ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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ほぼベアトリス回。


その4

 杖を構え、目の前の相手を睨んだ。

 強大な角を持つ、明らかに年齢に見合わない大きさを持った雌牛。それが、一直線に自身に迫ってくる。避けることは出来ない。食らうか、倒すか。やれることはそのどちらかだ。

 そしてベアトリスは後者を選んだ。ありったけの精神力を込め、呪文を唱え、それが雌牛に着弾すると、盛大な火柱が上がり、肉の焼ける音と悲鳴が木霊する。

 やった、自分は勝ったんだ。そんなことを思い口角を上げた彼女は、息を大きく吐くと構えていた杖をゆっくりと下ろした。

 

「あら、それで終わりなの」

「――え?」

 

 視線を目の前の火柱に向ける。パチパチと牛は燃えている。それは確かだ。

 ならば、そこに立っているのは何だ。先程の雌牛と同じ顔をした、あいつは何だ。

 二足歩行を行う雌牛。金髪に帽子を被った、牛の顔をした怪物。あれは、何なんだ。

 

「じゃあ、今度はこちらの番ね」

「ひっ!」

 

 ズシン、とその牛が一歩踏み出す。その地響きで思わずベアトリスは悲鳴を上げた。呪文を打たなくては、と杖を構えるが、精神力を使い果たしている彼女の杖の先からは何も生み出されない。意識を失うまですれば一発は可能であろうが、それで倒せない場合の結末は現状と何も変わらず、そしてその一撃で倒せる可能性はゼロに近い。

 詰んでいるのだ。ベアトリスが、目の前の化物に抗える手段など、何も残っていないのだ。

 牛が思い切り腕を振り被った。ああ、自分は今からあれに潰されるのだ、と理解したベアトリスは、虚ろな瞳で乾いた笑いを上げた。

 

「大丈夫」

「え?」

「貴女の可愛い顔は、傷付けないでおいてあげるわ」

 

 何の慰めだろうか。牛はそう言って笑うと、彼女の胴より太い腕を真っ直ぐに彼女の土手っ腹にぶち込んだ。

 痛い、などという感覚など通り過ぎたその衝撃。ベアトリスは何故かそれでも意識を失わなかった。それどころか、視線をそこに向けてしまうほどの余裕まで持ち合わせていた。

 

「あ……」

 

 無かった。自分の腹から下の部分が、轢き潰されたように無くなっていた。デロリとまろび出た自分の内臓がピクピクと脈打っていて、適当に絵の具を混ぜたようなどす黒い赤が周囲に撒き散らされている。少し離れた場所に、ちぎれ飛んだ下半身が転がっていた。だが、足りない。あの部分と自分の上半身を合わせても、明らかに長さが足りない。

 

「腹を割って話さないと、仲良くなれないものね」

 

 声の方へと顔を動かす。そこには、その足りない部分を持った牛が。

 引き千切った胴体部分を持って微笑んでいる、あのウシチチが。

 

 

 

 

 

 

「ぎにゃぁぁぁぁぁ!」

 

 飛び起きた。荒い息を吐きながら、ベアトリスは焦点の定まらない目で辺りを見渡す。何処だここは、と暫し視線を彷徨わせた彼女は、水の秘薬の置いてある棚を見て理解した。ここは医務室か。そう結論付け、では何故こんなところに寝かされていたのかを考える。

 答えはすぐに出た。ああそうだ、自分はあの決闘で、腹に一撃を食らって。

 

「そ、そうだ! お腹、わたしのお腹」

 

 視線を慌てて下に向ける。上半身と下半身は泣き別れしていないか。胴体はあの牛の化物に持って行かれていないか。それを確認するため視線を下げる。

 

「――ある。わたしのお腹、ちゃんとある」

 

 さする。幻でもなんでもなく、きちんと彼女の胴体は残っていた。良かった、と安堵の溜息を零し、力尽きたようにベッドに横になる。

 天井を眺めながら、ベアトリスはさっきまでのことを再度思い出していた。あの戦い、どちらが勝ったのか。そんなものは今この状況を鑑みれば一目瞭然。

 そう、自分は負けたのだ。家柄も、容姿も、そして力尽くでも。自分はあの聖女に、何もかも勝てなかったのだ。

 それを自覚すると、どうしようもなく悔しくなった。彼女のプライドが、ポッキリと音を立ててへし折れた。

 

「……泣かない。絶対に、泣かないもん」

 

 それでも、ベアトリスは必死で涙を堪えた。ここで泣いたら、自分の行動が全て子供の我儘になってしまう。折れても尚、ほんの少しだけ残っていた土台の部分が、彼女にそんな行動を取らせたのだ。

 そうだ、自分はまだ負けていない。本当に諦めた時こそ敗北なのだ。こんな一回や二回倒された程度で、へこたれるものか。

 

「あ、目が覚めたのね」

「ひっ!」

 

 そんな彼女の決意は、扉を開けて部屋に入ってきたティファニアを見てすぐさま吹き飛んだ。情けないと笑うなかれ。蝶よ花よと育てられていた年若き貴族の少女が、いきなり全力で助走を付けたパンチを腹に貰ったのだ。トラウマにならないはずがない。

 勿論そんなつもりは毛頭なかったティファニアは、ニコニコと笑顔で彼女に話しかける。良かった、あの後息してないくらいピクリとも動かなかったから。そう言ってベッドの脇に腰掛け、ベアトリスの体調を心配するように小首を傾げた。

 

「もう、大丈夫?」

「……」

「あの時は咄嗟だったから思い切りやっちゃって。ルイズ達にやり過ぎだって怒られちゃった」

「……」

「だから、その、謝ろうと思って」

「……」

「えっと、その……」

 

 段々とティファニアの表情が曇っていく。何を言っても反応しないベアトリスを見て、何かマズいことをしてしまったのかとオロオロし始めたのだ。

 そもそもの出発点が問題だ、ということに、彼女は終ぞ気付かなかった。

 

「……それで」

「へ?」

「用事はそれだけ? それならさっさと出て行ってくださらない? わたしは貴女の顔なんか見たくもないの」

「え?」

 

 目を見開き、そして先程よりも明らかに沈んだ表情になった。そんな、だって。そう呟きながら、ティファニアは挙動不審に視線を彷徨わせる。

 対するベアトリスは、そんな彼女を見て怪訝な表情を浮かべた。何でそんな反応なんだ、普通に考えて当たり前だろう。そう思いつつ、まあいいやと再度横になる。

 

「わたしはもう少しここで休むから、早く出て行って」

「え、あ……う、うん。ごめんなさい……」

 

 世界の終わりのような表情のティファニアは、それだけを言うとゆっくりと立ち上がった。そのまま医務室の扉までヨロヨロと歩くと、ドアノブに手を掛ける。

 そのまま暫く動きを止めていた彼女は、しかし意を決したように顔を上げると振り返った。駄目だ、これじゃ駄目だ。ここで諦めちゃ、駄目だ。そう自分に言い聞かせながら、ティファニアは真っ直ぐにベアトリスを見た。

 

「ミス・クルデンホルフ」

「……何?」

「わたしが勝ったら頼みを一つ聞いて欲しい、って約束、覚えている?」

「……ええ。それが?」

 

 何を言い出すかと思えば、とベアトリスは鼻で笑う。まあどうせ自分を辱める何かを言い出すのだろう。そんなことを考えつつ、この悔しさを糧に次はお前を這いつくばらせてやると一人決意を固め。

 

「じゃあ――わたしと、お友達になりましょう!」

「は?」

 

 真剣な顔でそう宣言したティファニアを見て目を丸くさせた。

 何だって? 今こいつ何て言った? お友達? 誰が? こいつと自分が?

 そんな尽きない疑問がグルグルとベアトリスの頭を回り、思わず動きを止めてしまう。

 

「あ、ちょっと言い方が悪かったのかな。えっと、わたしと、お友達になってください」

 

 そんなベアトリスの葛藤を何か勘違いしたのか、ティファニアはポリポリと頬を掻いてそう言い直した。当然ながら、ベアトリスにとってその程度で何か変わるわけでもない。

 

「……何言ってんの?」

「え? お友達に、なって欲しいな、って」

「だから! 何でわたしなのって聞いてるのよ! あの腐るほどいる取り巻きでいいじゃない。貴女に好意的な連中なんか学院を歩けばすぐにぶつかるわよ」

「うん。そうかもしれないけれど……。わたしは、貴女と仲良くなりたいって、思ったから」

「……訳分かんない」

 

 何なのよ。ベアトリスは吐き捨てるようにそう述べ、先程から出ない答えを必死で探していた。何でこいつは、あそこまでぶつかった自分を友人にしようなどと考えたのか。何で他の奴らより自分を優先したのか。

 何で、認められたみたいでちょっと嬉しくなったのか。

 

「わたしは、貴女のことが嫌いよ」

「えぅ。……で、でも、わたしは、クルデンホルフさんのこと、結構好きよ。そうやってはっきりと文句を言ってくれる人、周りにあんまりいないもの」

「そりゃ、聖女だから当たり前でしょう? 貴女みたいな立場の人に文句を言えるのは、それ相応の立場でないと難しいわ。例えば、独立国家の君主の娘、とか」

 

 まあそれはつまり、自分以外そんな奴はいない、という意味である。さりげない自分の持ち上げである。

 一方、ティファニアはそういうところは純粋であった。彼女の言葉を聞き、少し考え、それに該当する人物が目の前の相手だということを理解すると笑みを強くさせた。

 

「じゃあ、やっぱりわたしは貴女とお友達になりたいわ」

「嫌よ。わたしにとって貴女はね、ライバルなの。この学院にいる間に打ち倒すべき相手なの。そんなのと仲良くなんて」

「……そっか。……うん、ごめんなさい。迷惑かけちゃった」

 

 がくり、と肩を落とす。項垂れ、肩を震わせながら、ティファニアはゆっくりとベアトリスから背を向ける。グスリ、と鼻を啜る音が二人しかいない医務室に響いた。

 その背中を見て、ベアトリスの中で、何かが芽生えた。あ、これってひょっとして、自分が今凄く有利なんじゃないか、と。あれだけ勝ち誇る要素を持ち合わせているあの聖女が、自分と友人になれなかっただけであそこまで落ち込み泣きそうになっている。これは、自分大勝利なんじゃないか、と。

 

「……ま、まあ。貴女が、どうしても、どうしても! ど! う! し! て! も! って言うんなら。わたしとしても、友人になってあげるのは、やぶさかではないような、ね」

「……ほんとう?」

「ええ。このベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフに二言はないわ」

 

 ふふん、と自慢気に胸を張りながらベアトリスがそう宣言するのと、ティファニアが猛烈な勢いで振り返るのが同時であった。満面の笑みで、どうしてもなって欲しい、と詰め寄る彼女を見て、ベアトリスは得も言われぬ優越感を覚えていた。

 

「じゃ、じゃあよろしくクルデンホルフさん」

「……ベアトリスでいいわ。友人で、ライバルの貴女には特別にそう呼ばせてあげる」

「う、うん! よろしくベアトリス! わたしも、テファって呼んで!」

 

 各々の目的はどうにもズレているが、ともあれ、こうして彼女の学院の友達第一号はベアトリスと相成った。

 

 

 

 

 

 

「ベアトリスー」

 

「ねえベアトリス」

 

「あ、ベアトリス」

 

「ねえねえベアトリ――」

「あーもう鬱陶しい! 一々用も無いのに呼び掛けるな! いいこと? わたしと貴女はライバルよ。ラ・イ・バ・ル。友人になったとはいえ、そこを変えるつもりは毛頭ないの」

 

 しゅん、とティファニアは項垂れる。まったく、とそんな彼女を見て溜息を一つ吐いたベアトリスは、それで一体何の用なんだと問い掛けた。

 その言葉に顔を輝かせたティファニアは、笑顔を浮かべながら彼女の手を取る。

 

「お昼、食べましょう!」

「一人で食え!」

「え? な、何で?」

「何でも何も。……大体、貴女食事の時取り巻きに囲まれているじゃないの。そんな中でのんびりと昼食なんか出来やしないわ」

 

 そういうわけだから、とベアトリスは踵を返す。そんな、とティファニアは涙目で彼女を見送る。

 彼女達が友人になってから、かれこれ一週間と少し。その間行われている毎度毎度のやり取りであった。周りの面々はもう慣れたのか、そんな二人をどこか微笑ましく見守り、一部の生徒は若干邪な気持ちを抱いていたりいなかったりする。

 そして、そのどちらでもない更に一部の生徒は。

 

「……で、わたしに何の用?」

 

 数人の男女。明らかに友好目的ではないその面々の顔を見て、ベアトリスはやれやれと肩を竦めた。

 一応用件を尋ねたが、聞かなくとも分かっている。こいつらは、聖女に取り入ろうとして失敗した負け犬共だ。

 

「一応、言わせてもらうわ。わたしはあいつに取り入るつもりなんか無いの。そもそも、あの娘の方から友人になって欲しいと言われたのよ。そこらの有象無象とは違うの。わたしの方が、あいつより、立場は上なの。お分かり?」

 

 目の前の相手の表情が険しくなるのが分かった。怒気が膨れていくのも感じ取れた。挑発したのだから当たり前だが、それでもこんな簡単に引っ掛かる程度ではやはり器が知れる。そんなことを考え、ベアトリスはやれやれと頭を振った。

 勿論、彼女自身もそういうタイプである。

 

「それで? 危害でも加える気かしら? いくら学院内とはいえ、問題を起こすのならば大公国が黙っていないわよ」

 

 追加の挑発。それにより怖気付いた者はバツの悪そうに後ずさり、そして後先考えないような一人二人は激昂し更に踏み込む。

 肩を掴むように伸ばされた手を、彼女は軽い動作でひょいと躱した。そのままその腕を取ると、勢いを利用して投げ飛ばす。何が起きたか分からない、という表情をしたまま、投げられた生徒は意識を飛ばした。

 

「……あの馬鹿ウシチチ娘と一緒にいるせいで、こんなこと出来るようになっちゃったじゃない」

 

 ああもう、とベアトリスは頭を掻く。入学前に父親が言っていた、ヴァリエールに関わるな、というのはこういう意味だったのか。と、ピンクブロンドの化物を思い出しながら溜息を吐く。

 すっかり戦意を失った連中を一睨みして散らせると、静かになった廊下で一人佇む。少しだけ視線を彷徨わせると、もう一度はぁ、と溜息を吐いた。

 

「テファと、昼食でも食べようかしら……」

 

 もう一度あいつには自分の立場を叩き込んでやらなくては。そう呟きながら、ベアトリスは食堂へと足を踏み出した。




友達が増えたよ、やったねテファちゃんエンド。

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