無論色々投げっぱなしジャーマン。
その1
ロマリアの教皇より書簡が届いたのは、アンリエッタがそろそろ適当な理由をでっち上げて高等法院を締め上げようとしていた矢先のことであった。近い内にトリステインに訪問する旨が書かれたそれを眺めた彼女は目を見開き、そして誰にも見えないように表情を隠しながら毒吐く。面倒な時に面倒なことが、と。
まあここで断るという選択をすることは出来ない以上、もてなしの準備が必要だ。アンリエッタはそんな指示を出しながら、高等法院の始末を脇に置く。ふう、と息を吐くと、アニエスを呼び二枚の指示書を手渡した。これは? と首を傾げる彼女に向かい、アンリエッタはにこやかな笑みを浮かべながらワルドに渡すよう伝え、ついでに二言三言余計な言葉をも付け加えた。
「さて、仕込みはこれでよし」
後はロマリアの出方次第で先を変える必要がある。そんなことを思いつつ、ああそうだと羊皮紙にペンを走らせる。別の衛士隊にそれを伝書係に渡すよう指示し、ワルドに指示書を渡し終えたアニエスが戻ってくるのを紅茶を飲みながら暫し待った。
ここまでがワルドがヴァリエール公爵領に向かう少し前の話である。現在、彼が才人と無駄に意地を張りながらぶつかり合っている頃、教皇との会談を終えたアンリエッタはアニエスを傍らに控えさせながら溜息を吐いていた。
「殿下」
「何アニエス? わたくし、とっととこの仕事を切り上げウェールズ様に癒してもらいに行きたいのだけれど」
「……差し出がましいことを申し上げますが」
どうなさるおつもりですか。護衛として会談に赴いていたアニエスは、二人の会話で気になっていたことをそのものずばり尋ねる。力が必要だの、虚無がどうだの、聖地を手に入れるだの。そこまで敬虔な信者ではない彼女にとっては胡散臭い以外の何物でもなかったそれは、一応曲がりなりにも王族でありブリミルを信仰しているアンリエッタにはどう聞こえたのか。とりあえずそこをはっきりさせなければ、自分の動きに迷いが出る。
「別に、どうもしませんわ」
「は?」
そんな彼女の思いを打ち砕くような、あるいは望んでいた通りのような。アンリエッタはさらりとアニエスの疑問にそう答えた。身も蓋もない事を言ってしまえばこの一言を述べたのだ。
知るかそんなもん。
「それでよろしいのですか?」
「よろしいも何も。本題を述べてもいないあんな会話などに価値はありません」
「本題、ですか」
「ええ。おかしいと思わない? あの方は平和を、争いを無くすことを望んでいらっしゃったわ」
ならば今この現状は彼にとっていい方向に進んでいると評価すべき事柄だ。始祖の血族である三国が同盟を結び、かつてないほど安定しているハルケギニアを憂う理由がどこにあるのか。確かに小競り合いはまだあるだろう。小規模な戦争は起こり得るだろう。だがそれは人が人である限りどうしようもないことであり、しかし極力それを少なくすることの出来る力は既に備わっている。
そんなことを知らないはずがないロマリアの教皇ともあろう人物が、何故わざわざ力を欲するなどと、虚無が必要などと言い出したのか。
「聖地が必要だから、ではないのですか?」
「何故?」
「心の寄る辺が必要とおっしゃっていたはずですが」
「ええ、そうですわね。……実に、教皇らしいお考えだわ」
ふう、と溜息を吐きながらアンリエッタは資料の束を取り出す。薄汚れ、本来ならば処分されていてもおかしくないであろうそれは、どうやら採掘を研究したアカデミーの報告書のようであった。
読め、と促されたアニエスはそれを手に取り、そして目を見開く。震える手を無理矢理押さえつけながら、これは本当のことなのですかとカチカチと歯を鳴らしつつ主に問うた。
「本来ならば、狂人の戯言として気にも留められなかったでしょう」
彼女の欲していた答えとは少し違うが、否定しないということはつまりそういうことなのだ。そう判断したアニエスは、大きく息を吐くとその資料を机に置いた。その顔は青褪め、何かきっかけがあれば今にも腰の剣で自身の首を斬りかねないほどである。
が、そんなアニエスを見て、アンリエッタは困ったように笑った。少し脅かし過ぎたわね。そう言いながら、臣下である彼女に向かって謝罪をした。
「その記述、未完成なの」
「……と、言いますと?」
「地下に眠る風石による大地の爆発的隆起現象。長いわね、『大隆起』とでも呼びましょうか、それはだいたい数万年規模で起きているようなの」
「す、数万年……?」
「ええ。こちらで裏付けを取った結果、少なくともかつての『大隆起』に匹敵する災厄が起きるのは向こう四千年ほど後の話ですわ」
ちょっとした大地の爆発は起きるかもしれないけれど。そんなことを言いながら肩を竦めたアンリエッタを見て、アニエスは力が抜けたようにへなへなと崩れ落ちた。冗談が過ぎます、そう述べ恨みがましげに主を睨みつつ、安堵の溜息を吐きながら彼女はゆっくりと立ち上がる。
そして、何故アンリエッタがこの資料を自身に見せたのか、その意図に気が付いた。
「まさか教皇聖下は」
「いずれ来る『大隆起』による混乱を収めるべく、と考えておられるのでしょう」
気の長い方なのか、心配性なのか。どちらにせよ、自身の幸せが第一で楽しむことが第二のアンリエッタにとってはまるで共感出来ない考えである。それどころか、場合によっては彼女のその優先順位の邪魔をしかねない彼に反発すら覚えていた。
勿論表には出さない。彼女が反発するのは始祖やロマリア、教皇という存在ではなく、ヴィットーリオという個人に対してでしかないからだ。
「まあ、恐らくガリアもわたくしと同じような意見を持っているでしょうから、同盟に揺らぎは生じないと思いますけれど」
念の為に予め手紙を送っておいてよかった。そんなことを呟きつつ、さてではそろそろと彼女は席を立つ。気付くと積んであった仕事は終わっており、ご丁寧に事後処理の担当ごとに分類までされていた。
「こちらも師匠(せんせい)をお呼びしましたし、向こうの動きに対応する準備は出来ています。ただ――」
どうも、何か別の輩が動いている気配がする。いつになく真剣な顔でそう続けたアンリエッタは、しかし次の瞬間微笑を浮かべながら愛しい殿方の名前を囁きつつ部屋を飛び出していった。ウェールズ分が限界値を突破したらしい。
扉を閉める勢いで生まれた風により舞ってしまった数枚の資料を拾いつつ、アニエスはやれやれ、と溜息を吐いた。どうやら彼女の部下でいる限り、心配事は大規模なほど瑣末事のようだ。苦笑しながら手にした資料を整え、机に置く。
そこに書かれていた研究者の女性の家名は、ド・ワルドとされていた。
場所は変わってガリア、ヴェルサルテイル宮殿グラントロワの一室。いつものようにジョゼフとシャルルが盤上遊戯に興じながら、しかし傍らに置いた資料を見つつどこか面白く無さそうな顔で対面していた。
「まったく、くだらん」
「ははは、手厳しいなぁ兄さんは」
「そういうお前も同じ意見だろう? 信仰に縛られた若造の世迷い事に一喜一憂するほどおれは夢見る年ではない」
「まあ、確かに」
虚無の力を得て聖地を取り戻す。ロマリアの神官らしい、経典に書かれたことをそのまま諳んじているかのように熱心なそれは、生憎とジョゼフの心には微塵も届かなかった。それどころか反論してボコボコにしてやろうと口を開きかけたほどである。流石にシェフィールドによって全力で羽交い締めにされ止められたが、そういう不完全燃焼の不満もあり、彼は現在非常に機嫌が悪かった。
「しかし、四つの虚無か。ご大層な伝説を出してきたものだな」
「伝説、ね……」
「何だシャルル。お前も夢見る年だったのか?」
「馬鹿言わないでくれよ兄さん。ぼくも兄さんと同じ、年頃の娘が……一人、いるのだから」
どこか歯切れの悪い返事。それを聞いたジョゼフの眉がピクリと上がり、そしてその目が細められた。が、それも一瞬。お互いに表情を元に戻した二人は、盤上の駒を動かしながら先程の話を再開させた。勿論話題は教皇との会談についての不満である。
「エルフとの対話には力が必要ときたものだ。交渉には力が必要、いや全くその通り」
「言葉と態度が全く合っていないね」
そう言ってシャルルは誰ぞを馬鹿にしたような表情を浮かべたジョゼフを見ながら肩を竦めた。駒を動かし、資料に目を通し、そしてふうと溜息を吐く。
力にも種類がある。相手を打倒する単純にして純粋な力、敵を作らない争わない為の力、敵も味方も同じテーブルに付け纏め上げる力、等。果たしてあの教皇はどれを指して力が必要と言ったのだろうか。
「確かに、虚無は教皇聖下の思っている『力』に相応しいだろうね」
「ああ。そして、おれ達の持っている『力』は、あの信仰厚き教皇聖下には相応しくない」
これは真っ向から対立してしまうな。そう言いながらジョゼフは面白そうに口角を上げた。駒を動かし、早速新たな一手を打とうではないかと兵士を呼び寄せる。
奴を呼べ、という彼の言葉にかしこまりましたと頭を下げた兵士を眺めつつ、シャルルはふと思い出したように兵士を呼び止めた。
「ついでにシャルロットを呼んできてくれ」
はっ、という返事と共に部屋を出ていく兵士から自身の弟にジョゼフは視線を移す。何だ分かっているではないか。そう言わんばかりのその表情に、付き合いは長いからねとシャルルは肩を竦めた。
そのまま暫し雑談と盤上遊戯に興じていた二人であったが、扉の外で兵士が声を掛けたことでそれを中断させた。よし、入れろとジョゼフが述べ、その言葉の返事と同時にゆっくりと執務室の扉が開く。
兵士に連れられてきた人物は三人。一人はシャルルの娘であるシャルロット。夏休みの間帰郷しており従姉と過ごしていたところを呼び出され、また何か厄介事かとあからさまにげんなりした表情を見せているのが特徴だ。
そして残り二人。薄茶色のローブを着た長身の男と、無造作に切り揃えた長い金髪の女性。共に帽子を被り耳を隠しているが、しかしその表情は対極であった。片や何か厄介事かとタバサと似たような表情を浮かべる男性に対し、何か面白そうだともう片方の女性は顔を輝かせる。
そんな三人の内嬉しそうな女性に視線を向け満足そうに笑ったジョセフは、残りの二人を見やった。ますます表情が曇っている二人を見て、信用がないなと肩を竦める。
「日頃の行いであろう」
「うん、そう」
まあいいから用件を言え。そう目で訴えた二人を見て、笑みを消さぬままジョゼフはまあとりあえずこれを見ろと先程まで見ていた資料を手渡した。先程の教皇との会談の会話録、そしてアンリエッタからの手紙の写しと添付された資料。それらにざっと目を通した二人は、凡そやることに予想がついて諦めたように溜息を吐いた。
「叔父さま! エレーヌ! わたしその資料読んでない!」
「……ほれ」
叔父さま、と呼ばれた男性が女性にそれを手渡す。ふむふむ、とそれらを読んでいた女性は、アンリエッタの資料の部分まで辿り着くとおおと声を上げた。
「で? これが何なの?」
「……ルクシャナ、お前は曲がりなりにも学者なのだろう? もう少し頭を使え」
「あー、また叔父さまわたしを馬鹿にする!」
んべぇ、と舌を出して男性に悪態を吐いたルクシャナは、隣にいるシャルロットに視線を向けた。優しいエレーヌなら大丈夫よね、という言葉に、少しだけ目を逸らしつつ仕方がないと肩を竦める。
どこの世界にもこういうのはいるんだな、とピンクブロンドの悪友を思い出し彼女はこっそり溜息を吐いた。
「この馬――伯父さまと父さまは、ルクシャナと、多分ビダーシャルも。親善大使として他国に向かわせるつもり。きっと、すぐにでも」
「口が悪くなったねシャルロット」
「王族の嗜みだとアンリエッタ姫より伺いました」
「うーん、そうか」
まあ元気ならいいやと納得したように頷くシャルルは、答え合わせをするようにジョゼフに視線を向けた。無論彼は満面の笑みである。流石はシャルロット、分かっているではないかと彼女に近付き、子供をあやすように抱き上げ頭を撫でた。
無論、殴られた。
「ルクシャナ。言っておくが、これが正しい王族の姿ではないぞ」
「はーい」
再度場所が変わり、アルビオン。ロンディニウムのハヴィランド宮殿の一室で涙目になっている少女が一人。一体全体どうしていいのか分からないと右往左往するその姿は、傍から見ているととても庇護欲をそそられる可愛らしい姿であった。
その姿とは対照的な胸部の膨らみがバインバインと揺れていたのも拍車を掛ける。
ともあれ、アルビオン国王代行ティファニア・モードは、突然の教皇との会談の会話録と従姉の手紙を見比べ途方に暮れていた。現在救国の象徴としての役割がほとんどの彼女にとって、いきなりのこの仕事は荷が重いなどという言葉で済まされるものではなかったのだ。
「う、うううぅ」
涙目で隣にいる老メイジに視線を送る。困ったように笑うそのメイジは、仕方ありませんなと彼女の肩をポンと叩いた。
そういう時は、誰か信頼出来る者を頼るのです。そう言うと、彼はちらりと彼女が持っていた手紙に視線を落とす。思わずその視線を目で追ったティファニアは、彼の言わんとしたことに気付いたのか目を瞬かせた。
「えっと。パリーさん…………わたし、向かいたい場所があるんですけど」
大丈夫ですか? そう問い掛けた彼女に向かい、パリーは勿論ですと微笑んだ。では早速準備をいたしましょう。そう言うとメイドを呼び寄せ、旅支度をテキパキと済ませていく。
幸いにして今はトリステイン魔法学院は夏休み。ティファニアの姉代わりの女性も不承不承ながらここに滞在している。護衛も案内も彼女がいれば大人数でなくとも問題あるまい。そう結論付け、パリーはさっそくマチルダを呼び寄せた。
最初こそ何だとあからさまに不満気な表情であったマチルダは、ティファニアの頼みだということを知ってからは態度を一変。すぐに出掛けようと率先して準備を手伝った。
そうして時間にして一刻。宮殿より馬車が出、港町まで出発することとなる。行き先は勿論、トリステイン。
奇しくも、ガリアがエルフの二人を向かわせようとしているところであった。
Q:大隆起どうすんの?
A:起こるのずっと先だよ
問題解決!(力技)