ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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姫さま半覚醒


その5

 とりあえず、あのジャイアントスコーピオンを倒さなくては話が進まない。そう述べて、アンリエッタはルイズに視線を向けた。え、と一瞬面食らった顔をしたルイズであったが、彼女の言いたいことを理解すると表情を引き締める。

 

「……正直、自信はないです」

「そう」

 

 それはよかった。そう言うと、アンリエッタはルイズの手を取った。先程より更に面食らった顔をした彼女を引っ張り、ジャイアントスコーピオンを睨み付ける。ルイズの手を離すと、懐に仕舞っていた己の杖を取り出した。

 

「貴女に全てを任せることにならなくて、ほっとしました」

「ひ、ひひひひ姫さま!?」

「何ですかルイズ」

「あれと戦う気ですか!?」

「勿論。ルイズと一緒に、ね」

「危険です!」

「言われなくとも」

 

 承知の上だ、と言われてしまえば、子供のルイズには彼女を止める良い言葉が出てこない。ぐぬぬ、と顔を顰め、あくまでサポートですからねと念を押す。それに何か言うことなく、アンリエッタは頷いた。身の程は弁えている、ということらしい。

 

「絶対に無茶したら駄目ですからね!」

「善処しましょう」

「絶対!」

「嫌」

「馬鹿姫!」

「はいはい」

 

 ああもう、とルイズはやけくそ気味に叫んで走る。目標は馬鹿姫ではない、ジャイアントスコーピオンだ、それを忘れるな。そんなことを己の心の中で反芻しながら、手にしている木剣を強く握りしめる。

 ルイズの攻撃範囲に来た辺りで、ジャイアントスコーピオンがようやく動き始めた。まるで誰かに命令されていたかのようなその動きを眺めたアンリエッタは、少しだけ考える素振りを見せる。ちらりとノワールを眺め、変わらず笑みを浮かべているのを確認すると少しだけ非難するような目付きで彼女を睨んだ。

 

「よくよく思い返せば、言っていましたわね」

「何をかしら?」

「おあつらえ向きに舞台が整った、と」

 

 ノワールの表情は変わらない。笑みを浮かべたまま、アンリエッタの頭をポンポンと撫でるのみである。よく出来ましたと言わんばかりのその行動は、彼女の考えが正しかったことを証明しており。

 

「分かりやすかったでしょう?」

「……その問いに対して首を縦に振るためには、まだわたくしは力不足です」

「あら、そう。まあ、大丈夫よ」

 

 殻は破ったでしょう、とノワールは微笑む。だといいですけれど、とアンリエッタは苦笑する。

 苦笑しながら、ルイズを援護するために水の鞭の呪文を唱えた。杖から生まれたそれがジャイアントスコーピオンへと叩き込まれるが、相手の甲冑のような甲殻にはビクともしない。意に介さず、目の前にいるルイズへと攻撃を続けている。

 

「だから無茶しないでくださいってば!」

「……ルイズのくせに生意気ですわ!」

「どんだけ横暴ですか姫さま!」

 

 こんちくしょう、とルイズは木剣をジャイアントスコーピオンへと叩き付けるが、当たり前のように弾かれる。折れないだけマシか、と舌打ちしつつ、しかしこれでは決定打がない。アンリエッタの呪文でも、ルイズの剣でも、目の前のサソリには通用しないのだ。

 ハサミが振るわれる。それをバックステップで躱したルイズは、そのまま一旦距離を取った。避け損なったスカートの端が切れているのを見て一瞬泣きそうになり、しかしすぐに表情を戻すとギロリとジャイアントスコーピオンを睨む。絶対ぶっ飛ばす。木剣を突きつけながら彼女はそう宣言した。

 

「そうは言っても、決め手は無いのでしょう?」

 

 ノワールが楽しそうに述べた。からかっているような、否、明確にからかっているその言葉を聞いたルイズはグリンと首を回すとうるさいと叫ぶ。クスクスと笑いながら、ノワールはそんな彼女の言葉を受け流した。

 

「さてアンリエッタ。貴女なら、どうするのかしら?」

「わたくしなら……?」

「ええ。理由を作ったのでしょう? ならば、そこに至るまでの障害の排除の仕方も、勿論」

「……今から、考えます」

「そう。頑張ってね」

 

 クスリと笑ったノワールを見て、アンリエッタはぐぬぬと唸る。そして同時に、目の前の女性の態度が無性に羨ましくなった。先程一瞬自分も掴みかけたあれを、あの余裕を、絶対に、己のものにしてみせる。そんな決意をこっそりとしつつも、彼女は全力で思考を巡らせる。

 魔法も物理も殆ど効かない。となれば他の方法を用意するしか無いのだが、生憎と援軍も秘密兵器もこの場にはない。出来ることは、工夫と機転の搦め手のみ。

 

「わたくしの魔法は通じない。ルイズの剣は弾かれる……」

「……せめて、本物の剣ならまだマシだったかも」

 

 アンリエッタの独り言に、ルイズの独り言が被る。それを聞いたアンリエッタは顔を上げると、杖を握り締め地面に向けた。木剣でないならばまだマシ。その言葉、嘘だったら承知しない。そんなことを思いつつ、己の精神力を振り絞って、苦手な属性の呪文を唱える。

 

「『錬金』!」

「姫さま!?」

 

 ぐらり、と体が揺れる。立っていられなくなったのか、ぺたりとその場に座り込んでしまったアンリエッタは、しかし目の前に突き刺さっているものを見て満足そうに口角を上げた。それを掴み、ルイズ、と隣の少女の名を呼び。

 

「これで……少しはマシなのでしょう?」

 

 それを、水のドットである自分が無理矢理土の呪文で作った剣を手渡した。

 

 

 

 

 

 

 ズシリと重い感触が手に伝わる。木剣とは違うそれを手にしたルイズは、分かりましたと頷き前を見た。剣と呼ぶにはいささか短い、ナイフ程度のその刃。それでもその輝きは、目の前のサソリを倒せるだけの力を秘めているような気さえする。

 

「いくわよこのサソリ野郎!」

 

 大地を蹴る。一気に間合いを詰めたルイズは、ジャイアントスコーピオンのハサミに向かってその刃を振り上げた。ガキンと甲高い音を立て、ルイズの刃とサソリのハサミがぶつかり合う。火花でも飛びそうなその激突は、しかし僅かながらルイズの方に天秤が傾いていた。

 吠える。凡そ幼い少女らしからぬ声を上げ、ルイズはそのまま刃を振り切った。切り裂くことこそ出来なかったものの、ジャイアントスコーピオンのハサミはその衝撃で弾かれ真上に跳ね上げられている。片側のハサミだけでは、真正面にある顔を防ぐには、少々足りない。

 

「もらったぁ!」

 

 一閃。横薙ぎに振るった刃は、ジャイアントスコーピオンの顔面に深く傷を付けた。片目が潰され、そのダメージで呻きながらヨロヨロと数歩後ずさる。だが、それも一瞬、すぐに体勢を立て直すと、反撃とばかりにハサミを振り上げ。

 

「ルイズ! 横に避けて!」

「え? あ、はい!」

 

 頭で理解する前に体が動いた。横っ飛びに距離を取ると、ジャイアントスコーピオンのハサミと尾が相手の真正面へと叩き込まれていく。地面がえぐれ土が飛ぶが、目標はすでにそこにはいない。

 ギチギチ、と甲殻同士が軋む音を立てながら、ジャイアントスコーピオンは獲物を真正面に捉えるために向きを変える。

 

「……成程」

 

 その頃にはルイズは既に側面へと移動していた。ハサミの付け根を狙い、思い切り刃を振り下ろす。断ち切ることは出来ずとも、その一撃は確実に相手に蓄積されていく。ルイズを振り払おうとそのハサミを動かすのと同時、ミチミチと嫌な音が彼女の耳に届いた。

 もう一撃、と刃をそこに叩き込む。関節が千切れ、ジャイアントスコーピオンのハサミがぶらりと垂れ下がった。そんなこと知らんとばかりに向こうはハサミを振り上げ、そして負荷に耐え切れずにボトリと落ちる。体液が飛び散り、本能なのか反射的に後ろに下がった。

 

「うげ」

 

 自分でやったのだが、それでも見ていて楽しい光景ではない。顔を顰め、一瞬目を逸らし、しかしすぐに向き直るとルイズは再度刃を構えた。が、先程までの攻防で既に満身創痍。罅の入ったその刀身は、恐らくもって後二撃程度であろうと予想された。

 ちらりとアンリエッタを見る。思考は回りルイズに真正面を避けるよう叫んだ彼女ではあったが、しかし未だへたりこんだままだ。もう一度刃を作ることは不可能であろう。それどころか、己の得意系統の呪文を唱えられるかすら怪しい。

 

「仕方ない、か。何とか二撃でぶっ倒す」

 

 そうと決まれば。もう一度足に力を込め、先程切り裂いた顔面にもう一撃食らわせてやろうと狙いを付けた。

 その直前、ルイズ、と彼女を呼ぶ声が聞こえ、振り返る。へたりこんだままのアンリエッタが、しかしどこか不敵な笑みを浮かべながら、彼女を真っ直ぐに見詰めていた。

 

「何ですか姫さま」

「貴女……杖は持っているかしら?」

「は?」

 

 いきなり何を言い出すのだ。そんなことを思いつつ、まあ一応持っていますとルイズは頷く。魔法も碌に使えない落ちこぼれとはいえ、それでも貴族の、メイジの証たる杖を持ち歩かないという選択肢はない。

 それは良かった、とアンリエッタは微笑んだ。立ち上がることは出来ず、しかし表情は笑顔を浮かべ、彼女は真っ直ぐに目の前のサソリを指差した。

 

「貴女の魔法、見せてください」

「……わたしは、魔法は」

「ええ、『爆発』するのでしょう? 唱えた、『目標』が」

 

 彼女は指差したままだ。目標を指差したまま、ルイズの魔法がどうなるのかを彼女自身に語ってみせた。その意味が分からず目をパチクリとさせていたルイズも、やがて意味を理解したのか非常に嫌そうな顔をする。

 そんな彼女に向かい、アンリエッタは微笑んだ。何かを吹っ切ったように、今までとは違うと言い聞かせるように、彼女は微笑んだ。

 

「使えるものは使う。態勢を取り繕うのは、その後でも構わないでしょう?」

「……それ、トリステインの貴族が聞いたら怒りますよ」

「いいのよ。そういう連中は、これからきっと見栄を張って転がり落ちていくのですから」

 

 ゾクリ、とルイズの背筋に何か冷たいものが走った。彼女の後ろで佇んでいるノワールを見て、楽しそうに笑っているのを確認すると思い切り睨み付けた。勿論何の効果もなく、ルイズは諦めたように溜息を吐く。

 

「姫さま」

「何? ルイズ」

「わたしは、認めませんから」

「ええ。……貴女は、そうでなくては」

 

 そう言うと、お互いに顔を見合わせ笑った。笑い合い、視線を相手に戻すと、ルイズは自身の杖を取り出す。とりあえず相手に確実に当たればいい。適当なコモンマジックで構わないだろう。そんなことを思いつつ、彼女は短く呪文を唱える。

 

「『ロック』!」

 

 瞬間、ジャイアントスコーピオンの顔面が爆発した。突然の衝撃で反射的にハサミを振り回すが、当然のごとくそこには誰もいない。そうこうしている内に追撃の爆発が二度三度と叩き込まれ、もう片方のハサミも吹き飛んだ。

 そのタイミングで、ルイズは一気に大地を駆ける。砕ける寸前のその刃をしっかりと握り締め、焼け焦げたジャイアントスコーピオンの顔面に向かい。思い切りそれを振り上げた。

 

「これで……終わり!」

 

 刃の砕け散る音と、目の前の魔獣が動かなくなるのが、ほぼ同時であった。

 

 

 

 

 

 

「思うんですよね」

 

 はぁ、とルイズは溜息を吐く。凡その昔語りを書き終えたその紙束を眺めながら、先程の昔話を思い出しながら。彼女は目の前の魔王を眺めた。

 

「あの時、わたしが喧嘩をしなければ。姫さまは昔のままだったんじゃないかって」

「あら。ルイズはあの頃のわたくしの方がいいと?」

 

 問い掛けながらアンリエッタは笑う。ぐ、とそれに一瞬口篭ったルイズであったが、しかし前を見るとそうかもしれませんねと言い放った。その答えに別段何か反応をするでもなく、アンリエッタは笑みを浮かべたまま先程の話の続きを記述していく。

 

「ねえ、ルイズ」

「何ですか」

「わたくしは、今の自分に満足しています」

「でしょうね」

 

 言われるまでもない。そんなことを思いながら肩を竦めたルイズは、しかしアンリエッタが存外真剣な顔をしているのを見て姿勢を正した。同じように少しだけ表情を真面目なものに変え、ルイズは彼女の言葉を待つ。

 

「あの時のままならば、夢見る少女のままでいたのならば……それはそれで、きっと色々なものを手に入れられたことでしょう」

 

 でも、と呟き、そこで一旦言葉を止める。記述を優先したのか、アンリエッタはそのまま暫し無言でペンを走らせた。

 あの後の顛末は、概ね想像通りである。ジャイアントスコーピオンの始末が終わったアンリエッタは、助けたゴロツキを正式に犯罪者として捕縛した。男達を助けた理由は、魔獣に殺されたら罰することが出来ない、というもの。まあ最初はそのくらいでいいでしょう、とノワールは微笑み、アンリエッタはその言葉に礼を言う。

 この時の邂逅はこれで終わり。後日アンリエッタが正式に師事するためにノワールを訪ねることとなるのだが、その頃には既にほぼ今の彼女なので今回の記述には含めないらしい。

 ふう、と息を吐く。視線を紙束からルイズに戻すと、アンリエッタはクスリと微笑んだ。

 

「今、この手に集まっているものは、そちらのわたくしでは手に入れられなかったかもしれないでしょう?」

「……まあ、それは、そうですけど」

「貴女だってそうではありませんか。今のような姿ではなく、メイジとして、魔法を使うことを諦めなかったとしたら」

「いや、わたし魔法諦めてませんから」

「あら、そうなの。それは失礼」

 

 最近杖らしい杖を持ち歩かなくなったからてっきり。そんなことを続けながら、彼女はコロコロと笑う。あからさまな挑発に顔を顰めたルイズであったが、ここでそれに乗ったら思う壺だと拳を強く握り締めた。

 そうしながら、成程確かにと彼女の言葉を暫し頭でこねくり回す。魔法にこだわり続けていたのならば。母親が修業を付けるという選択肢を取らなかったら。

 それはそれで、ひょっとしたら恋する乙女的な少女になっていたかもしれない。でもその代わり、一緒に馬鹿をやる仲間は手に入らなかったかもしれない。あくまで可能性の話、その場合でも手に入る可能性も充分ある。が、ならそちらへ今からやり直せるので行くのかと問われれば。

 

「あー、うん」

「どうしたのです?」

「姫さまの言ったこと、何となく分かった気がします」

「そう」

 

 それは良かった、とアンリエッタは笑う。書き終えた原稿を一纏めにすると、後で本に装丁しないとなどと言いながら箱に仕舞いこんだ。

 そうした後、お疲れ様、とルイズを労う。時間は既に深夜、どうやら少女の思い出の記述というのは、思った以上に深く濃密なものであったらしい。

 

「今日は王宮に泊まっていくといいでしょう」

「言われなくても、そうしますよ」

 

 ううんと伸びをする。既にルイズの中ではこの部屋のソファーあたりで夜を明かしてもいいかということになっているらしい。それでいいなら、とアンリエッタは何も言わない。部屋はきちんと用意してある、ということは、口に出さない。

 

「ねえ、ルイズ」

「何ですか?」

「わたくしはこれでも、貴女に感謝しているのですよ」

「へ?」

「ありがとうルイズ。貴女がいたから、わたくしはわたくしになることが出来た」

 

 からかいは全く無い。それが分かるから、ルイズも気恥ずかしくなって思わず顔を逸らしてしまう。別に大したことをやった覚えもなければ、彼女を真っ当な道に案内したつもりもない。むしろさっき言ったように魔王へと背中を後押ししてしまったくらいだ。

 

「……わたしはきっと、姫さまの邪魔ばかりしていますよ」

「それでも。助けられたことの方が大きいのだから、ありがとうなのですわ」

 

 アンリエッタの言葉に迷いはない。微笑んでこそいるものの、普段のものとは違う、昔の、幼い頃のような笑みを浮かべている。

 クスリ、とルイズは笑った。なら、素直に言われておきますと微笑んだ。そうして頂戴とアンリエッタも笑みを強くさせ、暫し二人はお互い笑い合う。

 そうしてひとしきり笑い合ったルイズとアンリエッタは、では解散としようと席を立った。アンリエッタは自室へ、ルイズは適当に眠れる場所へ。

 

「では、おやすみなさいルイズ」

「ええ、おやすみなさい姫さま」

 

 ドアを開け、お互いに部屋を出て。ルイズは左、アンリエッタは右に足を進める。背を向け合い、顔を見ることもせず、しかし二人は思い付いたように言葉を紡ぐ。

 

「――大っ嫌いよ、大切な『おともだち』」

「――大っ嫌いです、大事な『おともだち』」




魔王エンド

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