「それで」
これは一体どういうことだ。そんな視線を込めてリシュを眺めると、彼女はやれやれと肩を竦めた。あくまで予想である、という前置きをし、皆に納得させてから口を開く。自分は悪くない、と皆に述べる。
「サキュバスの能力を利用した何か、でしょうね」
「どういうことだ?」
「夢の続き、といえばいいのかしら。誰かが見た夢、今回は悪夢かしら、が実態を伴って現実に侵食しているのね」
「……夢が、現実に侵食?」
訳分からん、とクリスティナは首を傾げる。ティファニアの骨とファーティマの骨も同じように頚椎を傾げている。まあそんなものか、と息を吐いたリシュであったが、しかし最後の一名を見て目を細めた。
「貴女は、理解が出来ているのかしら」
「知らないわよ。理解なんか出来るわけないじゃない。あーもう! そうよ、わたしはこんな摩訶不思議に首を突っ込みたくはないの。普通に大公の愛娘として学院で威張り散らしていたいだけなのにぃ!」
「よく分からないけれど、多分この連中と関わった時点で無理じゃないかしら」
「知ってるわよ! 理解したくないだけ」
ちくしょう、と嘆いたベアトリスはこほんと咳払いを一つ。涙と鼻水の跡をハンカチで拭き取りながら、棺の中のリシュの方へと向き直った。
「よく分からないけれど、とりあえず貴女は夢に干渉する能力を持っているのね」
「ええ。もう太古といってもいいくらい昔に存在した種族の名残よ。貴女達マギ族は、サキュバスって呼んでいたわ」
「それで……その能力が逆流した、という感じでいいのかしら」
「多分。私が直接な原因じゃないから断言は出来ないわ。何かをきっかけにして、この空間が悪夢の再現に成っている」
誰の悪夢か、という問い掛けはしなかった。ベアトリス自身がそれを一番良く知っているからだ。苦々しい顔を浮かべると、クリスティナと骨二体をぐるりと眺めた。幸いにしてそこに至っているものは一人もいないようで、とりあえず安堵の息を漏らす。
じゃあ、と彼女は再度リシュに視線を戻した。解除の方法は分かるのかと問い掛けた。
「……さあ?」
「偉そうに言っておいてそれ?」
「言ったでしょう? 直接な原因じゃないって。夢魔の力を使った何らかの装置があったとして、所詮私はその触媒にされているに過ぎないわ。動力源に停止の助言を求めて無駄よ」
使えない、とベアトリスは吐き捨てる。そんな彼女を見たリシュも、泣きわめいていた小娘が偉そうにと目を細めた。売り言葉に買い言葉、リシュを睨み付けるように視線を上げたベアトリスは、しかし殺気が篭っているかのごとく鋭い視線と先程と同じ声とは思えないほど低くドスの利いた声を前に、思わず悲鳴を上げて後ずさってしまう。
そういえばこいつ何だか分からない謎の種族で、凶悪な能力持ちだった。そのことに気付いたベアトリスは先程までの態度を一変させ、スススとクリスティナの後ろに隠れるように移動してしまった。
「……情緒不安定な奴ね」
「そう言ってやるな。これでも人を見る目は確かだ。リシュを怖がらなかったということは、良い奴だと判断したということ。だからわたしは、お前を信じる」
「今怖がっているようだけれど」
「害悪としての怖がり方じゃないから大丈夫だ」
「ちょっと! 人のこと好き勝手に言うのやめなさいよ!」
「合ってると思うけどな、クリスのベアトリスについての評価」
「使える調査判定機だからな」
「骸骨二体は黙ってなさい!」
変な奴、と毒気の抜かれたリシュは肩を竦め、まあいいやと視線を戻す。何かを考え込むような仕草を取りながら、自分の予想でいいのならばと口を開いた。現状を打破する方法は多分、と四人に語った。
「私の封印を解くことね」
「む」
「え?」
「……でまかせ、じゃないようだな」
ファーティマ骨はちらりとベアトリスを見る。悪意を持った発言でこちらが脅威にさらされるのならば、彼女はもっと拒絶反応を示しているはずだ。それをせずに苦い顔を浮かべるだけということは、少なくともこちら側の意見であるのは間違いない。
ではどうすれば封印が解けるのかといえば。先程までクリスティナが実行しており、最後のひと押しが出来なかったと語っている通り、現状打つ手が無いのである。
「棺を壊せばどうにかなるかと思ったのだが」
「今のわたし、骨になっているせいなのかエクスプロージョンも使えないみたいなの」
「同じく。精霊の力が振るえん」
悪夢に侵食された二人は動く骨としての能力しか持ち合わせていないらしい。そのことを確認したクリスティナは困ったと頭を掻き、やはり物理的にどうにかするしかないかと刀を構えた。が、リシュがそれをやめなさいと冗談抜きで懇願したので渋々鞘へと刃を収める。
「しかしそうなると八方塞がりだぞ」
「破壊せずに封印を解けばいいでしょう? 何でそう物騒なの?」
「それが出来たら苦労しない」
確かにそうだが、とリシュは唸る。だが、よしんば破壊しかないとしても、一緒に自分も破壊されてしまえば元も子もないのだ。そこまで自己犠牲に溢れてはいない。
何か無いだろうか。リシュ以外の面々も棺の物理的破壊以外で有効な手を考えたが、これといって何も出てこない。暗闇の中、見知らぬ場所、自身の異変。それらが重なったこともあり、普段以上に思考が働かないのだ。
そんな中、ただ一人だけ他とは違う思考をしている者がいた。正確には、そんな事を考えているよりも優先順位が高いことがあったという方がいいのかもしれない。ともあれ、ベアトリスは『封印を解く』という打開策を聞いてからどんどんと増していく不安に己の思考の大半を費やしていた。
どこから来るのかがまず分からない。暗闇の中、自分達が立っている場所のみが何故か視認出来る空間の中、見えない場所に潜んでいる恐怖が否応なしに不安を煽る。悪夢が現実を侵食しているという言葉を信じるのならば、この恐怖は悪夢そのものの核といっても過言ではないのだろう。
「……ん?」
待てよ、とベアトリスは目を見開く。この不安の正体が悪夢の核ならば、それを見付け出すことで封印の解除、ないしは悪夢の逆流を消し去る一手になるのではないか。そんなことを考えたのだ。恐怖に駆られた中の一歩、今までの彼女では誰か他人が気付いた手段。それを己で見出したことは、彼女にとって幸か不幸か。あるいは麻痺してしまったか、壊れたか。
何でもいい、とベアトリスは毒づく。今はこんな場所から一刻も早く帰ることが先決だ。
「テファ、は役立たずでファーティマも同じくだから……クリスしかいないわね」
「酷い!?」
「貴様も同じだろうに」
骨の戯言は無視。ベアトリスはクリスティナに声を掛け、こっちへ来いと手招きをする。近付いてきた彼女の隣に立つと、ぐるりと辺りの暗闇を見渡した。
暗くて怖い、けど違う。真っ暗で嫌だ、けどあそこでもない。飲み込まれそうで体が震える、けど真上も該当しない。
そうして周囲を潰していけば、残るは数カ所。そしてその中でも一番見たくない暗闇のある場所が。
「クリス」
「何だ」
「あっち、あの暗闇に、何かある」
いきなり何を、とは聞かない。顔が真っ青で目を逸らしたいと全身で述べているベアトリスが、それでも真っ直ぐにその方向を指差しているのだ。分かったと頷くと、迷うこと無くクリスティナは暗闇へと駆けた。あっという間に彼女の姿は見えなくなり、しかし暫くすると離れた場所でぼんやりと姿が浮かび上がる。これが原因か、と何か拳大の大きさの石のようなものを手にしており、薄ぼんやり輝き始めたそれを持って棺の場所まで戻ってきている。
「ひっ!」
「……ベアトリス?」
そんなクリスを見ていたベアトリスが悲鳴を上げる。へたり込み、カタカタと震えながら青いを通り越して真っ白な顔で彼女の方を指差していた。
否、そうではない。ベアトリスが指差していたのはクリスティナではなく、背後の。
「クリス! 後ろ!」
「おいクリスティナ! 骸骨が迫ってるぞ!」
骸骨に骸骨の襲撃を心配された。そんな光景がほんの少しだけ可笑しくて、クリスティナは口角を上げる。が、すぐに表情を引き締めると持っていた石を棺の方へと投擲、腰の刀を抜き放った。
一歩足を踏み出し、そしてすぐさま反転する。迫っていた骨を見るやいなや、その喉を真一文字に斬り裂いた。カツン、と軽い音と共に頭蓋骨が飛び、迫っていた骨の一体がガシャリと崩れる。その肋骨を蹴り飛ばしながら、クリスティナは尚も迫りくる骸骨の群れから距離を取った。
「む!?」
暗闇から湧き上がる気配。彼女が着地した場所から這い出てくるように骸骨が出現し、その足へと縋り付く。一体や二体ではないそれに動きを拘束されたクリスティナは、際限なく湧いて出る骸骨の群れの進撃から逃れられない。
「クリス!?」
「ちっ! 精霊よ……精霊! 応えろ! くそっ」
骨は自身の無力さに打ちひしがれる。己の戦う術を奪われた彼女達は、ただただ見ているだけしか出来ない。今この場で戦えるのは、今骸骨の群れに蹂躙されようとしているクリスティナただ一人。
「ふ、ふ、『ファイアーボール』!」
火球が飛んだ。クリスティナの手前に着弾したそれは、迫る骸骨を燃やし、ほんの少しだけ進撃を遅らせることに成功する。
涙目で、カタカタと震えながら。それでもベアトリスは両手で杖を持ち、再度呪文を唱え、放つ。ワラワラと蠢く骸骨相手に狙いを付ける必要もないそれは、とりあえず手当たり次第に火を着け、燃やした。
「ベアトリス!」
「い、いいから早く! その変な石をどうにかしなさいよ!」
分かった、とティファニアは骨しか無い手でクリスティナが投げたそれを掴む。瞬間、薄ぼんやりであった光が急激に増し、石のように見えたそれから何かが剥がれ落ちるようにボロボロとこぼれた。
そうして出てきたそれは、まるで何かの鱗のようで。
「エルフの貴女! それを棺に投げ入れて!」
「へ? あ、はい!」
鱗を棺に向かって放り投げた。カツン、とガラス戸にぶつかったそれは、ほんの少しの衝撃でガラスにヒビを入れ、そして。
盛大な音と共に、リシュを封印していた棺がもろとも砕け散った。
「古代竜の鱗を鍵に使うだなんて……やってくれたわね」
自由になった体をほぐすように捻り、床に落ちた鱗を見る。ふん、と鼻を鳴らすと、背中から翼を広げ真っ直ぐに飛んだ。向かう場所は当然、骸骨の群れに囲まれているその中心。
「リシュ! 封印、解けたのだな」
「おかげさまで。でも、悪夢の逆流はまだ終わっていないみたいね」
「だが、自由になったお前がいれば何とかなる。そうだろう?」
「……出会ったばかりの私をそこまで信用するの?」
「ああ。おかしいか?」
「ええ。凄く」
ふふ、と二人は顔を見合わせて笑う。リシュが突っ込んできたおかげで出来た隙間を広げるように刀を振るい、クリスティナは足の骸骨を蹴り飛ばした。それでもまだ骸骨は湧き出てくる。悪夢から覚めるには、何かが足りないのだ。
ああそうだ、とリシュはクリスティナに問い掛けた。さっきの約束、考えてあげたわよ。と言葉を続けた。
「そうか」
「ええ。今すぐ、可能かしら?」
「ああ、すぐ済む。――我が名はクリスティナ・ヴァーサ・リクセル・オクセンシェルナ。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ!」
呪文を唱え、軽く口付けを交わす。チクリとうなじの辺りに痛みが走り、ルーンが刻まれていることを感じさせた。
使い魔のルーンは、その種類によって様々な特性を持つことがある。言葉を喋れない動物が使い魔となることで人語を解したりするのがその最たる例である。特例としては、武器を持つことと心の震えで自身の強化をする左手のルーンだろうか。主人には勝てないが。
ともあれ、それらのルーンの発現は、そのもの血筋や能力が関係しているという話である。クリスティナはその血筋も能力も、特殊であるといっても過言ではない。
「……ねえ、ご主人さま」
「何だいきなりその呼び方は」
「ちょっとした冗談。それよりも、貴女意外と凄い人だったのね」
クスリと笑うと、リシュは周囲の骸骨を睨み付ける。瞬間、何かが広がるような感覚が走り、クリスティナと、そして離れた場所にいるベアトリスや骨二体を包み込んだ。
何だ何だ、と慌てる向こうの三人は、そこでリシュが何かをしたのだということを理解すると声を張り上げた。一体何やった、と。
「悪夢に夢を重ねたのよ。貴女達が普段見るような、極々普通の夢を」
ほら、と彼女はティファニアとファーティマを指差す。ん? と首を傾げた彼女達であったが、その拍子に髪がサラリと揺れたことで気が付いた。手を見ると、骨ではないきちんとした手の平が見える。ファーティマはついでに横を見た。革命的な二つの膨らみが、やった戻った、とはしゃぐ拍子にバルンバルンと揺れていた。
「あ、じゃあこれでわたし達も」
「……戦える、か」
精神力の限界でぐったりしているベアトリスを座らせ、ティファニアとファーティマは足に力を込める。目指すは向こうの悪夢の群れ。未だ蠢いている大量の骸骨。
「ありがとう、リシュ」
「お礼はいらないわ。あ、でもそうね。ちょっと疲れたから」
ここで休ませてもらうわ。そう言って彼女の姿はクリスティナの持っていた刀へと吸い込まれるように消えていった。
刀に簡易封印された形になったリシュを見て目をパチクリさせたクリスティナではあったが、すぐに意図を察する。分かった、後は任せろ。そう刀に語りかけると、彼女はその切っ先を骸骨の群れへと向けた。
「精霊よ、あの悪夢を薙ぎ払え!」
「エクス、プロージョン!」
「クリスティナ、推して参る!」
皆がベアトリスの見ていた夢から覚めるまで、後少し。
妖刀『理朱』を手に入れた
ガレットは犠牲になった