「今日もあの娘に会いに行くの?」
そう問われた才人は心臓が止まりかけた。あー、だの、えー、だのと言葉になっていない返事をした後、彼は視線を思い切り逸らしながら何のことやらと絞り出すように誤魔化した。バレバレである。
そもそもルイズは現場を目撃しているので何の意味もない。見てたのよ、と言われた彼は諦めて死を覚悟した。
が、ルイズは特に何かをすることなく、それで行くのか行かないのかと再度問い掛けるだけだ。これには才人も首を傾げてしまう。怒らないのか、と思わず尋ねるほどに。
「アンタの交友関係でしょ? わたしが口出しすることじゃないわ」
それはそれでどうなんだ。そう才人は思ったが、まあとりあえずその辺を許可してくれるのならば遠慮なく甘えるとしよう。じゃあ行って来ます、と彼は述べ、昨日と同じように学院からトリスタニアへと馬を走らせた。
行ってらっしゃい、とそんな才人をルイズは見送る。
「追わないの?」
「……追わないわよ」
「本当にぃ?」
「追わないって言ってんでしょうが!」
「相棒、我慢は良くないぜ」
「うっさい!」
叫ぶ。大体あいつ結局あの娘抱いてないじゃないか。そんなことを言いながら踵を返し、眉尻を上げながらズンズンと歩いて行ってしまった。場所は広場、自身の部屋とは反対方向だ。
ちなみに、そこを過ぎると馬宿である。
「……素直じゃないわねぇ」
「とりあえずその前に、大声であの発言はどうかと思う」
「淑女らしくないですものね」
ん? とキュルケとタバサは振り返る。いつの間にかそこに、シエスタがニコニコと笑顔を浮かべながら立っていた。どこまで聞いていたの、とキュルケが尋ねると、凡そ全部ですと答えが返ってくる。
そもそも、今回の出来事の大半は既に彼女の中では周知の事実であった。
「使用人の噂になってますもの」
「あらぁ……」
「あーあ」
人の口に蓋は出来ない。とはいえ、それで何か変わるわけでもなし。しょうがないと揃って肩を竦めた二人は、帰ってきたら話でも聞こうかと自身の部屋のある寮へと足を向けた。
平和な騒動でも語ってもらおうと、そう、思っていた。
才人がそこへと向かった時、妙な違和感があった。大通りを抜けた瞬間。騒ぎが一気に静まり返ったような感覚に陥った。ざわめきは大きいのに、まるで別の空間に来てしまったような、そんな空気が纏わりついていた。
『天使の方舟』亭へと辿り着く。何故か衛士隊の数人が店の前で立っており、店内では誰かが何かを叫ぶ声が聞こえてくる。
どうしてあの娘がこんなことに。そう聞こえた気がして、嫌な予感が大きくなった。
衛士隊に声を掛ける。何かあったのか、そう尋ねると、関係者以外立入禁止だと返された。ますます嫌な予感が大きくなった才人は、臨時警備兵だと衛士隊に述べ、もう一度同じ質問を問い掛けた。
臨時警備兵、という単語を聞いて顔を見合わせた衛士隊の二人は、なら詳しいことは中の同僚に聞けばいいと道を譲る。そして、ただ、一つ言えることは、と言葉を続けた。
もしこの店に顔見知りがいたのならば、辛いかもな。
「エスメラルダさん!」
中へと駆けこむ。その声に振り向いたエスメラルダの目は泣き腫らしていた。ああ、あんたか、と短く返した彼女は、大きく息を吸うと今日は店じまいだと彼に告げる。
そんなことは分かっている、と才人は頭を振る。自分は一応臨時警備兵の一員だ、事件ならば手伝う。そう言って彼女に詰め寄った。
「……いいのかい? 本当に、いいのかい?」
何度も念を押す声。ここで去ればまだ傷は浅い。そう言っているようなその言葉に、才人の嫌な予感はこれ以上ないほど膨れ上がった。
だが、それでも。彼にここで帰るという選択肢は存在しない。こくりと頷き、エスメラエルダが諦めたように溜息を吐くのを見た。
こっちだ、と彼女は店の奥へと向かう。とある一室、そこの部屋の前で立っていた人物に、あんたの同僚を連れて来たよと告げた。
「おや……サイト君」
「あ、確か、ダミアンさん」
元素の兄弟の長兄で、才人はあまり接点のない人物。ダミアンはやってきた才人を見ると、少しだけ考え込む仕草を取った。が、まあ仕方ないと肩を竦め、入るかいと問い掛ける。
「多分、君にはショックが強い」
「……」
どういうことだ、とは聞けなかった。首を横に振ることも出来なかった。ただ、小さく頷き、ダミアンがゆっくりと扉を開くのを、見詰めることしか出来なかった。
部屋の真ん中。そこに、シーツの被せられた『何か』があった。その盛り上がり具合からすると、大きさは凡そ人間の、女性ほど。
ダミアンはそこへとゆっくり近付く。後戻りは出来ないよ、と告げると、彼はゆっくりとそのシーツを取り払った。
「……っ!?」
人、であった。正確には、恐らく人だったであろうものであった。
炭化し、どんな外見をしているのかも分からないそれをダミアンは一瞥すると、青い顔をしている才人に向かって、その黒焦げになった死体の生前の名を述べる。君の知り合いかな、と問い掛ける。
「……分かりません」
才人はかろうじてそれだけを返した。本当は分かっていたが、それでも、彼はそう返した。
才人は、彼は彼女の口から名前を聞いていなかったから。
「ダミアンさん」
「何だね?」
「本当に、その娘、なんですか?」
「確かに。ここまで黒焦げだと判別はほぼ不可能だろうね」
だから、遺留品で判断させてもらった。そう言って傍らに置いてあった鞄を指す。何でも、エスメラルダが買い出しを頼んだ時に持たせたものらしい。
そうですか。感情の抜け落ちた表情でそう述べた才人は、もう一度黒焦げになっている少女だったものを見た。この一週間、共に過ごしていた彼女の変わり果てた姿を見た。
「犯人は……?」
「目下捜査中さ。ただ、目星は付いている」
メンヌヴィル。白炎の二つ名を持つ炎の傭兵メイジで、殺人鬼。それが、トリスタニアにやってきてこの惨劇を引き起こしたらしい。
「うちのお嬢様も危険だと思っていたらしくてね、『地下水』にそいつを監視させていた」
「じゃあ、あいつに聞けば」
踵を返す。多分詰め所にいるはずだ。犯人の情報を掴んで、ノワールに報告しているに違いない。そんなことを思いながら、はやる気持ちを押さえつつ部屋を出る。
その背中に、まあ待ち給えと声が掛かった。
「監視させていた、と言っただろう? ……彼女の行方も、昨夜から途切れている」
「――え?」
弾かれたように振り向く。少年のようなその背格好に似つかわしくない老獪な雰囲気を纏っているダミアンが、少しだけ悲しそうに頭を振った。視線を炭化した死体に向け、おそらくどこかに、同じものがあるのだろう、そう述べた。
「そ、んな……いや、だってあいつは、本体は」
「サイト君、人をここまで焼くんだ、ナイフが消し炭にならないとでも?」
言葉に詰まった。ああ、そうだ。ある意味人よりずっと脆いんだ。そんなことを考えた才人は一人、何かが零れてしまったような表情で立ち尽くした。
聞きたいことが沢山あった。少女にも、『地下水』にも。だが、それは失われてしまったのだ。たった一人の、狂人の手によって。
「まだこの街を出たという報告は上がっていない。見付けるのならば、今がチャンスだろうね」
「……ありがとうございます」
才人はふと気付く。自身の手から、血が滴っていた。どうやら強く握り過ぎて、爪が食い込んでしまったらしい。真っ赤になった手の平を一瞥すると、彼は今度こそ部屋を出た。
その顔は既に表情が浮かんでいない。そこにあるのはただ、真っ直ぐな――
「……やれやれ」
ダミアンは肩を竦める。焚き付けるだけ焚き付けて後は知らんふりだなんて、自分らしくないのだけれど。そんなことを呟きながら、彼はもう一度炭化した死体を見る。
「果たしてこれは、『どっち』なのだろうかな」
なんてね。そう続け、彼は額をカリカリと掻いた。分かり切っている答えを自らぼかしていることが、何だか妙に可笑しかった。
待ちなさい。駆け出そうとした才人を呼び止めたのはそんな声だった。聞き覚えのあるその声は、彼にとって大切な存在である、自身の主のもので。
「……何だよルイズ。俺は今忙しいんだ」
だが、才人の態度はそんなものを微塵も感じさせない冷たいものであった。腕組みして仁王立ちしているいつもの彼女のその姿を視界に入れても、ただの邪魔者としか認識していない。
そんな才人の態度に気付かないルイズではない。む、と眉を顰めると、ツカツカと彼に近寄った。
「聞いたわよ。厄介なのが暴れてるらしいわね」
「ああ、そうだな。――話はそれだけか? だったら俺は行く場所があるから」
「待ちなさいって言ってるでしょう」
足を踏み出そうとした才人の前に立つ。普段の彼が見せないようなその表情を改めて確認すると、やれやれと溜息を吐きながら頭を振った。
ジロリ、とルイズは才人を見る。それに一瞬だけ気圧された彼は、しかし負けじと彼女を睨んだ。そんな睨み合った状態のまま、ルイズは一つ質問させてもらうと指を立てる。
「アンタ、何しに行くつもり?」
「ルイズには関係ない」
「大ありよ。アンタは使い魔で、わたしは主人。責任を負うのはこのわたし」
言外に何かをしでかすのだろうと述べ、立てていた指を突き付けた。それに、と言葉を付け加えた。
「わたしはアンタの友人よ。関係ないなんて、言わせないわ」
自信満々にそう言い切るルイズを見て、才人は一瞬呆気に取られる。軽く溜息を吐き、どういう理屈だよとぼやいた。それならまだご主人様だからの方が説得力があった。そんなことをついでに思った。
「探すんだ」
だからなのか、あるいは、彼女を突き放すためか。才人は短くそう言った。誰を? というルイズに問い掛けに、決まってるだろうと返した。
あの娘を焼いた犯人を、探し出すのだ。
「……それで?」
「ん?」
「それで、どうするのよ」
「……決まってんだろ」
吐き捨てるように、才人はそれだけを述べた。具体的にどうするのかは言わなかった。それでもどうしたいのかは十二分に伝わり、ルイズはやれやれとそんな彼を見て肩を竦める。
バーカ。そう言いながら、彼女はそんな才人の額を小突いた。
「何すんだよ」
「馬鹿犬には少しお灸が必要でしょ?」
「誰が馬鹿犬だ」
「アンタよアンタ。……ねえサイト、違うでしょ? 見付けるのはそっちじゃないでしょ?」
「は?」
「アンタが本当に見付けたいのは、犯人じゃなくて」
あの二人。出来の悪い弟子を見る目で才人を見ながら、ルイズはそう言い放った。彼の動きが止まるのを見ながら、そう言ってのけた。
炭化した死体、というはっきりした物体があるにも拘らず、彼女は言ったのだ。
「……お前、本気で言ってんのかよ」
「当たり前よ。あっちにある黒焦げの何かは、彼女の死体じゃないんでしょ?」
「俺だってそう思いたいさ、でも」
「だったらもっとしっかりと思いなさいよ。あれは違うって、まだ生きている二人を捜さなきゃって」
「証拠があるんだよ。近くにあの娘が持ってた鞄が」
「だから! それだけじゃはっきりと分からないでしょう! 諦めんな!」
詰め寄る。目と鼻の先まで近付いたルイズは、真っ直ぐ才人の目を見詰める。お互いの吐息が掛かりそうなほどの距離で睨み付けられた才人は、そんな彼女の気迫に呑まれかけた。後ろ向きであった自信がぐらついた。
「わたしはね、そういう時は最後まで足掻くって決めてるの。無駄だって笑われても、馬鹿にされても、分かったふりして簡単に諦めるよりはずっといいもの」
「……ルイズ」
トン、と軽く彼の胸を叩く。もう一度聞くわ、そう言って、ルイズは一歩下がった。腕組みをし、仁王立ちして。ふふんと自信満々に笑って。
彼女はもう一度、彼に尋ねた。
「アンタは、何をしに行くの?」
「……捜す。あの娘と、『地下水』が無事だって信じて」
「よく出来ました」
ポンポンと才人の頭を撫でる。やめろよ、と苦笑した才人は、そうと決まれば急がなければと足を動かした。無事だとしても、例の犯人もまだ街を彷徨いているのだ。もう一度見付かれば今度こそ最悪の事態になりかねない。
「だったら」
「ん?」
「ついでに犯人はぶっ倒しましょう」
「……結局かよ」
「あら、何か間違ったこと言ったかしら?」
「いや」
違いねぇや。そう言って才人は笑った。よし、行くぞ、と足を踏み出した。
当然のごとく、目の前の彼女も同じように足を踏み出した。さあ行くわよ、と拳を振り上げた。
「捜すのは二人、『地下水』と――」
果たして二人は無事なのか(棒読み