何だこりゃ、とタバサは顔を顰める。ルイズの悲鳴が聞こえてきたので駆けつけてみれば、カエルの化け物が泥から不思議な格好をしたルイズと『地下水』を作り出していたからだ。水兵服らしき上着とスカート。一体全体何であんな格好をしているのだろう、と彼女は首を傾げた。才人の思考だということは分かっている。
「あれは、ジョシコウセイの格好ですね」
「……何それ?」
隣で同じように眺めていたジョゼットは、そんなタバサとは対照的に興味深いものを見たという表情で眺めていた。ついでに聞き覚えのない単語も飛び出す。益々頭に疑問符が浮かんできたタバサは、とりあえず尋ねてみることにした。流石にこれをもったいぶることはしないだろう、そんな身内の馬鹿共とは違うのだという確信を持って。
「わたしは遠い異国の書物も多数集めているのですが、その中に同じ格好をした女性が出てきていたんです。恐らく、向こうの学生の制服か何かだと」
「成程」
つまりジョシコウセイなる存在は、才人の国の女学生なのだ。彼が見慣れている格好を向こうのカエルの化け物がトレースして再現したのだろう。そんな結論をとりあえず出した。
変態だの誤解だだの、そういう会話は聞かなかったことにした。
「それで『地下水』、これは一体何事?」
「おやお嬢様。ご無事でしたか」
「ええ、おかげさまで」
どうやらジョシコウセイの格好をしている泥人形は才人にしか狙いを定めていないらしく、ターゲットではない『地下水』は一歩下がって手を出すことすらしない。ジョゼットはそんな彼女に近付くと、とりあえず現在の状況の説明を求めた。
承知しました、と『地下水』はこうなった経緯を簡単に語る。曰く、あれはコボルトの『神』らしい。曰く、あれは人間の生肝を好むため自身は対象外らしい。曰く、獲物の思考を読み取り泥を使って再現し、それに気を取られているうちに捕獲、捕食を行うらしい。
あれを呼び出したコボルト・シャーマンは暴れている神に踏み潰され死んだので、どういう経緯で生まれたのか、正体は何かなどの詳細は一切不明らしい。
「それは厄介ですね」
「はい。あれを単純に始末してしまえばいいのか、そもそも始末出来るのか。その辺りが何とも」
「……とりあえず倒してから考えれ――違う、今の無し」
ん? とこちらに視線を向けた二人にブンブンと首を振ると、タバサは盛大に溜息を吐いた。駄目だ、これでは駄目だ。これでは悪友のピンク髪と一緒ではないか。そんなことを心の中で反芻しながら、彼女は必死で冷静さを取り戻そうと周囲を見渡しながら深呼吸をする。
その途中、離れた場所で観客になっている四人を見付け、何やってんだお前らと詰め寄った。
「武器、取られちゃったのよぉ」
代表者キュルケの簡潔な一言で、ああそういうことかと彼女は頷いた。ついでに物陰で蹲って耳と目を塞いでいるピンク髪を一瞥し、コボルトの神を再度見て色々察した。どうやら今回、この脳筋娘は役立たずだ、と。
しょうがない、とタバサは再度溜息を吐く。じゃあちょっと倒してくる。そんな軽い物言いでヒラヒラと手を振ると、彼女は再びカエルの化け物へと足を進めた。
「用事は終わりました?」
「……ん」
ジョゼットの言葉に頷いたタバサは、杖を構えると更に一歩前に出る。やる気のようですね、という言葉に再度頷き、ジョゼットに危険だから下がっていろと言い放った。
「あら、こう見えてもわたしは」
「お嬢様、邪魔なので下がっていてください」
「――『地下水』」
「お嬢様。貴女は私達の主人です。後方で、私達を手足のように使いふんぞり返っているのが仕事です。そこを、違えぬよう」
目が明らかに笑っていない笑顔のまま彼女の名を呼んだが、『地下水』は平然とそう返す。言葉を返さず暫し無言でいたジョゼットは、やがて唇を尖らせると分かったわよ、と後ろに下がっていった。それでもキュルケ達の方に行かず、あくまで後方支援も可能な距離を保っているのは、恐らく彼女なりの反抗なのだろう。
「さて、では行きましょうか」
「……いいの?」
「お嬢様ですか? あの程度でどうにかなるような心ならば、とうにロマリアで食い物にされていますよ」
それもそうか、とタバサは思い直す。ナイフを構えた『地下水』からコボルトの神へと視線を戻すと、さてではどうするかと目を細めた。
現状は才人の思考を読んでいるので自分に関する『村人』が生成される可能性は低い。とはいえ、近付いて攻撃をすればそこからこちらも対象に含まれることも十分あり得る。では読まれても問題ないよう思考を誘導すれば。そこまで考え、それがあまり意味を為さないものであると結論付けた。ジョゼットの実験で向こうの特性はある程度把握しているのだ。その思考通りに泥から作ってくれる保証はどこにもない。
「……とりあえず」
「はい」
「向こうがサイトに気を取られているうちに、出来るだけダメージを与えようと思う」
「賢明ですね」
揃ってコクリと頷くと、タバサと『地下水』はコボルトの神、カエルの化け物に向かって一気に駆けた。
氷柱を多数生み出し、カエルの土手っ腹へとぶち込む。ドスドスと音を立ててそれらは突き刺さっていったが、当の神は特に気にした風もなく泥人形と戯れる餌を眺め続けていた。
「……」
「ふむ」
試しに、と『地下水』も氷のナイフをタバサが突き刺した部分と同じ場所に打ち込んだが、やはり何か反応を示すことはなかった。セーラールイズとセーラー『地下水』に抱き付かれ動けなくなっている才人を見て、そろそろ頃合いかとゲコゲコ喉を鳴らすのみである。
「とりあえずあのバカが食われたら、次は貴女ですね」
「わたしが餌になるかどうかはともかく、その前にどうにかしなくちゃいけない」
「……そうですね」
ちらりと彼女は才人を見る。少女二人の姿を模した泥人形にもみくちゃにされているのが視界に入り、ピシリと音が立つかのごとく顔を顰めた。一応言っておくが、彼は彼で真面目にピンチである。
数で押すのでは駄目だ、とタバサは考えた。息を吸い、吐く。杖を振り、大きく頑丈な氷の槍を一本生み出すと、まずはこれだと言わんばかりに投擲する。先程とは桁違いの盛大な音が鳴り響き、カエルの横っ腹に穴が空いた。ひび割れたそこから泥が溢れ、朽ちた神殿の床を染めていく。
そこでコボルトの神はようやくタバサを害と認識したらしい。餌の邪魔をするな、貴様も餌のくせに。そんなことを言わんばかりの視線を向け、大きく口を開け、巨大な舌を伸ばし押し潰そうとする。
それをステップで躱し、もう一丁と再度『ジャベリン』を唱えた。普通のメイジの同呪文とは比較にならない氷の槍が再度生み出され、真正面のカエルの面に叩き込まんと力を込める。
タバサ、上よぉ。そんな声が聞こえたのはその時である。親友のその言葉に反応した彼女は、奇襲か、と思わず視線を上に向けた。
「あれ?」
「今の偽物ぉ!」
天井しか見えないので間抜けな声を発してしまった彼女は、本物のキュルケの言葉に慌てて視線を戻した。役目が終わって泥に戻るキュルケ人形の残骸が見え、やりやがったなと舌打ちをする。
そして向こうの舌に打たれて盛大にタバサは吹き飛んだ。
「ちぃ……」
救出が間に合わなかった。伸ばしかけていた水の鞭を引っ込めた『地下水』は、まああの連中だから死にはしないだろうと意識をカエルに戻す。向こうにとって餌でもなければ有効打を与えた害でもない自分は興味の対象外。だからこそ、この状況を打破する一手を撃ち込むならば自分が適任だ。そんなことを考えていた。
が、生憎目の前の化け物をどうにかするような一撃を放てる力は彼女にはない。どちらかというと手数でどうにかするタイプの『地下水』は、向こうの粘液にまみれた体を突破出来ないのだ。
「……まあ、やってみてから考えれば」
思わず呟き、そして笑った。ああ、随分と毒されているな。そんなことを考え、クスクスと笑った。
さてでは早速、と呪文を唱え始めた『地下水』は、そこで気付いた。そういえばあの横っ腹に穴があるじゃないか、と。
カエルの横に回る。泥人形ごと舌に巻き取られた才人がもがいているが、そんなことはどうでもいいと穴を見る。傷が塞がっていないのは再生能力以上の攻撃を与えたからか、それとも。
「まあ、やってみてから考えればいいでしょう」
再度呟く。氷のナイフ、というより剣を多数生み出した『地下水』は、その穴に向かってそれらを一気に叩き込んだ。強制的に穴が押し広げられ、そこから溢れる泥の量が更に多くなる。床は既にぬかるみに近く、気を抜くと足を取られてしまいそうだ。
悲鳴が響いた。ぐらりと揺れたカエルは地に倒れ、衝撃で巻き取っていた才人を離してしまう。餌を手放してしまったカエルは恨めしそうに一鳴きし、体を起こすと『地下水』を睨み付けた。どうやら餌にもならない純粋な害として認定されたらしい。
だが、遅い。最初から邪魔者を全て始末してから行動を起こせばよかったであろうに、それを後回しにしてしまった。餌になり得る人間は生きたままでなければならないという本能を持っていたために、始末を怠ってしまった。
泥の塊を吐き出し、舌を伸ばし。それらで彼女を押し潰そうとするが、『地下水』はヒョイヒョイと軽くそれらを躱す。元々疑似餌で釣って捕食をするような怪物である。純粋な戦闘力は同ランクの魔獣と比べても若干落ちる。
「そろそろ、いいですか?」
「ん」
背後に声を掛けた。水で流した床を足場に、『地下水』は跳び上がる。彼女の邪魔にならないように距離を取る。ついでに、さっきからいいとこなしのアホにも声を掛けた。
「サイト! いい加減にしろ」
「だーもう! 分かってるっつの!」
衝撃で若干溶け始めているセーラールイズとセーラー『地下水』を引き剥がし、泥まみれになった才人は刀を思い切り握ると跳躍した。何故跳び上がったかといえば、直線運動では巻き込まれる恐れがあるからだ。
「吹き飛べ」
いつになく怒りの表情を浮かべている、タバサの氷の竜巻に、である。泥ごと、ぬかるみごと凍らせん勢いのそれを真正面から食らい、カエルの表面にヒビが入る。後はダメ押しの一撃を当てれば終わる。ただ、普段その役割をする人物は柱の陰で蹲ってプルプル震えている。
だから、今回はその役割を別の誰かがやらなくてはならない。
「たまには俺も、いいとこ見せないとな!」
どっせい、と才人の一閃はカエルの化け物を唐竹割りにした。ふん、とそんな彼を『地下水』は見ながら鼻で笑い、タバサはまあまあかな、と口角を上げた。
地響きが起こる。何かが崩れる音がそこかしこから響き渡り、そして暫くすると辺りは静寂を取り戻した。
これまでの『村人』と同じように泥となって砕け、溶解していくカエルの化け物を眺めながら、ジョゼットはふむ、と顎に手を当てた。
「これが元凶かと思ったのだけれど、少し違う……?」
思考を読んで泥から作り出す、という能力の結果生まれたのがあのコボルトの神だったとしたら、そもそも前提が崩れてしまう。そしてその場合、更なる元凶が存在することになってしまう。
一応最悪の状況は想定しておくとして、事態そのものは解決を迎えたようなので今はよしとしよう。そう結論づけ、彼女はタバサへと近付いた。
「お疲れ様です」
「ん。ありがとう」
ニコリと笑みを浮かべたジョゼットに対し、タバサはどこか浮かない顔である。どうやら同じことを考えたのだなと彼女は判断し、まあ気にしないことですと声を掛けた。かもしれない、とタバサは頷く。そして視線をジョゼットからカエルの残骸に向けた。
「あれは?」
何かが光った。水と風でそこの泥を吹き飛ばしてみると、ルイズ達の奪われた武器が落ちていた。ジャネットとドゥドゥー、キュルケの杖と、そして。
「やってらんねー! やってらんねーぜ俺っちはよぉ! あの泥ガエルの体内に飲み込まれて碌に活躍も出来なかったじゃねぇか。まあ、カエル相手に相棒が何か出来たとも思えねぇけどよぉ」
ようやく息が出来たと言わんばかりに鍔をカチャカチャ鳴らすデルフリンガー。そしてその声に気付いたルイズ達は、若干嫌そうな顔をしながら戻ってきた己の武器を手に取った。
汚くない? というルイズの遠慮ない問い掛けに、デルフリンガーはざっけんなと返した。
「おめぇらがカエルの胃液とかそういうので俺っちが汚れてると思ってんだったら大間違いだ。ありゃ泥の塊だぜ、大昔の魔獣を再現しただけのな」
「知ってるの?」
タバサが問う。横ではジョゼットがそのやり取りを興味深そうに眺めていた。
「まあこっちも飲まれてたんで詳しいことは分からないけどよ。コボルト・シャーマンの儀式と、元々ここに眠ってた大量の土の精霊石を媒介に、あれがやらかしたんだろう」
向こうを見ろ、とデルフリンガーは述べる。向こうってどっちよというルイズの言葉に詳しい位置を口頭で述べつつ、よく見ろ、と差したその先には。
何処かで見たような、成人男性の拳大もある奇妙な岩が転がっていた。
「ん? これって」
「おう、相棒の予想した通りだ」
ひょい、とルイズはそれを拾い上げる。まるで鱗のようなそれは、間違いなくこの間の冒険で拾ったものと同じだ。
「エンシェントドラゴンの破片、ですか」
ジョゼットの目が細められる。それはアンリエッタの悪戯とも、ジョゼフシャルルの悪巧みともまた違った性質を持った瞳で。隣に立っていたタバサが、思わず杖を構えてしまうほどの、そんな空気を纏っていた。
だが、彼女自身はそんなことはお構いなし。ルイズやキュルケ、そしてシャルロットの名を呼び、今回の依頼の達成を労いながら後始末の段取りを立てていく。先程の地響きは村が消滅した音であろうから、帰りは少し歩きにくいかもしれない。そんな冗談めかした言葉もついでに述べた。
「わたしは一旦ロマリアに帰り、今回のことについて少し調べてみますわ。何か分かればお教えしますので、ご心配なく」
ペコリと頭を下げる。ジャネットとドゥドゥーを呼び、では帰りましょうかと踵を返した。
名残惜しければ残っていい、と『地下水』をからかうのも忘れない。当たり前だが彼女は才人を一発引っ叩くとジョゼットの横に並んだ。
「あ、そうそう」
「何?」
「その破片、こちらに譲っては」
「流石にそれは無理」
ガリアの事件の物証として持ち帰る。そうタバサは述べ、まあそうですよね、とジョゼットもあっさり引き下がる。わざわざ言い出したくせにすぐ引くその態度に、タバサは少しだけ怪訝な表情を浮かべた。が、続く彼女の言葉を聞いて、そういうことかを顔を顰めた。
では、忠告を一つ。そう言ってジョゼットは笑みを浮かべた。
「『土』が、それだとすれば……『水』と『火』、そして『風』には注意を怠らぬよう。ひょっとしたら、『引き寄せて』しまうかもしれませんから」
そう言って今度こそジョゼットは踵を返した。早く帰りましょう、そうルイズ達を急かしたが、彼女達はどうにも彼女の隣を歩く気にはならなかった。
土の封印が解除されましたエンド