とはいえ、一応ネタバレはないです。
エルフの国ネフテス、その首都アディールには評議会(カウンシル)と呼ばれるものがある。議員が各々意見を出し合い、決める。そんなシステムとはいえ、それでも一応はまとめ役となる長は存在している。現在の評議会の統領は、テュリュークという老エルフであった。
「それで」
そんな彼は、現在眼の前にいるビダーシャルを見ながらやれやれと肩を竦めていた。穏健派の筆頭ともいえる彼が統領であることで三国同盟との交渉は比較的順調に進んでいたが、それでもまだまだ問題は山積みである。その一つが、現在の『女子会』であった。
「お主の姪は、もう少し大人しくは……ならんよなぁ」
「ですが、昔よりは小賢しく立ち回るようにはなりました」
「それはそれは。例の少女達の影響かね?」
ビダーシャルから度々話を聞く蛮人の少女。別け隔てなく気に入らないなら噛み付き、気に入ったならば助ける。ともすれば野蛮ともいえるようなその姿は、しかしこの世界を上手い具合に回す歯車足る力であるらしい。同じように思っているのか、テュリュークの言葉に彼も苦笑しながら頷いていた。
「外に出てみるものじゃな。昔と随分変わっている」
「その決断をした統領閣下が慧眼なのですよ」
「褒めるな褒めるな。調子に乗ってしまうぞ」
ククク、と笑いながら、テュリュークは目の前の書類を眺めた。エルフの使う言語とは違うもので書かれたそれは、ネフテスとの友好を結ぶために行いたいことや貿易についてなどの草案が記されている。アンリエッタとジョゼフがとりあえず持って行けとビダーシャルに押し付けたものであった。
二枚目を捲る。アンリエッタからの手紙で、自由都市を見学するのでよろしくお願いしますという旨のことが書かれていた。
「……のう、ビダーシャルや」
「はい」
「皆がこうであれば、争う必要などないのだろうな」
「少なくとも、戦争は起こらないでしょうな」
世話になっているガリアの姫騎士を思い出す。悪友達とそこかしこで暴れている姿がちらつき、まあ『そういうこと』はこちらでもあるからと結論付けた。
だが、しかし。生憎とまだテュリュークの言っていたように『皆』がそうなっているわけではない。向こうもこちらも、多くはなっているが、そうでないものもまだ少なくないのだ。ハルケギニア側であれば、ロマリアがその筆頭であろうか。
そして、エルフ側では。
「エスマーイル殿は、まだ反対しておる」
「でしょうな。あれが穏健派になるなど、『悪魔の門』が開いても実現するかどうか」
「何でああも戦いたがるんじゃろうかのぅ」
「血の気が多い、だけではないでしょうな」
恐らくは、自信。蛮人とエルフとの交流など馬鹿げていると考える者の基本思想は、圧倒的に勝っているこちらが何故向こうと対等に接しなければならないのだ、である。向こうは似たような姿形をしているだけの下等生物であって、交渉する余地などなにもない。酷い者であればそこまで飛躍していた。
流石に大分数を減らしたとはいえ、長年染み付いた感情はそう簡単には消え去らない。そしてそのこびり着いたそれは、エスマーイルという男によって着々と増殖を続けさせられていた。
「……実際、どうなんじゃ? 向こうは、彼等の言うような下賤で下等な相手かな?」
テュリュークの言葉に、ビダーシャルは苦笑する。そんな答えの分かり切っている質問などなさらないでください。そう言って、彼はテュリュークの持っている書類を指差した。
「少なくとも、私は彼等を敵に回したくありませんね。……これでも、命は惜しい」
「ははははっ! そうじゃな、わしも臆病で戦いは嫌いだ。しなくともいい戦で死ぬなぞまっぴらじゃわい」
そうしてひとしきり笑ったテュリュークは、表情を真面目なものに変えるとさらさらと何かを書き記した。それを封筒に入れると、少しお使いを頼まれてくれるかとビダーシャルに問い掛ける。
はい、と頷いた彼へと、二つの封筒を差し出した。
「エスマーイルの率いる『鉄血団結党』がこの件を知らぬ、ということはあるまい。じゃから、一枚は釘を差すためのものじゃ」
「もう一枚は?」
先程書いていた方を眺めながら、ビダーシャルはテュリュークに問う。決まっているじゃろう、と彼はその問い掛けを聞いて口角を上げた。
「貰った手紙の、お返事じゃよ」
異国情緒溢れるその町並みを改めて歩き、アンリエッタはご満悦であった。ああこんなことならウェールズ様と二人で来るのだった。そんなことを言いながら露天で買った串焼きを頬張っている。
「……ルクシャナ」
「何? アリィー」
「あいつは、頭がおかしいのか?」
「まあ、おかしいといえばおかしいけど。どうして?」
「蛮人の王族は、普通はもっとこう、ああいう感じだろう?」
イザベラを指差す。へぇ、と珍しそうにキョロキョロと視線を巡らせながら、それでもどこか落ち着いた物腰で露天を回っていた。それに付き従うように、ベアトリスがそこにいる。
視線を動かした。スキップしながら砂糖菓子をポイポイ口に入れるアンリエッタがそこにいた。
「別に、いつものアンリエッタよ」
「……そうか」
ルクシャナよりは付き合いの短いアリィーにとって、アンリエッタの現在の姿は奇妙でしかなかった。が、彼女が言うのならば仕方ない、と彼は諦めたように溜息を吐く。
そんな彼を見ながら、ティファニアは話し掛けるタイミングを見計らっていた。以前一度だけ会ったことはあったが、こうしてしっかりとアリィーと行動を共にするのは初めてなのである。彼女にとって、現状はエルフの新たな友人第二号を作る絶好のチャンスであった。
「あ、あの。アリィーさん」
「何だハーフ」
「ひぅ」
「アリィー! テファを怖がらせないでよ」
ぼくが悪いのかよ、とルクシャナに抗議するものの、当たり前のように彼女は聞いちゃいない。やれ目付きが悪いだの口が悪いだの態度が悪いだの、終いには顔が悪いと言い出す始末。流石に全否定されたのは堪えたのか、アリィーはどんよりとした空気を纏いながら項垂れた。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、別にお前は悪くないだろう……」
ここでお前のせいだと言えるほど彼の神経は図太くなかった。はぁ、と盛大に溜息を吐くと、それで何の用だ、とティファニアに問い掛ける。
少しお話がしたくて。そう彼女が返したのに面食らったような表情を浮かべると、彼は改めて溜息を吐いた。
「ぼくは別にお前と話すことはないぞ」
「あぅ」
「アリィー!」
「何だよ、本当のことじゃないか。そもそも、何を話せと言うんだ」
「あら、お話などそれこそ色々あるでしょう?」
うお、と急に現れたアンリエッタにアリィーは思わず身を引く。クスクスと笑いながらティファニアの肩に手を置くと、世間話のようにこの町についてのガイドを頼み込んだ。
ピクリと眉を動かした彼は、ふんと鼻を鳴らすとそんなものは知らんと言い放つ。元々ここは砂漠の民もほとんど立ち寄らなかった町だ。極々普通のエルフであるアリィーがそんな場所のガイドなど出来るはずがない。勿論そんなことを口にはしないので、適当に理由をつけて断った挙句ルクシャナに曝露されるというオチが待っていたのだが。
「だから、ガイドならわたしの方が適任よ。色々とお店を回りましょう」
さあ行くぞ、とルクシャナの先導で一行はエウメネスの町を歩いて行く。イザベラとティファニアは純粋に観光を楽しみ、ベアトリスは若干のついていけなさを感じつつも概ね二人に近い状態であった。
アンリエッタもその部分は同じ。訪れたことのない場所を楽しむ、ルイズ達が割と頻繁に行っているそれを自身の体で味わい、少しだけ彼女に嫉妬したりもした。
「魔王」
「はい?」
「何を気にしている?」
アリィーにそう問われ、あら、とアンリエッタは声を上げた。分かりやすかったかしら、そう言いながら頬に手を当て首を傾げる。表情は笑顔のままである。傍から見れば、とんでもなくわざとらしい仕草であった。
だからだろう。アリィーはそんな彼女を見て苦々しい顔をし、どの口が言うんだかと吐き捨てた。
「申し訳ありません、性分なもので。……ミスタ・アリィー、少しお聞きしても?」
「何だ?」
「ここは元々は流刑地、とおっしゃいましたね。何をするとここに流されるのです?」
相変わらずの笑顔。だが、その口調にはどこか真剣さが漂っていた。この胡散臭さと切り替えが実にいやらしい。エルフの連中との会話とは違う居心地の悪さを味わいながら、アリィーはしかし話を撃ち切ることなく少しだけ考える素振りを見せた後口を開いた。
基本的には部族の掟を破った者が追放されてくる。正真正銘の犯罪者から、やむなくそれを行った者、それらに関わってしまったばかりに同行を余儀なくされた者など。いずれにせよ、何かしら脛に傷を持ったものが作り上げた場所であった。
「蛮人と交流する場所としてはお似合い、と溜飲を下げる方もいるのでしょうね」
「……いない、とは言わん」
それで、それがどうした。アリィーはじろりとアンリエッタを睨む。そんな話をするための質問ではないだろう。そう述べながら、彼は彼女の言葉の続きを待った。元々は彼から言い出したことなのだけれど、とアンリエッタはクスリと笑い、しかしどのみち言うつもりであったから問題はないと口を開く。
「テファの親類、この町にいるのでは?」
「だろうな。エルフと蛮人が恋仲になるなどと度し難い裏切り行為だ。一族揃って追放されてもおかしくはない」
「愛の前には種族の差など些細なことですわ」
「……そんなことを迷い無く言える奴は、エルフにも、蛮人にだってそうはいないだろう」
「そうでしょうね。……でも、そういう方は一度見てみればいいのですよ。吸血鬼やナイフや人形や韻竜と愛を育もうとする人を」
「……」
確かにそれはエルフと人間の恋仲など些細なことと笑い飛ばせるだろう。が、流石にいもしない荒唐無稽な存在を例に出されても困る。やれやれ、と肩を竦め溜息を吐いたアリィーは、そのまま視線で話の続きを促した。
それで、ティファニアの親類がこの町にいるとして、それがどうしたというのだ、と。
「味方は多い方がいい、と思いませんか?」
「役に立つとは思えんな」
「いえいえ。掘り出し物というのは、案外そういう場所から見付かるのですわ」
ちらり、とベアトリスの背中を見る。嫌な予感を既に察知していたらしい彼女は、アンリエッタが視線を向けると同時、逃げるようにティファニアの方へと走っていった。うんうん、と満足そうに頷いたアンリエッタは、再度視線をアリィーに向ける。
「お断りだ」
「あら残念」
「ぼくがお前をどう呼称しているかで分かりそうなものだと思うが」
「意外とわたくしの部下も影で呼んでいたりするので、もう慣れましたわ。……広めた輩はいつか酷い目に遭わせようとは思っていますけれど」
まあそんなことより、とアンリエッタは薄く微笑む。ではせめて、ティファニアの友人になってやってください。そう言うと彼女は頭を下げ、イザベラの方へと歩いて行ってしまった。聞きたいことを一方的に話し、終わればさっさと去っていく。その傍若無人さが、一周回って心地よかった。
「……友人なんぞ、他人に頼まれてなるものではないだろうに」
ふん、と鼻を鳴らすと、アリィーはルクシャナの下へと向かう。とりあえず、あのハーフエルフのことをもう少し聞いてみるか。と、そんなことを思いながら。
大分感覚が麻痺してきた。そう実感したのはエルフの店で接客を受けた後であった。確かにトリステインや大公国と比べれば横柄で無礼ではあるが、しかしきちんと客として自分達を扱っている。あのエルフが、蛮人と蔑む自分達をだ。その体験により、ベアトリスはもうどうでもいいやという諦めの境地に達したのだ。
「案外、変わらないものなのね……」
「そうよ。エルフも、人間も、一緒よ。同じ仲間なの」
ベアトリスの呟きに、ティファニアは嬉しそうに同意する。鼻歌でも歌いそうなその顔を見て、ベアトリスはやれやれと肩を竦めた。まあそれは仕方ないか、と彼女は思う。ハーフエルフだとバラした後、彼女の生い立ちも聞いたからだ。色々と苦労をしてきたのだから、エルフと人間が友好を結べるという未来は理想なのだろう。
もっとも、だからといってベアトリスはティファニアに同情しないし見方も変えない。何だか負けた気がするからヤダ、という彼女のちっぽけなプライドのなせる技である。
「そういえば、今日はこのままここで泊まるのよね」
「うん、そうね」
「……どこに泊まるのかしら」
腐っても大公の娘である。安宿で夜を明かすことが出来るほど彼女はまだルイズよりではなかった。
対するティファニアは元々の生活が生活である。その辺りは何の心配もしていなかった。
「大丈夫よ。ルクシャナがきちんとした宿を手配してくれているから」
「い、イザベラ王女!」
「……そろそろ慣れなさいな。私は言うほど立派なものじゃないわ」
イザベラの言葉に、ベアトリスはあははと頬を掻く。そう言われてはいそうですかと言えるなら苦労していない。立場上似たようなものではあるものの、その規模は流石に桁違いなのだ。ある程度普通の貴族の価値観で動くベアトリスにとって、無理難題以外のなにものでもなかった。
そしてそんなベアトリスを見ながら、イザベラは何かを考えるように顎に手を当てた。アンリエッタは一体この娘の何を買っているのだろうか。それが、どうにも分からなかったのだ。
とりあえずもう少し話してみようか。そう思い、イザベラは口を開く。時々何か妙な動きをしているベアトリスに向かって言葉を紡ぐ。
「ねえ、ミス・クルデン――」
「――っ!?」
その途中、ベアトリスが弾かれるように何かを見た。目を見開き、ゴクリと喉を鳴らす音が隣のイザベラの耳に届く。
どうしたのだ、とイザベラはベアトリスを見た。彼女が見ていたのはエルフの三人組で、青年らしきエルフ二人と、少女といってもいい見た目のエルフが一人。今日町で見てきた人々とは少し違う服装をしており、どこか軍隊のような様相を感じさせた。確かに目立つ輩であったが、何故そんな過剰反応をするのか、それがイザベラには分からない。
「ベアトリス、どうしたの?」
「……マズい」
ティファニアの言葉に、ベアトリスはそう呟くだけで返答とした。己の体を抱き、心なしか震えているようにも見える。
流石に彼女の様子がおかしいことに気付いたのか、ルクシャナやアリィー、アンリエッタもどうしたのだと振り向いた。振り向き、エルフ組はその尋常じゃない様子にぎょっとする。
ただ、アンリエッタだけは違った。表情から笑みを消すと、ベアトリスが見ていた方向に素早く目を向ける。杖を振り、魔法で感覚を研ぎ澄ますと、彼女が見たらしい三人組を捉えた。
「ルクシャナ」
「どうしたのアンリエッタ?」
「以前見せてもらった貴方達の軍服で、一番体にフィットするようなものは、何だったかしら」
「へ? えーっと、多分水軍ね。今は『鉄血団結党』っていう過激派が幅を利かせている嫌なところよ」
「成程」
通りで。ベアトリスのセンサーに反応したわけだ。そう判断したアンリエッタは、再度表情を笑みに変えた。見たところ大勢で行動しているわけではなかったので、偵察か、あるいは工作活動だろう。よし、と頷いた彼女は、状況を飲み込めていないであろう四人へと振り向き、ニコリと笑った。
「自由都市は素晴らしい場所ですわね」
「そ、そうね……」
「え? う、うん」
「いきなりどうした魔王……?」
「あ、何か悪巧み?」
「いえいえ、大したことではありませんわ。この町のために、わたくしも少し貢献しようと思いまして」
清掃活動でも、行いましょうか。笑みを湛えたまま、アンリエッタはそう言い放った。
四人の後ろにいたベアトリスが、先程とは別の恐怖で小さく悲鳴を上げていた。
ベアトリスのカナリア。