左側のベットに横になった。右側のベッドは寝具は用意されているものの使われた形跡はない。こちらが由真のものだということなのだろう。
「もうちょっと話したいこともあるんだけど、明日色々忙しいんだよね。だからもう寝るわ」
「うん」
「由真も寝るといいよ。夜の間は誰も来ないと思うから」
蒔菜はそう言った数秒後には寝息を立て始めた。疲れていたのか、先程コーヒーを飲んでいたとは思えない寝入りの早さだ。由真はといえば、試しに布団をかぶってみたものの、眠ることはできなかった。今日起きた様々なことや、蒔菜に教えられたことが頭の中をぐるぐると回っている。
「っ……」
中でも忘れられなかったのは、初めて自分の手で人の命を奪ったことだ。これからここにいる限り同じことが起こってしまうのだろうか。いつか蒔菜とここを抜け出せるとしても、その日までそれに耐えられるのか。強く握りしめていた左手首には、いつしか指の痕が赤く残っていた。