Alkaid   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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5.誰か海を撒いてはくれないか

「調子悪そうだね?」

「……そういうタリタは調子良さそうだな」

 蒔菜が死んでからも、アルコルの生活は変わらなかった。蒔菜の調整なしでも能力を使うことはできた。蒔菜の種を使って負の感情を呼び起こす装置のようなものが作られたのだ。しかし蒔菜の調整のような力加減はできないらしく、能力を使いすぎると調子を崩すようになっていた。

「いっぱい予定詰め込まれてるよねぇ。ちょっと代わってよ」

「そっちが命令違反ばかりするから僕に回ってきてるんだろ……」

「でも殺したりないんだもん」

 タリタは人を殺すのが楽しいと心の底から思っている。他人の苦しむ顔が見たいからと嬲り殺しにしてしまうせいで、できるだけ証拠を残したくない上の人間からは嫌われていたが。

「……このあと続けて一件あったな。それなら代わってくれてもいいけど」

「え、本当に? 嬉しい! ありがとう!」

「まさか礼を言われる日が来るとは……」

 アルコルは溜息を吐いた。タリタは人懐こく話しかけてくるが、話していると疲れる。あまりにも価値観が人間とかけ離れている。

「そういえば最近、あの子あんまり見ないけど元気?」

「……何で由真のことを僕に聞くんだ」

「だってミザールはもういないし。でも最近二人がいちゃいちゃしてるって話題になってたよ?」

「何でそうなるんだ……でも今度、一緒に仕事なんだよな……」

 蒔菜がいなくなって手が足りなくなったのか、由真が外の仕事に駆り出されることも増えてきた。しかし毎回やりたくないと抵抗しているらしく、その度に精神汚染の能力を使われ無理やり従わされている。その様子を見たくないから、正直一緒の仕事は気が進まなかった。

「なんか結構強いらしいよね」

「能力だけなら最強クラスだし、身体能力も高い。問題は本人にその気がないってことだ」

「羨ましいなぁ。私、身体能力はあんまりだもん」

 タリタのようになれとは言わないが、アルコルのようにある程度割り切れるようになれば楽なのに、と思うことはある。ここ最近の由真は、精神汚染の副作用なのか、普段もぼんやりと過ごしていた。外の仕事だけでなく、数々の実験も継続的に行われているため、疲れているのもあるだろう。このままでは壊されてしまうかもしれない。それは蒔菜も望んではいない。だからアルコルは由真を気にかけるようにしていたのだ。

(他人のことを気にしてる場合じゃないんだけどな、本当は……)

 仕事が増えて楽しそうにしているタリタと別れ、アルコルは屋上へと向かった。屋上のプールはたまに由真がいることがあるが、今日は実験があるから来ていないことはわかっている。今は一人になりたかった。

「……っ」

 アルコルは自分の右手を見つめた。蒔菜がいなくなってから、うまく能力が制御できなくなった。時折能力が抑えきれなくなってしまう。他人に植え付けられた負の感情が溢れ出して止まらなくなる。対処方法を教えてくれるような大人は誰もいなかった。だから自分でどうにかするしかない。アルコルは壁に寄りかかって、自分の喉に右手を当てる。

「く、……ぁ、う」

 能力を使っているから、普通に首を絞めるよりも強い力がかかる。血管が堰き止められ、目頭のあたりが熱くなる。それでも力を緩めずに、アルコルは自分自身の首を絞めあげていた。他人を無差別に攻撃するよりもこの方がいい。目の前の景色が歪み始めたとき、遠くに微かな物音が聞こえた。

「……何してるの」

 その声に驚いて、手の力が一瞬緩む。アルコルの前にはいつの間にか由真が立っていた。

「何してたっていいだろ」

 まさか見られてしまうとは。今日は来ないと思って油断していた。隠す理由は特にないが、あまり他人には見られたくなかったのだ。

「たまに能力が抑えきれなくなる。自分で対処するにはこれが一番いいんだ」

「……蒔菜がいないから?」

「そうだな。あいつがいたときはその辺りも調整してくれていた」

 由真の表情が翳る。余計なことを言ってしまったかもしれない、とアルコルは思った。今は普通にしているが、由真は今でも蒔菜を殺してしまったことを引きずり続けている。

「死なない程度に調節はしてる。気にしないでくれ」

 これ以上この話を続けたくない。終わらせようとするアルコルに対して、由真は静かにアルコルの右手を掴んだ。今は駄目だ。途中で止めてしまったせいで、まだ治まりきっていない。けれど由真はアルコルの静止も聞かず、その手を自分の首に持って行った。

「――何のつもりだ」

「絞めていいよ」

 何を言っているのだろうか。戸惑うアルコルに、由真は静かに続けた。

「あなたの苦しむところは見たくないから」

 嘘のない言葉ではあった。けれど意味はわからなかった。由真は、簡単に人を殺せるアルコルのことは嫌っていたはずだ。

「……僕のこと、嫌いなんじゃないのか」

「平気で人を殺せるところは理解できない。でも……苦しんでほしくはない」

 アルコルは右手に力を込めた。少し脅せばその甘えた考えも変わるだろうと思ったのだ。しかし由真は抵抗することもなくアルコルの手を受け入れていた。アルコルは呆然として呟く。

「……どうかしてるよ」

 蒔菜は由真を優しいと言っていた。けれどここまで来ると度を超えている。アルコルは由真から目を逸らし、屋上から出て行った。

 

 

 どうしてそんなことをしたのか、自分でもわからなかった。苦しんでいるアルコルの顔を見たくなかった。理由があるとすればそれだけだ。理解できないと思っていたはずなのに、いつしかアルコルのことが気になるようになってしまっていた。

 自分の気持ちに説明がつかないまま日々は過ぎ、由真は角田に連れられて実験室の中にいた。北斗の家では開花による能力強化の研究をしていたが、その過程で開花に至ったものの制御できない状態になってしまった能力者が沢山出ていた。そしてそれを処理する役目は大抵由真に回ってきた。

「この子たちを助けることができるのは君だけですよ」

 その命を終わらせて、苦しみから解放する。それが助けることなのだと、救いなのだと繰り返し吹き込まれた。いっそその言葉を飲み込んでしまった方が楽なのかもしれないと思う。けれど何故か、以前アルコルに言われた言葉をその度に思い出してしまう。

 ――自分を失いたくなければ、受け入れるな。

 受け入れずにいることで苦しむことがあっても、自分を失うよりはいい。命令に従うしかないとしても、自分の心までは失いたくなかった。

(助けられなくて、ごめんなさい――)

 心の中で謝罪しながら、拘束されている能力者から種を抜き取っていく。そうすればその人は死んでしまうことはわかっていた。けれど由真が何もしなければ、暫く苦しんだ後で死んでしまうこともわかっていた。選択の余地などなかったのだ。

「今日はこれで終わりですね。部屋に帰って休んでいていいですよ」

 由真は何も答えずに実験室を出た。言葉を発すると吐いてしまいそうだった。自家中毒の症状がでたらただ耐えるしかない。しかもそんな時でも容赦なく能力を使う機会はやってくる。由真は廊下の壁に手をつきながら、自室まで耐えようと足を運んだ。

「っ……無理……」

 しかしその途中で動けなくなってしまった。その姿を誰にも見られたくなくて、由真は物陰に身を隠して蹲った。動けるようになるまで暫くここで息を潜めていよう。そう思っていたのに、急に足音が聞こえてきて、由真は身を固くした。

「何してるんだ、こんなところで」

 由真に声をかけてきたのはアルコルだった。どうしてここに来たのだろう。見つけられてしまったことに何処か安堵している自分がいた。

「……具合悪いのか?」

「っ……吐きそう……」

「最悪ここに吐いていいから。どうせこの服後で捨てるし」

 見れば、確かに今すぐ捨てた方が良いくらいには血まみれだった。おそらく仕事帰りなのだろう。

「大丈夫……朝から何も食べてないし」

 部屋に戻ろうと立ち上がった由真を、アルコルがさりげなく支える。

「……ありがとう」

「別に礼を言われるようなことはしてないけど」

 部屋まで辿り着いた由真は、すぐにベットに横になった。アルコルはそれを確認してからすぐに部屋を出て行こうとする。けれど由真はか細い声でそれを止めた。

「……行かないで」

「え?」

「もう少しだけでいいから……今、一人になったらきっと」

 能力を使う度に、自分自身が蝕まれていくような感覚がある。放っておけば自分自身が呑み込まれていってしまう。だから、自分のことを知っている誰かに傍にいてほしかった。

「わかった。もう少しだけここにいる」

 アルコルは由真に背を向け、かつて蒔菜が使っていた座椅子に腰掛けた。由真はその背中をぼんやりと眺めながら目を閉じる。簡単に人を殺せる人だということを知っていても、そのどこか不器用な優しさには嘘がないと思った。彼の本質はどちらなのだろうか。考えても、答えは出なかった。

 

 気が付くと、部屋にはもう誰もいなかった。テーブルの上にメモが残されていて、そこには「仕事があるから帰る」とだけ書いてあった。由真が起きたときに一人になることを気にしてメモを残したのだろうか。

 初めて会ったときは、決して受け入れられない人だと思っていた。アルコルはあまりにも簡単に人を殺していたからだ。けれど今は何故か気になってしまう。会って、何でもいいから話がしたいと思ってしまう。このメモを残したのが何時なのかはわからない。けれど大抵の外での仕事は夜にあるため、今なら戻ってきているくらいの時間ではないだろうか。もしかしたら屋上にいるかもしれない。根拠のない予想だったが、いないならそれでいい。由真はアルコルの残したメモをポケットに入れ、屋上へ向かった。

 屋上のドアを開ける。けれどそこに誰かがいる気配はなかった。当てが外れたと思って戻ろうとした由真は、微かな音に気がついて足を止めた。もう一度屋上へ出て、音の出所を探す。しかしプールの辺りには誰もいなかった。

(気のせい? いや、もしかして――)

 死角になっていた用具入れの陰を覗く。そこにいたアルコルの姿を見て、由真は慌てて駆け寄った。能力が抑えきれなくなって自分で対処しなければならないとき、アルコルは自分で自分の首を絞める。しかも普通に絞めるよりも能力が使われている分、強い力がかかるのだ。由真はアルコルの手を強引に引き剥がし、自分の首にその手を持って行った。空気が堰き止められて、息ができない。それでも誰かが苦しんでいる姿を見るよりはましだった。

 首を絞められた状態で、由真はアルコルの背中に手を当てる。蒔菜はアルコルの負の感情を制御することで調整していた。同じことは由真にはできない。けれど能力の源である種に触れることはできる。

「由真……っ、何を」

 声は出せなかった。ただ指先に意識を集中させ、種に触れる。表面には変わったところはない。意を決してその内側にまで手を伸ばすと、中にある何かが酷く熱を持っているのがわかった。火傷しそうなほど熱い。けれど痛みに耐えながらそれを包み込む。

(大丈夫、だから――)

 根拠はないけれど、それに言い聞かせるように由真は目を閉じた。熱を冷ますような優しい冷たさを思い描いて、それを指先まで流していく。そうしているうちに、アルコルの力が弱まって普通に呼吸ができるようになった。由真はアルコルの背中から手を離して微笑む。

「……今の」

「蒔菜と同じことはできないけど、これくらいなら」

「ありがとう。助かった……けど、かなり無理してるだろ」

 他人の種の内側に触れると、自家中毒は悪化する。けれど誰かを傷つけるためではなく、誰かを助けるために能力を使えたことに由真は満足していた。

「僕のために、あまり無理はしないでくれ」

「別に、あなたのためにやったわけじゃない」

 ただ、誰かが苦しんでいるのを見たくなかっただけだ。そのはずなのに、なぜか由真はアルコルの華奢な体を抱き締めていた。愛おしさのような、悲しみのような、言葉にできない感情が溢れていく。

「……あなたが苦しむところを見るのは嫌」

 理解できない人のはずだった。人を殺すことに何も感じていない彼のことを、自分とは違うと線を引いていたはずだった。でもそこにこだわってしまっていたのは――もしかしたら最初から、彼に惹かれていたのかもしれなかった。

 

 

「……あんなことまで出来るんだな」

 アルコルが呟いた。種の内部を操作する。理論的には可能なはずなのに、実験ではほとんどできなかったことだ。他人の種の内側に触れるのはどうしても抵抗がある。けれどアルコルのものに触れたときは、なぜか嫌だとは思わなかった。それだけ必死だったのだろうか。

「ごめん」

「何で謝るんだ?」

「嫌じゃなかった?」

「違和感はあったけど……おかげで助かったし。ありがとう」

 アルコルが微笑みを浮かべて由真の頭を撫でる。どこか気の抜けた表情。こんな風にも笑える人なのだ。そう思った途端、その端正な顔立ちから目が逸らせなくなった。

「どうかしたのか?」

「何でもない……」

 惹かれていることを自覚してしまうと、どうしても照れ臭くなってしまう。誤魔化すために別の話をしようとした由真は、不意に気が付いた。

「――そういえば、名前は?」

「いや、今まで何回も呼んでるだろ」

「ここでの名前じゃなくて、本名」

 ミザール――蒔菜は、大人たちが見ていないところでは本名で呼んで欲しいと言っていた。由真も同じように、北斗の家での名前ではなく本名で呼んで欲しいと思っていた。ここにいる人たちは、本名を捨てたタリタのような例はあるけれど、大抵は勝手につけられた識別用の名前を嫌っていた。

「僕はここで生まれた。だから本名なんてものはない。生まれたときからずっと80UMa(アルコル)でしかない」

「……そういえば、蒔菜がそんなこと言ってた気がする」

 人工的に作られた命。ここで生きていくことを最初から決められていた生。与えられたのは名前とはとても呼べないような番号。それは由真には想像もできない世界だった。

「何で急に名前のことなんか……」

「今、ここで私の名前を呼んでくれるのは君だけだよ」

 蒔菜がいなくなった今、由真の本名を知っている人も少ない。ηUMa(アルカイド)という呼び名は自分のものだとは思えなかった。だからこそ、本名を呼ばれる度に自分自身を取り戻せるような気持ちになる。

「だから私も……本名があるならそれを呼びたかっただけで」

「残念だったな。僕には本名どころか戸籍もない。ミザールの伴星であればいいんだから……使い物にならなくなったら、この名前を引き継ぐ誰かがまた生まれるんだろうな」

 それは諦念でもなく、ただの事実として淡々と語られた。由真は着ていた服の左胸の辺りを強く握る。たとえ遺伝子や能力が同じであっても、いま隣にいる彼は彼でしかないのに。

「……じゃあこれから、あなたのことはアルって呼ぶ」

「縮めただけじゃないか……。それだと由真もアルになるからな?」

「私には柊由真って名前があるからいいの。アルはこれからアルが名前だから」

「急にめちゃくちゃ強引だな……」

「昔はこんな感じだったよ、私。能力者ってわかるまでは――」

 純粋で、天真爛漫でいられた過去の自分。そんな生き方ができなくなってからも、それは消えることなく自分の中に潜んでいる。強引で、兄や梨杏を良く振り回していたことは今でも覚えていた。

「気に入らないなら別のにするけど」

「いや、呼び易くていいと思う」

「――アル」

「何だ?」

「呼んだだけ」

 アルが大袈裟に溜息を吐く。由真はゆっくりとプールまで歩いていき、服を着たまま水に飛び込んだ。

「アルもおいでよ」

 呆れたように笑いながら、アルもプールに飛び込む。由真はわざとアルに向かって水をかけた。水を被ったアルは溜息を吐きながら髪をかきあげた。

「……水遊びなんて初めてだ」

「私は子供の頃、服汚してよく怒られてたよ」

「今も子供だろ」

 再び水をかけることでアルに答える。由真は、北斗の家に来てから初めて自分が心から笑っていることに気が付いた。アルへの思いはまだ胸の奥にしまったまま、仕返しとばかりに水を掬うアルの笑顔を、目を細めて見つめていた。

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