洞窟の中は、思った以上の広さであった。人が内部で暴れるには十分過ぎる、むしろ人以上の何かのためのスペースなのではないかと思わせるほどの、それほどの広さ。とはいえ、そんなことはルイズ達には何ら関係がない。よしんば人以上の何かが暴れたとして、だからどうしたと、倒すことには変わりないと、胸を張って言い放つほどである。
「ねえ、ところで」
そんな洞窟を歩きながら、ルイズは気付くと追加されていたメンバーへと顔を向けた。何ですか、とその追加メンバーは勝手知ったるとばかりに涼しい表情で彼女を見やる。
「アンタがいるってことは、ロマリアもこの件に噛んでるってことでいいの?」
「そうですね。……一応、そう取ってもらっても構わないかと」
正確には己の主の独断である。が、今のロマリアは表のヴィットーリオ裏のジョゼットと言っても過言ではない状態。となればあながち間違いでもないだろう。そう彼女は判断したのだ。
とはいえ、まだ全面的に洞窟の奥にいる相手と事を構える意思はロマリア自体にはない。それを分かっているからこその『地下水』単体出動なのだ。尚、多分に余計な理由がついて回っていることも、何となく彼女は察している。
「ま、いいわ。戦力が増えるのは願ったりよ」
よろしく、と笑みを浮かべるルイズを見て肩を竦めた『地下水』は、相変わらずの脳天気ですねと溜息を吐いた。だが、そこに嫌悪は微塵もなく、むしろ。
と、そこで薄く笑っていた表情を引き締めた。ルイズも同じように表情を真剣なものに変え、洞窟の奥を睨んでいる。キュルケやタバサ、才人やアニエスも同じく、後少し進んだ先にあるものを察していた。
ゆっくりと歩みを進める。コツンコツンと足音が響く中、六人はようやくそこへと辿り着いた。遅かったな、と笑うメンヌヴィルと、静かに佇むミノタウロス。そして。
「……リッシュモン……!」
アニエスが低く、それでいてよく響く声でその男の名を呼んだ。対して呼ばれた方は、ちらりと彼女を一瞥するのみで何も言わない。視線を一行の中心人物であるとあたりをつけた者へ向けると、これはこれはと言葉を紡いだ。
「何か御用ですかな、ヴァリエール公爵様のご息女」
「……そうね、わたしの用はたった一つよ」
背中のデルフリンガーを引き抜く。それを真っ直ぐ突き付けると、ギロリと彼女は目の前の男を睨み付けた。それに合わせるように、使い魔である才人も刀の鯉口を切る。
「アンタを、ぶっ倒しに来た」
「……く、ははははは!」
「何笑ってんのよ」
「これが笑わずにいられようか。そもそも、入り口の竜共を蹴散らしてきた時点でそんなことはとうに分かっている。だというのに、何も飾らず、そのような啖呵を切るとは……。いやはや、まったくもって愚かしい」
あの下劣なアンリエッタ王妃に相応しい友人だ。そんなことを言いながら、リッシュモンは笑い続けた。そうしてひとしきり笑うと、彼は心底見下した視線をルイズに送る。それがルイズには癪に障り、顔を顰めると一歩前に踏み出した。
「ルイズ」
「あによ」
「落ち着け」
「……アンタに言われなくても分かってるわよ」
そうは言いつつ、ふんと鼻を鳴らした彼女は才人の言うようにそこで止まる。ちらりと視線を左右に向け、皆が臨戦態勢を取っているのを確認した後息を吐いた。
とはいえ、ではこれから何をするかといえば。既に話すことなど何もない。用事は先程ルイズが言ったようにリッシュモンの討伐である。そういう意味では、彼女の行動は何ら間違っているものではなかった。
だがしかし。それでも一歩踏み出さないのには理由があった。それはメンヌヴィルやラルカスの存在であるし、リッシュモンがこれみよがしに掲げている指輪と宝玉であった。得体の知れている強敵と、得体の知れない物体。これらを前にして愚直に前に出るのは、向こうの言う通り愚かでしかない。
「ミスタ・ラルカス」
「ん? 何だね?」
キュルケはミノタウロスの姿をしている男に声を掛ける。凡そ戦う気のない声が返ってきたのを確認すると、彼女は少し質問いいかしらと微笑んだ。
ラルカスはちらりとリッシュモンを見る。好きにしたまえ、という答えを聞き、そういうわけだと肩を竦めた。
「では遠慮無く。あの指輪と宝玉は、何かしらぁ?」
ルイズが伝染ったのか、キュルケも質問に何ら飾りがなかった。ピクリとその質問で眉を上げたラルカスは、再度ちらりとリッシュモンを見る。見下したような視線で向こう側を見ているのを確認し、まあいいだろうと一人頷く。どうせ自分が述べずとも、そこの男は語るだろう。そんなことを思いつつ、どちらが愚かなのだかと思いつつ。
「あの指輪は、『アンドバリの指輪』。ラグドリアン湖の秘宝で、極めて強い水の精霊の力が宿っている。生物を自在に操ることも、死者に偽りの命を与えることも可能だ」
とはいえ、それだけでは不十分。そんなことを言いながら、ラルカスはもう一つの水晶のようなものへと視線を移す。あちらはそう大したものではないが、と前置きをしつつ再度キュルケ達へと向き直った。
「精霊の涙を私の技術で凝縮、結晶化させたものだ。アンドバリの指輪の効果の増幅装置とでも思ってくれればいい」
そこで彼は言葉を止める。分かってくれたか、と言わんばかりの表情で一行を見たが、生憎とそれで何が分かるかと言えば。
どういう意味よ、とルイズはラルカスに食って掛かった。水の精霊の秘宝とそれの増幅装置を使って何をしようとしているのか。その肝心な部分を語らない彼に、彼女は文句を言い放った。
が、対するラルカスはやれやれと肩を竦めるのみ。そんなものは見れば分かるだろうと言わんばかりの目で彼女を見ると、溜息を吐きながら視線を自身の背後へと向けた。洞窟の奥、行き止まりになっているその場所。
そこにある、巨大な岩へと目を向けた。
「君達が気付かないはずがないだろう。『これ』を、制御するためだ」
低く唸りを上げるような音を立てているその巨大な岩は、竜の形をしているように見えた。
それが何か。ルイズ達には分からない。だが、良くないものであることだけは理解出来た。そして、それを制御しようなどと言い出す目の前の連中は狂人であろうということも思った。あのアンリエッタであっても、これを制御するくらいならば解体し何かしらの材料にすることを選ぶはずだ。ルイズの結論はこうであった。
「正気?」
だからルイズはそう述べた。苦笑するラルカスを見ながら、そう問い掛けた。
「少なくとも、あの魔王よりは余程正気だよ」
そしてそれに答えたのは彼ではなくリッシュモンであった。ふん、と鼻を鳴らしながら、どこか自慢気に竜の形をしたその岩に手を触れる。
「これは、抑止力だ。振るわずとも、強大な力を行使出来るという事実さえあれば、それだけで強力な武器になる」
「……どういう意味よ」
「分からんかね? これがあれば、私を害そうとする輩を労せず排除出来るというわけだよ」
君達のようなね、とリッシュモンは付け加える。理解出来たかな、と出来の悪い生徒を教える教師のような口調で言葉を続ける。
そうして、彼は手で彼女達を追い立てる仕草をした。分かったならばとっとと去れ。そう言わんばかりの行動をした。
「一応、忠告するぞ。もし向かってくるのならば、私の雇い主はその力を振るう。そこのメンヌヴィルも手を出すだろう。……それでも、やるかね?」
ルイズがデルフリンガーを握る手を更に強くさせたことに気付いたラルカスは、リッシュモンとはまた違う口調でそう述べた。こちらの身を案じているようなその態度は、リッシュモンには無粋に見え、ルイズ達には好ましく映る。が、だからといってそれでやることが変わるはずもない。
当然、とルイズは再度剣を構え直した。肩に担ぎ、腰を軽く落とす。きっかけがあれば、一足飛びで相手の懐に飛び込み斬って落とす。そう体で述べていた。
そうか、とラルカスは溜息を吐くと斧を取り出した。待ってましたとばかりにメンヌヴィルが自身の杖を構えた。それに合わせるように、才人も、キュルケも、タバサも。『地下水』とアニエスも各々の得物を取り出し構える。
そうして全員が臨戦態勢を取ったのを見て、リッシュモンはやれやれと頭を振った。
「これを見て尚も抵抗するか。……やはり、少しはその威力をみせてやらねば止まらないとみえる。あの駄王妃も、そうであろう」
指輪を掲げた。それに合わせるように空気が振動し、彼の背後にある岩が脈動する。ギシギシと音を立てながら、竜の口がゆっくりと開かれた。
咆哮が響き渡る。本来何ら殺傷能力を持たないはずのそれが、強烈な破壊力を持って洞窟に吹き荒れた。
「おいおい雇い主様よ。まだこっちのお楽しみが終わってないんだ、自重してくれよ」
「リッシュモン殿、あまり多用されるな。暴走の危険性は未だ孕んでいる」
「分かっている。ちょっとした狼煙だ」
ふん、と鼻を鳴らすとリッシュモンは一歩下がった。そう言うからには、きちんと働いてもらうぞ。そう続けながらメンヌヴィルとラルカスを見た。
了解、と二人はルイズ達より先に踏み出した。先程の咆哮で一瞬足が止まったのが災いしたのだ。ルイズとキュルケ、タバサは瞬時に立て直したが、残りの三人はそれより少しだけ遅い。その差が、致命的な隙を産んだ。
「カカカカッ! 貰ったぞ小僧!」
「させない」
メンヌヴィルの火炎は竜巻により掻き消された。む、とその方向を見ると、ルイズ達とは違い、こちらを睨み付けているタバサの姿が彼の左目の視界に映る。ニヤリ、と口角を上げたメンヌヴィルは、トントンと杖で自身の肩を叩きながら彼女へ向き直った。
「よう嬢ちゃん。あの時の借りを返してやるって面だな」
「勿論」
「ちょっと待ってください。私もあれには借りがあります」
「俺だってあるっての」
それはいい、と戦いを始めようと思った矢先に立ち直った二人の乱入である。タバサはジト目で『地下水』と才人を睨み、彼女と彼は知ったこっちゃないと目の前の男を睨んでいる。
「じゃあ、三分の一ずつで」
「仕方ないですね」
「乗った」
「はっは! やれるもんならやってみな」
言うが早いかメンヌヴィルは巨大な火炎竜巻を生み出した。洞窟ごと蒸し焼きにしてやると言わんばかりのその炎は、真っ直ぐに三人へと飛来し。
嘗めるな、とばかりのタバサと『地下水』による水竜巻で打ち消された。瞬時に蒸発した水が、一瞬ではあるが霧となり視界を覆う。その影響は対峙している四人だけではなく、当然残りの面々にもあり。
「アニエス」
「アニエスさん」
「……何だ」
加勢しようと武器を構えていたアニエスに、タバサと才人は声を掛けた。今の内に、リッシュモンの方に向かえ。彼女にだけ聞こえる程度の声量で、二人は揃ってそう述べる。
「多分、ルイズ達もそうしてるから」
「やっぱあいつを倒す役目はアニエスさんじゃねぇと」
じゃあそういうことで。そう言って手をひらひらさせた二人は、呆れたような表情をしている『地下水』と共に前に駆けた。アニエスへと振り向かずに、メンヌヴィルへと向かっていった。
すまない、とアニエスは呟く。視線を三人から外し、巨大な竜の岩の傍らに立っている復讐相手へと足を向けた。自身の剣を確かめ、己が牙が健在であることを確認し。
ちょうど飛び出そうとしているルイズとキュルケに揃うように、駆け抜けた。
「ったく。やっぱり旦那は乗り気じゃないか」
晴れた視界の先であっさりとすり抜けられたラルカスを見たメンヌヴィルは、そう言って肩を竦めた。まあいい、とすぐに視線を手前に戻し、突っ込んでくる才人の刀を鉄の棒で受け止める。以前より更に鋭くなったその一撃を、彼は嬉しそうに弾き返した。
「いいぞ小僧。燃やし甲斐がある身体に育ったなぁ」
「だから嬉しくねぇっつーの!」
崩されたバランスをすぐさま戻し、悪態をつきながら刀を鞘へと仕舞い込む。腰を落とし、前傾姿勢になると同時に抜刀した。高速の踏み込みからの居合い斬りは、確実にメンヌヴィルの虚を付いていた。
が、しかし。真っ直ぐに彼を見ていた火竜の左目は、彼が呪文を紡ぐよりも早く炎を発生させ才人の攻撃を鈍らせる。構わんと振り抜いたものの、メンヌヴィルの回避可能な状態にまで減じられていた。
「ちぃ!」
「では、次は私です」
才人の背後から氷の刃が飛来する。器用に彼を避け、目の前の敵のみを射抜かんとしたそれは、当たれば大怪我では済まない。それでもメンヌヴィルは笑みを浮かべ、自身の杖である無骨な鉄の棒を掲げると前の前に炎の障壁を生み出す。壁に突き刺さったナイフは尚も抵抗を見せていたものの、やがてドロリと溶解していった。
「ダメ押し」
ならば、とその壁に氷の竜巻がぶち当たる。衝撃でナイフの刺さっていた箇所に亀裂が入り、砕け散るように炎が掻き消えた。その頃には既にメンヌヴィルは離脱しており、タバサの攻撃は洞窟の地面を抉り取るに留まった。
一巡した。才人は既に避けたメンヌヴィルへと駆けており、その刃は目の前の相手を切り裂かんと振り被られている。織り込み済みだ、と炎を纏った杖でそれを押し返したメンヌヴィルは、そのすぐ後ろで短剣を構えているメイドを見て左目を見開いた。
「死ね。殺人狂」
「ふん。まだまだこの程度ではなぁ」
突き出された短剣を左手で受け止める。手の平を貫通した刃を無理矢理押し返し、才人共々左目で燃やした。刺さっていた短剣は氷で出来たものであり、その余波で蒸発したものの、裂傷は当然ながら消えることはない。ち、と短く舌打ちをすると、その部分を軽く焼いて止血した。
「これで左手は使いにくくなった」
「それは、どうかな」
タバサが杖を突き出す。『ブレイド』により水の刃が纏わされたそれは、杖を持っている彼の右手へと狙いを定めていた。同じくブレイドで刃を形成したメンヌヴィルはそれを受け止め、先程才人達にやったように火竜の左目で炎を生み出そうとタバサを睨む。
そのタイミングで、才人が拳を振り被っていた。左目の視界一杯に彼の拳が見え、そしてすぐさま真っ暗になる。一瞬だけ星が飛び、そして自身の体も少しだけ飛んだ。
「何で拳?」
「刀落とした!」
「馬鹿ですねお前は」
呆れたようにそう言いながら、『地下水』もまた体勢を崩したメンヌヴィルの顔面に蹴りを叩き込む。大男にハイキックを叩き込んだことで彼女のスカートは盛大にめくり上がっていたが、幸いな事にそれを見ていた男性は才人のみであった。追撃を受けたメンヌヴィルはぐらりと揺れ、だが倒れることなくのけぞっていた体を元に戻す。
その鳩尾へと、タバサが全力で杖を捩じ込んだ。
「かはっ――」
「何で全員物理攻撃なんだよ」
「お前が言うな」
「うん」
呆れるほど下らない会話をしながら、三人はそこで少し下がる。片膝を付いたメンヌヴィルが、先程とは違う表情をしていたのに気付いたからだ。
獲物をいたぶる狩人から、相手を打ち倒すメイジへと。
「久しぶりだ。これほど相手を燃やしたくなったのは……隊長以来か? く、くくくくっ……! 感謝するぞ、お前達」
ひゅん、と杖を振る。無理矢理傷を塞いだことなどまるで苦にならないように両の手でその鉄の棒を握ると、それを真っ直ぐ前に掲げた。
「――ああ、嗅ぎたい。お前達の焼ける匂いを、嗅がせろぉ!」
炎が吹き荒れる。彼の言葉を体現するように、縦横無尽に彼を彼女を焼き尽くさんとうねりを上げる。
そして勿論、そんな言葉など聞いてたまるかと言わんばかりに、刀を拾い上げた才人も、多数の氷のナイフを構える『地下水』も、杖に呪文を纏わせたタバサも。
「やなこった!」
「お断りです」
「やだ」
相手に向かって、その一撃を叩き込んだ。
あの岩は一体何シェントドラゴンなんだ……