片手で胸を隠しながら、ルイズは羞恥で真っ赤になった顔を顰めた。デルフリンガーを構えようとするが、しかし激しい動きが出来そうもないのを自覚して悔しげに剣を下ろす。
そんな彼女を見て、参ったかと言わんばかりに怪鳥は鳴いた。
「う、ぎぎぎぎっ……」
「ルイズ、ルイズ! 駄目! 女としての超えちゃいけない部分よそこは!」
「公爵の三女が胸丸出しで暴れたら確実に問題になる」
「俺っちの相棒の二つ名が痴女になるな」
八つ当たりのようにデルフリンガーを地面に突き刺すと、マントで自分の前面を覆った。そのままキュルケ達の方へと下がり、若干涙目で帰ると述べる。戦うことを諦めたとも言えるその一言は、事実上の敗北宣言であった。
そんなルイズをよしよしと慰めたキュルケは、ちらりと怪鳥に視線を向ける。別にどうでもいいと言わんばかりの目をしているのを見て、彼女はホッと胸を撫で下ろした。これで追撃を加えてくるような輩であれば、こちらとしても応戦をしなければならなかったからだ。
が、そんな彼女の安堵は次の瞬間砕け散った。先程ルイズの尻の下敷きにされていた才人がゆっくりと起き上がると、持っていた剣を怪鳥に突き付けたからだ。
「何やってるの!?」
「何って、ルイズが戦えないんだから選手交代、かな?」
「別に向こうは戦う気がない。無理せず帰る方がいい」
タバサのその言葉にまあ確かにそうかもしれないけど、と才人は頬を掻く。彼自身もそこまで怪鳥に何か含む部分があるようには見えない。にも拘らず、そういうわけにもいかないだろと視線を怪鳥から彼女達に向け直した。
「ご主人様が恥かかされたんだ。これで黙って帰っちゃ使い魔がすたるだろ」
「サイト……」
ルイズのはだけた胸をガン見していなければ格好良かったんだけどな、と思いつつ、まあそういうことなら仕方ないかとキュルケは肩を竦めた。傍らの子供達に、もうちょっとだけ待っていてねとウィンクをする。
「忠告するけど、死ぬ前に降参がお勧め」
「……あ、やっぱあのハシビロコウそんな強いんだ」
「ルイズが服を切り裂かれた時点でお察し」
だよなぁ、と才人は肩を落とした。まあいいか、と気合を入れ直し、行くぞと怪鳥へと突っ込む。
返す刀で蹴りを食らい真上に吹き飛んだ。
「サイト!?」
ルイズが思わず叫ぶ。そのままピクリとも動かない才人は地面にグシャリと激突し、静かにその身を横たえた。怪鳥はそんな才人をじっと見詰めている。
怪鳥が短く鳴いた。それを合図にするように、才人が超痛ぇと起き上がる。持っていた剣を杖代わりにして立ち上がると、大きく息を吐き正眼に構えた。今度は真っ直ぐに突っ込むようなことはせず、相手の攻撃を警戒しながら円を描くように怪鳥の周囲で隙を窺う。
そこだ、と繰り出した斬撃は怪鳥の嘴で受け止められ、そして弾かれた。剣を跳ね上げられがら空きになったボディに再び蹴りを叩き込まんと足を振り上げる。
「ナメんな!」
強引に腕を動かし、その蹴りに自身の剣を打ち合わせた。メキ、という音がして才人の表情が一瞬変わる。その隙を逃さんとばかりに、怪鳥は足を下ろすと嘴を打ち付けた。
蹴りと嘴。怪鳥の強烈な攻撃を二連続で受け止めた才人の剣は、その衝撃に耐え切れずにあっさりと砕け散った。その衝撃で才人自身も吹き飛び、再び地面をゴロゴロと転がる。
「……わーお」
柄だけになった剣を一瞥した才人はどうしたものかと怪鳥を見た。相変わらず真正面から見ると殺し屋のような目をしたまま、気が済んだら帰れと言わんばかりに嘴を打ち鳴らす。
どうしよう、と才人はもう一度自身の手に握られている剣の柄を見た。どう考えてもこれで戦うのは無理がある。そもそも臨時の繋ぎで買っていた安物の剣で戦おうということ自体が無茶だったのだが。
ふと視線を横に向けた。先程ルイズが八つ当たりで突き刺したデルフリンガーが、帰るなら引き抜いてくれと愚痴を零している。これだ、と柄を投げ捨てると、彼は大剣に手を掛けた。
「第二ラウンドだハシビロコウ!」
「マジでか!?」
構えられたデルフリンガーが驚いたような声を出すが、才人はお構いなしに怪鳥に立ち向かう。いい加減あの嘴とかち合いたくないんだけど、という大剣の言葉は聞き流した。
刃と嘴がぶつかり合う。甲高い音を立てているが、先程のナマクラとは違いデルフリンガーはびくともしなかった。これならいける、と才人は剣を持つ手に力を込める。
「……へ?」
かかったな、と言わんばかりに怪鳥は高く鳴いた。才人の視界はぐるりと回り、いつの間にか頭が地へと向いている。どうやら上手い具合にバランスを崩されたらしい、というのに気付いたのは、彼が怪鳥にトドメとばかりに嘴を突き立てられているところで。
彼の視界に、ピンクブロンドの髪が映った時であった。
「もう、何をしているの?」
そう言って倒れた才人を抱き止めるのはルイズではなく、カトレア。突如乱入した彼女に、キュルケもタバサも思わずポカンとした表情で眺めるのみとなってしまっている。
そしてルイズは、大好きな姉が友人で弟子で使い魔の少年を助けてくれたことと、勢いに任せ余計なことをして大好きな姉を困らせたことが混じり耐えていた涙で頬を濡らした。先程の羞恥と悔しさの分も合わせ、まるで子供のようにポタポタと涙を流ししゃくりあげる。
「ぢいねぇざま……」
「駄目よルイズ。貴女はもう立派な淑女なんだから、そんな風に人前で肌を晒しちゃ」
「……ごべんなざぃ」
「泣かないの。まったく……こういうところは小さなままね」
才人を下ろしたカトレアは微笑みながらルイズへと近付き、その体を抱きしめた。優しく撫でながら彼女が泣き止むまでその体勢を維持し続ける。
そんなルイズを見ていた助けられた才人は、どことなく気まずくなって視線を逸らした。やっぱり家族の前で子供っぽくなっちゃうのはある程度仕方ないよなぁ、と思いつつ、ついでに彼女が泣いた原因の一端を自分が担っているのに気付いて申し訳なくなった。
ふと怪鳥と目が合う。何だかその目が呆れているように見えて、才人は余計に虚しくなった。どうせ俺はまだ弱いですよ。そう呟くと、同意するように怪鳥が嘴を打ち鳴らした。
「ところで、何でちいねえさまがここに?」
調子を元に戻したルイズが首を傾げそう尋ねる。それを聞いたカトレアが、何を言っているのと頬に手を当てた。
「貴女、ここの領民に魔獣の輸送を頼んでしょう? わたしのところへ助けを求めに来たのよ」
「……あ」
流石に慣れているとはいえ、あの量の魔獣を一人で運搬しろというのは無理があったらしい。急いで他に助けを求めた領民は、なんとかして魔獣を暴れさせないよう注意しつつ大至急カトレアの屋敷に伝令を送ったのだ。
その結果、領主自らが魔獣の運搬を担当するために現れ、ついでにルイズ達が荷馬車をほったらかした理由を聞いてここまで来たというわけである。
「びっくりしたわよ。どうしてなのかここのヌシとサイトさんが戦っているんだもの」
「……それは、その」
「ところかまわずに決闘するような人は母さま一人で充分よ」
「ごめんなさい……」
笑いながらルイズの頭をもう一度撫でる。そんなカトレアを見ながら、さりげなく自分の母親ボロクソに言ってないかあれ、と才人は隣の怪鳥に目を向けた。余計なことは考えない方が身の為だ、とその質問に怪鳥は目で答えた。
「さあ、帰りましょう?」
カトレアは腰を落とし、視線を子供に合わせる。笑顔でくしゃりと二人の頭を撫でると、子供達は揃ってカトレアへと抱き付いた。それに若干寂しそうな顔を浮かべたキュルケを、タバサが慰めるように肩を叩く。
子供二人とルイズが一人。カトレアに連れられ森の出口へと歩いていく。その光景を見ながら、残った三人と一振りも後に続いて足を踏み出すのであった。
「ところで」
「どうしたの?」
「俺、どうやって助かったの?」
その道中、才人はキュルケ達に問い掛けた。気付くとカトレアの豊満な胸に抱き止められていたので、そこに至るまでが不明だったのだ。
そんな問い掛けに、二人は顔を見合わせ苦笑する。別に大したことじゃないと前置きをして、後ろで皆を見送っている怪鳥を指差した。
「あの嘴を素手で受け止めて、ちょっと押し戻しただけよ」
キュルケ曰く。ルイズも流石に間に合わないあのタイミングで、一瞬にして間合いを詰めたカトレアが怪鳥の嘴を受け止めた。げ、という顔をした怪鳥に困ったような顔でこら、と述べると、そのまま彼女は怪鳥を軽く押したらしい。
その衝撃で怪鳥の巨体が浮いたとか何とか。
「いや軽く言ってるけどおかしくねぇ?」
「別に、彼女にとっては普通」
「まあ森のヌシも貴方を必要以上に傷付ける気もなかったみたいだし」
そういうものなのだろうか、と才人は首を傾げた。どちらにせよ、少なくともカトレアはあの怪鳥をあしらえる強さを持ち合わせているのは間違いない。ルイズが言っていたように、魔獣が部下というのも正しいような気までしてくる。そういう意味では、彼女がここを治めているのは必然とも言えるのだろう。
そこまで考えて、才人は前を歩くカトレアを見た。穏やかなその笑顔と物腰は、魔獣を統べる王者というよりもむしろ。
「魔境の姫君、てか」
「何か言った?」
「いや、何も」
自分で言って恥ずかしくなった才人は、キュルケの言葉に惚けたようにそう返した。
「無事に任務を達成出来たのですねルイズ・フランソワーズ。ちっ」
「今舌打ちしましたね姫さま」
ラ・フォンティーヌ領で集めた魔獣をカトレア監修の下でトリステインまで輸送したルイズは、どこか不満そうなアンリエッタにその旨を報告していた。今日は傍らにウェールズはおらず、何やら別の仕事を行っているらしい。
トリステインの人間でも何でもない上にやんごとない立場の人がそんなことでいいのだろうかと思わないでもなかったが、この国のある意味で腐っている政治体系を考えるとそうおかしくもないかと思い直した。そういうこの国に関する知識を持っていない才人は、姫さまの隣に居続けると精神に異常をきたすからだろうなという結論に達していたりする。
「それで姫さま。今回の報酬ですけど」
「ええそうね。前回の損害をこれで不問としておきますわ」
「……姫殿下の寛大なお心に感謝いたします」
そういう風に仕向けたのは何処のだれでもない目の前のアンリエッタなのだが、それをつつくとまた厄介なことになると判断し素直にルイズは頭を下げる。カトレアにも言われているのだから、守らなくてはいけない。
「……ルイズ? 何か悪いものでも食べました?」
「どういう意味ですか?」
「いえ、てっきり貴女のことですからまたこちらに殴りかかってくるものだとばかり」
せっかく裏に控えさせておいたのに、とアンリエッタは溜息を吐く。どうやら目の前の姫殿下は国防よりも幼馴染とのケンカを優先させるらしい。
なあこの国大丈夫か、と才人は横の二人に声を掛ける。大丈夫なわけないじゃない、というキュルケの言葉に、やっぱりそうだよなぁと溜息を吐いた。
「いっそ別の国に行くのもアリか?」
「そうねぇ。ゲルマニアはある意味実力主義だから、サイトでも案外やれるんじゃないかしら」
「ガリアはやめた方がいい」
「そっか、成程なぁ。……タバサ、何でそんな顔してんの?」
才人の言葉に、何でもないと返したタバサは、横にいる親友へと顔を向けた。視界の外れで口論を始めているトリステインの姫と自分の悪友を無視しつつ、彼女は親友の名前を呼ぶ。
「キュルケ」
「どうしたのタバサ?」
「わたしもゲルマニアに行く」
「へ?」
「母さま連れて、わたしゲルマニアに逃げる」
「た、タバサ?」
「……ごめんなさい、取り乱した」
ぶんぶんと首を振って表情を元に戻した。最近別の国の王族と出会うことで彼女の中の何かが大分プツリと切れていたが、持ち前の気丈さで以って何とかそれを繋ぎ止めたのだ。何より、自分が逃げたらあの従姉が確実に父親と伯父の生贄になる。今まで以上に。それだけは避けたい。
心配そうにそんな彼女を見ていたキュルケは、手を打ち鳴らすと笑顔を見せた。いい考えがある、と微笑んだ。
「最近色々とあって疲れたものね。今日はこのままパーッと――」
爆音が響く。何事だ、とその方向に目を向けると、珍しくデルフリンガーではなく杖を構えたルイズと、待機させていたとかいう魔法衛士隊に陣形を組ませたアンリエッタの姿が見えた。どうやら結局口論では決着がつかなかったのでケンカに移行したらしい。
「ではルイズ、早速貴女の調達してきた魔獣達を使わせてもらおうかしら」
「こんな場所でですか? どうやら姫殿下はその若さで耄碌してしまったのですね」
「ふふっ。目の前の不敬な小娘を捕えるのです!」
はっ、と衛士隊は一斉に杖を構える。が、それ以上は何もせずむしろ段々と距離を取り始める始末であった。お前行けよ、嫌だお前が行け、という何かのなすりつけ合いが小声で聞こえてくる。どうやら前回の戦いで騎士達は懲りたらしい。
ふっふっふ、とそんな状況を見て取ったルイズが笑みを浮かべながらゆっくりとアンリエッタに近付いていく。まずい、とアンリエッタの頬に汗がつたった。
「……ふぅ。しょうがありません。今回はこのくらいで勘弁して差し上げますわ」
撤収、という言葉と共に謁見室から去っていく王女。了解、とそれに付き従い逃げる騎士達。待て、とそれを追い掛けるルイズ。
そして、その光景を見なかったことにした残り三人。
「飲みに行きましょう!」
「お、おう! そうだな、行こう!」
「賛成」
もう一度魔獣調達の依頼が来ても関係ないと言い張るために、キュルケもタバサも才人も、ルイズをほったらかして王宮を後にするのだった。
ふりだしに戻るエンド。