ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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綺麗(?)な頃の姫さまの昔話


勇者と魔王のビギンズ
その1


 アンリエッタが今のアンリエッタとなった頃から、彼女は彼女自身の記録を付けている。他人に見せるものではないそれは、まず表に出ることはない。ましてや、他の調査記録と同じように装丁して並べるなどもってのほかだ。

 が、姉貴分の頼みとなれば話は別である。管理をするのもその姉貴分である以上、これを用意したところで何か害になるものでもあるまい。そんな結論を出すほどだ。

 元より触れさせたくないのならば物として残さなければいいのである。そうしなかった以上、この事態もアンリエッタにとっては想定内なのだ。

 

「……むう」

 

 だがしかし。それは何か違う、と彼女の中でしこりが残っていた。普段であればこれみよがしに既にそんなものは承知の上だと高らかに掲げて笑うところであるが、それがどうにも違うのだと己の心が囁くのである。彼女が、姉貴分が、エレオノールが言っていたのはそういうことではないという胸騒ぎがするのである。

 ならば一体何を書けばいいというのか。それを暫し考えたアンリエッタは、一つの答えをはじき出した。彼女が求めているのは今のアンリエッタではない、ということを。

 

 

 

 

「と、そのようなわけなので」

 

 以上が集めた経緯である、とアンリエッタは目の前にいるルイズに述べた。前置きが長い、とジト目で彼女を睨み付けながら、ルイズはしかしまあそういうことならばと溜息を吐く。

 

「つまり、姫さまとわたしが出会った頃の昔話を書き記すってことですよね」

「ええ。そうなりますわ」

 

 アンリエッタとルイズが出会った頃。今から十年以上昔のお話。まだ王妃が幼い姫君であり、碌に物を知らない子供であった頃。夢見るだけの少女であった頃。

 ノワールと出会い、魔王へと道を踏み外す前であった頃。

 そしてルイズが、まだ暴れ回る問題児の片鱗を見せ始めた程度の頃。

 彼女が書き記すのは、そんな時代の、トリステインのとある一幕。

 

 

 

 

 

 

 アンリエッタが生まれた時は、それはもう国中大騒ぎであった。トリステインにあるどんな宝石よりも大事に育てられ、磨き上げんと尽力された彼女は、可憐でお淑やかな少女へと育っていく。それを母親であるマリアンヌも満足そうに眺めていた時代であった。

 そんなある日、マリアンヌは愛娘に遊び相手が欲しいと思うようになった。まだ彼女は十にも満たない幼子。となれば当然遊び相手も同い年か近しい年代がよい。そう考え、どこかに該当者がいないかと調べるよう命じた。

 当然のことながら、次代の姫殿下と懇意になれるチャンスを逃すまいと次から次へと該当者は現れる。マリアンヌはその子供とアンリエッタを一度会わせてみて、良さそうならば暫し突き合わせ、相性が悪そうならばそこで切り上げる。そんなことを幾度と無く繰り返した。それもこれも愛娘のためである。

 さてでは、本人はそんな母親の愛情に感謝しているかといえば、決してそういうわけではなかった。勿論表面に出すことはないし、己自身も無意識ではある。が、友人も親の一存で決められてしまうという王家の空気は、彼女にとって何となく居心地の悪いものであった。思えば、この時既に現在の彼女の片鱗は現れていたのだろう。

 とはいえ、きっかけがなければそれも次第に薄れ、やがて王家のしきたりや伝統に飲み込まれていったに違いない。そうならなかったのは、やはり。

 

「久しぶり、本当に久しぶりだわ……!」

 

 そう言って目の前の女性に抱きつく母親。王妃という立場でありながらそんなことをする彼女を見て、アンリエッタは幼心にぼんやりと思う。ああ、あれこそが本当の『おともだち』なのではないか、と。そして自分にはそういう相手がいるのに、どうして娘には与えてくれないのか、と黒い感情も同時に生まれる。

 いけないいけない、とアンリエッタは首を振った。こんな顔をしていればまた父親に心配される。ただでさえあまり体が強くないのだから、余計な心労は極力与えない方がいい。その心遣いこそが余計な心配になっているのだが、まだ彼女にはそれを分かるほど経験はなかった。

 ともあれ、マリアンヌは満面の笑みで王宮へとやってきたその女性を迎えた。年甲斐もなくはしゃぎながら、昔話に花を咲かせている。周りにアンリエッタとごく一部の護衛しかいないのをいいことに、色々ととんでもない話を次々に口に出していく。相手もそんなマリアンヌに相槌を打ちながら、もう少し自重した方がいいとやんわり話を打ち切った。

 

「ああ、そうね。そうだったわね。一番の用事は、こちらだもの」

 

 そう言って手を叩いたマリアンヌは、横に控えていたアンリエッタを呼んだ。いつものように母親の横に寄り添うと、彼女は一礼をする。年齢にそぐわぬ洗練された所作を見て、来訪者はぱちくりと目を瞬かせた。

 

「王妃」

「どうしたの?」

「……きちんと子育てが出来たのですね」

「どういう意味かしらカリン?」

 

 カリン、と呼ばれた女性は、マリアンヌの視線を気にせずにアンリエッタと目線を合わせる。そして同じように一礼をすると、お初にお目にかかりますと言葉を紡いだ。ヴァリエール公爵夫人、カリーヌ。それが己の名であると、そう述べた。

 

「姫殿下。実はわたくしの娘も、殿下と近しい歳なのです」

 

 柔らかな笑みとともにそう続けたカリーヌを、アンリエッタは思わず見詰める。ああそういうことか、と。今回も、結局母親が用意した友達探しの一員だったのかと少しだけがっかりする。

 だが、と彼女は思い直した。どうやら目の前の女性は、自身の母親とは大分親交が厚い様子。ならばその娘と自分も、同じように『おともだち』になれるのではないか。そんなことを考えたのだ。

 アンリエッタはニコリと微笑む。それは、是非ともお会いしたいものです。そう言って、カリーヌへと返答する。それは良かった、と彼女の言葉に頷いたカリーヌは、立ち上がるとマリアンヌへと視線を向けた。

 

「王妃」

「どうしたの?」

「ルイズを、ここに呼んでも?」

「ええ、勿論よ。貴女の娘ですもの、きっと可憐で美しく聡明で力強いのでしょうね」

「……言われるたびにエレオノールが辟易するのでいい加減ご自重ください」

 

 やれやれ、と肩を竦めるカリーヌに対し、マリアンヌは心外だと頬を膨らませる。本心で言っているのに何が問題だ、と文句を述べる。

 だから問題なんだ、と溜息混じりに述べたカリーヌを見て、アンリエッタは思わずクスリと笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

「は、ははは初めまして姫殿下! わ、わわたくし、ルイズ・フランソワーズともうしましゅ!」

 

 噛んだ。思い切り噛んだ。本人もそれを自覚しているのか、顔を真っ赤にして俯きプルプルと震えている。みっともないといえば確かにそうであるが、しかし飾らないその姿はアンリエッタにとっては好意的に映った。

 今までの連中は、凡そ子供らしくなかった。既に王家に忠誠を誓い、悪く言えば取り入ろうとするような連中であった。勿論当の本人達はそう思っていなかったかもしれない。親に言われるまま、そういう姿を取っていただけかもしれない。

 それを差し引いても、目の前の彼女は何とも情けなく、しかしとても可愛らしく実直であった。

 

「顔を上げてちょうだい」

 

 はい、と若干涙目のままルイズは顔を上げる。クスリと思わず笑ってしまったアンリエッタは、ごめんなさいと彼女に謝った。改めて、と名乗りを上げ、これからよろしくと微笑む。こちらこそよろしくお願いします、とルイズはそんな彼女に勢い良く頭を下げた。

 

「それで、一体何をして遊ぶの?」

「え?」

 

 アンリエッタのその言葉に、ルイズはピシリと固まった。こういう時は向こうに合わせればいいと思っていた彼女は、その質問の答えを持ち合わせていなかったのだ。

 否、正確には、自分の中の答えを述べるととんでもないことになると思ったのだ。

 

「あら、何もないの?」

「あ、いえ、その……」

 

 どうしよう。視線をキョロキョロと彷徨わせながら、ルイズは必死で何か言い訳を考えた。姫殿下がなさるには下賤なものですから、とりあえず絞りだすようにそんな言葉を述べた彼女は、しかしアンリエッタが眉を顰めるのを見てビクリと震えた。

 

「貴女は……ルイズ、と呼ばせてもらうけれども、よろしくて?」

「は、ははははい! もったいなきお言葉でございます」

「……。ではルイズ、わたくしは、もっとそういう下賤なことがしたいの」

「は?」

 

 ポカンとルイズが口を半開きにする。目の前の彼女の間抜け面がおかしくて、アンリエッタは少しだけ機嫌を直した。表情を和らげ、王宮で暮らしているとどうにも窮屈なのだと思わず零した。普段の、今までの同い年の貴族の子供達には決して言わなかったような愚痴を、彼女に零した。

 理由は分からない。母親同士のあの気安さに影響されたのかもしれないし、ルイズの緊張するあまり空回りしている姿に癒やされたからかもしれない。直感で、彼女が自分の『おともだち』になると確信したからかもしれない。

 ともあれ、アンリエッタはルイズにそう述べた。貴女の言う下賤なことがしたいと、ハッキリと彼女にそう述べた。

 

「……え、と」

 

 勿論言われた方はどうしていいか分からない。母親には失礼なことがないようにと言われている以上、あまり酷いことをすれば説教が待っている。魔法が使えないコンプレックスはまだ解消出来ておらず、修業も駆け出し。上の姉に叩き込まれた宮廷マナーも早々にボロが出た。もうルイズの頭の中はパニックであった。

 無我夢中で左手を見る。そこに指で『勇気』と書き、ペロリと舐めた。ゆっくりとその文字が己に染み渡り、しっちゃかめっちゃかであった思考が少しずつまともになっていく。

 ふう、と息を吸い、そして吐いた。真っ直ぐにこちらを見詰めるアンリエッタが視界に入り、どうしたものかと頬を掻く。

 

「姫殿下」

「何? ルイズ」

「体は、丈夫な方ですか?」

「ええ。元気は有り余っているわ」

「……分かりました」

 

 仕方ない。そう結論付けたルイズは、では行きましょうかとアンリエッタに手を差し出す。その手を掴んだアンリエッタは、しかし一体どこに行くのかと首を傾げながら彼女に問うた。

 ルイズはそのまま歩みを進める。場所は、外に出るための扉、ではなく。

 

「ルイズ? そちらは窓でしてよ」

「ええ。存じておりますわ」

 

 窓を開け放つ。場所は一階なので、別に何の問題もなくここから飛び出せる。アンリエッタも、この程度ならば出来るであろう。

 振り向いた。では、行きましょうとルイズは微笑んだ。

 

「行く、とは?」

「抜け出します」

 

 迷いなく、ルイズはアンリエッタにそう言い放った。

 

 

 

 

 

 

 中庭を駆ける。普通に扉を出ていれば護衛が付き色々と言われていたであろうことを考えると、この開放感はアンリエッタには堪らないものであった。

 時折メイドが通りかかることもあるが、アンリエッタとルイズが二人で笑っているのを見て、まあそういうものなのだろうと別段問題にはしていない。まさか部屋から抜け出して遊んでいるなどとは、普通は考えないのだ。

 

「ルイズ、ルイズ! 貴女は普段こんなことをしているの?」

「最近になってから、ですけれどね。ああ、でもこっそりと抜け出すのは昔からです」

「ふふっ。悪い子ね」

「姫さまも同罪ですよ」

 

 そう言って、顔を見合わせ笑った。よし次は向こうだ、と噴水のある広場まで揃って走る。当然のように服は汚れたが、二人共にそんなことは欠片も気にしなかった。

 

「ああ、楽しい。ねえ、ルイズ。他の人はどうしてこれをやらないのかしら」

「最初に言ったじゃないですか。姫さまと遊ぶには下賤なものなんですよ」

「変なの。わたくしはそんなこと気にしないのに」

「姫さまが気にしなくても、他の人が気にするんです」

「ルイズはいいの?」

「……諦めました」

 

 カリーヌとエレオノールに説教される未来を幻視し沈んだ表情を浮かべたルイズは、ぶんぶんとそれを振って散らす。余計なことを考えても仕方がない。今は全力で楽しむ時だ。そう思い直し、顔を上げて前を見た。

 ヒラヒラと蝶が飛んでいた。綺麗な青いその蝶は、二人の眼前を通り過ぎ、向こうの植え込みへと抜けていく。

 ちらりと横を見た。アンリエッタもそれを見ていたらしく、目と目が合うと揃ってコクリと頷いた。

 植え込みへと走る。まだ見失ってはいないから、間に合うはずだ。そんなことを考えながら綺麗に整えていたであろうその植え込みを真っ直ぐ突っ切った。人が二人通り過ぎたことで、植え込みは見るも無残な形へと変貌する。

 蝶はまだ見える。だが、追い付くには足りない。よし、と足に力を込め、ルイズは一気に駆け抜けた。カリーヌとの修業で身体能力は同年代と比べても飛び抜けている。ついこの間に自分より年上であったツェルプストーの娘を殴り飛ばしたこともある。だから、いける、と彼女は確信していた。

 アンリエッタはそんなルイズの動きに目を見開いた。負けられない、と己も全力で足を動かした。邪魔だ、と長いスカートの裾を引き千切った。小枝で肌が裂けるのも、まるで気になどしなかった。

 丁度花壇に水でも撒いたのであろう。しっとりと濡れた土は思い切り大地を踏みしめる彼女達に容赦なくまとわりつく。泥だらけになりながらも、そんなことは関係ないとばかりに二人は走る。蝶を追いかける。

 やはりルイズの方が早い。段々と引き離されてきたアンリエッタは、悔しそうに歯噛みした。このままでは負ける。そんなことが頭を過ぎり、そうはいかないと思わず懐に手を伸ばす。

 まだまだ未熟ではあったが、メイジとしての修練もアンリエッタはきちんと行っていた。己の系統は『水』。杖を取り出し、ルーンを紡ぎ、前を行く背中に向かって。

 

「わきゃぁ!」

 

 突如生み出された水により、ルイズは全身ずぶ濡れになった。何だ何だとパニックになった彼女は足を止め、走っていたアンリエッタに追い抜かされる。そこでようやく彼女の仕業だと理解したルイズは、待てと濡れネズミのまま再度駆けた。

 追い付いたルイズは、アンリエッタが蝶に手を伸ばしているのを見てさせるかと自分も思い切り飛びつく。ぶつかり、バランスを崩し、ぐらりと空中でもつれ合った二人は、そのまま地面へとダイブした。ベシャリ、と盛大な音と共に、アンリエッタもルイズも大地と盛大なベーゼを交わす。

 蝶はそんな二人を見て呆れるように、ひらひらとどこかに飛んでいった。

 

「もう、ルイズ! 貴女のせいで捕まえ損なったじゃないの!」

「姫さまが呪文まで使って邪魔するのが悪いんじゃないですか!」

「あら、わたくしのせいだと言うの!?」

「どう考えてもそうでしょう!?」

 

 土まみれの顔を突き合わせ、二人はぐぬぬと睨み合う。その姿は酷いものであった。事情を知らない者が見てもそう判断するのだから、当然のように彼女を探しに来た者達が見れば。

 

「あ」

「あ」

 

 呆れたように溜息を吐くカリーヌと、ケラケラと笑うマリアンヌ。そんな二人以外は、どう見ても憤怒の表情であった。何をやっているのだ、とその顔が述べていた。

 即座にひっ捕らえられ、即座に湯浴みをさせられた二人は、そのまま説教をされることとなったのであった。ルイズは予想通り、そしてアンリエッタは初めての体験。

 侍従のラ・ポルトからアンリエッタにもうこんなことをする輩とは付き合うなと言われたが、彼女はその言葉を右から左に聞き流した。ルイズこそが自分にとって大切な『おともだち』なのだ。そう信じて疑わなかった。




才人とタバサの出番はまず間違いなくゼロ。

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