セブンスドラゴン2062 ーApocalyptic Huntersー 作:穢銀杏
――寛那見雪凛が狂ったらしい。
――13班のリーダーが、獅子の眼をしたあのサムライが、心の均衡を失った。
そういう噂が流れたことが、竜戦役の期間を通じて二度あった。
具体的には、暴君になった。ムラクモの運営を壟断し、自分一個の私利私欲を満たさんがため、物資を蕩尽しているらしい。……
「まさか」
一度でも彼女と言葉を交わしたことのある、すべての者が信じなかった。
「あの滅私奉公の化身に限って、そういうことがあるはずがない。どうせ小人の讒言だろう」
火のない所に立った煙だ、あさましや、存亡の際に追い詰められておきながら、なおもそういう
聞こえぬふりにとどまらず、積極的に声をはりあげ、一刻も早い打ち消しを図ってくれたものである。
ところが案に相違して、この噂は真実だった。
2020年、東京都庁北15階。
2021年、国会議事堂地上9階。
どちらもセツリが
蜘蛛の巣だらけのその場所を、
「
至急、否々、大至急、可能な限り速やかに――。
有無を言わせぬ口調のもとに発せられたこの命令こそ、寛那見雪凛がほとんど唯一ぶちまけた、ワガママの中身に他ならなかった。
必要量のDzが直ちに割かれ、諸事よきように動き出す。
Dz――ドラゴン由来の万能素材の略称だ。
どんな用途にも嵌るから、研究班も開発班も、皆が欲しがる。
通貨が意味を喪失し、物々交換の復活した東京で、その貴重さは黄金以上といっていい。
なればこそ取り扱いに慎重を期すべきは自明であって、今度のように頭から異論を排したふるまいは、
「かつてないことだ」
と、関係者一同ささやきあった。
「私は心底意外よ、リーダー」
二人きりのタイミングを見計らい、面と向かって問い詰めにかかったほどである。
「まさか貴女にこんなにも、歌への愛があっただなんて。ええ、ぜんぜんまったくこれっぽっちも知らなかったわ」
「
「あら、直線的な罵倒が好み?」
「そっちの方がまだマシだ」
「じゃあ遠慮なく。――
「本当に遠慮なく来たな」
セツリは、苦笑した。
拳をつくって側頭部をゴンゴン叩き、
「どうだ」
ちゃんと重い音だろう、中身はバッチリ詰まってる――と。
茶目っ気ゆたかに、ウインクまでして告げるのである。
内輪に於いてはセツリもこういう、年相応の顔をした。
「はぐらかさないで」
「ふむ。――君の知嚢に、畠山一清の名はあるか」
「うずまきポンプの? ええもちろん。大正・昭和の実業家、一人一業の体現者でしょう」
「謡曲の名手でもあった」
セツリはつらつら語り出す。
いつの間にやら傾聴の姿勢をとっているのがサイキック自身不快だったが、こればかりはどうしようもない。
彼女は知識狂だった。未知の情報を、性癖として恋い慕う。
畠山一清――その名の通り能登の守護職、畠山氏の
物心つく、どころではない。産道をくぐる以前から、
父親が愛好家だったのである。毎朝毎朝、一曲謡ってからでなければめしも喉を通らない。この歌声が、生まれる前は胎教で、生まれてからは目覚まし時計の役目を果たした。
もはや刷り込みの域に等しい。この道が持つ面白さ、奥深さというものを、一清は不可抗力的に知ってしまった。宝生流に入門し、みっちり扱かれ、気付けば一廉の
この特技が、意外な時、意外な場所で役に立つ。
第二次世界大戦末期、防空壕の中に於いて、だ。
当時一清は荏原製作所なるポンプメーカーを立ち上げて、その社長に就任し、歴とした一国一城の主――「ポンプのお殿様」として名を馳せていた。
戦局の悪化に伴って、彼の会社でも防空壕を掘っている。
使わずに済めばそれに越したことはなかったが、不幸にも度々駈け込む運びとなった。
防空壕の中は狭い。
暗い上に、頭がつかえる。パーソナルスペースなぞ素より望むべくもなく、他人の肺を通した空気を否が応にも吸わねばならぬ。
そういう場所で、膝を抱えてただ黙然と爆撃の終わりを待つというのは、人情としてこれほど辛いことはない。
わけもなしに絶叫したり、ただもう遮二無二走り出したくなるのだと、多くの経験者が語るところだ。
一清もまたそういうストレス症状と没交渉ではいられなかった。ただ、彼にはそういう不安定の坩堝から、己を救い出す手段があった。
最初こそ周囲に遠慮して、小さな声でボソボソやっていたのだが、
――もっと大きな声でやってください。
社員の中から、そういう頼みが相次いで出た。
――いや、しかし……。
と、一清が照れと遠慮と困惑が程よく調合された顔を示すと、
――社長が謡をうたっていると、みんなが安心するんです。社長の声が聞こえないと不安で仕様がないんです。
このように一途に慕われて、感動しない男がいようか。
少なくとも畠山一清は奮い立った。
――ようし、さればやらいでか。
朗々たる歌声が、以降、空襲警報が鳴るたびに防空壕に満ち満ちた。
戦後になって一清は当時の景色を追憶し、
――社員は、ジッと、私の謡に聞き入っている。外では高射砲の音や爆弾の落下する音でやかましいが、謡う者も、聞く者も、まったく無我の境。防空壕の中は、まるで別天地のような静かなムードが流れている。社員の顔は、少しも爆撃をおそれていない。ひたすら、私の謡に耳をかたむけ、静かに時の過ぎるのを待つ風情だった。
ありったけの感慨をこめ、
――いまも、よいことをしたと思っている。
しみじみ語ったものだった。
事実として、社員の正気を保つのに、この試みは無限の効果を発揮した。……
「どうだ、わかるか」
延々述べたるセツリに対し、
「いい話とは思うけど、――それが現状とどう繋がるのよ。結局、貴女の言いたいことはなに?」
サイキックは髪をかきあげ更に問う。
倦むでもなく、セツリは答えた。
「歌と戦争の結びつきの強さだよ。貫徹するにはそれが要る。幸いにして、
「その口ぶり。なんだ、やっぱり惚れてるんじゃない」
つまりは私情だ。
依怙贔屓の類であろう。
「かもしれん。だがしかし、このあたりで公私混同しておくことも、後日のためには却っていいと思うんだ」
「どういうことよ」
「我々はちょっと、お行儀よくやりすぎた」
セツリの見るところ、非の打ちどころ一点もなき人格者ほど愛されにくいものはない。
あまりに清廉すぎる人柄は、ついに無機質の不気味に通じ、排斥されるに至るであろう。
「そんな展開は金輪際願い下げだよ。私はずっとムラクモとして、この国の枢要に関係したい」
だから今、このタイミングで臓腑の一部を露呈する。
13班もやはり人間、情実も色気もあるのだと、そういう認識をふりまいておく。
サイキックは、漸く合点のいった顔をした。
「“偉大なる才能をもって人を驚かすとも、同時に欠点と悪徳との配合をもって他人の嫉妬心に慰安を与える場合は、甚だしき嫉妬の中心たることなし”――なるほど、これが狙いかあ」
「またニーチェかね」
「ジョン・モーリーよ。いいわ、そこまで思案を重ねた上なら、私としても嫌はない。思う存分おやりなさいな。どう転んでも、最後まで付き合ってあげるから」
「くっくっく、ありがたい、心強い限りだよ。まあ見ていたまえ、なにもかもきっと上手くいく。行かせてみせるさ、絶対に――」
この大言壮語がどうなったかは、その後の歴史に明らかだろう。
初音ミクは、セツリが見初めたあの歌姫は、果たして期待通りの器であった。
否、それ以上であるやもしれぬ。こうして異界に飛ばされて、遥かに故郷を想うとき、まず真っ先に胸に浮かぶは廃墟で歌う彼女こそ。ミロクやミイナに不義でもしている気分になるが、こればかりはどうしようもない。
寛那見雪凛の中でさえ、初音ミクは
東京の。
大厄災の焦点の。
壊れてしまった、かつての日本国首都の。
地には
天気は晴れ時々レールガン、ところにより永遠の夜、昼過ぎからは酸の雨が降るでしょう。
深夜から明け方にかけ、催眠音波にご注意ください――。
三界火宅どころではない、釈迦も阿弥陀も裸足で逃げ出す劫末の景。そんな街のシンボルとして祀り上げてもらったところで、普通なら迷惑にしかなるまいが。――ただ、初音ミクは無垢だった。
彼女の奏でる歌声は、いついつだとて澄んでいた。
あの旋律を、横顔を、魂の色を忘れることは、きっと死ぬまでないだろう。
そう信じていた。なればこそ、
「――まさか」
エンプレスを一目見るなり、寛那見雪凛の瞳孔は限界まで拡張し、呼吸は乱れ、かっと首筋に火がついた。
「馬鹿な、そんな、いや、しかし――あ、あなたなのか、初音ミク」
「……? 誰のこと?」
むろん、エンプレスには心当たりがまるでない。
小首をかしげ、訊ね返した。他にどういう反応のしようもないことだった。
その結果、セツリの五感が停止して、ほとんど膝から落ちかけようと。
エンプレスには、なんの責任もないことである。
(血迷ったか、この間抜け。いったい何を早とちりした)
内臓をごっそり抜かれたような虚脱感にすんでのところで抗いながら、セツリは必死に己自身を叱咤する。
急速にかがやきの褪せた目の玉を、再度エンプレスへと差し向けた。
(よく見ろ)
肌が違う、背丈が違う、髪の色もまるきり違う。
辛うじて似通っているのは髪型程度、それにしたって初音ミクが完璧な左右対称のツインテールだったに対し、エンプレスはどうだろう、向かって右に毛量がだいぶ偏った形ではないか。
別人であること、疑いもない。
(むしろ、これでどうして見間違えたか)
我ながら笑止なほどだった。
……が、その認識も、コンマ三秒と経たぬうちから妖しく変質しはじめる。
いったいどういうわけなのだろう。
耳の奥がざわめいている。
エンプレスの輪郭を視線でなぞっているうちに、大脳皮質の
そのむずがゆさ。
筆にも舌にも尽くせない。
頭がおかしくなりそうだった。
心の金具が揺らぐのを感じる。寛那見雪凛を寛那見雪凛たらしめる、固く冷たい、自己抑制という名の箍が。
(いかん)
緩み、グラつき、ために生じた隙間から、
「歌はお好きか」
思いもかけぬ問いかけが、さっと射出されていた。
(何をいいだすんだ、私は)
自分で自分の口の動きが制御できない。
セツリは明らかに錯乱していた。
「歌?」
エンプレスはエンプレスで、この愚問を大真面目に考えだした。
顎を少しばかり引き、伏し目がちになり、自己の内を掻き探す。
――それがいま、重要なこと?
とでもあしらっておいたなら、セツリもそれでたぶん引っ込みがついただろうに。
どっこい、彼女は真摯であった。その美質こそが、結果的には状況をより滑稽にした。
「わからない。私は歌を知らない、判断材料がない、から」
途中、不自然に言葉を切ったのは、過去の記憶の欠落というエンプレスの特殊事情が関わっている。
セツリはむろん、知る由もない。
知らないが、しかし今にも肩を掴まんばかりの勢で、身を乗り出して言ってしまった。
「それァよくない、人に生れて歌の快味も知らないままに老けるなぞ、日光に来て東照宮を見ずに帰るも同然だ。よござんしょ、私が材料になりましょう。一丁吟じて差し上げる」
もはや完全にヤケクソである。
不審者の口吻そのものだな、と、微かに残った冷静な部分で自嘲した。
が、一度勢いづいてしまった以上、下手に流れに逆らうのは禁物も禁物。行くところまで行くしかない。
「――」
大きく息を吸い込んだ。
で、曲のチョイスがまたふるっている。
こともあろうにこの馬鹿は、軍歌をうたいだしたのだ。
「
1917年、作詞作曲:ジョージ・コーハン、『Over There』。
二度の世界大戦で米軍兵士に広く口ずさまれたモノ。
弾丸の恐怖を忘れさせ、前へと進む活力を附与する、彼らの大事な常備薬。
「
セツリはこれを、SECT11の連中から聞き知った。
習ったのではない。合衆国製殺竜機関、彼らを議事堂に迎え入れ、同じ時を過ごすうち、自然と憶え込んでいた。
フォーマルハウト討伐後の大宴会では、肩を組み合い、輪になって、三唱したものである。
「
最後の方ではイズミのやつも、照れを乗り越え混ざっていたか。
イズミ・サクラバ。SECT11の統率者。セツリと同じ、剣一本で異界則を紡ぐ修羅。
殺し合いの最中であるのに、洗練されたその太刀筋に状況も忘れてただ魅入る。そんな心理を味わわせてくれたのは、後にも先にもひとりだけ。イズミを措いて他にない。
「
あれは楽しかったなあ。
ぶっ壊れた高架の上で、余人を交えず、ふたりきり。前時代の不良みたいに、正々堂々、真っ正面からぶつかり合って。
わめいて、跳ねて、走って、斬って。――
「
友よ、友よ、もう一度君に
もう一度剣を交わしたい。
切なる願いが叶う日は、しかし永遠に断じて有り得ない。
有り得ぬと、セツリも半ば察しつつある。
「
だが、なればこそ、この場のセツリの歌声は悲愴感が隈なく漲り、尋常ならざる凄味を帯びた。
他者の心を動かしたくば、自分がまず大感動を発していなければならぬ。
詐欺師に必要な第一の資質は、「誠実」というものだろう。
声は腹から出すべきだ。知ってか知らずか、その原則に、寛那見雪凛は忠実だった。
ゆえにこういうことになる。
「
エンプレスは体温の上昇を感知していた。湯でも注ぎ込まれたように頭の中がぼうっとし、わけもなく胸のあたりに手を当てる。
生まれてからずっと地下シェルターで暮らしてきた人間が、ある日とつぜん外の世界に連れ出され、無辺際の蒼穹を柔い瞳で仰ぎ見た。大袈裟にいえば、彼女を襲った衝撃は、そんな性質のものだった。
デッドマスターは戦慄していた。セツリに於いてなにか不審な動きがあれば、即座に胸をぶち抜こう。用心のもと、銃口を擬していたにも拘らず、ふと気がつけばトリガーに添えた指が垂れ、すっかり力を失っていた。
エンプレス以外のすべてに対し猜疑心を募らせる、彼女すれば驚天動地の現象だった。
ストレングスに至っては、もっとも複雑な反応だった。
彼女は最初、去ろうとしていた。窓外に潜んで盗み聞いた限りでは、店の内部は至って平静。ノリトの身に、一切の危険はなさそうである。
――それならそれで構わない。人間の
疎外感――鬼界ヶ島にただひとりだけ置き棄てられた俊寛坊主さながらの、どうにもならないうら寂しさを隠しつつ、彼女はそっと踵を返した。
――まあ待て、答えを出すにはまだ早い。
ストレングスの内心を、一から十まで見透かしでもしていたかの如く。
声がするのと、背後の壁が吹き飛ぶのとは同時であった。
振り返れば、戦車砲が直撃したと説明されても十人が十人、信じるだろう、大きな穴が空いていた。
木屑と埃のベールを乗り越え、セツリの姿が
エンプレスらの到着が、あと三十秒も遅れていたら、いったい何をやらかしてたか、ストレングスは自分で自分がわからない。
そういう経緯のもとに居る。
セツリに対する印象は、むろんのこと最悪だった。
ところがその「いやなやつ」の声帯ときたらどうだろう。底の部分に犯し難い威を含み、ひとたび旋律を奏で上げるや聴く者をして恍惚境に誘い込み、阿呆の如く酔わしめる。
始末に悪かった。
嫌悪と好意、どちらに重心を置くべきか。
なおも決めかねているために、口元は苦虫を噛み潰しつつ、頬はあかあかと鬼灯みたいに色づくという、なんともはや名状しがたい表情を晒す破目になってしまった。
「
歌が終わった。
セツリは眼を閉じ余韻に浸る。
とまれかくまれこの狂態が、ともすれば一触即発だった場の雰囲気を大いに和らげたのは確かであった。
以降の会話はきっと捗る。歌の
――がんばったね。
ふと、どこか意識の深いところで。
彼女の大事な歌姫が、ドレスの裾を波打たせつつ労ってくれたような気がした。
動物の中で唯一芸術を生むから人間はスゲェ…
文化の力が人を前に進ませる…
「ミッシェル…」は目的を失った俺を
「将棋」と「音楽」の融合が今の俺を支えてる
(『ハチワンダイバー』より、右角ヒサシ)