緊張の糸が張り詰め続ける中、アンリエッタはアニエスの話を聞き、ふむ、と一言だけ頷いた。その表情は相も変わらず何を考えているかわからないが、少なくとも向こうの言い分に納得してお咎め無しにするのではないのは確かだろう。
視線をアニエスからルイズ達に向ける。笑みを浮かべたまま、さてどうしますかと彼女達に問うたアンリエッタは、近くに用意しておいた椅子に腰を下ろした。
「どうするって、何をですか?」
「決まっているでしょう? この事態の収拾を、よ」
クスクスと笑いながらそう続ける。幸いアニエスは我を忘れて襲い掛かることをしていないが、ここで出す答え如何ではそうなることだって十分にありえるのだ。にも拘らず、アンリエッタはそれをルイズに押し付けた。
ふざけないでください、とルイズは述べる。こういう時にまで人に答えを出させて、そして間違えて慌てふためくさまを見て笑うような、そんな真似を続ける気なのか。彼女のその言葉にアンリエッタは笑みを消さずに口元に手を当て、楽しそうに口を開いた。
「そうだ、と言ったら?」
「ぶん殴ります」
「あら怖い。では、そうじゃないと言っておきましょう」
「どっちにしろぶん殴りたくなる答えですけど」
「せっかちね。わたくしはただ、己の答えを披露する前に皆の考えを聞きたかっただけですのに」
嘘だ、とルイズは思ったが、しかしここでそれを口に出したところで何にもならない。への字口を浮かべつつ、ガリガリと乱暴に頭を掻きながら視線をアンリエッタから他の面々に移した。ギーシュ達は困ったように頬を掻きつつ首を振る。シエスタは首を傾げ、才人は他に何かあるのかと難しい顔を浮かべ。
キュルケとタバサはげんなりした顔でルイズを見やった。
「ここで、この状況で出せる普通じゃない答えっていっても」
「……正直、言いたくない」
多分アンリエッタも似たようなことを考えているのだろう、と二人は盛大に溜息を吐く。ルイズはそんな二人を見て少しだけ眉を顰めつつ、改めてアンリエッタに顔を向けた。こんな感じですけど、参考にはなったんですか? そう尋ねつつ、クスクスと笑っている彼女を見た。
「ルイズ」
「何ですか姫さま」
「広場に場所を移しましょうか。そうですね……決闘でも出来るような、広い場所が望ましいわ」
そう言いながらアンリエッタは立ち上がる。呆気に取られる面々の一部を見渡しながら、状況を察しているであろう三人と、そしてコルベールで視線を止めた。
彼はコクリと頷く。少しだけ苦い顔を浮かべたが、それで向こうの気が済むのならばと一人呟いた。
その呟きを耳にしたアンリエッタは一人思う。分かっているだろうに、そんな気休めを口にして、と。そんなことでこの事態が解決するのならば、もうとっくにアニエスは抜け殻になっているか自害して果てている。
そして恐らく、彼女の望む結末を迎えてもその結果は変わらない。
「まったく。部下を失わないように気を使うのも大変ですわ」
「姫さま?」
「こちらの話よ」
ルイズの訝しげな視線を受け流しつつ、アンリエッタは歩みを進める。他の面々もそれに続き、一人状況を飲み込めないアニエスのみがその場から動いていない。
アンリエッタはそんなアニエスに優しく微笑んだ。その笑みにびくりと後ずさったのを見て、彼女はあらあらと頬に手を当てる。信用されているわね。そう続けると、アンリエッタはその小さな口を開きゆっくりと言葉を紡いだ。
「ジャン・コルベールの身柄はこちらが預かります。彼には少し、王宮内で働いてもらう仕事がありますから」
「……殿下」
「そんな顔をしないの。怖くてわたくし足が震えてきちゃうじゃない」
「殿下」
「差し当たっては、彼の王宮案内役を貴女に頼んでみようかと思うのだけど」
「殿下」
「冗談よアニエス。案内は他の者に頼むわ。貴女は変わらず、私の護衛を――」
「殿下!」
叫んだ。自らの主君相手だというのに、思い切り殺気を込め、睨み付け、そして吠えた。
せっかちね、とアンリエッタは微笑む。そんなことでは目的に追い付くのが遅くなる。そう続けながら、彼女はゆっくりとアニエスに指を突き付ける。
「わたくしは言いましたよ。リッシュモン、あの男『だけ』は、きっちり首を取らせてあげると」
「謀った、のですか……!」
「人聞きの悪い。黒幕の始末はお膳立てしてあげるのですよ。それ以外の者はこちらからは差し出さないという、ただそれだけの話」
こちらにとって重要でないならば、関与はしない。ある意味そう述べたアンリエッタは、つまりと立てていた指をクルクルと回した。
目の前のこの男は、彼女が関与するべき輩である。そういうわけなのだ。
「納得出来ません」
「でしょうね。こちらも、してもらおうとは思っていませんわ」
だから、とアンリエッタは笑みを強くさせる。口元を手で隠しながら、はしたない笑みを見せないようにしながら、彼女は言葉を続ける。
チャンスは、この一回のみだ。そう言いながら、立てていた指を真っ直ぐに上へと向けた。
「彼が王宮預かりになるまでの短い時間。今回限りの一時のみ。好きに恨みをぶつけることを許しましょう」
「……そ、れは?」
「鈍いわねアニエス。ジャン・コルベールと戦わせてあげると、そう言ったのよ」
広場の中心には、デルフリンガーを構えるアニエスと、その場にじっと佇むコルベールがいる。そしてそれを見守っているのは、先程彼を守るように立っていた面々だ。
その面々とは少しだけ離れた場所で椅子とテーブルを用意し、紅茶を飲みながら優雅に座っているアンリエッタは、彼等彼女等の顔を見てクスクスと笑う。意外と、人望があるのですね。どこか失礼なことを言いながら、コルベールを見て、そしてアニエスを見た。
「アニエス」
「何でしょう」
「彼を殺したら、悲しむ人が多そうですわね」
「……惑わされませんよ」
「あら、そう? きっと悲しむわよ、『知り合いが知り合いを殺してしまった』って」
ギリ、と奥歯を噛む。思わず罵倒の言葉が出掛かり、それをしてしまえば思う壺だと飲み込んだ。違う、自分が戦う相手はあの腹黒魔王な主君ではない。目の前で、獲物を狙う蛇のように鋭い眼差しを向けている男だ。
「ミス・アニエス」
「名を呼ぶな、吐き気がする」
「……私は、まだ死ぬわけにはいかない」
「知らん。そんなことは私には関係ない」
正眼に剣を構え直す。その切っ先を相手の喉笛に向けると、アニエスは足に力を込めた。一気に間合いを詰め、首を落とす。苦痛を与えられないのが残念だが、この一回しか機会がない以上仕方ない。
普段使っているものよりも大振りなそれは少々扱いづらかったが、しかしそれでも彼女の狙いは正確にコルベールの喉を切り裂く軌跡を描いていた。当たれば間違いなく首が飛ぶ。
「そうだな。君には関係のない話だった」
その斬撃を、コルベールは最小限の動きで躱していた。思わず目を見開くアニエスを見て少しだけ眉尻を下げると、ふうと短く息を吐く。
「だから私は私の勝手で、君に殺されないようにしよう」
半身に構えるように立つと、彼は真っ直ぐ彼女を睨み付ける。蛇に睨まれる蛙、という表現の如く、その眼光を受け思わずアニエスの動きが止まった。
思い切り奥歯を噛み締める。それで呪縛を解き放つように気合を入れたアニエスは、雄叫びを上げながらコルベールへと剣を振るった。先制の一撃が駄目ならば、数で攻める。逃げるのならば、逃げられないだけの攻撃を放つ。
暴風のようなその斬撃を、コルベールはひたすらに避け続ける。致命傷となる一撃を見極め、動くのに支障がないダメージを選別し。戦闘不能にならないように躱し続ける。
避けずとも良い攻撃を選ぶ、といっても当然ダメージは負う。切り裂かれた袖口からは血が流れ、左手を赤く染めていた。足の傷が少ない代わりに、上半身の傷は少なくない。それでも、彼は立っている。何の問題もなく、立っている。
対するアニエスは未だ無傷。向こうからの反撃がないから当然なのだが、それは逆に彼女の心に傷を与えていた。ふざけるな、と叫び、先程よりも殺意を込めた目で彼を睨む。
「まさか、私の気が済むまで避け続けるとか言うつもりなのか? そんなことで、私のこの思いが晴れるとでも――」
「勿論、思ってはいない」
思い切り振りかぶったその一撃を避けたコルベールは、切り裂かれている方の左手を軽く振るった。体勢が崩れているアニエスではあるが、そんなものを素直に食らうほど理性を無くしているわけではない。腕を避け、その勢いのまま振り下ろした剣を再度振り抜こうと視線を外すことなくコルベールに向け、そして。
びしゃり、と自身の顔に生暖かい液体が掛かったことで視界を奪われた。咄嗟に目を瞑ったものの、それでも少し入ってしまい視界がぼやける。慌ててそれを拭った。腕についていた赤い液体、それの正体が何かなど考えるまでもない。が、致命的な隙を晒してしまったことで、鳩尾に一撃を食らっている己を認識する方が先であった。
「そちらの隙を作るために、判断が鈍るであろう時期を窺っていた。それだけだ」
腹から押し出された空気が逆流する。一瞬視界が暗転したアニエスは、しかしそれでも剣を振るった。斬撃は空を切り、戻った視界ではコルベールが再度距離を取り佇んでいる。
復讐をするために、メイジを、火の魔法を掻い潜り相手を屠る術を身に付けた。メイジ殺しと呼ばれるだけの腕を身に付けた。だというのに、今自分は、よりよってその憎き敵の前で隙だらけとなっている。杖を振るわれれば、それだけで終わってしまう死に体になってしまっている。
「……続けるかね?」
「……嘗めるな……貴様ぁ!」
それでも杖を取り出さず立っているコルベールを、アニエスは自身への侮辱と取った。トドメなどいつでも刺せるにそうしないのを、見下しだと考えた。
おいおい、と持っている剣が鍔をカタカタ鳴らすが、アニエスは聞く耳持たない。先程の焼き増しのように、猪のように突っ込んでは躱され、そして頃合いを見計らって反撃を食らう。それを、再度繰り返した。
「か、はっ……」
「……本来ならば、こんな風にならないだろう。魔法で人を殺さぬと自身を縛り付けている私が、君を退けることなど出来ないはずだ」
だというのに、彼女が膝を突き、彼が立っている理由は一つ。
彼女が復讐のために身に付けた技術とやらが、復讐相手を目前に殆ど機能していないからに他ならない。感情が、今までの全てを上書きしてしまうほどの負の感情が、彼女の唯一無二のチャンスを台無しにしていたのだ。
皮肉なものだ、とコルベールは思う。あれだけの感情、あれだけの根の深さ。そしてそれを実現するための技術。彼女の言う通り、自身の人生の意味は復讐だったのだろう。そんな彼女の生きてきた意味は、他でもない彼女自身の感情によって失敗に終わろうとしている。
「感情を捨てろとは言わない。だが、それでは私以外の小隊の奴らにも同じように敗北するのが落ちだ」
「黙れ! 貴様に、何が」
「分からんよ。君がどれだけ憎んでいたかなど、私には分からん。だから私が述べるのは感情ではない、技術だ」
淡々とコルベールは述べる。憎しみを募らせているアニエスとは対照的に、どこか冷たい感情を込めて、ただ、淡々と。
「炎は、冷たく見える方がより熱く燃えるのだ。忘れるな、ミス。感情は内側に、身に付けた技術を、外側に」
「煩い、五月蝿い、うるさい!」
「お、おいアニエス。駄目だっての。ちゃんとコッパゲ先生の話聞いてろって」
デルフリンガーの制止は届かず。感情のままにアニエスは突き進み、表情を鋭くさせたコルベールだけを見て、周囲など気にせずに、ただ闇雲に剣を振るう。
そのどれもが空を切ったことで、彼女は絶叫を上げた。何故だ、何故届かない。そんなことを叫びながら、それでも彼女はひたすらに剣を振る。先程彼に言われたことが、自身が今持っている剣のアドバイスが。それらが耳に入らないほど狭くなった視界で、がむしゃらに武器を振るう。
視界がぼやける。それが泣いているからだと彼女は気付かない。泣きながら剣を振るうその姿が、家に帰れない迷子のように見えたのは気の所為ではないだろうと握られているデルフリンガーは思う。
何せ、相対しているコルベールもまた、泣きそうな表情をしていたのだから。
「なあ、ルイズ」
「何?」
アニエスから目を逸らさず、才人はルイズに問い掛ける。俺は何だかんだで平和な日本で育ったから、きっと理解は出来ないだろうけど。そう前置きをして、彼は彼女に言葉を紡いだ。
「アニエスさんの復讐って、やっぱり止まらないんだろうか」
「無理でしょうね。まあ、わたしも分かるかって言われればきっと分からないわ。故郷もあるし、親しい人も生きている。この場で言うことじゃないかもしれないけど、恵まれた幸せものよ」
だからあくまで想像でしか無い。そんなことを言いつつ、ルイズは視線をアニエスから才人に向けた。
「今回は相手が相手だったからこんな結果になったけど、きっとわたしの知らない人間が復讐相手だったのならば、手を貸していたかもしれない」
「復讐、手伝うのか?」
「場合によるってだけよ。止まらないなら、せめてほったらかしにはしないように。そう思っただけ」
そう言ってルイズは笑った。そっか、と才人も笑った。
二人笑い合い、そして表情を元に戻すと、そろそろ頃合いかなとアニエスを見た。子供のように泣きじゃくり、嫌だ駄目だと駄々っ子のように叫ぶ彼女を見た。
「止めるのですか?」
アンリエッタが二人に問い掛ける。いけませんか、とルイズは返し、アンリエッタはええと微笑んだ。まだ終わっていませんから、そう続けると、彼女はゆっくり立ち上がる。
「ミス・モンモランシ。ミス・オルレアン」
「は、はい!」
「何?」
「治療の準備を。アニエスが泣き疲れて眠ったら、お願いしますわ」
アンリエッタのその物言いに、思わず二人は苦笑する。そんな二人を見て満足そうに微笑んだ彼女は、憎き相手に抱きとめられ気絶する自身の従者へとゆっくり歩みを進めていた。
アンリエッタを目で追っていたルイズは、少しだけ不満気に溜息を吐いた。結局自分は手を出すんじゃない。そう愚痴を呟きつつ、隣の才人に声を掛ける。
「わたし達は、どうする?」
「あー、そうだな」
とりあえず、デルフ回収するか。そう述べた彼の言葉に、まあそれくらいかしらねとルイズは肩を竦めた。
復讐の落とし所は難しい。