その1
トリステイン友好街の一角、周囲の建物とは少々趣の違うそこは、とある錬金鍛冶師の工房である。通称、シュペーのアトリエ。
そこで才人は一人の少女に己の得物を手渡してホッと一息ついていた。
「ふー。でもほんっと助かった」
「大袈裟ですよ」
「そんなことないって。もしここにいなきゃ俺一人でゲルマニアに行くか、最悪武器なしだったかもしんないし」
チラリとそれを見る。彼愛用の日本刀は強力な固定化が掛かっていて尚ボロボロであった。デルフリンガーほどでなくとも、数多くの修羅場をくぐり抜けてきたのだ。こうなるのも必然、むしろ今までよく持ったと賞賛に値する。
とはいえ、ならばそのまま使い続けるかと問われれば勿論否である。戦闘中に破損した場合、かなりの確率で命に関わるからだ。
「それで……どうします?」
「デルフん時みたいに、強化してくれると嬉しいかなーって」
分かりました、とシュペーの娘は笑顔で頷く。恩人の頼みなのだから、出来る限りは聞いてあげたい。そんな気持ちが感じられ、才人は少しだけ照れくさくなって顔を逸らした。
では、少し待っていてください。そう言って彼女は工房の奥へと入っていく。他にも仕事があるようであったが、才人の日本刀を優先してくれるらしい。益々もって申し訳なくなり、思わずそんなに急がなくてもいいから、と彼は部屋の向こうへと声を掛けた。
「大丈夫ですよー。他の仕事はまだ余裕ありますからー」
「でもなぁ……」
「それに」
ひょこりと顔を出す。少しだけ真剣な表情を浮かべて、そうしなきゃいけないと思いますから、と彼女は続けた。そこに冗談は何もなく、才人は思わず目を瞬かせる。
「……聞いていません?」
「え? 何を?」
「アンリエッタ王妃が仰っていましたよ。近く、厄災が起こるって」
「厄災……?」
眉を顰めた。心当たりがない、などということはない。むしろこれ以上無いほどにある。
なにせ、今現在彼が単独でここに来ている理由がそもそもそれだからだ。彼女の主は現在件の魔王と共にガリアへと向かっている。火竜山脈の調査について、諸国会議を行うのだそうだ。勿論キュルケとタバサもそこにいる。前者はゲルマニア辺境伯の娘として、後者はガリア双王の姫として、だ。尚、ティファニアは今回同行していない。学院で出席日数不足からくる留年と格闘中である。
「……分かった。そういうことなら遠慮なく頼むぜ」
「はい、任せてください」
笑顔を浮かべた彼女は再度工房の奥へと消えていく。それを目で追っていた才人は、近くにあった椅子に腰を下ろした。どのくらい掛かるか分からないが、彼女の腕で何日も必要ということはあるまい。何せ、あのデルフリンガーをあっさり修理してのけたのだから。
とはいえ、手持ち無沙汰なのは間違いなく。暫し待っていた才人は、徐々に体をゆらゆらと動かしながら視線を工房中に動かした。並んでいる武器を眺め、メイジの為の剣杖から通常の長剣などのバリエーション豊かな刀剣類を一通り見終わり。
「ミス・シュペー! ここにいますか!?」
突如工房の扉が開かれたことでそちらに目を向けた。何だ何だ、と困惑する才人の眼前には一人の騎士。少々小太りのその若いメイジに、彼は見覚えがあった。吟遊詩人を目指すなどと軽口を叩いていたり、武具大会で試合をしたりした相手。
「ルネじゃねぇか。どうしたんだよ一体」
「ん? おおサイト、こんなところにいたのか」
そのメイジ、ルネ・フォンクも才人の姿を見付けると纏っていた雰囲気を幾分か和らげる。が、すぐに表情を戻すと、今はそれどころじゃないと彼に述べた。
「だから、どうしたんだよ」
「……知らないのかい? 今トリスタニアに避難勧告が出ている」
「は?」
ルネ曰く。アンリエッタの子飼いである偵察部隊によって亜人の軍団がこちらに向かってきているのが判明したらしい。幸いにしてその経路にトリスタニア以外の被害に遭う集落はなく、そしてトリステインとしても魔王の準備のお陰で迎撃態勢は整っている。とはいえ、非戦闘員、街の住人の被害をなくすためにも現在数か所の拠点に集まってもらっているらしい。
それを聞いた才人は成程と頷き、しかし首を傾げた。街の外で迎撃するのでは駄目なのか、と。勿論そのつもりだとルネは返し、あくまで念を入れているのだと続けた。
「とはいえ、街に侵入してこないとも限らないんだ」
「何でだ? 姫さまの用意した戦力だろ?」
「規模が異常なんだ。大隊、あるいは一個師団とか言われている」
オーク鬼、トロル鬼、コボルト。それらの混合軍が、指揮官がいるかのごとく統率された動きでこちらに進軍している。偵察の情報によるとそこまで分かっているらしい。その辺りの情報収集の速さと正確さは流石の魔王軍というべきか。
「とにかく、今は避難を優先して欲しい」
「まあ、そういうことなら」
分かったと頷いた才人は、後で自分も参加しようと思いながらルネの言葉を工房の奥で作業している少女に述べた。そんなわけだから、とりあえずここから移動しよう。そんなことを言いながら、彼は彼女の返事を待つ。
それに対する返答は、否、であった。
「まだ、サイトさんのニホントウの打ち直しが終わっていません」
「いや、そんなの後でも――」
「駄目です。その話を聞く限り、サイトさんの武器はすぐに必要になるはずですから」
それはまあ確かに、と才人は思う。思うが、友人の身の危険と天秤にかけるものなどでは決してない。
しかし彼女もまた同じであった。恩人で友人の才人が、生半可な武器を持っていたせいで大怪我を、あるいは命を落としてしまったら。そう考えれば、優先するのは当たり前なのだ。
「すぐに、終わらせますから。今日中には、必ず」
真っ直ぐにこちらを見詰めてそう述べる彼女に、首を横に振ることは出来ない。自分のわがままが事の発端なのもあり、才人は折れざるを得なかった。
ルネ、と彼は隣に目を向ける。そういうわけだから、と彼に述べる。
「どういうわけなんだい!?」
「俺が彼女を守る。だから、お前は他の人達の避難を頼む」
分かった、と頷いたルネは、しかしその後に笑みを浮かべた。それが終わったら戻ってくる。そう才人に告げると、彼はそのまま工房を飛び出していった。
よし、と才人は気合を入れる。ルネの話では街に侵入してくる事態にはならないとのことであるが、それを馬鹿正直に信じるほど彼も楽観的ではなかった。アンリエッタの用意である以上、まず間違いなく最悪は起こらないであろうが、念には念を、である。
「……確か、こいつが」
壁に飾ってある三本の剣を見やる。大剣、長剣、短剣。それぞれがチームを組んでいるように配置されているそれは、彼には見覚えのあるものであった。彼女と出会った時、あの武具大会でルイズと、才人と、そして『地下水』が使った剣だ。
「使うなら、ある程度馴染みのある方がいいしな」
よいしょ、と長剣を手に取る。軽く振り、そういえばこんな感じだったななどと少しだけ感慨深くなった。
宣言通り、ルネは一通り仕事を終えると工房へと戻ってきた。才人と共にシュペーの娘の護衛をしながら、日本刀が打ち直されるのを待っている。
その間大体半日ほど。別段何かが起こる、ということはなかった。やはり腐ってもトリステインの騎士達は優秀であったということなのだろう。そんなことを思いながら、外で見張りをしていた才人は大きな欠伸を一つ。その拍子に夕焼けに染まる空を仰いだ。
「……ん?」
何かが見えた。鳥のようにも見えるが、それにしては影が大きい。それも、こちらへと向かってきているように思えた。
おいルネ、と才人は工房にいたルネを呼ぶ。彼の表情に何かを感じ取ったのか、怪訝な顔を浮かべながら指し示されるがまま空を見たルネは、そのまま目を見開いた。
「……な、何だあれ!?」
「見えるのか?」
「一応、竜騎士見習いは風の呪文で遠視を学ぶからね……」
そう言いながら、ゴクリと喉を鳴らす。緊張から来る仕草だということを察した才人は、それで一体何なんだと彼に問うた。それに対し、ルネはゆっくりと口を開く。
「――亜人の、竜騎兵だ」
「はぁ!?」
「恐らく向こうの斥候か何かだろう。レッサーワイバーンに乗ったコボルトが見えた」
そして、と言葉を一度止める。息を吸い、吐き、視線を空から才人と後ろの工房に動かした。
「場所と、人を、確認していた。……多分、ここに来る」
「んなっ!?」
マジかよ、と才人は顔を顰める。ルネは冗談を言っている様子はなく、ここでそんなわけないだろうと続ける素振りもない。つまり、まず間違いなくここに来るのだ。亜人の竜騎兵、というものが。
「くそっ。他の皆は何をしているんだ!?」
悪態をつきながらルネは自身の使い魔を飛ばす。自身の同僚に連絡を取っているのだろう。そして暫くするとその表情を更に険しいものに変えた。
凡その予想が付く、と才人はその顔を見て溜息を吐いた。ここ以外にも向こうは狙いを定めており、つまりはここをどうにかする余裕が今は無いのだろう。
「天下のトリステイン騎士団が、なんてザマだ……!」
「仕方ないだろ。姫さまの予測だって外れる時は外れるだろうし」
そう言いながら、才人は本当にそうだろうかと少しだけ考える。騎士達は街の住民を守ることが結果的に出来てはいる。そして彼女を守る者も、ここにちゃんといる。規律に縛られない自由に動ける剣士が一人いるのだ。ひょっとしたら、それ以外にも遊撃部隊がいる可能性だってないことはない。
いやいや、と才人は頭を振って散らした。楽観視は出来ないと先程考えたばかりではないか。とにかく、まずはこちらに来るであろう連中をどうにかすることが先決だ。
「ルネ。俺が迎撃するからお前はシュペーちゃんを守って――」
「サイト。ぼくが迎撃するから君はミス・シュペーを守って――」
言葉と行動が被った。同時にお互いを差しながら指示をする動きは傍から見ていれば滑稽であり、第三者がいれば思わず笑ってしまうような光景である。暫しそのまま固まった二人は、揃って吹き出すとそういうことなら仕方ないなと視線を空へと向けた。
「しゃーないな」
「そうだね」
「俺が迎撃して」
「ぼくも迎撃する」
剣を抜く。杖を構える。空の点は既に肉眼でそれだと分かるくらいになっている。その数は一つや二つではない。竜騎兵隊、といっても過言ではない。
「でもって、俺がシュペーちゃんを守って」
「僕も、ミス・シュペーを守る」
剣を強く握り締めた。杖に精神力を込めた。先発隊がしびれを切らしたのか、突出してこちらに急降下してきていた。シルフィードのような風竜とも、以前戦った火竜とも、そのどちらとも違う知性をあまり感じられない羽の生えているだけの蜥蜴。そんな代物に乗ったコボルトが、獲物だ獲物だと騒いでいるようであった。
ルネが呪文を放つ。下級飛竜の翼に当たったことで、ぐらりとその体勢が崩れた。しかし、ダメージはそれほどでもない。コボルトは相手の無駄な抵抗に激高しながら、持っている簡素な棍棒を振りかぶった。あの生意気な相手の頭をかち割ってやる。そんな考えで繰り出したその一撃は。
「そんなわけだから、こっち来るんじゃねぇよ」
一足飛びで間合いを詰めていた才人の斬撃により棍棒ごと叩き伏せられた。腕がくるくると宙を舞い、何が起きたか理解出来ないコボルトは呆然としたまま動きを止める。
そこに、ルネの第二撃が叩き込まれた。飛竜ごと胴体を貫かれたコボルトは、そのまま着地出来ずに地面に墜落していく。石畳に激突し、ぐしゃりと嫌な音を立てた。
よし次、と才人は頭上を見やる。今の戦闘で警戒をしたか、あるいは今引き潰れた輩が軽率なだけだったのか。残りの飛竜は旋回しながら様子をうかがっているようであった。その数は視界に映るだけでも二桁に上る。
これは気合を入れなければ。そんなことを思いながら才人は視線を戻し隣を見たが、そこで動きを止めた。
「ルネ、どうしたんだよ?」
「ははは……。凡人には多少無理をしないと、君達のような連中についていけないのさ」
そう言いながら、ルネはふらついていた体を起こす。どうやら普段より高威力で呪文を唱えたために少し精神力がすり減っていたらしい。
「そんなんでよく迎撃は任せろとか言ったよな」
「騎士として、少しは格好を付けたいものだろう?」
「違いねぇ」
ははは、と笑い合う。そうしながら、大きく息を吸い、吐いた。頭上の飛竜は今のやり取りを聞いていたのかいないのか、攻撃のチャンスだと動きを変えていた。二体ずつ、編隊を組んで降下してくるのが彼等の目に飛び込む。
ルネを一歩下がらせた。支援は頼んだ。そう告げると、才人は足に力を込め向こうの虚を突くように間合いを詰める。最初の二体の目前で、彼は思い切り跳び上がった。
「テメェを踏み台にしてやるぜ!」
どこぞのアニメで見たような台詞をのたまいながら、才人は飛竜の頭を踏み付け更に高く跳んだ。編隊の中腹より後ろ、後方にいるであろう司令塔を目指し、一気に突き進む。さながら、その姿は己の主人であるピンクブロンドの剣士のようで。
逆に言えば、考えが足りない、ということでもあった。
「ちっ、届かねぇ」
失速した。ルイズならば気合と勢いでどうにかなったかもしれないが、あいにく才人にはその辺りが少し足りない。しょうがないと別の飛竜の横っ腹を蹴り飛ばし、隊列を崩すと別の飛竜へと斬りかかった。
その交錯で一体が墜落、もう一体が搭乗者不在と相成った。それを見ていたコボルト達は何やら口々に叫びを上げる。が、生憎才人には何を言っているか分からない。人語を解するほどのコボルトは、ごく一握りだからだ。
「何言ってんのか分かんねぇよ!」
とりあえず罵倒か怒号なのだろうとは予想出来るが、そんなことは知ったことではない。別の飛竜の背に飛び乗ると、才人はコボルトを殴り飛ばしそれが掴んでいた手綱を握り締めた。ハイヨー、と適当に叫びつつ、才人は思いつくまま手綱を操る。勿論飛竜はいうことを聞くことなどなく、フラフラと周囲にぶつかりながら蛇行飛行をするばかり。
だが、それでいい。他の飛竜とぶつかれば、それだけ隊列が崩れる。はっきりとそう考えていたわけではないが、大体目論見通りになったことで、才人は今だと声を上げた。
「任せろ!」
地上のルネが呪文を放つ。回避を著しく制限されていた飛竜達は、彼のその呪文を食らいぐらりとよろめいた。その一連の流れで、乗っていたコボルトも多数振り落とされ地面と激突し動かなくなっていった。
「うし」
飛竜から飛び降りた才人は、いえい、とルネとハイタッチをしながら笑みを浮かべる。真正面から馬鹿正直にぶつかれば苦戦する相手かもしれない。が、それは相手が普通のメイジであった場合である。こういう状況を嫌というほど経験した才人にとって、ルイズ不在であってもそこまで問題にはならなかった。
「――サイト!」
「ん? なぁ!?」
その油断がいけなかった。突如飛来してきた多数の石のつぶて。先程とは逆に虚を突かれた形となった才人は、それを回避するのが一瞬遅れた。咄嗟に剣で防御したものの、衝撃でもんどりうって地面を転がっていく。
そんな彼を一瞬だけ目で追ったルネは、すぐに視線を前に向けた。残っている飛竜、その少し後ろに、他とは違う一回り大きな飛竜に乗った仮面を付けたコボルトの姿が見える。間違いない、と彼は息を呑んだ。
「コボルト・シャーマン……あれが司令塔か」
恐らく、他の避難区域を襲っている飛竜の編隊も同じような構成なのだろう。苦戦している原因は恐らくそれだ。そこまでを考え、今現在その真っ只中にいるのが自分だということに気付いた。
「いつつ……」
「サイト、無事かい?」
「痛い。が、まあ、この程度ならいける」
これも今までの経験の賜物である。コボルト・シャーマンの先住魔法は、そこまで強力なものではない。勿論通常のメイジにとっては脅威である。が、ついこの間『鉄血団結党』と戦ってきた才人にとっては別段珍しくもない攻撃だ。何ら問題ない。
問題なのは。
「おい、ルネ」
「何だいサイト」
「お前、杖が……」
「さっきの先住魔法を防ぐ時にちょっとね。使えないことはないが……」
先端の折れたそれを見せながら、ルネは苦笑した。新しい杖を探しにいっている暇など勿論ない。コボルト・シャーマンと飛竜の群れに群がられて終わりだろう。
そうか、と才人は頷いた。頷き、そして持っていた剣を躊躇いなくルネに手渡す。目を瞬かせる彼に向かい、これは杖にもなるんだと笑みを浮かべた。
「意外と強力なやつらしいぜ」
「ま、まあミス・シュペー作ならばそうだろうが……じゃなくて! 君はどうするんだい!?」
「どうするって、こうするのさ」
言いながら才人は半身に構えた。腰を少し落とし、目は真っ直ぐに相手を睨み付け。そして両の拳を軽く握り込む。
その動きでルネは彼が何をやろうとしているのかを理解した。目の前のこの伝説たる少年は、目の前の飛竜に乗ったコボルトとシャーマン相手に、無手で挑もうというのだ。
「サイト! ふざけていないで――」
「ふざけてなんかないさ」
足に力を込め、手近な飛竜に突っ込んでいく。切り裂けないならば、と飛竜の顎に蹴りを叩き込んだ才人は、そのまま乗っていたコボルトの顎を拳で打ち抜いた。ぐらりと揺れたコボルトは、そのまま飛竜から落ちていく。
「ま、割とイッパイイッパイだけどな。体術そこまで得意じゃねぇし。――でも」
ルイズなら余裕でこなせるんだから、俺だって。そう言いながら、彼はヒラヒラと手を動かし、そして何かを思い出すように笑顔を見せた。
シュペーちゃんの名前も出そうかと思ったけどまあいいや、と思いそのまま