「……っつ!」
突然であった。ルイズが見当たらない、という報告を聞いたアンリエッタが思案しているその場で、才人が急に蹲ったのだ。一体どうしたのだとキュルケが尋ねると、彼は左手をさすりながら顔を顰めていた。
「いや、なんかいきなり左手が痛み出して」
「左手?」
「ああ。なんだろ、でもなんか懐かしい感じだったな」
ううむ、と首を傾げながら立ち上がると、才人はごめんなさいと頭を下げた。話の腰を折ってしまったというその言葉に気にするなとウェールズは返す。先の戦闘で何かしら攻撃を受けていた部分が痛み出したのかもしれない。そう判断すると才人を医務室へと向かうよう促した。
現在の場所はトリステイン魔法学院。戦闘を終え、古代竜があの場から消えたことで一旦討伐隊は解散されたのだ。再度発見した際、すぐさま再編成をするための準備をするために各々国へ戻った、という意味合いもある。
ともあれアンリエッタとウェールズもトリステインに戻っており、そしてこういう時の話をするのは王宮より都合がいいという理由で学院が選ばれていた。
尚、ティファニアもベアトリスもファーティマもクリスティナとリシュも当然学院にいる。この場にはいない。
「じゃあお言葉に甘えてちょっと行って――」
そんな状況下であるが、とりあえずの平穏を迎えているこの場で、才人も軽い調子でそう返した。返して、医務室へと向かおうとしたのだ。
そこで気付いた。左手を見た。
「……おい、これ、どういうことだよ?」
「サイト?」
「どうしたの?」
扉から四人に向き直る。先程とは違い、顔を真っ青にしながら、自身の左手を掲げていた。心なしか震えている気すらした。
才人の左手。そこに刻まれていたルーンが、消えかかっていた。『ガンダールヴ』が、消滅しかかっていた。
「……使い魔との契約が、切れた?」
「え? 契約ってどちらかが死なない限り切れるものじゃないでしょぉ? ――え?」
タバサの言葉とキュルケの言葉。それらを纏めれば自ずと結論は出てくる。才人のルーンが何故消えようとしているのかが、である。
「そ、そんなわけないだろ!? 約束したんだ、絶対に戻ってくるって。ほ、ほらきっとどっかで迷ってるだけだって。ルーンも消えたわけじゃないんだから、離れ過ぎて圏外になったとかそういう」
「サイト殿」
静かに、しかしはっきりとアンリエッタは名を呼んだ。それで言葉を止めた才人は、それでも自分の意見を曲げないという表情で彼女を見る。普段のような笑みではなく、どこか無表情でこちらを見ているアンリエッタを見る。
「まだ、痛みますか?」
「え? い、いや、もう痛くない、です」
「……ルーンは完全には消えていませんね」
ゆっくりと才人に近付くと、アンリエッタは彼の手を取った。左手をまじまじと見詰めると、少しだけその表情を和らげる。これだけで彼女の生死を判断することは出来ない。そう結論付けたのかもしれないし、あるいはもう少し違うことを考えていたのかもしれない。
「医務室へ行く必要がなくなったのでしたら、話の続きを行っても?」
「あ、はい。大丈夫です」
取り乱していた自分が馬鹿みたいだ、と思うほどの彼女の態度を見て、才人は気圧されたように元の位置へと戻った。
「さて、どこまで話をしたのでしたか」
「ルイズの行方」
「ああ、そうでしたわね。現在、あの場所に捜索隊は派遣出来ていません」
あっけらかんと彼女は言い放った。それを聞き、傍から見ても分かるほどに才人の冷えかけた思考が再度燃え上がる。その勢いのまま、彼は一体どういうことだと声を上げた。そしてアンリエッタは言葉通りだとそれに返事をする。
ルイズが行方不明になったあの場所は、古代竜との激突の中心部。普通の手練程度の人物では、何かあった場合余計な犠牲者になる可能性が極めて高い。そう補足するように説明すると、分かっていただけましたかとアンリエッタは才人を見た。
「じゃあ、俺が」
「サイト殿は現状トリステインの貴重な戦力です。ルイズの捜索程度の任務につかせることは出来ませんわ」
「程度って……」
「あの娘は放っておいても自力でも戻ってくるでしょう。程度以外の何だというのです?」
ぐ、と才人は言葉に詰まる。左手を見て、彼女との繋がりが薄くなっているのを感じ取り、不安でその表情を歪めた。何でだ、どうしてそこまで楽観的でいられるんだ。そんなことを一瞬だけ思い、いや違うと頭を振る。
「分かりました」
「あらサイト、随分あっさり引き下がるのねぇ」
「意外」
「……姫さまはルイズを信じてる。なら、俺もそうしようって思っただけだよ」
ピクリとアンリエッタの肩が揺れたのを、ウェールズは見逃さなかった。
その後は別段問題なく話は進んだ。とりあえずは学院でしばし休息をすると良い。そういうことになった才人達が退室していくのを目で追ったアンリエッタは深く息を吐く。
「ウェールズ様」
「何だい?」
「わたくし、嘘を吐きました」
「そうか」
「そして、嘘はこれからも吐き続けます。あの娘が戻ってくるまで」
「……そうか」
「ええ。わたくしは、『ルイズを心配などしていません』」
「ああ」
そっとウェールズはアンリエッタの肩を抱く。そのまま抱き寄せると、自身の胸へ彼女の顔を押し付けた。同時に杖を振り、サイレントの呪文を部屋に掛ける。
これで、誰にも聞こえない。そう静かに、優しく述べると、ウェールズはゆっくりと彼女の頭を撫でた。嘘を吐くのは構わない。でも、本音を言っても問題はない。そう言って少し困ったように笑みを浮かべた。
「――言いません。絶対に、今、ここでは言いません」
「そうか。それなら、仕方ないね」
「でも……少しだけ、昔のように、泣いても、いいですか?」
「その為に、ここは僕と君しかいないようにしたのさ」
ぎゅ、と思い切りウェールズの服を掴む。顔を胸に押し付けたまま、アンリエッタは叫んだ。泣く、というより、そう評した方が恐らく正しいと思うほどに、声を張り上げた。
「何故戻ってこないの……!? 貴女のそういう全部背負ってやろうという自分勝手なところが大嫌い……! ルイズの、ルイズの」
「……」
「ルイズの、馬鹿ぁぁぁぁぁ!」
あら、と彼らとすれ違った人物は声を上げた。才人達もよく知っているその人物を見て、どうもと頭を下げる。しかしその人物はそんな三人の態度が気に入らないようであった。
「あなた達」
「は、はい」
「挨拶をするのならば、きちんとこちらを見なさい。わたしはあなた達を見ているのに、揃いも揃って顔を逸らして」
まったく、と眼鏡をくいと指で持ち上げた。そうしながら、まあ大体理由は察しているけれどと溜息を吐く。その人物の、エレオノールの眼の前にいるのは三人。普段ならもう一人いるはずの、彼女の妹の姿がない。
「おちびが帰ってきていないのが気まずいの?」
「う」
ルイズは無事である。そう宣言したものの、ならば全く心配していないのかといえば当然否。必然的に身内にどんな態度を取って良いのかも分からなくなるわけで。大丈夫ですよね、と笑顔で言い放つことが出来るほど才人達は豪の者ではないのだ。だって相手はヴァリエールだもの。
「まあ確かに……父さまは表面上は平静だけれど案外参っていたわね」
「公爵様が……? あ、いや、まあ、そりゃそうか」
ルイズの使い魔の男、ということで色々とボコされた思い出が蘇る。当分近付くのやめよう、と才人は心に誓った。
それに対し、とエレオノールは言葉を続けた。母さまとカトレアはそこまででもないのよ、と。それは別に薄情だ、という意味ではないのは勿論三人にも分かる。
「信じて、いるんですね」
「おちびがそう簡単に死ぬもんですか」
「それは同意」
「……まあ、それでもあの娘がいないのは現状痛いわ。その分働いてもらうから、覚悟をしておきなさい」
分かっていますと才人もキュルケもタバサも頷く。よろしい、と笑みを浮かべたエレオノールは、用事があるからとその場を去っていった。どうやらウェールズとアンリエッタを呼び戻し、王宮でマザリーニを交えた会議を行うらしい。
そんな彼女の背中を目で追っていた三人は、よし、と気合を入れると再度足を動かした。とりあえず何をしていいかは分からない。けれど、じっとしていることは出来そうにない。口に出さずにそんな結論を出すと、廊下を抜けた先で思い思いの場所へと散らばっていく。
キュルケは他の皆のいる場所へ、タバサは情報を集めに、そして才人は一人鍛錬をするために。
そんなやり取りを行った当日はまだ良かった。不安を煽るような一幕を信頼で押さえ込んでいた当初は問題がなかった。それでも時間が経てば当然薄れていく。不安と信頼のバランスがゆっくりと傾いていく。
「使い魔ぁ!」
それがまず露見したのは他でもないこの男であった。声を荒げてやってきたワルドは、そのまま才人と模擬戦というのもおこがましいほどの全力で己の得物をぶつけ合い、そして揃って二人で倒れ伏した。
「……なあ、ワルド」
「何だサイト」
「やっぱり、不安なのか?」
「愚問だ。信じていようがいまいが、そうなるのは当たり前だろう」
日に日に冷静になっているように見えるどこぞの魔王とは違うのだ、とワルドはぼやく。まあそうだよな、と倒れたまま溜息を吐いた才人は、だがな、という彼の言葉に視線を動かした。
「それ以上に、自分の情けなさに腹が立つ。何故俺は、あの時に負傷していた……何故ルイズの役に立てなかった……とな」
「……そうなった原因ルイズだけどな」
操られてしまった、という意味ならば確かにそうなのだろう。そう思い直し、才人は呟いた言葉を訂正した。そのまま暫し二人で倒れたまま空を仰いでいたが、ワルドは小さく息を吐くとゆっくり立ち上がった。癪だが、少しだけ気分が楽になった。そう言って才人を見ることなく彼なりの礼を述べた。
「へいへい。ま、俺も鍛錬の相手が戻ってこないんで丁度良かったよ」
「……誰か適当な人員でも呼んでやろうか?」
「うぇ!? 何でお前がそんな親切なんだよ気持ち悪ぃ!」
「貴様のためではない。ルイズのためだ。彼女が戻ってくるまで、貴様が必死で守れ、というだけだ」
「……あいよ」
そう言って才人も立ち上がる。戻ってくるまで、とワルドは迷うことなく述べた。こいつがそんな態度なのに、自分が弱気になっていては仕方がないだろう。そう再確認し、勢い良く頬を張った。
数日後、才人はあの髭面、と叫ぶこととなる。適当な人員というワルドの選択によりやってきた人物を見て、である。
アニエスはまだいい。確かに剣技ではルイズ達規格外を除けばトップクラスだ。武器だけの立ち回りならばワルドに勝るとも劣らないだろう。
問題は残りである。
「えっと、お兄ちゃん?」
「……おう」
エルザであった。最近エレオノールがラルカスと共に王宮お抱え軍師になりつつあるおかげで、アカデミー手伝いの仕事としては暇になっている少女であった。とはいえ、まだギリギリ大丈夫である。カトレアに師事していたおかげで、ハルケギニアの吸血鬼というよりも才人のよく知る吸血鬼になっている感のある彼女ならば、たしかに鍛錬の相手には妥当であるからだ。
ちらり、と才人は最後の一人を見た。よく見知った顔である。が、メイド服を来てツーサイドアップにしていないその少女は、鍛錬の相手には到底成り得ない人物であった。曰く、もう一人の自分が来たがらないため代わりに伝言を預かってきたらしい。
「まあ、つまり鍛錬の相手ってわけじゃないわけか」
「……したら、死にますよ?」
「しねぇよ! てか、体はもう大丈夫なのか?」
「別に、操られていただけですし。エスメラルダさんや店の皆は心配してくれてますけど」
だからこそこういう仕事が回されたのだ、と彼女は苦笑する。そうかい、と同じく苦笑を返した才人は、まあそういうことなら見学でもしててくれと少女に述べた。
視線をアニエスとエルザに向ける。アニエスはイチャイチャは終わったのかと口角を上げ、エルザは少しだけ不貞腐れた顔で才人を見ていた。
「……二人纏めて、相手するかんな!」
「ほう、大きく出たな。確かにあいつらには及ばんが、これでもあの魔王の無茶に付き合ってきたんだ。油断していると痛い目を見るぞ」
「むぅ……アニエスさんの言う通りだよ。流石にそれはちょっとカチンときたかな」
腰の剣を抜き放つ、両の手に周囲の葉を纏う。そうして臨戦態勢を取った二人を見て、才人は望むところだと刀を抜き放った。鍛錬、と言った割に三人が三人共に本気であった。
「では、判定を頼むぞ」
「え?」
アニエスの言葉に目をパチクリとさせた少女だが、そんなことはお構いなしに戦闘は始まる。先手はアニエス。剣を横一文字に薙ぎ払い、才人の突進をそのまま斬撃の威力を高めるのに使おうとした。勿論気付いた彼は踏み止まり、危ないと正眼に構えていた刀を横に構え直し受け止める。
そこへ、姿勢を低くしながら駆けていたエルザが懐に潜り込んだ。アニエスの行動の予測、才人がそれを受けどう動くかの信頼。その二つを総合した完全なる奇襲の動きであった。
「げ」
「木々よ。我が腕に纏われし葉よ。目の前の相手を、掴み給え」
ざざぁ、とエルザの左腕の木の葉が才人に絡みつく。鎖のようになったそれは、離脱しようとした彼の足を大地に縫い付けていた。才人はエルフの呪文すら凌いだ男である。勿論無理矢理吹き飛ばすことは出来るであろうが、それをするには数瞬のタイムラグがあった。すでに右拳を握り込んでいる少女から逃げるには、致命的までに遅い。
エルザが拳を捻りながら才人に押し当てる。そこを起点に螺旋を描くように足先から体全体を通り拳へと威力を伝えると、そこに纏っていた木の葉の力ごと叩きつけるようにそれを打ち出した。
「うごぉ!」
「おお」
「あ」
飛んだ。才人がものの見事に放物線を描いて、飛んだ。古代竜との決戦の為にカトレアから学んだ拳闘術と呪文のハイブリッド、それを思わず叩き込んだエルザは、結果を見て暫し固まった。
「フランに勝るとも劣らん一撃だ。流石は魔境の姫君直伝」
「あ、うん。……ちょっと、思ったより、飛んだかな」
「まあ、あの馬鹿者にはいい薬になっただろう」
自惚れか、焦りか。どちらにせよ、少し頭を冷やすには丁度いい。そんなことをアニエスが言っているタイミングで、才人は頭から地面に無事着地をしていた。彼女の言う通り、鉄火場ならば受け身を取るなりなんなりしていたはずの彼がそのまま落ちるというのは、そういうことなのだろう。
「……ついでだ。他の連中も呼んでこよう」
「他?」
首をかしげるエルザに向かい、アニエスはニヤリと笑う。そもそも、鍛錬相手というならばわざわざ呼ばずともこの学院に山程いるではないか、と口角を上げる。
「剣や近接以外を、集めるのさ」
やっぱり魔王に仕えていると似てくるのかな。そんな失礼なことをエルザは思ったが、決して口にはしなかった。懸命である。
まあ前々から主人公不在の話多かったし