パセリ(https://www.pixiv.net/users/12698987)様主催のウマ娘ジューンブライド合同企画に参加させていただきました。

ルドルフとトレーナーが仮面夫婦になるお話です。

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仮面夫婦風

トレーナー君と、結婚をした。

 

正確には”元”トレーナー君と呼んだほうがいいのだろうが、癖が抜けないのでこのまま呼ばせていただく。

 

私は卒業後、学園の仕事に携わることはなく、理想の実現のために独自の道を邁進していた。

現役時代のトレーナーであった彼と関わる機会は、必然的に減っていった。

 

私は、トレーナー君に恋をしていた。

 

同じ視座で、同じ夢を追いかけてくれた君が。

周りになんと言われようと、強がって私を安心させてくれようとした君が。

私のためにトレーニング理論や食事はおろか、四字熟語や駄洒落に至るまで私の力になろうとしてくれた君が。

 

本当に、本当に大好きだった。

 

彼と両思いになれれば、共に家庭を築ければどれほど幸せかと考え、己の理想と同じくらい実現を強く願った。

 

願いは叶った。

 

 

 

仮面夫婦として、あくまで客観的には、だが。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……トレーナー君、行ってくるよ」

 

「おう、いってらっしゃい。ゴミは俺が出しておくから」

 

「助かるよ。ではまた」

 

あれほど憧れていた朝のやり取りだが、そこに愛情は練り込まれてはいない。

 

学生時代は縁のなかったヒールを履き、外に出る。

鍵は彼がもうすぐ家を出るだろうからあえて掛けない。目の前のエレベーターで一階に降りてから、少しでも運動不足を改善できるよう早歩きで最寄り駅まで歩き始める。

 

いつもなら本日のタスクとか、夕飯に必要な材料などを考えながら歩くのだが、本日はどちらも問題がない。

前者は大した予定もなく、後者は既に冷蔵庫の中身が潤沢に整っているから、その場で決めれば良い。

 

考えが手持ち無沙汰になったとき、特段音楽鑑賞の趣味もない私は決まってあの日──数ヶ月前、私が彼に告げたセリフを思い出してしまう。

 

「……お互いの効率化のために、婚約をしてみないか……ね」

 

はっ、と乾いた笑いが漏れる。

あの時は精神的にまいっていたとは言えど、今思い返してもあらゆる方面に失礼極まりない発言だった。

罪悪感と羞恥心で胸が詰まり、一瞬足が止まりそうになるが、腕を強く振った推進力で無理やり進む。

 

この道は、もう後戻りできない。戻れる時間は終わってしまったのだから、なんとか前に進み続けるしか無い。

 

そう自分に言い聞かせて、あの頃よりずっと遅くなった脚で歩き続けた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「お疲れ様でした、失礼します」

 

フロアの関係者にそう告げて、私は仕事場を離れた。

 

建物から出ると、既に暗く染められた空の中、まばらではあるが星が出ていることに気がついた。

 

「残業をすれば、もっとキレイな星空が見れるんだ」などと笑えないジョークを言っていたトレーナー君の昔の顔が浮かび、苦しくなってつい空から目を逸らしてしまった。

星には、何も罪がないというのに。

 

角度を変えれば、同一のものでも見え方が違う。

当たり前のことだが、最近はこれを痛感することが多い。

 

何気ない日常で見える景色、物、動作によってサイコメトリーのように、彼との記憶がムービーとして頭の中で上映される。

 

それはたいてい、当時は至福の時間であったもので、今は決して手にはいらないとわかっているぶん、固く蓋をして閉まっておきたい類のものだった。

 

疲労で帰路をトボトボと歩いていると、ふと違和感を覚え、他の歩行者の邪魔にならない場所で足を止める。

 

体調や気分的な問題ではなく、視界に移る風景に、まちがい探しのような引っ掛かりがある。

少し勘案すると、三歩先の個人居酒屋の壁に、いつもは貼っていなかった張り紙があることに気がついた。

 

コピー用紙に太めの赤マジックで書かれた味のある張り紙を見ると、こう書いてあった。

 

『本日、入荷トラブルにより生姜が仕入れられず、一部商品が提供できません』

 

その文章を読んで、思わず呟く。

 

「生姜が入荷トラブル……それはしょうがない……なんてね」

 

声に出した途端、またもや当時の思い出がこみ上げてくる。

流石にあの頃よりはジョークセンスも向上したため、これくらいで一々騒ぎ立てるほどではないのだが、これは特別だ。というより、彼に自信満々で披露した駄洒落は、すべて特別なものだった。面白かったかは別として。

 

「あの頃は、この程度のジョークでも笑ってくれていたのだがな……」

 

背を丸くして、溜息を吐く。

 

学園を卒業して、はや数年。

そこから即座に疎遠になったという訳でもなく、私たちは定期的に顔を合わせて食事をしていた。

学園時代の話や、お互いの現在の様子。話題が尽きることはなかった。

 

彼も私も、ずっと自分のことよりお互いの心配をしていた。

自分が何かを成し遂げたときよりも、彼が何か大きな手柄を立てたことを聞いたときの方が嬉しかったりもした。

信頼関係は、言うまでもなく良好だった。

 

しかし私自身はというと、決して良好とは言えなかった。

 

私は企業に就職をしたわけではなく、少々特殊な形で自身の夢である”全てのウマ娘の幸福な世界”を目指していた。

 

その性質ゆえ、接する人々は業界を問わず様々で、著名人と仕事で関わり、また食事に誘われることも多かった。

 

もちろん、ほとんどの人は人格者であり、今でも良好な関係を築けている。

だがそれとは別に、私を執拗に”自分のモノ”にしようとする人も後を絶たなかった。

この歳になっても恋人の一人すらいないという事実が、彼らの欲を加速させたのだろうか。

 

あれはもはや、脅迫と言ってよいだろう。

断れば最後、部下や業界の関係者に根回しをして私への嫌がらせをしたり、直接的に暴言を浴びせられたりもした。

自分のことをいくら言われても構わないが「家族や友人、元トレーナーへ危害を加える」などと言われたときは、それが虚勢であるのは理解しているにも関わらず、テーブルを蹴り砕いてしまいそうになるほどの怒りが湧いた。

 

こうして蓄積されていったストレスは、時が経つにつれて当然のように心身を害していった。

 

まず眠れなくなり、そして起きられなくなった。元来朝が弱いことを考慮しても異常なまでに、だ。その後、慢性的な微熱や頭痛……いわゆる自律神経失調症に近い症状が多々観測された。

 

次に、笑うことができなくなった。笑い方を忘れた、と言えばいいのだろうか。

今でこそ軽減されたものの、当時は世界が灰色に見え、どんなに面白い言葉・行動も、ただの記号としか認識できなかった。

病院には行きたかったのだが、暇がなかったために諦めた。

 

限界だった。それでも、トレーナー君との食事だけはなんとしても行きたかった。彼の笑顔を見れば、空っぽの私にエネルギーを補給してくれると思ったから。

 

ところが数ヶ月前。

 

『うぅ……あ、よ、よぉルドルフ、久しぶり……』

 

私の前に現れたトレーナー君は、大粒の涙を流していた。

 

近くの喫茶店で話を聞くと、私の姿を見て安心したら、泣きそうになってしまった。

そして私のやつれた姿を見て驚いて、こらえるはずだった涙がそのままこぼれてしまったのだと。

 

トレーナー君が落ち着いたのち、私たちはお互いの現状報告を始めた。

 

先に私が事情を話すと、彼はまたもや泣き出し「気づけなくて悪かったな」と謝罪をしてきた。彼に非など何一つ無いというのに。

 

そう思っていたのだが……彼の話を聞いた途端、私は同じ言葉を口にしていた。

いわく、私が卒業した後に多くのウマ娘からの逆スカウトを受けたり、アドバイスを求められたりしていた。

 

初めこそ順調だったものの、ウマ娘たちの中には彼を……その、恋愛的に狙うものも多く現れたそうだった。閉鎖的空間で過ごす思春期の少女がそうなってしまうのは、我が身をもって理解はしている。それでも、相手がどう受け取るかはまた別の話だ。

 

彼はその全ての誘いを断り、ときには「大した理由もないのにどうして断るのか」と酷く罵られたらしい。

 

口調こそぶっきらぼうなものの、思いやりに溢れた優しい性格だ。

ウマ娘たちへの拒絶、およびその逆の行為が相当辛かったのだろう。

彼の目元は隈が酷く、どことなく以前会ったときよりも頬は痩せこけており、疲労のせいか体幹が常時左右に揺れていた。

 

私は自分のことばかりで視野狭窄になり、大切な人の重大な変化すら見落としていた。

これでよく、全てのウマ娘の幸福などと大言壮語を掲げられたものだと悔しくなり、つい歯軋りをしてしまった。

 

お互いがひとしきり話をしたのち、私たちの周りは、店内の陽気なジャズが恐ろしく似合わないほど、陰鬱とした空気に包まれていた。

 

怒り、悲しみ、無力感。

日々のストレスで限界を迎えていた私は、本来ならば絶対に有り得ない、また有ってはいけない解決策を思いつき、あろうことかそれを至上の手段として信じて疑わなかった。

そこには、彼への嫉妬と独占欲が多分に含まれていたことも白状せねばなるまい。

 

私は久方ぶりに口角を上げ、提案した。

 

『トレーナー君。私と、偽装結婚をしてみてはどうだろう』

 

それが最も効率的で合理的だと、根拠のない一言を付け加えながら。

 

彼は虚ろな目をしながら、コクリと頷いた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

結論を言うと、倫理面はともかく、偽装結婚という行為自体は有意義なものであった。

 

一つ。日々の生活における家事がおおよそ半分ずつになり、身体的な疲労が減った。

初めこそ様式の違いに揉めることこそあったが、すり合わせができた今ではお互い快適そのもの。家での食事が楽しみになったのは、いつ以来だったろうか。

 

二つ。常に相談相手がいるというのは、たいへん助かることだった。

相手が辛そうにしていれば相談するように頼み、深入りされたくなさそうであればそっと隣で寄り添う。

これを私たちは自発的に、かつそれを苦とも思わず行っており、おかげで精神的に相当楽になった。いつの間にか、笑えるようにもなった。

 

三つ。お互い、仕事での苦労が格段に減った。

婚約者がいるとなれば相手方も無理に私を誘ってくることもなく、かつ(傲慢であることは承知の上で述べるが)私ともあろうウマ娘の夫となれば相当な権力者であると相手が勝手に思い込み、嫌がらせなどをされることもなくなった。

トレーナー君の方も、話の最中にそれとなく婚約済みの事実を織り交ぜることによって、ちょうどよい牽制になっているらしい。

 

私も彼も随分と回復し、血色もよくなって、声にも張りが出てきた。些細なジョークも飛ばせるようになり、このまま行けばもう少しで、以前の私たちと変わらないほどに回復すると思う。

 

でもそれは、私が冷静になるまでのことであって。

 

「……多くの人たちを騙しているのだものな、私は」

 

最寄り駅から家までの道を歩きながら、噛みしめる。

仮面夫婦といえばほとんどは、最初は互いに愛があったものが、徐々に冷めてしまい形骸化してしまったもののことを指す。

 

だが私たちは、互いのケア、及び職務の合理化のために作られた夫婦関係であり、そこには初めから愛情など存在しない。

 

片思いこそあれど、相手にその気があるとは思えない。彼の中で私は、学園時代の子供のままなのだと、日々実感している。

さしずめ私は、想い人を取られないように一方的に事実関係で結びつけようとする悪女と言う方が、状況的には正しいのかもしれない。

 

これが私たちを祝福してくれる人々からの信頼を、加えて言えば私自身の秘めた恋心を大いに裏切る行為であることに気がついたのは、愚かにもつい最近のことであった。

 

「……ただいま」

 

鍵を開けてドアノブを捻ると、既に電気はついていた。今日は彼が先に帰っていたらしい。少し遅れて「おかえり」と聴こえてきた。

 

もう慣れ親しんだ光景であるにも関わらず、未だに嬉しさで身震いする。

そして最近は、この幸せがいつまで続くのかと不安になり、解散の恐怖でまた震える。

 

なんとも、自分勝手な話だ。

 

「ルドルフ。今日はオフの日だったから早く帰れたんだ。料理ももう出来ているぞ」

 

「料理、って……今日の当番は私であったはずだが。なんだか申し訳ないな……」

 

「いいんだよそんなの。それより、こういうときは謝罪よりも聞きたい言葉があるって昔教えたはずなんだけど、覚えてるか?」

 

「あぁ……もちろんだよ。ありがとう、トレーナー君」

 

「どういたしまして。温めておくから、支度が終わったら一緒に食べようぜ」

 

促されるままに手洗いとうがいをし、私服に着替えて食卓につくと、眼前に広がるは彼お手製の料理……の横に、上面に取手がついた正方形の白い箱が置かれていた。

 

「トレーナー君、これは……?」

 

どこかで見たことがある目の前の箱が思い出せず、顎に手を当てて唸りながらトレーナー君に質問をする。

 

「ケーキが入ってる箱だよ。食後の。だから今日のご飯は、ちょっとだけ軽めにした」

 

「ケー……キ……?」

 

ああ、そういえば以前ホールのケーキを購入したとき、このような箱に入っていたことを思い出す。

言葉の意味はわかった。ただ、彼から用意された理由がわからなかった。

 

「どうしてって顔してるな……ほら、今日は俺たちが籍を入れてから半年。だいたい記念日みたいなものだろ?」

 

「……え」

 

「これが俺の、せめてもの気持ちだよ」

 

そっと首を動かして壁掛けのカレンダーを見る。

目立った印こそ書かれていないものの、確かに今日は、私たちが役所に婚姻届を提出してからちょうど半年の日だった。

よく見るとテーブルに並んでいる料理も、普段と比べて豪華なものである。

 

「本当はお洒落なレストランにでも行くべきなのかもしれないが、また外出させるのも忍びなくてな……って、ルドルフ、どうした!?」

 

 

 

「……ぁ」

 

 

 

気づけば私は、ポロポロと涙を流していた。

 

 

 

「あれ……お、おかしいな……こんなはずでは……」

 

着替えたばかりの服の袖で目元を拭いながら、考えを巡らせる。

 

どうして、彼は記念日を覚えてくれていたのか。

合理性もなにもない豪勢な料理をわざわざ、手間ひまかけて作ってくれたのか。

私との仮面をつけた結婚生活に、そこまで力を入れてくれるのか。

 

考えても考えても、わからなかった。

 

わからなかったけど、嬉しかった。

 

「な、何か仕事で辛いことでもあったのか!? それなら聞こう。飯は後だ。さあ……」

 

「ち、違うんだトレーナー君……嬉し泣き、というやつだろうか……理由はわからないが、君が私にここまでしてくれたことが嬉しくてつい……」

 

啜り泣きながらそう答えると、トレーナーは手のひらで顔を覆いながら、ぶつぶつと何かを呟き始めた。

 

「……ここまで来て理由がわからないって、本気で……いや、昔からルドルフはそういうタイプだったな……なら悪いのは俺か……」

 

「……?」

 

困惑していると、トレーナー君は「ふぅ」と短く息を吐き、机に両の手のひらを叩きつけた。不意の衝撃に、私の身体がピクリと跳ねる。

 

 

 

「お前を愛しているからだ」

 

 

 

……今、なんて?

 

「私を、愛してる……?」

 

「よく聴こえなかったなら何度でも言わせてもらう。俺はお前が好きなんだ……あの頃からずっと……たとえ片思いで、実らない恋だとはわかっていても……」

 

「ま、ま、待ってくれ……」

 

トレーナー君の言葉を遮り、深呼吸をする。脈動は、それでも微塵も落ち着いてくれなかったが、少しだけ思考の余裕ができた。

 

彼が私のことを好き。

 

なんで?

 

あの頃からずっと、片思いをしてくれていた。

 

どうして?

 

この結婚は、偽装結婚ではないのか?

そこに両思いの愛があるのだとしたら、それはただの恋人、もとい夫婦ではないか。

 

私は一生手が届かないと思っていた憧れを、疾うの昔に掴んでいたということなのか?

 

「……トレーナー君」

 

喉の筋肉を総動員して、言葉を絞り出す。

 

聞かなければいけないことは山ほどある。

具体的にいつから私のことを想ってくれていたのか。きっかけは何か。それをどうして私に伝えてくれなかったのか。今まで私と同じことを考えていたのか。

 

でも、とっさに出てきた言葉は、まるっきり違うもので。

 

 

 

「私も、君が、好きだ」

 

 

 

ただの告白しか、できなかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……落ち着いたか?」

 

「あ、あぁ……取り乱してすまなかった」

 

「いや、あれは俺が悪かった……ちょっと急すぎたもんな」

 

顔を紅くしながら、トレーナー君は言う。

私の先ほどの言葉は、思いの外彼に刺さっていたらしい。

 

ひとまず落ち着くことができた私は、彼に諸々の説明を求める。

 

「……では、説明をお願いできるかな?」

 

「あー、わかった。ちょっと恥ずかしいけど……」

 

トレーナー君は、人差し指で頬を掻きながら説明を始めた。

 

「そうだな、まずはいつからなのかって話だが、お前が在学中ということだけは確かだ。具体的な時期とか、きっかけとかは正直わからない。いつの間にか……ってやつだな」

 

「そ、そんなに早くからだったのか!?」

 

「そりゃ驚くよな……まあ、気づかれなかったのなら何よりだよ。バリバリ学生やってる教え子に恋愛感情を持つなんてトレーナー失格だからな。あの頃は想いを隠すのに必死だった」

 

「…………」

 

私も同じだった。

歩む道が大きく分かれるという理由もあるが、生徒会長として、また彼の立場とそれ故に受けるであろう非難を考え、彼の前ではこの感情を決して見せまいと努力してきた。

 

しかし、そうか……あの頃から両思いだったとは、随分と遠回りをしてきたものだ。

 

「その、意地の悪い質問かもしれないが」

 

「なんだ?」

 

「……仮面夫婦について、周囲への罪悪感などはなかったのだろうか?」

 

それは結婚生活を始めてから、ずっと尋ねたかったことだった。

固唾を呑んで、彼の返答を待つ。

 

「なかったよ」

 

「え」

 

「なかった」

 

「……どうして」

 

「必ずその仮面を壊してやると、誓っていたから」

 

……ああ、本当に、彼には叶わないな。

そこには、私の欲しかった言葉のすべてがあった。

 

その一言だけで、私の体中に幸福が駆け巡った。

 

これは私も、お返しをしなくてはいけないな。

 

「……なら、本当に仮面が壊れているかを検証してみようじゃないか」

 

「あ……?」

 

私は、要領を得ない様子の彼の顔にそっと両手を当てて。

 

 

 

ちゅっ。

 

 

 

目を閉じて、静かに口づけをした。

 

「……うん、やはり仮面はなかったようだ」

 

「……わかっていただけたようで、何よりだよ」

 

彼は椅子に深くもたれかかって宙を仰ぎ、その顔に宿った紅を隠そうとしていた。

私自身も人のことを言えるような表情はしていなかったので、一安心する。

 

「さあ、これで万事解決だな。食事をいただくとしようか」

 

鼓動が落ち着いてきた頃、仕切り直してナイフとフォークを取って食事を始めようとすると、不意に彼が左手で私を制した。

 

「本当に?」

 

「……どういう意味かな?」

 

「本当に、それだけで十分なのかなってさ」

 

「……?」

 

発言の意味がわからず首を傾げていると、彼は「ちょっと待っててくれ」と一言を残しててどこかに消え、およそ一分後に戻ってきた。

 

──柔らかな紺色に包まれた、リングケースを右手に持ちながら。

 

「シンボリルドルフ」

 

彼が私の名前を呼ぶ。

私は一層背筋を伸ばし、緊張で顔をこわばらせながら「はい」と返事をする。

 

「俺と結婚……は、もうしてるんだったな。ああくそ、締まらねえ……じゃなくて、ええと……そうだ、これはまぁ、順番は逆になってしまったんだが……」

 

 

 

「……俺と、付き合ってください」

 

 

 

声を震わせながら、しかし堂々とした振る舞いでそう告げる彼に、あの頃の面影を感じ取る。

 

エアグルーヴは、自身のトレーナーを”杖”と称していた。

私の場合は何が適切なのかと悩み抜いた時期もあったが、今確信した。

 

彼は、私という”月”にとっての”太陽”なのだ。

 

お互い雲にその身を隠されることは日常茶飯事で、ピタリと重なることのほうが少ないかもしれない。

 

だが、いつも私を暖かく見守ってくれて、時には運命が重なり合うこともある。

 

私にとって、やはり彼でなくてはいけないのだと、今ようやく確信できた。

 

「……ふふっ、これでは、告白なのかプロポーズなのかわからないな」

 

「か、からかうなよ……それで、どうなんだ……?」

 

先ほど私の想いは伝えたはずだったのだが、頭から抜けているのか不安そうに問いかけてくる。

 

そんな告白をしっかりと噛み締め、改めて彼に向き直り、答える。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

こうして世界一仰々しく、愛おしい[[rb:告白 > おつきあい]]が成立した。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

食事を終え、赤ワインを片手にくゆらせながら、恍惚のひとときを過ごす。

お互い酔いがある程度回ってきたのか、視界がとろんと溶けてきており、それがまた気持ちがいい。

 

「なあ、ルドルフ」

 

「ん?」

 

ワインを置いたトレーナー君が、やや真剣な面持ちで話し始める。

 

「今更かもだけど、結婚式はどうする? やっぱお前もドレスとか着たいのか? だとしたら、なるべく早く用意をしたいんだが……」

 

「ふむ……」

 

もとより式など挙げられるはずもない結婚だと承知の上であったので、考えたこともなかった。

 

しかし言われてみれば、煌びやかなドレスというものには幼い頃から憧れがあった。

それは今も変わっていないらしく、タキシード姿の彼と並んで立っている姿を想像し、にへらと頬を緩ませる。

 

「そうだね、やはり憧れはあるが、ゆっくりでいいさ。今はお互い、あの時からずっとできなかったこと、やりたくてもやれなかったことを何でもやろう」

 

「ルドルフがそう言うなら……」

 

そう話すトレーナー君の表情には、若干の不安が見て取れた。もっと早く想いを伝えなかったことに、罪悪感でも覚えているかのようで。だとしたら、私も同罪だというのに。

 

大丈夫、と語りかけるように、テーブルに置かれた彼の左手に私の右手を重ねる。

 

「……想いを確かめあえた以上、何も心配することはないさ。少し出遅れてしまったかもしれないが、これからどんどん取り戻していこう。私たちは昔から、差しが得意だったろう?」

 

「……わかった、これからもよろしく頼むよ……なら、そうだな」

 

彼は再び席を離れたかと思うと、冷蔵庫から取手の付いた正方形──ホールケーキの入った箱と包丁を持ってきて、中身を取り出した。

 

「ひとまず、ケーキ入刀だけでもやっておこうか」

 

「……!」

 

なるほど。彼にはまた、相当なユーモアのセンスがあることを思い出した。

その発想はなかったと感心し、クスリと笑う。

 

私は頷き返し、彼の右手を両手で包み──ケーキに刀を入れる。

 

「……ふふっ」

 

「……はは」

 

二人して、幸せに溢れた笑みをこぼす。

 

結婚という大イベントを虚無的に、嘘で周りを欺いてまで通過してしまった私に幸せなど訪れないと思っていた。

 

だが、現実は違った。彼が教えてくれたのだ。

 

嘘を本当にすれば、仮面は割れる。

 

いや、その実、仮面など最初からなかったのだ。それに気づかず、お互いが透明な仮面をつけていると勘違いしていたのかもしれない。

 

こんなにもよく、相手の顔が見えていたというのに。

 

今ならまだ、巻き返せる。人生というレースはまだまだ、第一コーナーを曲がったばかりなのだから。

 

ひとまず今は、このホールケーキから。


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