ゆめのみたゆめ   作:ふみどり

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邂逅

 ちりん、ちりりん、鈴が鳴る。水晶の鈴は、呪いよけ。

 青空に映える、真っ赤な唐傘。くるくる回すと、柄の鈴ちりり。鼻歌交じりに鈴鳴らす。ちりりん、ちりり。呪いよ去れと、呪い歩く。

 

「来たね、幽梅(ゆめ)

「あ、五条くんだ。迎えに来てくれたの?」

 

 ほけほけ笑う幼子に、にっかり笑う目隠し男。歳はさほど変わらぬに、その体格差は幾ばくか。幼子ならば十歩はかかるその距離も、男の足ならひいふうみい。目の前近づく目隠し男に、幼子にこにこ傘たたむ。

 

「出張帰りでね、高専戻るとこだったのよ」

「そうなんだ。相変わらず人気者は忙しそうだねえ」

「僕ってば最強だからね。お前も高専行くんでしょ?」

「うん、夜蛾先生に呼ばれたんだ」

 

 だろうね、と軽く頷いた男は、小さな躯体を傘ごと小脇に。相変わらず軽いわ~と笑う目隠し男、人形よろしく抱えられた幼子も、気にした風もなくけらけら笑う。ぶらり、ぶうらり身体を揺らし、宙に浮かぶ感覚を楽しんだ。

 

「ちょっと幽梅、落とすよ?」

「あれ、五条くん、そんなに貧弱だったっけ」

「はっはっは、よ~し、吐くまで飛んでやろうな」

「相変わらずいじめっ子だねえ、五条くんは」

「お前こそ相変わらず生意気ばっかり言うんだから。ほら、舌噛むよ」

 

 たとえでなく、瞬きの間。ちりりん、りりん。鈴の音残し、ふたりは消えた。

 

 

 ***

 

 

 その幼子は、山深い小さな村で生まれた。しかし、その村での思い出はほとんどない。あるのはただ、窓ひとつない部屋の記憶。ろうそくの火に揺れる壁の木目と、山積みになった白い紙。教えられた文字と言葉、表す意味。たまに訪れる世話役の男が用意する食事と風呂。幽梅が知るのは、ただそれだけ。

 毎日毎日、適当に紙を取り、そこに言われた通りの文字をなぞる。墨をつけているわけでもないのに、幽梅のなぞった線は黒く染まった。「守」の一文字を書きながら、守れ、守れと念を込める。いかなる危険が来ようとも、命からがら助かりますよう。理解もせずに呪いを込めた。

 

「……何、このガキ。お前がこの呪符作ってんの?」

「こら、悟。……君、大丈夫かい?」

 

 幽梅が初めて見た世話役以外の人間は、白いつんつんと黒の糸目。彼らが開けた戸板の向こうは、明るかった。ろうそく以外の「明るい」を、幽梅はこのとき初めて知った。

 

「……だれ?」

 

 眩しそうに幽梅が目を細めれば、黒い糸目が幽梅の前でしゃがんで笑う。その後ろでは、追いすがってきたらしい世話役の男を白いつんつんが蹴飛ばしていた。

 

「初めまして、私は夏油傑。そっちにいるのは五条悟だ。君の名前は?」

 

 げとう、すぐる。ごじょう、さとる。言葉を飲み込み、なまえ、と続ける。なまえ、名前。自分の名前は何だったかと、あまり呼ばれないそれを探す。

 

「……おーいアンタ、このガキ自分の名前もわかんねえみたいなんだけど? 何、虐待ってやつ? オラ教えてやれよ、このガキの名前は?」

「う、ぐ……っ!」

 

 げしげしと蹴られたそれは、唸りながらその名を吐いた。はしらび、ゆめ。柱毘幽梅だと、切れ切れに言う。そういえばそんな名前だったような。傾いだ首に、他意はない。

 だとよ、と五条は夏油を見る。ひとつ頷き、また夏油は笑顔を向けた。

 

「じゃあ、柱毘幽梅くん。私たちと一緒に来てくれるかな?」

「……どこに?」

「とりあえず、呪術高専に。もしかしたらその前に、病院かもしれないけど」

「じゅじゅつこうせん……びょういん……外?」

「そうだよ」

 

 ゆめ、とその名を呼ぼうとした世話役を、五条が足で黙らせる。

 それにちらりと目をやって、それでも幽梅は、何も言わない。その瞳には恐怖も見えず、嫌悪もなく、しかし喜びもうつらない。夏油の言葉も、響いているのかいないのか。その顔を覗き込むように夏油は一歩近づき、初めて彼は気が付いた。

 袖に隠れていた幽梅の指先。わずかな灯りのもとでは見えにくかったが、それは確かに黒く染まっている。汚れや痣という次元でなく、まるで黒々とした墨のような。

 とっさに夏油は、その袖をまくり上げた。

 

「……これは、」

「んー? どした傑、……その手」

「幽梅くん、この手は?」

「……?」

 

 焼けて炭になったような黒が、両の腕の肘まで続いている。ふたりに言われて自分の手をじっと見た幽梅は、これが何か、ときょとんとした顔でふたりを見返した。その黒い手に、一切の違和感をもっていないようだった。

 

「……呪痣の血筋か。まだ生き残りがいたんだな」

「なるほど。つまり()()は―――」

 

 ふたりの視線が、その天井へと向けられる。そこにはただ低い天井があるばかり。そう、見る者が見なければ。

 

「この呪痣に引き寄せられたのか」

 

 次の瞬間、ふわりと幽梅の身体が浮く。天井を屋根ごと吹っ飛ばしたような、激しい音。力強い腕に抱え上げられ、幽梅は空を飛んでいた。

 生まれて初めての空は、残念ながら見えなかった。強すぎる日光が瞳を焼く。眩しくて目を開けていられなかった。目を閉じても尚、瞼の裏が赤くて痛い。それに気づいた夏油が、その大きな手のひらで幽梅の目元で傘を作る。

 

「まだ目を開けないほうがいい。眩しいだろう」

「……外に、いるの?」

「そうだよ。問答無用で連れ出してすまないね。私たちはあの呪霊を祓うためにきたんだ。悟が今相手をしているけれど、近くにいては危ないからね」

「じゅれい?」

「……君、見えていないのかい?」

 

 君の呪符が、あれを抑え込んでいたのに?

 驚愕する夏油をよそに、幽梅はごしごしと目元を擦り、何とか薄く目を開けた。

 頬を叩く風に、眼下に広がる下界。点在する家と畑、森、慌てふためき散る人間。一番目立つ大きな屋敷の屋根には大穴が空いており、その中心には白い髪が見えた。

 そして、幽梅は気づく。見えない何かに乗って、自分が空を飛んでいることに。思わず手を伸ばして、つん、と「何か」に触れた。途端、がくん、と衝撃が走る。

 

「おっと、……危ない危ない、すまないが幽梅くん、その手で触らないようにしてくれるかな。さすがにこの高さから落ちるのは危険だからね」

「僕、何に触ったの?」

「呪霊だよ。……見えないかい?」

「うん」

 

 見えない何かをじっと見つめながら、幽梅は堪えきれずに再び手を伸ばす。こらこら、と袖の上から手首を掴まれた。

 

「好奇心はわかるけど、本当に落ちてしまうからね。今はだめだよ」

「だめ?」

「そう、だめ」

 

 にこ、と夏油は笑う。その顔をじっと見つめ、幽梅は同じように頬を動かした。にこり、と鏡合わせのように、口角が上がる。ぎこちない、歪な笑みだったが、それは幽梅が初めて見せた表情だった。

 へえ、と夏油は思う。どうやら、好奇心の強い傾向があるらしい。

 

「……幽梅くん、君、もしかして外に出るのは初めてかな」

「はじめてだよ」

「あの世話役以外の人間を見たのは?」

「ちょっとだけなら。……ねえ、」

「なんだい?」

 

 形ばかりの笑顔を保ったまま、幽梅は下を指さして、言った。

 

「僕たちのこと指さして騒いでるけど、いいの? こっちを見てるみたいだよ」

 

 そこでようやく、夏油は気づく。

 

「……悟のやつ、帳下ろすの忘れてたな」

 

 

 ***

 

 

 幼子、ようやく外を知る。太陽、風に、知らぬひと。恐れを抱かぬ幼子は、その一歩を躊躇わぬ。

 

「お待ちください幽梅さま、」

「どうか、呪符を! あれがなくては夜も満足に眠れないのです!」

 

 知らぬ顔に縋られようと、当の本人何処吹く風。学んだばかりの微笑み浮かべ、思ったままを口にする。

 

「大丈夫だよ」

 

 眠れぬから、呪符がないから、己がいなくなるから、何だと言う。

 幽梅の胸には響かない。

 

「眠れなくても、十日も起きてれば勝手に眠れるよ。僕も呪符を書いてるときはそうだったから」

 

 そして幽梅は、背を向ける。背後の嘆きに興味も示さず、村の外へと歩を進める。ぽてぽて歩く鈍足に、堪えれぬつんつん抱え持つ。

 

「あ、こら悟」

「仕方ないだろ遅いんだから。どうせ歩くのも慣れてねーんだろうし」

「せめておんぶとか……幽梅くん?」

 

 小脇に抱えられても顔色ひとつ変えぬ幼子、ぷらぷら揺れて、動けぬことを確かめる。まあこれはこれでと得心したか、そのままじっくり地を眺める。黒茶の土に、小石に草木、隠れる小虫。それすら幽梅には、知らぬもの。

 瞬きを忘れた幼子に、黒い糸目は苦笑した。

 




支部に投稿していた短編をリメイク予定。言葉遊び修行中です。
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