ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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ウェールズvsウェールズ(偽)


その5

 ウェールズはラグドリアン湖の湖畔へと駆け抜ける。障害を全て押さえつけてくれている皆のためにも、自分がここで怖気付くわけにはいかない。否、元よりそのつもりはない。

 ただ、彼女を助けるために。かつてここで交わした言葉を、あの時口に出来なかった言葉を、きちんと伝えるために。

 

「僕は、逃げない」

 

 見えた、とグリフォンの背に乗るウェールズが呟く。拘束されているアンリエッタと、その対面に座る一人の男。そして、傍らに立つ神父らしき男と、周囲の騎士達。

 あれが本隊か。そんなことを思いながら、彼は真っ直ぐにそこへと突っ込んだ。護衛らしき騎士達は素早く反応し杖を構えるが、ワルドの相棒とも言えるグリフォンはその攻撃を尽く躱していく。また助けられた、と苦笑しつつ、ありがとうとウェールズはグリフォンに声を掛けた。

 気にするなと言わんばかりに嘶くグリフォンを一撫でし、彼はその背から飛び降りる。杖を構え、呪文を唱えながら、精神力を込めながら。

 

「邪魔を、するな!」

 

 彼のメイジとしての実力はトライアングル。絶対強者には成り得ないが、さりとて弱者や凡人でもない。全力を、気合を以ってすれば意志を持たない人形の護衛を吹き飛ばすには事足りる。倒れ伏す騎士達を一瞥すると、ウェールズはゆっくりと彼女へと向き直った。

 目を瞬かせ、そして次の瞬間には満面の笑みに変わったアンリエッタへと。

 

「すまないアンリエッタ。迎えが遅くなった」

「いえ、いえ! そんなことはありませんわ。わたくしは、ウェールズ様が来てくださっただけで……」

「ありがとう。……さて、少し待っていてくれ」

 

 話の続きは、片付けが終わってからだ。そう言うと彼は視線を戻す。ふん、と見下したように鼻を鳴らす高等法院長と、忌々しげに自身を睨む司教を視界に入れ、彼はその視線を鋭くさせた。

 やれやれ、とリッシュモンは肩を竦める。どうやらあの連中は失敗したようだ。そんなことを言いながら、自身の杖を取り出した。

 

「得体が知れぬとはいえ、やはり小娘の用意した傭兵共などこの程度か」

 

 杖を振る。倒れ伏していた騎士達が立ち上がり杖を構えるのを確認すると、リッシュモンはニヤリと笑った。まあこの人形共は多少役に立つか。一人呟きつつ、クロムウェルへと視線を動かす。

 

「司教。私は例の準備へと向かいます。人形の指揮を任せるのであの男の始末、お願いしますよ」

 

 再度杖を振り、ウェールズからアンリエッタを引き離すと、リッシュモンは下卑た笑みを浮かべた。ご安心を、そんなことを言いながら彼は彼女に視線を向ける。

 

「ウェールズ殿下は、こちらの忠実なる死体として運用させていただきますから」

 

 はっはっは。堪え切れなくなったように笑い始めたリッシュモンを、アンリエッタは冷めた目で眺めた。そうですか。それだけを呟くと、ウェールズへと向き直り恋する乙女の笑みを浮かべる。

 

「ウェールズ様!」

「大丈夫だアンリエッタ。すぐに行く」

「はい!」

 

 貴様など眼中にない。そう言われたも同然の会話を繰り広げた二人を、リッシュモンとクロムウェルはギリリと歯噛みしながら睨み付けた。

 

 

 

 

 

 

「どうやらおれの仕事は失敗だな」

 

 湖畔の方で響く魔法の轟音を耳にしたジャックはそう呟いた。まあ別にいいと言わんばかりのその態度のまま、そういうわけだからそろそろ撤収するぞと目の前の男に述べる。

 ふん、と服についた煤を払ったワルドは好きにしろと返した。どうせこのまま続けていても無駄に時間が長引くだけだ。そう続け、ずれていた帽子を被り直す。

 

「違いない。まあ、俺はドゥドゥーほど戦いを楽しむわけじゃないしなぁ」

 

 笑いながらジャックは遠ざけていた馬を呼び戻した。後は向こうが負けてくれればこちらとしては万々歳なんだが。そんなことを言いつつ、弟達の様子でも見てくるかと手綱を握った。

 

「依頼人に随分と不義理だな」

「正式に雇われているのはお嬢にだしな。そんなものよ」

 

 じゃあなと森を駆けようと馬を走らせるジャックの横を、ワルドは『フライ』の魔法を唱え並走した。何だどうした、と首を傾げる彼に向かい、ワルドは平然と言葉を返す。別段戦う理由もなくなったのだから、自分も愛しい婚約者の様子を見に行くのだ、と。

 さらりと言い放ったその言葉に、そうかそうかとジャックは笑った。

 

「そういえば、いいのか。あの女性を放っておいて」

「『地下水』のことか? まあ、あの小僧とイチャイチャしているだろうしな。馬に蹴られる趣味はない」

「そうか。……まあ確かに使い魔が他の女とくっつけば何の問題もなくルイズと」

 

 くくくく、と邪悪な笑みを浮かべるワルドを見て、ジャックは若干引き気味になったとかならなかったとか。

 

 

 

 

 

 

 腹に風穴を開けられた騎士は倒れ伏し、人形に戻ると砕け散った。次、とウェールズが視線を向けるが、既に立ち塞がる者はいない。馬鹿な、と後ずさるクロムウェルが一人いるのみだ。

 彼はそんな司教に杖を向ける。ひい、と怯えたような表情を浮かべるのを見て、ふうと大きく息を吐いた。

 

「そこを通してもらう」

 

 文句はないな。そう言わんばかりの表情を見たクロムウェルは、一も二もなく頷いた。憎き相手ではある、アンリエッタもそうだが、この男もレコン・キスタ崩壊の一因なのだ。が、それでも脆弱な自分が単騎で挑むほどの決心があるかと言われれば答えは否。望むとしても精々強者の傍らで眺め溜飲を下げる程度だ。今のところは五体満足で、捕らえられ処刑される恐れもない。好き好んで命を落とすほど、自分はまだ無謀ではないのだ。

 素直に道を開けたクロムウェルを一瞥したウェールズは、もうこんな馬鹿な真似はよせと述べると一気に駆け出した。彼の目的はこんな小物を相手にすることではない。高等法院を始末することでもない。

 アンリエッタを、愛しい婚約者を助けることだ。

 

「アンリエッタ!」

 

 ラグドリアン湖の湖畔を駆ける。巨大な湖の一角にいるであろうリッシュモンを探し、彼は全力で進む。

 程なくして人影を見付けた。見間違えるはずもない、アンリエッタの姿。そしてそんな彼女を攫った不届き者。

 

「司教も所詮は役立たずか」

 

 吐き捨てるようにそう述べたリッシュモンは、仕方ないとウェールズを睨んだ。どうやら自身の手を汚さなくてはいけないようだ。そう続けながら杖を取り出し呪文を紡ぐ。

 そんな男を見ながら、ウェールズはゆっくりと自身の杖を構えた。以前まで使っていたものとは違う、より実戦的な作りをした剣杖を、真っ直ぐリッシュモンへと突き付けた。

 

「アンリエッタを返してもらう」

「アルビオンの皇太子殿下が、トリステインの姫殿下を、返してもらうですか。くくく、どうやら随分と国は腐敗しているようですな」

「……別におかしなことではないさ。私はすでにアルビオンの皇太子ではないからな」

 

 何? とリッシュモンは怪訝な顔を浮かべる。そんな元高等法院長に向かい、ウェールズは薄く笑うと口を開いた。アンリエッタが目を見開くのを構わずに、彼は言葉を紡いだ。

 

「私はアンリエッタの夫となり、トリステインの王になる」

「……成程、アルビオンは未だ王が健在、対してトリステインは王不在。権力を握るのは容易いでしょうしな」

「貴方に分かってもらおうなどという気は毛頭ないよ。僕がその座につく理由は一つだけだ」

 

 視線をアンリエッタに向けた。彼女の背後に広がるラグドリアン湖を視界に入れ、いつぞやの誓いを思い出す。

 あの時彼女は愛を誓った。対して自分は、身分など関係なく笑い合うことを誓った。

 アンリエッタはウェールズを愛し、そして憚ることなく笑い合う環境を作り上げた。誓いを守り続けた、誓いを破らなかった。だから、彼がやることは一つだけだ。

 

「水の精霊の御許で誓う。僕は、アンリエッタを、永久に愛する!」

「ウェールズ様……!」

 

 ぽろり、と彼女の目から涙が落ちた。彼は自分を愛してくれていたが、しかしそれは果たして本当に男女の愛情だったのか、最後の一歩で自信が持てなかったのだ。だが、今は自信を持って言える。こうしてウェールズが愛を誓ってくれたから、迷うことなく口に出来る。

 アンリエッタとウェールズは、間違いなく愛し合っているのだと。

 

「王族ともあろうものが、青臭い子供のようなやり取りを行うとは、全く嘆かわしい」

 

 こんな輩が国を背負っていては斯様なものになるのも当然か。見下すようにそう吐き捨てたリッシュモンは、茶番は終わりだとばかりに杖を振る。そこから生まれた火球は人一人容易く消し炭にする威力を秘めていたが、しかし。

 剣杖を一振りしたウェールズの呪文により、あっさりと炎は掻き消された。

 

「金と権力に塗れ錆び付いた腕で、このウェールズ・テューダーを倒せると思うな!」

 

 叫び、続けて呪文を唱える。風の刃がリッシュモンへと向かい、その杖を腕ごと切り落とさんと唸りを上げた。

 その直前、別の方向から飛来した風の刃がそれを打ち消した。何者だ、とウェールズが視線を向けると、そこにいたのは一人の青年。

 助かった、と笑みを浮かべるリッシュモンの傍らに移動したのは紛れも無く自身と同じ顔。

 

「やあウェールズ。僕の名前はウェールズ・テューダー」

 

 もう一人のウェールズが、そこにいた。

 

 

 

 

 任せたとばかりにリッシュモンは下がる。そろそろ水の精霊がこの騒ぎにしびれを切らし現れる頃だ。そう彼は予測を立て、作戦の遂行のための準備を行い始めた。それまでにウェールズを始末できればそれでよし。出来ないのならばこの手にあるアンドバリの指輪を使い先にアンリエッタを傀儡に変えるだけだ。多少順序が変わろうが、やることに違いはない。

 そんなことを考えながら、リッシュモンは目の前の戦いを見やる。自身の予想を違えることなど、想像していなかった。余計な邪魔もない、障害は自信過剰な一人の若造。こちらの勝利は揺るぎようがない。

 

「……そう思っているのだろうな」

 

 ふ、とウェールズは薄く笑う。そして対峙するウェールズに、自身の姿を模した偽物に杖を突き付けた。それに合わせるように、偽物も杖を構え突き付ける。

 向こうの持っている彼が元々持っていた杖と、自身の持っている剣杖。それらがお互いを撃ち抜かんと構えられているのを見て、ウェールズは思わず笑ってしまった。

 成程。これは偽物との対決などではなくて。

 

「元高等法院長」

「何だね元皇太子殿下」

「この余興に感謝を。おかげで僕は、完全に吹っ切れる事が出来る!」

 

 過去の自分を打ち倒す。そう決意したウェールズは、足に力を込め一気に間合いを詰めた。メイジらしからぬその動きに、偽物は一瞬動きが遅れる。今までの彼ならば決してしなかったその行動に、人形の経験がついていけなかったのだ。

 呪文を唱え『ブレイド』を纏わせる。それを振り上げたウェールズは、躱されたと判断するやいなや即座に次の呪文を唱えた。風の槌を生み出し、体勢の崩れている偽物に叩き込む。吹き飛び転がる偽物を視界に入れつつ、追撃のための呪文を唱え。

 

「やはり邪魔をするか」

「ちぃ」

 

 リッシュモンの唱えた火球をバックステップで素早く躱した。自身の身体能力では完全に避けきることは出来ないと踏んでいたのか、ウェールズが唱えていたのは追撃ではなく、移動と防御。体勢を崩すことなくリッシュモンと偽物双方を視界に入れた彼は、まだまだと杖を掲げ呪文を紡いだ。

 

「馬鹿な……今までとは随分違うではないか」

「元高等法院、僕の友人であるサイト君の国の格言に、こういうものがあるそうだ。『男子三日会わざれば刮目して見よ』。……嘗めるなリッシュモン!」

 

 呪文を解放する。巨大な竜巻を生み出したそれは、真っ直ぐに偽物とリッシュモンを蹂躙せんと飛来し。

 正気か、とリッシュモンは叫んだ。人質がいるにも拘らず広範囲の呪文を放つなどと、どう考えてもその相手を軽視しているとしか思えなかったからだ。先程の宣言が嘘のように、言動と行動がチグハグに感じられた。

 が、アンリエッタは動じない。敵を打ち倒し、そして自身も巻き込まんとするその竜巻を見ても、彼女は顔色一つ変えずに笑みを浮かべたままウェールズを見詰めていた。

 

「信じていますわ、ウェールズ様」

 

 一人、そう述べる。暴風で聞こえるはずがないその声を、ウェールズは確かに聞き届けた。勿論だ、そう言わんばかりに頷くと、彼は杖を振り、その体に力を込める。

 『フライ』の呪文で浮かび上がったウェールズは、弾丸のように真っ直ぐに飛んだ。竜巻を突き抜けるように追い越すと、リッシュモンとアンリエッタの間に、彼女を守るように立つ。

 

「もう一度言おう」

 

 アンリエッタを返してもらう。拳を握り、思い切り振り抜きながらそう宣言すると、彼はアンリエッタを抱きかかえると素早くその場から離脱した。

 射線上に残ったのは、殴られ倒れたリッシュモンと、糸の切れた人形のように立ったまま動かないウェールズの偽物だけ。

 暴風の轟音が、一人の男の悲鳴を掻き消した。

 

 

 

 

 

 

「ウェールズ様! ウェールズ様ぁ!」

「ははは。アンリエッタ、泣かないでくれ。綺麗な顔が台無しだ」

「無理を仰らないでください。これは、この涙は」

 

 嬉しいのだ。自分の愛しい人が、全力で駆け付けてくれたことが、たまらなく幸せなのだ。その幸せが溢れて、止まらないのだ。

 ゆっくりとアンリエッタを抱きかかえたウェールズは地面に降りる。奇しくもそこは、以前二人が遊園会の夜に抜け出し会っていたその場所であった。

 

「あの時」

「え?」

「君が水浴びしていた時、まるで水の精霊かと思った」

「ええ。そう言っていましたわね」

 

 クスリと微笑む。忘れるはずもない、大切な思い出の一幕なのだ。その言葉の後に彼が言ったことも、当然覚えている。

 ウェールズもそれを確かめるかのごとく、ゆっくりとアンリエッタに向き直り、そして口を開いた。

 

「でも、違った。もっと美しい、君がいた」

 

 あの時、ウェールズは確かに感じたのだ。これが恋なのだと、これが、愛する人を見付けた時の感情なのだと。

 だが、それでも彼は自身の身分を言い訳にしてそれに蓋をした。愛し合っていても、叶わない恋だと言い聞かせた。彼女がそれをぶち壊すまで、自分からは動かなかった。

 ああそうだ、と彼はそこで思い至った。どうして自分が彼女との結婚に不安を感じていたのか、ようやく分かったのだ。何故自信が持てなかったのか理解したのだ。

 自分から動いたことがなかった。それが、ウェールズの抱えていた不安の正体だ。

 

「アンリエッタ」

「どうしました? ウェールズ様」

「僕は君のように強くない。行動力もないし、型にはまった人間だ」

 

 だが、それでも。そう言いながら、真剣な表情を浮かべたまま、彼は真っ直ぐに彼女を見る。

 流されたわけでもない、勢いでもない。自分で決めたことを、自分から動くために、言葉を紡ぐ。

 

「君が好きだ、アンリエッタ。だから僕と、結婚してくれ」

 

 そこで言葉を止めると、ウェールズは返答を待つように佇む。今更何を、という軽口を挟む輩はいないし、いたとしてもそんな空気ではないことも分かっている。無論、相手であるアンリエッタも同様だ。

 だから、彼女は再び涙を流した。泣き笑いの表情で、幸せで堪らないというような、そんな顔で。

 

「はい!」

 

 そうして重なった二つの影を祝福するように、ラグドリアン湖の水面は穏やかに、しかし鮮やかにキラキラと揺れた。

 




ハッピーエンド。

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