「いやはや」
「どうしたものか」
「少しは焦りなさい馬鹿親共!」
時を同じくして、ガリアの本陣でも同様の事件が起こっていた。壮行会は合同で行っているのだからある意味当然であるが、しかしその様子はトリステインとは少々毛色が違う。
少なくとも、ジョゼフもシャルルも案外平気そうであった。イザベラの叫びが虚しく響くだけである。
「それより……シェフィールド! どうしたのよ!? 正気に戻って!」
「……」
一人シリアスを行っているイザベラは、赤い目をしたシェフィールドに呼びかける。が、彼女はそれに何の反応も示さず、ただただゆっくりと腕を上げた。それを合図にするように、扉を破壊しながら多数の魔法人形がやってくる。各々の武器を構えながら、それらはゆっくりと切っ先を三人に向けた。
「シェフィールド……ねえ、これは何かの冗談なのでしょう? 緊張を解すための、ジョークでしょう? ねえ、そうと言って。何か……何か言いなさいよ……」
シェフィールドは答えない。イザベラの言葉に一切耳を傾けることなく、掲げていた腕はそのままに、パチンと指を鳴らした。
魔法人形たちが動き出す。武器を、目の前の『敵』に突き立てんと足を踏み出す。
どうして、とイザベラが叫んだ。護衛の兵士を瞬く間に倒し、魔法人形を呼び出し。そして今自分達に牙を突き立てようとしている。何故彼女がこんなことを。疑問はぐるぐると頭を回り、そして出ない答えに自分で苛立つ。そうしたところで、あの槍や剣が己を貫くのを止めることなど、出来ない。
それでも。
「やめてシェフィールド!」
それでも彼女は前に出た。道を、血に塗れようとしているそこを塞ぐように、立ちはだかった。そうすることで真っ先に物言わぬ屍になるのは自分だと分かっていても、それでも彼女はそれを選んだ。
魔法人形が迫る。イザベラの言葉など届かぬとばかりに、武器を持ったそれらは動きを止めることなく。
「――え?」
イザベラをすり抜けていった。それが当たり前のように、魔法人形は彼女を避け、そして背後に立っている男二人にその武器を振り上げた。
慌てて振り向く。自分の父親と叔父が、魔法人形の攻撃に晒され回避を選択するところであった。年齢に似つかわしくない動きで距離を取ると、魔法人形からシェフィールド、そしてイザベラに視線を移す。
「ふむ。どうやら操られていても根底にある『何か』は消せないらしいな」
「古代竜は韻竜が操れない。人も、抜け道で一時的に傀儡にしているに過ぎない、というところかな」
落ち着き払っている男二人を見ても、イザベラは別段何か感情が湧くことはない。いつものことだからだ。それよりも、その会話の内容の方が、ずっと大切である。
シェフィールドが操られて尚消えることがない何か。そしてそれによってイザベラは攻撃されなかった。つまりは、そういうことなのだ。
「シェフィールド……貴女……私を、そんなにも」
ぐしゅ、とちょっとだけ涙目で彼女を見る。感極まったように、シェフィールドを、見る。
「――あの二人の理不尽さの被害者として共感していたのね!」
『違うわ!』
あまりにもな娘の言葉に思わず本気になったジョゼフ、それは流石にないだろうと顔を引き攣らせたシャルル、そしてちょうど駆け付けたシャルロットも含めたガリアの三人のツッコミが部屋中に木霊した。
「さて、どうしましょう」
「どうしましょうね」
ロマリアの本陣からは遠い、壮行会の真っ只中にいたジョゼットは、突如阿鼻叫喚地獄と化した会場を眺めながらそうぼやいた。ダミアンはそんな彼女に一言だけ返すと、我関せずと酒を飲む。その途中、酒瓶を手に取りピクリと眉を動かした。
「お嬢様」
「どうしたの?」
「この追加の酒、飲まれましたか?」
「いえ、まだよ」
「それはよかった」
ふう、と珍しく本気で安堵するような溜息を吐いたダミアンは、そのまま視線を残りの面々へと向けた。ジャックはもったいないことをしやがると顔を顰めているので大丈夫だろう。では残りの二人は。
「ドゥドゥー」
「な、何だい兄さん」
「酒、飲んだかい?」
「いやいくらぼくでも飲まないよ!? 血の匂いがこれでもかってくらいするじゃないか!」
「兄さんなら「おお、これはぼく達のために用意されたんだね」とか言いながらぐびりと」
「しないよ!? ぼくどんだけだよ!?」
そもそもそういう意図で用意されたのならばまず真っ先に彼女が何か言うだろう。そう抗議しながらドゥドゥーはジョゼットを見た。ええそうね、と返したジョゼットは、その瓶の中の液体をグラスに注ぎ軽く振る。それを顔に近づけてみたが、別段何も感じ取れなかった。
「……こういうの、用意するべきだったかしら」
「余計な気遣いはいらんよお嬢」
本題からずれている、とジャックは述べる。そうね、とグラスをテーブルに戻すと、もう一度ぐるりと四人を見渡した。
こくりとダミアンが頷く。これが原因だろうという短い言葉に、まあそうでしょうねとジョゼットも頷いた。
「それで? どうすればこの騒ぎは収められるかしら?」
「血を飲んだ連中を片っ端から解呪するしかないでしょうな」
「『解呪(ディスペル)』? ……じゃあ、わたしはパス」
愛しい人と『距離を縮める』ことを特性としている彼女の最も得意とする虚無は『瞬間移動』と『加速』である。そして、『解呪』を得意とするのは、もう一人のロマリアの虚無の担い手。
すなわち、ジョゼットがこの状況をどうにかするのならば、ヴィットーリオに頼みに行かねばならない。
「教皇聖下ならこの騒ぎを聞きつけ次第自発的に動くでしょう? なら、わたしが向こうに進言する必要はないわ」
「いいのかい? 彼はそのことを知ったら失望するかもしれないよ」
「冗談。ジュリオはそんなことでわたしを見限ったりしないわ。だってわたしは、彼を愛しているもの」
理由になっていない。と思ったが、ドゥドゥーはジョゼットとダミアンの会話に口を挟まなかった。賢明ね、とジャネットが肩を竦めているのを横目で見つつ、こほんと咳払いを一つ。
それを切っ掛けにするように、ジョゼットはクスリと笑った。まあ、だからといって手をこまねいているつもりはない。そう言って、自身の目を鋭くさせた。
「ダミアンとジャックは正気の人達を救助、治療を」
「了解」
「任せろ」
「ドゥドゥーとジャネットは、狂気の連中を黙らせてちょうだい。一応、殺さないように」
「お任せあれ」
「一応、ね」
指示を出しながら、ジョゼットは再度周囲を見る。血は、酒に混ぜられていた。それも最初からではなく、途中からだ。つまり、この壮行会中に誰かがそれを行ったことになる。
「ただ暴れるだけではない、司令塔にされた人間がいる……」
それと一目で分かるかどうかは不明である。が、探索する価値はあるかもしれない。そう判断したジョゼットは、背後にいるであろう自身のメイドに声を掛ける。先程からまったく会話に参加しなかった彼女へと向き直る。
「あら? 『地下水』は?」
「とっくに飛び出していきましたよ。……何か、焦る理由があったんでしょうね」
「あら、そう。……ふふふ、じゃあ、いいわ」
後で話を聞かせてもらおう。そんなことを言いながら、鼻歌混じりでジョゼットは作戦の開始を告げた。
「言うことを聞かぬ小鳥は、首を捻り切るしかない。そうだろう?」
「さあ? 少なくともわたしはしないわね。多分、ワルドも」
そうかい、とワルドは瞬時に間合いを詰めた。ルイズの眼前に迫った彼は、己の得物の切っ先を突き出す。普通であれば、そのまま胸を抉られておしまいであろう。鮮血を撒き散らしながら、美しい少女の形をした肉塊が出来上がるだろう。
そう、普通であれば、である。
「ぬるい。ぬるいわワルド。サイトとドンパチやってた時の勢いが全然ない。がっかりよ」
デルフリンガーの刃がワルドの剣杖を止めていた。力負けすることなく、ルイズはそのまま微動だにしない。むしろ、攻撃したワルドの方が徐々に押されているほどだ。
ふん、と剣を振るった。体勢を崩されたワルドはバックステップで距離を取り、中々やるようだね、と笑みを浮かべる。それを見たルイズは再度鼻で笑った。ちゃんちゃらおかしいと馬鹿にした。
「似合わないわよ、そういうの。わたしの知ってるワルドは、ちょっと変態入っててアレだけど、そんな風に笑わない。そんな悪党みたいな顔をしない」
ルイズの後ろでは、エレオノールがまあそうかな、と頷いていた。確かに彼は馬鹿で変態でアレだが、あれで案外真っ直ぐなのだ。あのおちびの婚約者にしておくのはもったいないほどに。
そこまで考え、エレオノールはん? と眉を顰めた。これではまるで妹に嫉妬しているみたいではないか。
「ミス・エレオノール。出来れば今はこちらに集中してくれないか?」
「あ、申し訳ありません陛下」
アニエスの剣を受け止めながらぼやいたウェールズの言葉に我に返ったエレオノールは、とりあえず地面から拳を作り出し彼女を殴り飛ばした。物理的衝撃を与えないとマズい、という判断からの行動である。
何故ならば。
「エレオノールさん! アニエスのあれ何なのよぉ!」
「王妃に頼まれて制作した素材を更にプラッシュアップしたものよ。目標はあなた達の一撃に耐えること」
「ええ、こちらのリクエストに応えてくれたエレオノールさんには感謝が絶えませんわ」
「そのおかげであたし達ピンチですけど!」
アニエスの軽鎧とマントに仕込まれた特殊素材が、キュルケの炎を半減させていた。全力で、連続で叩き込めば問題なく消し炭には出来るであろうが、今この状況でそれをするというのはすなわち敗北を意味するに等しい。洗脳されている大事な仲間を殺すことでしか対処出来なかった、ということなのだから。
「あぁもう! 要は直接的な攻撃ならば魔法でもいいわけよね!」
ブレイドを唱え、蛇腹剣を作り出す。同じくブレイドを唱えて構えているウェールズの隣に立ち、半ば自棄でそれを振り上げた。
「陛下はそもそも下がっててくださいな!」
「立場上そうするのが妥当なのだろうけどね。愛する妻を守るためには、前に出ざるを得ないのさ」
「ウェールズ様……!」
どっか余所でやってくれないかな。そんなことを思いゲンナリした表情を浮かべたエレオノールは、そこでふと思い出すように視線を巡らせた。乱入者で中断していたが、この騒乱をどうにかするための手段を呼びに行く手筈だったのだ。二人が抑えていてくれるのならば、丁度いい。
「王妃」
「ええ。よろしく頼みますわ」
コクリと頷くと、エレオノールは駆け出した。目指すは会場の外れ。牛頭のメイジ、自身の助手の一人、ラルカスのいるそこ。
逃がすわけにはいかないな、と誰かが呟いた。同時に、先程までルイズと戦っていたはずの男が目の前に現れる。一瞬目を見開き、ああそうか『遍在』か、と舌打ちした。
「まったくもって、ジャンはやることなすこと鬱陶しいわね!」
呪文を唱える。先程のようにアースハンドで拳を作り、殴り飛ばす。そのつもりであった彼女は、しかし次の瞬間宙を舞っていたことに気付き短く声を上げた。
ワルドの二つ名は『閃光』。成程それに違わぬ速さだ。そんな、場違いな感想が頭に浮かび、そして地面に頭から落ちたことで意識も飛んだ。
「ミス・エレオノール!?」
「エレオノールさん!」
「エレオノールさぁん!」
「姉さまぁぁぁ!」
四人の叫びが響く。エレオノールはピクリとも動かない。当たりどころが悪かったのか、彼女の頭部辺りから出た液体が床を赤く染め始めていた。
治療を、とアンリエッタが足を踏み出そうとしたが、ワルドの遍在がそれを許さない。フォローしようとすれば、アニエスがキュルケを足止めしていた。ならば、とウェールズが向かおうとしたが、彼女はそれを押し留めた。
「陛下。あなたはこの場で一番危険を冒してはならない人ですわ」
「だが……」
「気持ちは分かります。……いえ、あたしの方が多分、陛下より大きいでしょうね」
『姉』が、頭から血を流して倒れているのだ。駆け寄りたくないはずがない。
だが、それはダメだ。そういう役目は、自分じゃない。親友と、悪友と、自分。その三人の中でそれを担うのは一人しかいない。
「どうしたんだいルイズ。ああ、心配いらない。すぐに君も姉と同じ場所に――」
「うっさい! 黙れ!」
デルフリンガーによる容赦ない一撃。横薙ぎに振るわれたそれは、ワルドの体をくの字に曲げ、水平に飛ばした。地面をバウンドしながら段々とその姿が薄れていくところからすると、どうやら最初に現れたワルドも遍在だったらしい。
そんなことなどどうでもいい。ルイズはすぐさま踵を返すと、倒れている姉の下へと走った。アンリエッタの牽制をしていた遍在がそれに気付きこちらに杖を向けたが、それがどうしたとばかりに彼女は足に力を込める。どのみちそこまで距離は離れていない。精々向こうが呪文を完成させる程度の時間で辿り着く。
「『ライトニング・クラウド』」
「――が、どうしたってのよ!」
生み出された雷雲がルイズを黒焦げにせんと光を放つ。勿論ルイズに当たるはずもなし。彼女の使い魔でも出来たのだ、主であり師でもあるルイズが食らうことなどありえない。
懐に飛び込んだルイズは、とりあえず膝蹴りを鳩尾に叩き込んだ。肺の空気を強制的に抜かれたワルドは口を半開きにし、しかしすぐさま胸元を掴まれたことでまたしても強制的に閉じさせられる。
ジロリ、と彼女はワルドを見た。本物か、遍在か。通常時の彼ならば判断はつくはずもないが、今のワルドの状態ならば。
「……ふん」
持ち上げ、投げた。左側に飛ばされたそれは、気配を消し隙を窺っていた新たなワルドに激突する。衝撃で背中の上部と下部がくっついてしまうほど反れた体は、そのまま風に消えていった。
「がっかりよ。ええ本当に。遍在をこんな風に奇襲に使うところも、姉さまを攻撃し、それを餌に他の皆を攻撃しようとしたところも」
「どちらかというと正しい戦術ですわよ」
アンリエッタの言葉は流される。それについて文句を言わないのは、じゃあ賞賛するかといえば勿論彼女も否だからだ。ちなみに理由は自分がやられているから、である。やるのは大賛成。
ち、と舌打ちしたワルドは素早く呪文を詠唱し、杖に風の刃をまとわせる。風のように身を翻らせ、怒りで普段以上に前しか見ていないルイズの心臓を貫こうとした。
先程遍在が失敗しているのにも拘らず、である。
「やるんなら真正面からきなさい、軟弱者!」
エア・ニードルの螺旋を素手で掴み上げたルイズは、手から血が流れるのも構わずに思い切り引き寄せる。バランスを崩したワルドのその顔面に、もう片方の、デルフリンガーを持っている方の拳を思い切り捩じ込んだ。ぐしゃりと嫌な音が響き、首が己の意思とは無関係にぐるりと廻る。それは体全体に伝わり、ワルドの体は錐揉みしながら吹き飛んだ。
エレオノールよりも駄目そうな状態で地面に落ちたワルドは、そのままピクリとも動かない。ふん、とそんな彼を見て鼻を鳴らしたルイズは、血塗れの左手を振り上げながら、ビシリと指を差し宣言した。
「そこで少しは頭冷やしなさい」
「冷えるのは頭だけだといいね……」
体冷たくならないだろうか。そんな心配をウェールズは抱いた。
アニエスの装備の性能イメージは鎧の魔槍とか魔甲拳とかあの辺