Alkaid   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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7.見上げれば雲を裂く方舟

 抵抗すれば意志を奪われる。抵抗しなくてもそれは同じだ。それならどちらを選ぶ方がいいのだろうか。由真は前者を選んだ。けれど何かが変わるわけではない。強いて言うならば、これから起こることをぼんやりとしか感じ取れなくなるのは、もしかしたら彼女にとっては救いなのかもしれない。

 用意されたのは、二つ名も与えられていない能力者の少女だった。使い捨ての道具。弱くとも攻撃に転じられる能力だから選ばれたのだろう。弱い能力者も、開花させることができれば、強い力を発揮することができる。

 開花とは種に強い負担がかかり、体内で割れたときに起こる現象だ。一般的に暴走と言われるのはその一歩手前、種に罅が入り、中のものがわずかに漏れ出している状態だ。開花させる――つまり咲かせるためには、種に強い負担をかける必要があるが、それで必ず開花に至るとは限らなかった。暴走状態でも人の体は耐えられない。開花には至らずに、暴走状態のまま死んでしまう人間の方がこれまでは多かった。その開花を意図的に起こせる能力者が、たった一人だけいる。種にまつわる能力の持ち主。干渉することができるなら、壊すこともできる。けれど咲いてしまった人間は、少なくとも一週間以内に必ず死んでしまう。角田たちが由真に強要しているのは、紛れもなく人殺しなのだ。

 虚ろな目をしたまま、由真は拘束された能力者に近付いていく。前から抱き締めるようにしてその背中に手を触れる。この姿勢でなければ発動できない能力なのだ。あらゆる能力の中で、最も射程が短いと言える。

 能力者相手なら、その種を奪ってしまえば簡単に勝てる。だからこそ最強の能力とも言われている。しかし、射程が短すぎるがゆえに、能力を使う前に攻撃されてしまうという弱点があった。先程も、その射程の短さが仇になった。

 由真が少女の背中から手を離す。少女の喉からは獣のような叫び声が漏れていた。おそらく成功だ。由真の能力は、由真自身が途中で止めない限りは失敗しない。精神汚染で従わされている状況では失敗することはあり得なかった。

 由真と少女は引き離され、待機していたもう一人の男が少女を指差した。κUMa(アルカプラ)と呼ばれているその男の能力は、指差したものを任意の場所に移動するというものだ。咲いた能力者が移動させられたのは、人が多く集まるショッピングモールの中心。そんなことをしたら何が起こるか――想像に難くはない。

 アルは溜息を吐いた。アルは由真のように人が沢山死んだところで心を痛めることはない。犠牲は仕方のないことだと、生まれた瞬間から言われ続けてきた。誰かの死は日常だった。けれど由真は違う。自分の能力で咲かせた人間が起こす事態に、その優しい心は耐えられるのか。――いや、耐えられないことはわかっている。大人たちは惨劇が始まるショッピングモールの現場に夢中になっていて、役目を終えた由真たちは半ば放置されていた。その腕から血が流れているのにも関わらず。

 アルはぼんやりしている由真に近付いて、その左腕を取った。包帯の類は持っていなかったから、自分の能力で服を裂いてそれを巻き付ける。

「由真」

 反応はない。聞こえてはいるだろうが、ぼんやりとして反応できていないのだろう。けれどアルの姿を認めると、少し安堵したように笑い、声を出さずに涙を流した。

「……このあとは、僕が引き受ける」

 元々、そのためのサポート要因だ。しかし由真はゆっくりと首を横に振った。

「私がやったことだから……私が、助けてあげないと」

「……っ」

 それは常日頃から角田が由真に言っていることだった。暴走も開花も、死に至るまでの間、耐え難い苦痛を味わうことになる。それを終わらせるために力を使えと言うのだ。けれどそれは、とどめを刺せと言っているのに等しい。今回も、開花させた能力者を止めるために、その命を奪う役目を負わされていた。

「……そろそろ時間だ」

 由真が頷く。開花させた能力者が捕まる前に終わらせなければならない。躊躇っている時間はない。

 κUMa(アルカプラ)に転送された先では、地獄絵図が広がっていた。咲かせた能力者の元々の能力は、風を操るというものだ。しかし自分の周辺にそよ風を起こせる程度の弱い力でしかなかった。それが咲いてしまえば、風を刃にしてあたりのものを全て切り刻むこともできるようになる。そして咲いた能力者は、その身を苛む苦痛から、周囲のものを無差別に攻撃してしまうのが常なのだ。見えない刃に切り刻まれて、人も物もめちゃくちゃになっている。

「……おい、あれに近付けっていうのかよ」

 通信機を使って、指揮を取る角田に文句を言う。アルの能力も由真の能力も射程は短い方だ。近付けば確実に怪我をするとわかっていて突っ込めということなのか。自分達は安全な場所にいるからいいということなのか。

「こういうのは確実にタリタあたりが適任だっただろ」

 タリタの能力は五メートル程度までは有効らしいから、確実に彼女に任せた方が安全だ。問題があるとすれば、絶対に無差別殺人の方をやりたがると予想できることくらいだ。

「……私が行くよ」

「どう考えてもあの中に突っ込んで行ったら大怪我だろ」

 どうせ放っておいても機動隊あたりがとどめを刺すだろう。こちらで処理をするのは、その死体を回収したいからだ。ただそれだけの理由のために傷を負う必要はない。

「それでも、私があの子を咲かせてしまったから」

「……できる限りサポートはする。時間はかけるなよ」

 せめて少しでも怪我を減らすために、無差別に飛んでくる刃にアルの力をぶつける。最大限に射程を広げているせいで、体にかかる負担も大きかった。けれど、何もしないで傷ついていくのを見ることはできなかった。

 由真がアルをちらりと見てから、蹲る少女を抱き締めて、背中に手を当てる。流石に距離が近すぎて攻撃を防ぎきれない。しかし皮膚が裂けて血が流れても、由真は顔を歪めることさえしなかった。

「……ごめんなさい。助けてあげられなくて」

 由真が消え入りそうな声で言う。次の瞬間、無数に飛び交っていた風の刃は消えた。力の抜けた少女の体を支える由真の左腕からは止め処なく血が流れていた。

「アル……」

 由真がアルを見て呟き、そのまま気を失う。アルはその華奢な体を慌てて抱きとめた。

 

 

 アルが屋上でぼんやりとしていると、控えめな音を立ててドアが開いた。足音だけで誰が来たのか何となくわかる。

「もう大丈夫なのか?」

「……うん」

 由真はアルの隣に腰掛けて空を仰ぐ。服から見える腕には包帯が巻かれていて、それがとても痛々しかった。けれど何を話せばいいのかわからない。憎らしいほどに晴れ上がり、星が瞬く空を見上げて、アルは呟いた。

「星が出す電波をオルゴール盤に置き換えた、星の音楽っていうのがあるらしい」

「星の音楽? 初めて聞いた」

「この前本で読んだんだ」

 どうしてそんな話をしたのかはわからない。ただ、不意にそれを思い出したのだ。でも沈黙を埋めるには十分だった。凍っていた時間が溶ける。由真は星を見つめたままアルに尋ねた。

「星の音楽があるなら、流れ星の場合はどんな曲になるんだろうね?」

「さあな。元々の星の音も聞いたことがないし……ちなみに流れ星見るなら、今てんで違う方向見てるけど」

「もっと早く言ってよそれ。どこ見ればいいんだっけ? 南? 南ってどっち?」

 辺りを見回す由真の顔がまるで子供のようで、アルは笑みを零した。由真の背後を指差して言う。

「南はあっち。もうすぐ極大の時間だって、朝テレビでやってた」

「そっか」

 由真は立ち上がって流れ星を探し始めた。一つ星が流れたところで、由真が祈るように手を組む。

「……三回は無理じゃない?」

「昔『金!』とかならいけるって言ってた奴ならいたけど」

「それ蒔菜でしょ」

「ああ。実際はそれだけ短くても無理だって言っていたな。それより……何を願ったんだ?」

 三回も言えない願い事。由真はアルの問いに、少し迷いながらも答えた。

「……アルを自由にしてほしいって」

「何で自分じゃなくて僕なんだよ」

「外の世界だって、楽しいことばかりじゃない。けど……沢山の人を殺さずに済む。無理にその力を使う必要もなくなる。だから」

「――僕の存在意義は、道具として生きることだけだ」

 命じられるままに人を殺す。そのためだけに生み出された人工的な命。今は十七歳の姿をしているけれど、十七年生きたわけでもない。この姿になるまで成長させられて、そしてこれから年を取ることもない。普通の人間とは違うのだ。

「道具なんかじゃない」

「え?」

「多分……道具は、そんな苦しそうな顔はしないよ」

 由真は優しくアルの体を抱きしめた。アルは自分の中に、言葉では言い表せないような衝動が満ちていくのを感じる。耐え難いほどの熱。けれどそれをそのままぶつけてしまうわけにはいかない。

「いいよ、アル」

 由真がそっとアルから離れる。アルが何をしようとしているのか、何を望んでいるのか、理解した上で由真は微笑む。アルがその細い首に手を伸ばし、指に力を込めると、由真の顔が僅かに歪んだ。呼吸を塞げば言葉は封じ込められる。けれど微かに、由真の唇が言葉を紡いでいた。

 それが自分の名前だと気付いた瞬間、これまでにない感情が込み上げてくる。その感情が何なのか、アルにはわからなかった。けれど衝動のままに由真に顔を近付ける。

 二人の唇が触れ合うのを、由真は拒まなかった。頭を抱えるようにして、啄むように何度もその唇を味わう。

「……なに、今の」

「これが正解かはわからないけど……僕はきっと、由真のことが好きだ」

 知ることなどないと思っていた感情。それが今、間違いなくここにある。けれど由真がそれをどう受け止めるかはわからずに不安になった。驚いた顔をしていた由真は、やがて静かに微笑む。

「私も――好きだよ」

「え?」

「いや告白したくせに驚かないでよ」

「だって由真、僕のこと――」

「人を殺して平気なのは理解できない。けど、それと好きになるかどうかは別だよ」

 けれどその「好き」は、自分のものと本当に同じなのか。アルは何故か少し不安になる。緊張するアルに由真はそっと近付いて、唇を触れ合わせた。

「由真……」

「好きだから、苦しむところは見たくなかった」

「それは僕だって同じだ」

 ここに由真にとっての苦痛しかないのなら、逃げ出すことを初めて考えてしまうくらいに。

「……今からなら、逃げられるかもしれない」

「え?」

「屋上は監視の目がない。ここから飛び降りれば、誰にも気付かれずに逃げられるかも」

「ここ何階だと思ってんの?」

 五階程度なら、能力を応用すれば無傷で降りられる。アルがそう説明すると、由真はゆっくりと頷いた。

「……本当にいいの?」

「僕は、由真と一緒にいたい」

 荷物らしいものは何も持っていない。この後のことなど何も考えていなかった。とにかくここから出ることだけを、これ以上互いが傷つけられないようにということだけを考えていた。アルは由真を抱きかかえて、屋上のフェンスを超えた。

「高いところ、怖くないか?」

「わりと平気。でもどうやってるの、それ」

「いつもは能力を使って剣を作ってるけど、紐状にもできる」

 それを命綱代わりにして、二人で同時に飛び降りる。あっけないほどにこれまで閉じ込められていた檻の外に出ることができた。どちらからともなく手を繋ぎ、音を立てないように走り出す。

「そういえば、ここ出てからのことなんも考えてないけど」

「大丈夫、何となく土地勘はあるから」

 やってみれば意外に簡単にできることだった。二人はただひたすら走って、出来るだけ北斗の家の白い建物から距離を取った。

 

 

「……昔、このあたりに秘密基地を作ったんだよ。壊されちゃったけど」

「一人で?」

「いや、秘密基地ってたいてい友達と作らない?」

「ごめん……友達という発想がなかった」

 アルの人生に友達というものは与えられていなかったのだ。北斗の家の能力者たちは仕事を一緒にこなす人でしかなく、友達だと認識したことは一度もない。

「え? でもこの前タリタが友達だって言ってたけど」

「あいつの友達の意味、絶対他の人と違うだろ」

「ま、そうだね。私も友達らしいし」

 タリタの場合は、好きになればなるほど殺し甲斐があるという意味になるので、友達だと思われても全く喜ばしいことではない。むしろ最悪だ。

「……これから、どうしようか」

「誰かに頼れるならそうしたいところだけど」

「家にはあんまり帰りたくないけど……でも仕方ないかな」

「とりあえず、今は少し休みたい」

 雨風は凌げないが、木々が作っていた空間は当時とあまり変わらず残っている。二人で一晩休むくらいなら問題はないだろう。寒さを凌ぐために体を寄せ合って空を見上げる。流星群はまだ降り注ぎ続けているようで、いくつかの流れ星が夜空に線を描いていった。

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