セブンスドラゴン2062 ーApocalyptic Huntersー 作:穢銀杏
「もし、ちょっとお訊ねするが。こちらの船で、太平洋を渡ることは可能かな?」
「真っ昼間から、姉ちゃんよ。危ない
いって、男たちはどっと笑った。
漁船の水夫なのである。
ひと仕事終え、港に帰ったばかりであった。
釣果が上々だったのが幸いしたといっていい。もし仮に、これが万一、ボウズででもあったなら、気性の荒い彼らのことだ、
――うるせえ馬鹿が、
腹立ち紛れに毒づいて、突き飛ばすぐらいはしたかもしれない。
知らず知らず、彼らは幸運の中にいた。
「ずいぶん大きな船に見えるが」
視線を上げて、女はいった。
嘲笑の渦に身をなぶらせておきながら、少しの赤面も認められない。
その鉄面皮が、漁師たちをいっぺんに醒ました。
「遠洋漁業もできそうだ」
「海図がねえよ」
「ああ、ついでに燃料もな」
口々にいった。
漁船といっても、彼らが獲るのはブリでもハマチでもマグロでもない。
あるいはそんな「まとも」な生物、いまの地球の海からは、とっくに絶滅しきっているのではないか。
大戦以来、この星は変わった。
「変わりすぎた」
古老にして嘆かぬ者は絶無に近い。
二十年前、西暦にして2040年前後。
――史上最高の人工知能、「アルテミス」の暴走である。
数多の超国家企業の働きかけで始まった、労働力の大幅な自動化プロジェクト。十九世紀に乱れ咲いた華やかな夢、空想的社会主義をある意味に於いて実現するもの。とてつもない資本と、熱意と、時間を費やし、それは形を成しつつあった。
が、中核を担う
戦争と呼べたのは、せいぜい最初の四ヶ月まで。
無人兵器の運用による飽和攻撃、人体に致命的な毒性を持ち、自己増殖するナノマシン、「アルケー」の身も蓋もない大量散布。
アルテミスが、その膨大な処理能力を駆使して打ち出す諸々の手に、人類側はどうしようもなくイニシアチブを喪失し。
あとはひたすら、絶滅を先延ばしにするだけの、希望のない撤退戦を強いられている。
「真綿で首を締められる」とは、きっとこんな感覚だろう。その状態が二十年は持続した。
二十年――。
人間ですら、世界を変えるには十分な数値だ。
ましてや疲れを知らぬ機械のやること。
惑星規模の改造が進み、天地はすっかり様変わりした。就中、もっとも顕著な例として、中米一帯の消滅を挙げるべきだろう。
比喩ではない。
文字通り受け取ってくれていい。
巨人が匙で抉ったように。パナマ、コスタリカ、ニカラグア――かつてそのように呼ばれていた諸地域は、地球上から消え失せたのだ。
南北アメリカの地続きは、物理的に解消された。
あとに残るは
気流、海流、――影響は全方面に及んだだろう。北大西洋海流が太平洋側に流れ込んだ可能性とて否定できない。二十一世紀に於いてすら、海流を無視した航路決定は暴挙に属する。戦前のデータが軒並み無為と化したいま、外洋はふたたび魔の領域に回帰した。
こんな状態で船を沖に漕ぎ進めるのは、自殺以外のなにごとでもない。
「わかったかい、無理な相談だ」
「よくわかった。やっぱりそう簡単な話じゃないか」
女はザックを肩から下ろし、チャックのひとつをさっと開いて手を突っ込むと、掌中たんまり
「講義の礼だ」
酒でも一杯呑んでくれ、と、気軽な口調で差し渡す。
嫌味ったらしさがまるで無いのは、行為の芯に
貨幣経済の崩壊後、商取引の仲介物はこんなものが主流になってる。男たちの相好が、たちまち崩れた。
「あれ、どうしたんだお前たち」
新たな声が降ったのは、ちょうどそんな折である。
落ち着いた女性の声だった。
「頭領。――」
漁師どもが姿勢を正した。
「先に行ってろって言ったのに、なんだってまだこんなところで管巻いてんの?」
「へい、実は」
年頭の男が事情を話した。
(灰色の瞳、欠損した左腕、それをまったく感じさせない盤石の重心。――なるほど)
声と容姿の印象がぴたりと一致している、と。
説明の間、彼らの足をこの場に留めた元凶は、そんなことを考えていた。
「ふうん、太平洋を渡りたいって?」
説明が終わった。
「頭領」の目が、興味深げに細まっている。
「ねえ、あんた」
「なにかな」
「一口に太平洋と言っても広い。大風呂敷もいいけれど、目指しているのは具体的にどの岸だい?」
(頭領、流石)
漁師たちは、内心密かに拍手した。
この問いかけを呼び水に、うまく会話を重ねてゆけば女は再び気をよくし、「講義の礼」のおかわりをふるまってくれるやもしれぬ。彼らの期待は、だいたいそんなところであった。
「日本へ」
女は明瞭に言い切った。
「私の故郷だ」
「あんたの?」
頭領の視線に、興味以外のものが混じった。
無理もなかった。筆者はここまで無造作に、ほとんど千切り捨てるように「女」と書いてしまったが、果たしてこれは適切な表現であったか、どうか。
彼女は若い。腰まで届く烏の濡れ羽色の髪、意志の強さを顕す吊り目。
睫毛が、長い。もしこの睫毛を伏せがちにして流し目でも送られたなら、どんな石部金吉もたちどころにグニャグニャになり、ありとあらゆる人倫を忘却するのではないか。
彼女を構成する特徴、そのいちいちが瑞々しく健やかで、「我は
よほどの童顔か、神がかった若作りでない限り。
(となると、おかしなことになる)
大戦の勃発も、人間が覇権を奪われたのも、二十年以上むかしの話。誰もが知る当たり前の事実である。
つまり彼女が生まれた時点でもう既に、日米間の交通は極めて至難になっている。
――どうやって渡った?
――この絶望的戦局下で日本に生まれた人間が、いったいどんな魔術を使えば合衆国西海岸南端部の、この港町に身を置ける?
「ごめん、ちょっと確認させて。あんた自身の故郷なの? 両親とか、先祖に日本人がいるとかじゃなく?」
「そうとも、純然たる日本生まれの日本育ちだよ、私はね。お茶漬けを三日食べないと発狂するDNAの民族だ」
「……」
下手な冗談に乗っかってやる気にもなれない。
頭領は沈黙した。こいつはただの狂人ではあるまいか。
背後に控える部下たちも、同様の苦っぽさを味わっていた。つまりは結局、最初の野次が的を射ていたわけなのだ。妙な薬をやり過ぎて、現実と妄想の境界を破綻させてしまったのだろう。
「日本語のイントネーションが懐かしいよ。べつに英語に不自由があるわけじゃないけど、母語というのはやっぱり違う。エミール・シオランは正しかったな。言葉こそは、ヒトの土台だ」
「そう、大変だね。けど、残念だな。私じゃ力になれそうにないや」
頭領は、「巻き」に入った。
これ以上妄言に付き合うと、こめかみあたりがジクジクと、痛んできそうな気がしたからだ。
ただでさえ丈夫な生まれつきではないというのに、こんな阿呆とかかずり合って寿命を無駄に消耗してはたまらない。
「なんの、謙遜、十分助けになったとも。久々に人間らしい会話ができた、感謝している。ええと――」
「イサナだよ。今更だけど、こいつらを束ねて漁をしている」
これはどうも丁寧に、と前置きしてから女もまた名乗りをあげた。
「ムラクモ13班筆頭、
(むらくも?)
耳慣れぬ響き、聞き覚えのない単語であった。
だが、これから先、いやというほど聞く破目になる。
誰が知ろう。
彼女こそは人類の、否、地球そのものにとっての
竜戦役の大殊勲。
頂点捕食者――ドラゴンという星喰らいの怪物を、二度にわたって退けた食物連鎖のイレギュラー。
そして、そして、それら伝説、一切を
――失われた歴史、虚空座標からの来訪者に、人々はまだ無知だった。
主人公の喋らないRPGが好きです。
その点、ナナドラはまさに理想形。