まあいいや、いつものことだ。
マチルダは駆ける。オスマンに事の次第をすぐさま報告するために足を動かす。広場から学院長室へと駆けていく。
元々はこっそりと様子を窺い、何かあったら妹を助けるために飛び出そうと考えている程度であった。あの子はあの子で頑張っている、大人の自分はそうそう口を出すこともあるまい。そう思い見守る程度に留めていた結果が、現在の状況だ。
喧嘩はまあいい。ここではどこぞの誰かさんのせいで日常茶飯事だ。規模もまあ、学生程度なら可愛いものだ、建物も倒壊しないし。
実際、ベアトリスの呪文はまさにその程度のものであった。アルビオンの討伐戦で無理矢理身に付いたルイズ式回避術初級のティファニアでも容易に避けられるレベルだ。あの瞬間までは、何の問題もなく終わるとマチルダも安堵していたのだ。
その表情がガラリと変わったのは、ベアトリスが空中装甲騎士団を呼び出した時からだ。流石に連れて来た中隊全てを使うことはしなかったが、それでも小隊規模、ティファニアには荷が重い。向こうも殺す気は全く無いであろうが、場合によっては怪我をしてしまうかもしれない。そう考えたマチルダは、手助けないし仲裁のために足を踏み出し。
その脇をすり抜けていく四つの風を認識すると踵を返した。目的地を自身の妹分の方にではなく、学院長室へと切り替えた。
既にティファニアの心配はしていない。彼女の頭の中では、死屍累々となった騎士団とベアトリスという地獄絵図が展開されるのみである。
そうして辿り着いた場所の扉を開けるやいなや、彼女は叫んだ。
「オールド・オスマン!」
「何じゃ騒々しい」
ペラリと本を捲りながらそう返したオスマンは、しかしマチルダの様子がおかしいことに気付き怪訝な表情を浮かべた。何だまた厄介事か。そんなことを思いながら、とりあえず何があったのかを話すよう続きを促す。
「決闘騒ぎが起きています」
「……わざわざ報告に来た、ということは」
「……一人はミス・クルデンホルフ。もう一人はテファ――ミス・モード」
「外交問題じゃな」
「その最中、クルデンホルフ側は空中装甲騎士団を決闘に投入しました」
「やりたい放題じゃな」
「それを見て……どうやらこっそり見ていたらしい四人が飛び出して行きました」
「……クルデンホルフ大公国と、トリステインと、ゲルマニアと、ガリアと、アルビオンが。広場でぶつかっているわけじゃな」
「その通りです」
「……逃げていい?」
グダグダ言ってないでさっさと現場に向かってください。そう言い放ったマチルダは、自分も何とか被害を抑えるためにすぐさま現場へと取って返すのであった。
「と、とっと」
竜騎士の一撃は空を切る。何者だ、と乱入者を睨んだ騎士は、その姿を見て思わず固まった。
腰に刀を携えた、メイド服を来た男。それが、ティファニアを抱きかかえて離脱した者の正体であった。
「大丈夫か?」
「う、うん……でも」
何でここに、とティファニアはそのメイド服の男、才人に問う。その質問に、まあ隠れて様子見てたから、と誤魔化すように彼は笑い視線を逸らした。そんなことより、と強引に話題を変える。意識をティファニアからベアトリスに移動させる。
「喧嘩にそんなもん使うのが貴族の流儀か? 女の子一人に騎士団とか、恥ずかしくねぇのかよ」
「……いきなり出てきて、何を言い出すのかしら」
邪魔者はすっこんでろと言わんばかりのその言葉と視線に、才人は少しだけ後ずさる。が、それではいそうですかと引き下がるぐらいならばルイズの使い魔などやれはしない。喧嘩をするなら正々堂々とやれよ。彼女を睨み返し、彼はそう言ってのけた。
が、それを聞いたベアトリスは鼻で笑う。何も分かっていないんだなと馬鹿にしたように才人を見下す。
「本当に何を言い出すのかと思えば。いいこと? これはわたしと彼女の決闘よ。そしてわたしも、彼女も、共に騎士団を指揮することの出来る立場。ならばそれを使うのは極々当然。――分かったら女装趣味の変態はすっこんでなさい!」
「最後は余計だ!」
好きでこんな格好してるんじゃないっての。ぶつくさとそう言いつつ、しかし下がることなくティファニアの前に立ち刀を抜き放った。もしそうだとしても、こんな数の暴力みたいなことは見過ごせない。そう続け、真っ直ぐに前を睨んだ。
ふうん、とベアトリスは笑う。良かったじゃない、騎士様がいて。そんなことを言いながら、自分に付き従っている騎士達を前に並ばせた。
「まあ、そんな変態一人でどうにか出来るとは思えないけど」
自分の勝ちは揺るがない。そう確信を持って彼女は命令を下すために手を振り上げ。
「一人じゃないわ」
ティファニアを囲むように着地した三人が現れたことで動きを止めた。それぞれ杖と大剣を持っているその少女達を見たベアトリスは一瞬だけ怪訝な顔を浮かべ、しかしすぐに表情を戻すと再度ふんと鼻を鳴らした。一人が四人になったところでなんだというのだ。それも騎士でも何でもない貴族の少女ばかり。こちらはハルケギニア最強とも噂された騎士団だ、負ける道理などどこにもない。
「あらあら。ミス・モード、それが貴女の自慢の騎士達といったところかしら? もしそうだとしたら、ちょっと、ねぇ」
勿論彼女は挑発のつもりで言っている。正規の騎士を連れてこずに、いざこういう場面では取り巻きは皆逃げ友人であろう助っ人数人程度の協力しか得られない。そんなティファニアの現状を嘲笑っているのだ。
だから、その言葉を聞いた彼女がああそうか、と何かに気付いたように手を叩くのを見て、ベアトリスは眉を顰めた。
「うーん。でも、いいのかなぁ……サイトがさっき言っていたみたいに、卑怯にならないかしら」
「は? ちょっとミス・モード? 貴女何を」
「いいんじゃないかしらぁ。向こうも言ってたでしょ? 騎士を使うのは当然、って」
「そういうこと」
「それが納得いかないなら、うん、そうね」
騎士団はこっちで押さえるから、向こうと一対一で決着をつければいい。そう言って乱入者の一人、当然ながらルイズは笑った。まあその辺かしらね、とキュルケも口角を上げ、タバサも頷く。
こくりとティファニアも首を縦に振った。じゃあ、お願いしてもいいかな。そう言って四人に微笑み、彼女は再度杖を構える。目標はベアトリス、それ以外は目に入らない。
「……馬鹿に、しているの?」
「どうして? ルイズ達は、わたしの大切な、自慢の騎士様よ」
「それを馬鹿にしているって言ってるのよ! ルフトパンツァーリッター、フォー!」
がしゃり、と騎士達が杖を構える。相手は学生の、しかも女。プライド故か竜を傍らに置いたまま騎士は真っ直ぐに足を踏み出し。
ピンクブロンドの少女の一撃で宙を舞った。
「ミスタ、一つ忠告を」
ドサリ、と倒れる騎士一人を剣で指し示しながらその光景を作り上げたルイズは述べる。こっちとしても、そちらが手出しをしないかぎりは何もしない。そう宣言をして残り三人の同意を得た後、騎士達を睨み付ける。
「ただし、向かってくるならぶっ倒すから。その時は竜に乗らないなんて嘗めたことしてないで全力で来なさい!」
「あ、え?」
甲冑を着込んだ騎士が飛んだ。己の呪文でではなく、相手の剣撃で、である。その光景を目の当たりにしたベアトリスは、自分の眼球がおかしくなったのかと腕でゴシゴシと目をこする。
空気を変えた空中装甲騎士団は、乗ってきた竜にまたがると一斉に飛び上がった。隊長らしき男が横にいる騎士に指示を出し、急降下と呪文の相乗攻撃を与えるよう仕向ける。普段ならばこんな少女数人相手に使うような手ではない。だがそれでも、隊長は迷うことなくそれを実行させた。
「サイト。アンタはテファの護衛。向こうまでちゃんと送り届けなさいよ」
「あいよ」
じゃあ行くか、と実に軽い様子で才人はティファニアの手を取る。うん、と頷いた彼女は騎士団の横をすり抜けベアトリスの方へと足を進める。そして当然ながらそんな行動を許すわけにはいかないと騎士達はティファニアにも意識を向けた。ルイズ達の攻撃組とティファニアの移動を阻止する組。二手に分かれた空中装甲騎士団小隊は一糸乱れぬ動きで襲い掛かる。
攻撃組は凡そ手加減など考えていないような一撃を放った。相手の無事などまるで知らんとばかりのそれは、当然ながら当たれば学生程度のメイジはタダでは済まない。場合によっては致命傷だ。だが、そうしなければならない理由があった。あの光景を見て、相手を馬鹿になど出来なかった。
「タバサ!」
「ん」
騎士の呪文を同じ呪文で相殺する。急降下する竜に向かって突っ込んでくる少女の後ろから、彼女に当たらないようにそれを叩き込むその腕前。そしてそれを当然と全く心配していないその信頼。二つの驚きにより、甲冑の中で騎士の顔が思わず引きつった。
それでも目の前の相手には負けんと剣杖を振りかぶる。武装した男と女の細腕、ぶつかりあえばどちらが勝つかなど、火を見るよりも明らか。
「全力で、ってわたしは言ったわよ」
その驕りを杖ごとへし折られた騎士は、竜の上で意識を飛ばし墜落していった。危なげなく地面に着地すると、ルイズは次、と空を見上げる。
二人の騎士が同時に呪文を唱え、炎と竜巻が彼女に降り注ぐところであった。決まった、と騎士達は勝利を確信した。
その二つの呪文の隙間を縫うように体をずらしてルイズが躱したことで、その表情が一瞬の内に驚愕へと変わる。その隙を逃さず、キュルケは炎の鞭を騎士の杖へと叩き込んでいた。甲冑ごと砕かれた杖の破片がパラパラと宙を舞う。そして体勢の崩れたそこに、再度跳び上がったルイズが。
「ごめんあそばせ」
蹴り飛ばす。その勢いを使って反対方向へと飛び上がったルイズは、呆気に取られているもう一人へと剣を振るった。甲冑など何の意味も持たんとばかりに一撃で意識を刈り取られた騎士は、その場でグラリと崩れ落ちる。
あっという間に三騎が落ちた。その現実に一瞬だけ呆けた隊長は、しかしすぐさま我に返ると残った騎士達に向かって叫ぶ。怯むな、相手をよく見ろ。そう告げ、自身も真っ直ぐルイズを睨んだ。
向こうの阻止に向かわせた一人を除けば残るは自身を含めた五人。そして相手は三人。数では優位を保っているが、先程の光景を鑑みるにどう考えてもこちらの分が悪い。
「まだ、やりますか? ミスタ」
大剣を肩に担いだルイズがそう問い掛ける。言外にここらで手打ちにしようという意味合いを含んでいるのはよく分かったが、しかし。
それは出来んと首を横に振った。主の信頼を裏切るわけにはいかない、と武器を構え直した。
「……こう言ってはなんだけれど、あの娘まだ子供で、そこまでの器じゃないでしょ?」
「そうでもない」
「へ?」
キュルケの言葉に何故かタバサがそう返す。何でよ、と彼女が問い掛けると、だってほら、と塀の向こうを指差した。
空中装甲騎士団はここにいる者で全てではない。ならば数に任せもっと増援を呼んでもいいはずだ。だというのに、ベアトリスはそれを良しとしていない。
「成程。……ある程度は譲れないものがある、と」
「多分」
「あ、多分なんだ」
そこは断言してくれるとありがたい。そう言って苦笑した隊長は、では行くぞ、と背後の四人へ気合を入れ直した。目標はアルビオンの聖女の懐刀。手加減など考えるな、向こうは一人で小隊に勝る。杖を掲げ、真っ直ぐに睨み、後のことなど考えんとばかりに、竜騎士達は雄叫びを上げる。
来い、とそんな騎士達を見て、ルイズ達三人も口角を上げ武器を構え直した。
「で、あんたはどうするんだ?」
メイド服姿の才人と竜騎士が睨み合う。既にティファニアはベアトリスのもとへと駆け出しているため、騎士の任務は失敗に終わっている形だ。それは向こうも重々承知らしく、まあ仕方ないさと肩を竦めていた。
だが、ここに睨み合っているわけにもいかない。才人の言葉にそう返すと、騎士は杖を構え呪文を紡ぐ。風の槌で才人を吹き飛ばさんとそれを放ち、動きにくいメイド服がかすり彼がバランスを崩したことで騎士は少しだけ口角を上げた。
もらった。そう言いながら騎士は突っ込む。呪文で向こうのティファニアを攻撃する、という手も考えたが、その場合ベアトリスに当たる可能性もある。そのため、彼の取った行動は自身の体で彼女を押し止めようというものであった。
「行かせるか!」
転んだ状態から半ば無理矢理体勢を立て直したのだろう。メイド服のスカートが破れて非常に醜いことになっている才人が、一足飛びで竜騎士へと迫っていた。刀を振りかぶり、体ごと相手をぶっ飛ばさんとした意志の篭った瞳が、騎士の視界に映る。
が、残念なことに、その真剣な部分以外に騎士の意識は集中してしまった。
破れたスカートからちらりと見える彼の下着である。まったくもって嬉しくないチラリズムである。
ついでに言ってしまえば、罰ゲームの関係上現在の才人の下履きはドロワーズである。
「……なんだろう、この釈然としない気持ち」
大爆笑した結果まともに一撃を受け笑顔のまま昏倒してしまった竜騎士を見下ろしながら、才人はどんよりとした空気をまとい空を見上げるのであった。
ベアトリスは混乱していた。何で、どうしてこうなった。そんな言葉が頭を巡り、しかしその答えは全く出てこないままその場に立ち尽くしている。
そこに迫るのはティファニア。自身が罵倒し、嘲笑い、そしてこの状況を作り出した忌々しい聖女だ。彼女は真っ直ぐにベアトリスを見詰めており、そしてその目がこれ以上無いほどはっきりと告げていた。
決着をつけてやる、と。
「ひぅ」
一歩後ずさる。ちらりと視線を動かすと、呼び寄せた十人の騎士は皆揃ってのびているのが見えた。信じられない、と現実を受け入れられないベアトリスは、まだまだいるはずの残りの騎士を呼ぶことなど頭の中から完全に抜け落ちていた。
視線を戻す。向かってくるのはティファニア一人。向こうが言っていた通り、あの化け物共はこちらの勝負には手を出さないつもりらしい。そのことを認識した彼女は少しだけ思考を落ち着かせた。つまり、自分だけの力であいつを倒せばいいのだ、と。
「……ティファニア・モード」
名前を口にする、口にして、再度怒りが湧いてきた。ふざけるな、何で自分があんな成り上がりの元田舎娘にビクビクしなければいけないのだ。彼女のそんなちっぽけなプライドが急激に膨れ上がり、残りカスのような戦意を向上させた。
「ふざっ、けんじゃ、ないわよ!」
叫んだ。拾い上げていた杖を再度構え、真っ直ぐ向かってくるあの金髪ウシチチ女を吹き飛ばさんと呪文を紡ぐ。彼女のレベルはまだドット。それでも、考え得る最大の威力を生み出さんと、ありったけの精神力を注ぎ込んだ。
ファイアーボール。生み出された火球は、自分でもかつてない手応えを感じるほどの大きさで。当たれば牛の丸焼きになること間違いない、とベアトリスが確信を持つほどで。
それは当然、突っ込むティファニアにも感じ取れた。これは当たるとマズいやつだ。そう判断した彼女は、それをどうにかせんと一瞬だけ迷う。避けるべきか、迎撃するべきか。
が、すぐにその選択を振って散らした。何を悩む、そんなもの、選ぶのは一つしかないではないか。真っ直ぐ火球を睨み付けながら、ティファニアは持っていた杖を前に構える。走る勢いを、全く緩めずに。
「全力で、前に突っ込んで、それでこそ」
お互いを理解出来る。そうすれば、友達になることが出来る。何故かそういう判断をしてしまったティファニアに、現在避けるという選択肢は存在しない。真正面から受け止めることしか、頭にない。
着弾。そして盛大な爆発音が響いた。火球は当たると同時、弾け飛ぶような爆発を起こし、爆煙によりベアトリスの視界が遮られる。
だが、構わん、と彼女は笑った。あれを食らったんだ、まず間違いなく殺ったはずだ。こちらも何故かそんな思考回路で沸いた結論を出していたが、それを訂正してくれる者は現状いない。勝利の高笑いを上げるベアトリスがいるのみである。
「おーっほっほっほ…………ほっ!?」
否。その場にいるのはベアトリス一人ではない。目を見開く彼女の目の前の光景、そこにもう一人が映っていた。
火球を爆発で相殺し、ダメージを受け流しながら爆煙を掻き分け突っ込んできたティファニアが。
「前にルイズがやっていたのよ。避けられないなら、吹き飛ばせ、って」
でも自分はこれが限界。ところどころ煤で汚れたまま、彼女はそう言って笑う。驚愕の表情を浮かべているベアトリスに向かって、笑い掛ける。
実を言うと、ティファニアも既に精神力が限界である。元々はこういう荒事をする性格ではない上に、虚無の呪文は威力に合わせ消費する力も絶大。トドメに呪文を放てば、きっと自分も意識を失うということは薄々であるが感じ取っていた。
故に、彼女が取った決着をつけるための行動はこれである。
「真っ直ぐ、突っ込む!」
「おぶっ!」
勢いを無くさず、右の拳を前に突き出し。
それはそれは見事な助走をつけたボディーブローであったそうな。ベアトリスの体が『く』の字に曲がり意識ごと吹き飛ばされるほどに。
虚無のメイジは拳と拳でしか分かり合えない不器用な生き物なのさ。