Alkaid   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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6.僕らの夜に出口はなかった

 それからというもの、アルと由真は頻繁に行動を共にするようになっていた。蒔菜が居なくなって空いたままの由真の部屋で過ごすことも増えてきた。二人で過ごす時間は穏やかだった。けれどそこを一歩出れば、相変わらずの地獄が広がっていた。

 北斗の家の大人たちは能力者が支配する世界を作ろうとしていた。無能力者より優れているはずの自分達が虐げられているのはおかしい。その主張のためには手段を選ばない人たちだった。

 アルは先程言い渡された仕事内容を反芻しながら溜息を吐いた。明日の仕事は補助をするだけだ。失敗したときの後処理係。問題は、明日メインで動くのが由真であるという点だった。由真にしかできない仕事だ。けれどそれは由真が最も嫌う仕事でもある。

 今頃由真も仕事の内容を聞かされたところだろうか。会いにいかなければならない、とアルは思った。明日の運命は変えられなくても、由真を一人にするよりは、自分がそばにいたい。

 ――その感情の正体を、自分では掴めないまま。

 一緒にいたからといって特にやることもない。蒔菜が残していったゲームをやったりすることもあったが、二人ともろくにコントローラーを持ったことがなかったために、勝負が成立してるのかもわからないまま終わってしまった。思い思いの時間を過ごしているうちに日付が変わり、アルは自室に戻るために立ち上がった。

「待って」

 由真はアルの袖を掴んでそれを止めた。

「明日仕事なんだから、早く休んだ方がいい」

「……一人じゃ寝れない」

 アルは溜息を吐いた。一人では寝られないのはいいとして、傍に置いておくのは本当に自分でいいのだろうか。出会った頃は散々拒絶して来たのに。

「仕方ないから、寝るまでは待ってる。だから早く寝てくれ」

「ごめんね」

「そこは謝るところじゃなくて礼を言うところだ」

 仕事の前、由真があまり眠れていないことには気が付いていた。今までは言えなかったそれをはっきりと口にしたのは、明日の仕事がとても正気のままでは耐えられそうにもないものだからだろうか。

「おやすみ、アル」

 アルは由真のベッドの横に座り、本を読みながら時間を潰した。暫くすると穏やかな寝息が聞こえて来たので、アルは栞紐を挟んで本を閉じた。

「……寝顔は子供みたいだな」

 起きていても子供と言える年齢だった。けれど眠っているとそれよりもずっと幼く見えた。多くの感情を湛えた大きな瞳は瞼の下に隠され、意外に小さな鼻や、薄く色付いた唇が強調される。何も知らない無垢な子供に見える顔は、それ故にどこか侵しがたい美しさがある。

 自分の中に溢れた感情の名前を知らないまま、アルは由真の頬に手を伸ばした。指先に触れる柔らかな感触。そのまま、糸で体を引かれているかのように由真に顔を寄せた。柔らかなものが唇に触れる。今は目を覚さないでほしい、でもどこか気が付いてほしいとも思っている。知識として頭の中にあった感情が、自分には決して目覚めないと思っていたものが、堰を切ったように溢れ出して止まらない。

 ――だから言ったでしょ?

 頭の中で聞こえた声は、蒔菜のものだった。蒔菜はアルの全ての感情を知っていた。そもそも欠陥品だった自分に感情を与えたのは他でもない蒔菜だ。そんな蒔菜の「予感」は、きっと何よりも正確だったのだ。

「最悪だよ。何も、こんなときに」

 こんなときに、気が付いてしまうなんて。気が付いてしまったら止める術はないのに――いっそこのまま二人で逃げ出してしまいたいと、出来もしないことを考えてしまうから。

「……このまま、朝が来なければいいのに」

 アルはベッドに体を預けて目を閉じる。時間は止まらない。朝はどうやったってやって来てしまうのだ。

 

 

 角田たち北斗の家の大人たちの目的は、能力者だけの世界を作ることだ。そのために今の膠着状態を崩そうとしている。無能力者と能力者の戦争。そこで無能力者を抹殺するつもりなのだ。けれどその計画を完遂するためには、能力者側にも大きな犠牲を強いることになる。それは角田たちにとっては必要な犠牲なのだという。アルはその計画と思想の正しさを生まれたその日から教え込まれて来た。正しいと言われたから正しいのだと、言われたことを忠実にこなせばいいのだとそう思ってきた。

「……これは、必要なことなんだ」

 本当にそうなのだろうか。たとえ目的が正しかったとしても、失われるものがあまりにも大き過ぎはしないだろうか。能力者が普通に生きられる世界になったとしてもそこには蒔菜はいないし、由真がその日まで耐えられる保証もない。

 その日までに生き残れる人が少ないのなら、やることに意味はあるのだろうか。

 けれど迷っていても時間は無慈悲に過ぎていく。朝になったことを知らせるチャイムが鳴り、由真が目を覚ました。寝ぼけた眼を擦り、アルコルがいることに気が付くと、驚いたような声を上げる。朝だからか、その声はとても低かった。

「……一人じゃ寝られないとか言っといて、朝起きたらびっくりするのやめてくれないかな」

「いや、えっと……もうとっくに部屋に戻ってるものと……ていうかこんなところで寝たの?」

「どこでも寝られるように訓練してるから」

 どこまでも道具として育てられてきた。道具に思考などいらない。それはアルコル自身もわかっていた。

「早くご飯食べに行かないと、時間になるぞ」

「……仕事の前はいつも食べてない。食べても意味ないし」

 由真は能力を使えば使うほど自家中毒を起こす。他人の種に触れるのはそれだけ負担をかけることなのだ。どうせ吐いてしまうから食べないというのはわかる。問題は、それについて何もしようとはしない周囲の大人たちだった。結局、症状が治まるまで耐えるしかないのだ。能力者が虐げられない世界ができたとしても、その前に犠牲を強いられるのは計画を立てた人たちではなく、彼らに使われる自分たち子供なのだ。

「それでも飲み物くらい飲んだ方がいい。行こう」

 アルの提案に、由真は素直に従った。由真は食堂に行き、用意された食事には手をつけずにリンゴジュースだけを手に取る。牛乳や麦茶やコーヒーなど、色々用意されている中で、あえて選んだのがリンゴジュース。意外な一面を可愛らしいと思ってしまった自分に、アルは少し戸惑った。

 食堂のテレビではニュースが流れている。明るい表情の気象予報士が、今日は流星群の日で、夜は晴れるから絶好の観測日和だと言っていた。

「流星群どころじゃなくなるだろうけどな」

 今日の仕事が成功すれば、夜のニュースは流星群の話をしているどころではなくなる。アルの呟きに由真は一瞬顔を上げてアルを見たが、すぐに視線を落とした。

 今から計画を止めることはできない。全てが回り出してしまったのだ。自分はいい。けれど計画の鍵を握る由真は、これから起きることに耐えられるのか――どう考えても無理だ。

「……ごちそうさま」

 由真が空のグラスを持って立ち上がる。先に部屋に戻っているということだろう。まだ食べ終わっていなかったアルは、その丸まった背中を黙って見送った。

 

 

「……本当にやるのか?」

 朝食の後、アルは所長室の椅子に座る角田と対峙していた。今日の仕事は今までとは比べ物にならない。これまでは計画を邪魔する人や組織を狙って潰してきた。けれど、今日の仕事は違う。

ηUMa(アルカイド)の力を試すいい機会にもなる。これで世論は大きく動く。無能力者(ノーマ)は我々能力者(ブルーム)をより恐れるようになるでしょう」

「……そんなことをしたら、これまでよりも能力者への迫害が強まるんじゃないのか?」

「それでいいんです。無能力者は能力者を攻撃し、能力者はそれに立ち向かう。最終的に力が強い我々が勝つのだから」

 能力者と無能力者の割合は、能力者がわずかに少ない程度で、ほとんど半分ずつだ。その勢力図を大きく塗り替えるためには、能力者の数を減らす必要がある。そして、どちらが支配者に相応しいかを示すためには、力の強さを見せなければならない。大きく計画が動き出すのが今日なのだ。けれど――。

「これからの計画にもあいつが必要なはずだ。今の状態でできると本当に思ってるのか?」

「彼女には、能力が使える程度の思考が残っていればいいんですよ。彼女も君と同じ道具に過ぎない」

「……今日の計画ならタリタにでもやらせておけばいいだろう。あいつなら喜んでやる。由真を使う必要がどこに」

「今日は開花の実験を兼ねているんです。できるのは彼女しかいない」

 説得できるとは思っていなかったが、本当に取り付く島もなかった。アルは拳を握りしめる。それならどうにかして逃げるか、それとも――。考えを巡らせていると、角田が不意に笑みを浮かべた。

「今日は珍しく反抗的ですね。そんなに彼女が気になりますか?」

「別にそういうわけじゃない。これからのことを考えて、やるべきじゃないって――」

「道具は余計なことを考えなくていい」

 角田は笑いながら、机の上に置かれていた球体を手に取る。アルは単なる飾りだと思って気にしていなかったが、その透明な球体の中には伽羅色の靄のようなものが閉じ込められていた。

「これはζUMa(ミザール)から取り出した能力の一部を安定化させたもの。使い捨てですが、一度だけ彼女の能力を使うことができます」

「……だからどうした」

 蒔菜を由真に殺させたのは、その能力を死後に利用するためだった。蒔菜の能力は大体把握しているが、一体何をするつもりなのか。身構えて、右手に能力で作った不可視の剣を握る。しかしそれを角田に向ける前に、角田がアルを指差した。

「……っ!」

 目の前が一瞬真っ暗になる。制御できないほどの力が溢れそうになって、アルは慌てて自分の右手を左手で押さえつけた。

「君はミザールの伴星。一番の敵であり味方であるのがこの力だって、賢い君ならわかるだろう?」

 このまま続けられたら暴走してしまう。角田がそこまで力を使い続けられるかはわからないが、その可能性がある以上、何も言えなくなってしまう。アルは唇を噛んだ。

「余計なことを気にする必要はない。わかったね」

「……はい」

 自分の中に押さえ込めないほど渦巻いている力を感じながら、アルは部屋を出て行った。これまでは自分は道具だと言われて育ち、それを疑ったことなどなかったはずなのに。アルはいまだに感触を覚えている唇に触れ、呆れたように笑みを浮かべた。

 

 

 暫く待機を命じられ、由真はアルの隣に腰を下ろした。北斗の家を出発する前から、彼は一言も発していない。どことなく動きもぎこちなく感じられた。

「……調子悪い?」

「いや、問題はない」

「そうは思えないんだけど」

「人の心配してる場合じゃないだろ」

 アルは苛立っているようだった。これ以上問い詰めない方がいいと思い、由真は口をつぐむ。今日の仕事において、アルは由真のサポートだ。由真が一人で片付けられればやることはほとんどないのだ。人の心配をしている場合ではない――それは間違いないのだが、どうしてもアルの様子が気にかかった。

「先程少しお灸を据えただけですよ」

 由真の疑問に答えたのは、アルではなくて角田だった。その言葉だけを残して角田はどこかへ行ってしまう。おそらく何か準備があるのだろう。

「……お灸を据えたって、どういうこと?」

「たまにはちょっと逆らってみようと思ったら返り討ちにされただけだ。別に精神汚染を使われたわけでもないし、気にするほどのことじゃない」

 僅かに乱れた呼吸。決して合わされない視線。嘘を吐いているのが意外にわかりやすい。由真はアルがポケットに隠したままの手を強く握って、自分の首筋に当てた。

「――今なら誰も見てないから」

 アルは一瞬怯んだような目をする。それが、由真の予想が当たっていたことを表していた。何をされたのかはわからない。けれど負の感情を源とするアルの能力は、その感情に引っ張られて不安定になりやすいことをわかっていてやったのだろうということはわかる。そしてそれを解消できる方法は、蒔菜がいなくなってしまった今、たった一つしかないことも知っていた。

「抑え込まなくていい。……早くしないと誰か来るよ」

 その言葉を合図に、アルの指に力が込められた。能力を纏っている分、与えられる苦痛も倍になる。けれどそれでアルが少しでも楽になるのなら構わないと思っていた。首を絞められながらも背中に手を当て、その体内にある種に触れる。乱れているものを整えるように。蒔菜がやっていた調整に比べれば随分無理筋のやり方だが、今はこれしかなかった。

 やがて、指がゆっくりと離れていく。由真は呼吸を整えながら、アルの背に当てていた手を離した。

「……ありがとう」

「別に、私がやりたいからやっただけだから」

 目をそらしながら言う。それと同時に角田がやってきて、由真のことを呼んだ。由真は唇を噛む。これから先、何が起こるかはわかっている。わかっていながら自らそれをしなければならない苦痛。これからどれだけの人が死ぬのだろうか。自分がやったことのせいで――。それを避けるなら抵抗しなければならない。左腕を強く握って、由真はその場で足を止める。

「……やりたくない」

 子供じみた言葉だけれど、それが全てだった。抵抗すればひどい目に遭うと理解してはいる。アルのように普段は従順に仕事をこなしている人であっても、逆らえば大きな力でねじ伏せられるのだ。

 ここから自由になりたい。抵抗できるだけの、強い力が欲しい。最強の能力と言われていても、それを使えなければただの弱い人間だ。

「まだそんな我儘を言うんですね、君は」

「我儘でもいい。私は、誰も殺したくない」

「今更何を言ってるんですか?」

 角田が由真の左腕を取り、そこにある傷口を指でなぞる。最初は自分で自分を傷つけていた。けれどいつからか、能力を使う度に自動的に傷がつくようになっていた。先程アルに能力を使ったときの傷は浅く、血は出ていない。けれど真新しいそれに角田は目ざとく気が付いた。

「その手で何人も殺しておいて、今更でしょう? その上ボランティアで力の無駄遣いまでして」

 新しい傷を舌でなぞられる。その感触に背中じゅうの毛が逆立つようだった。由真は強引に角田の手を振り払う。後退って距離が出来たところに、アルに後ろから肩を支えられた。

「二人ともその辺にしておいたほうがいい。もう時間だ」

「抵抗しなければこんなことをする必要もないんですがね」

 由真はアルの制止を振り切って角田との距離を詰める。能力を使うには、体が密着するほど近くにいなければならない。けれどそれは、相手の能力の射程に入ってしまうことも意味する。

 

「君は本当に……愚かな()だ」

 

 背に手が触れる一歩手前で、由真の頭に手が触れる。その瞬間に目の前が黒一色に染まった。何かを考えようとしても、その黒に邪魔されて思考がぼやけていく。抵抗しなければこんな苦痛はない。けれど抵抗しなれば受け入れたことになってしまう。愚かだと言われても、受け入れることだけは出来なかった。

 その場に膝を突いたとき、視界に鮮やかな緑の光が見えた。それはアルの瞳の色と同じだ。違う世界の人間だと思っていた。命令さえあれば簡単に人を殺せる人のことなど永遠に理解出来ないと思っていた。それは今でも変わらない。今思うのは、それとは関係なく、ただ彼に傷ついてほしくない――それだけだった。

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