セブンスドラゴン2062 ーApocalyptic Huntersー   作:穢銀杏

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Chapter Ⅱ “Country Roads”

 

 酒場は、蟻の巣に似ている。

 

 岩盤をそのままくり抜いた、荒っぽい素掘りトンネルの中に机と椅子と照明と――商売道具一式を運び込んで配置した、ごく簡単な造作である。

 

 ムラクモが誇る変態技術者、その巣窟たる建築班がこだわりにこだわり抜いて完成させた癒しの空間・議事堂ラウンジと比較(くら)べた場合、その懸隔はまさに月と泥亀並みの――。

 

(なに、これはこれで野趣があって悪くない)

 

 ふと萌しかけた不穏な思考を、セツリはあわてて打ち切った。

 さっきから足音が近づいている。

 

(この歩調は、イサナだな)

 

 姿を現すより以前、靴底が地面と擦れ合って響かせる、僅かな音色を頼りとし、接近者を看破する。

 猫のような鋭敏さが、セツリにはあった。

 

(あの娘の前で、不景気な(ツラ)はできまいよ)

 

 そういう配慮が働いている。

 見栄坊なのだ。病的なまでの廉恥心といっていい。

 案に違わず、間もなく隧道に溜まった闇がイサナの身体を吐き出した。

 

「やあセツリ、帰還計画は順調かな?」

「ぼちぼちさ」

「それは凄い」

「真面目に聞けよ、今度のはなかなか有望だぞ」

 

 対面の紙片をとりのけて、スペースを確保、座るように促した。

 イサナは、遠慮なく好意に乗った。

 

「考えたんだ」

 

 言って、セツリは懐から新たな紙をつまみ出す。

 幾重にも施された折り畳みを広げると、豈図らんや、北米一帯の地図である。

 

(おやおや)

 

 中米諸国がちゃんと消滅しているあたり、どうやらかなり近年に作成されたものらしい。

 相も変わらず、どこからこんな代物を見つけ出してくるのであろうか。

 セツリの常識外れさをよくよく知りつつ、それでもイサナは不思議の感を催した。

 

 

 

「一万キロ西の祖国まで。海路が駄目なら、陸路を駆使して往けばいい――」

 

 

 

 酔眼を爛々と煌めかせながら言うのである。

 

 セツリは語った。要約すればこういうことだ、西海岸沿いにひたすら北上、ニューメキシコもアリゾナもカリフォルニアもオレゴンも、ワシントンをも踏み越えて、ついにはカナダとの国境に出る。

 パスポートの持ち合わせはないが、知ったことか。どうせ誰何(すいか)するやつもなし。当然この線も通過して、更に北上、ハイウェイに乗りアラスカへ。

 

 ここまでくればセツリの狙い、そのおおよそは察せるだろう。――ベーリング海峡を渡る気なのだ、遠泳で。

 

「正気?」

「1957年のリン・コックス以来、先達は多い。やってやれないことじゃない」

 

 お台場を思い出すべきだろう。

 帝竜ゼロ=ブルーが創り出した凍結地獄。色といい形状といい、サファイアと見紛うばかりの蒼氷が所狭しと立ち並ぶ、あの極寒の領域を、特になんの対策もなく力押しで制覇した、わが身一個を当て込む気持ちがセツリにはあった。

 

 とまれ、海峡を渡ればそこはもう、懐かしのユーラシア大陸ではないか。

 

「どうよ」

「うん、いい考えだ。実現不可能の一点に目をつぶりさえしたならね」

「にべもないなあ、何故なんだ。少なくともベーリング海峡が鉄海化しているってニュースは聞いていないぞ」

「じゃあ、アンカレッジが開戦早々、徹底的に空爆されたってニュースの方は?」

「…なんだと?」

「おまけにその後、地震があって」

「また揺れたのか」

 

 一体に地震と無縁な印象を託されがちなアメリカだが、ことアラスカに限っては話が違う。

 その周辺では太平洋プレートが北アメリカプレートの下方へと、年間だいたい五センチ程度の速度で以って沈み込んでいるがため、非常に地震が起きやすい。

 一説によれば、アラスカで発生する地震、その年単位の平均は、実に四万回にも達するという。この数字は、他の四十九州すべてを足した合計よりも多いのだ。

 観測史上二番目の巨大地震が発生したのも、やはりアラスカ沖である。1964年3月27日、マグニチュードは9.2。東日本大震災すら凌駕する。

 

 余談が、過ぎた。

 

 とにもかくにもアルテミスの血も涙もない爆撃と、地殻変動エネルギーの解放により、

 

「アラスカは完全に荒廃した」

 

 と、イサナは、この聞き上手の消息通は物語る。

 

「あのあたりの不毛さは、そうだね、ここが桃源郷に思えるレベル。空っぽの冷蔵庫も同然だよ。セツリがどんなに丈夫でも、水も食糧も補給のアテがないままに、何千キロも彷徨えるほどじゃないでしょう?」

「……流石にそれは自殺だな」

 

 第二次竜戦役の最中ですら、13班には特別に、高カロリー食のほか、一日二度のおやつまでバッチリついていたのである。

 頼みとするお台場突破も、そういう恵まれた環境あっての沙汰事だ。

 なればこそ、あの愚劣な、吊し上げめいた参考人招致の席でも、その点についていたく突っ込まれたものであったが――まあ、それはいい。

 

「じゃあやっぱり不可能だ」

 

 論破の、勝利の喜びに、イサナは明るい顔をした。

 

「だいたいさ、」

 

 高揚感から、つい口数が多くなる。

 

「もしも、万一の話だよ。もしベーリング海峡を渡れても、その先にあるのはシベリアの凍土。正真正銘のダークゾーンなわけだけと、よしんば人が居たとして、セツリ、ロシア語喋れるの?」

「う、ウラーとチョールトくらいなら」

「バッドコミュニケーション、BANG!」

 

 手をピストルに擬えて、轟然発射(はな)つ真似をした。

 

「ぐはー」

 

 セツリもセツリでノリがいい。

 酔っ払いというものだ。胸を抑えて机の上に突っ伏した。

 あな口惜しや、無念なり、――と、その格好のまま呻きを上げる。

 

「いい手に思えたんだがなあ」

失策(しくじり)の八割はそんなものだよ、本人だけが気付かない。ご愁傷さま」

「あれも駄目、これも駄目ともなると。斯くなる上は、やはり世界を救う以外にないわけか」

「はいはい」

 

 罪のない、酔っ払いの痴言(たわごと)だ。

 イサナは適当にあしらった。

 

「アルテミスを狩り、脅威を除き、人類の生存圏を拡大せしめ、道中の安固を期した上で悠々帰りの(みち)につく。これしかなく思われる。迂遠だが、なに、遠回りこそが一番の近道とはよくある話だ」

「……」

 

 が、それもこうまで積み重なればどうだろう。

 一発ぴしゃりと叱りつけるべきではないか。

 ところが、イサナ自身これは奇妙で奇妙で仕方のないことなのだが、セツリの形のいいつむじ(・・・)の渦を眺めていると、一旦昂じた怒りや不満が酢に浸けられたナマコみたくたちまち萎んでしまうのである。

 

(どうにも、ずるいな)

 

 これが人徳というものならば、あんまりにも強力すぎる。

 現にみよ、

 

 ――図に乗るな、法螺を吹くのもいい加減にしろ。

 

 腹の底で、確かにこしらえたはずの言葉の鞭が、いざ喉元に達すると、

 

「それじゃ、平和構築軍にでも入隊するの?」

 

 こんな当たり障りのない、月並なセリフに変質しきっているのである。

 

(こまる)

 

 イサナはむしろ、我と我が身に呆然とする思いであった。

 だいたい自分はなんだって、こんなところに座っているのか。

 初対面の際、

 

 ――こいつは気が触れている。

 

 努めて関わりを持つまいと、あれほど心に決めたのに、ふと気がつけば、

 

 ――あいつ、どうしているかな。

 

 帰れなくなった故郷に帰ると、虚仮の一念に今なお燃えているのかな、と。

 その火勢を鬱陶しく思いつつ、しかし同時に鎮火(・・)後の、すべての張りを失ったセツリの姿を想像し、その光景のあんまりにも(・・・・・・)な寂寥ぶりに居ても立ってもいられなくなり、挙句の果てにはこれこの通り、顔をのぞきに足繁く通ってしまっている自分が居るのだ。

 

(惚れたかな?)

 

 いや、恋ではない。

 これだけは間違いなく断言できる。

 かつての同居人に対して感じたような、ああいう胸の高鳴りはセツリに於いて絶無である。

 

 が、恋愛云々を抜きにしても、人が人に惚れる――惹かれるというのはあるものだ。

 

(にしても、いったいこいつの何処がいいのか)

 

 好悪に理由をつけるなど、およそ愚かに属するが。イサナとしては、考えずにはいられない。

 人情というものだろう。これほど聡い彼女にしても、まさにその行為、それ自体がますますセツリにのめり込んでゆく第一歩だと、ついぞ覚れず、見落とした。

 

 

 

「イサナ、私の肩書きはひとつだけだよ」

 

 

 

 引力の主が、殊更ゆっくりその上体を持ち上げる。

 貴人めかしく切り揃えられた前髪が、はらりと揺れた。

 

「ムラクモ13班筆頭、それ以外は名乗りたくない」

「つまり?」

「平和構築軍の力添えを願うとしても、それは私が彼らの組織に組み込まれる形であってはならない。構築軍とムラクモと、二つの組織の共同(・・)であること。これが絶対条件だ」

 

 自分が何者かを常に銘記することは、いまのセツリの精神に必要欠くべからざる儀式であった。

 指先が、ムラクモの腕章を撫でる。赤地に黒で、竜と剣と歯車とを染め抜いた、彼女の誇りそのもの(・・・・)を。

 

「なんだろう、すごく傲慢なことを聞いた気がする」

「傲慢かな」

「傲慢だよ」

「仕方あるまい、私は一生、舎利になるまでムラクモだもの。いまさらこいつを脱ぎ捨てて、一兵卒からやり直すのは、どうにもイヤだ」

「イヤって、そんな子供みたいな」

「信念とか理想とかいうやつは、畢竟打ち割ってみたならば、多分の幼児性を含んでいるものだろう」

「……!」

 

 その瞬間、理解した。

 夜天にはためく稲光のような唐突さと衝撃で、イサナはセツリの正体を知る。

 

 ――ああ、この人は樹だ。

 

 底つ磐根を支えとし、日輪を慕いて高く、高く――天蓋を突かんばかりに聳え立つ、誰も見たことのない巨大な樹木。

 

 きっと誰しも覚えのあること、幾星霜の時間を吸ってなおも繁る緑樹には、一種えもいわれぬ霊威が宿る。

 

 苔むした樹皮に手を当てたり、抱きついて頬ずりしてみたり。わけもなくそういうことをしたくなる。

 

 寛那見雪凛の魅力とは、つまりそういうものなのだ。

 

 

 

 

 もっともイサナが納得に到達したのとほぼ同時、この「樹」の中では、

 

 ――相変わらず、理屈が多いな、セッちゃんは。

 

 この場にいない、しかしよく知る単純直情脳筋馬鹿の声がして、危うく椅子からずり落ちそうになってはいたが。

 

 ――形式とか体面とかに、めちゃくちゃ拘る。それ、東京でこそ割合うまくいったけど、ここじゃどうかな? 出遅れるだけになるかもよ?

 

(幻聴か)

 

 セツリは、閉口した。

 こんなものが聴こえるというのは、よほど疲弊している証拠だ。私の人間性も、そろそろ限界が近いのか。

 いやなに、勝負は土俵際から。

 小指一本でも残っていれば、敵も行司も観客も、みんながみんな(こん)くたびれして音を上げるまで粘ってみせる。

 それでこその寛那見雪凛だ、わかったか。

 

 ――“なに? 偉人だと? 私の目にうつるのは、いつもきまって、自分自身の理想の俳優ばかりである”。フリードリヒ・ニーチェ、善悪の彼岸。十九世紀で最も偉大な哲学者の箴言を、リーダー、今こそ貴女に贈りましょう。

 

 ナビ、ナビ、頼む、至急回線を切断してくれ。

 馬鹿どもの毒電波のせいで、ひどい悪酔いになりそうなんだ。……

 

 霊威もなにもあったものではない。

 たまらぬ雑駁さであった。

 

 もっとも寛那見雪凛にとって、表情は肚の鏡ではない。議事堂での生活、海千山千の政治屋どもと起居を共にした日々は、彼女をして自己を韜晦――有り体にいえば外っ面を繕う技術と、その重要性を刷り込んでいた。

 

 内心、残影どもを蹴っ飛ばしつつ、顔はあくまで平静に、凪いだ水面そのままに。

 

 人間関係は理解ではない、誤解と錯覚で成り立っている。過去、多くの哲人が道破したところの現実を、如実に示す有り様だった。

 

 

 

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