その1
ドサリ、と人であったものは倒れ伏した。プスプスと焦げ臭い匂いを発しているそれを一瞥した巨漢は、背後にいた自身より更に大きな体躯を持った人物に声を掛ける。
「旦那、これでいいかい?」
「……ああ、十分だ」
男の言葉に、巨体の人影はどこか絞り出すような声を出す。程よく焼けた死体にゆっくりと近付くと、それを片手で持ち上げた。
男はそんな人影を見て笑みを浮かべる。左目をそっと押さえながら、満足していただけたなら何よりだ、と言葉を続けた。
「旦那はオレに光を戻してくれた恩人だ。このくらいはお安い御用さ」
「……両目とも治すことは出来たのだぞ」
人影の言葉に、男は声を上げて笑う。それは駄目だ、と右目を触りながら言葉を返す。
「こいつはな、オレがあの男を忘れないための証明だ。隊長殿を焼くまでは、こちらまで光を戻すわけにはいかん」
「……随分とその男に執着するのだな」
「当たり前だ。あいつの焼ける臭いが嗅ぎたい、あいつの焼ける音が聞きたい。それを考えながら、オレは今まで生きてきた」
「ならば、この仕事は不満ではないのか?」
「ああ不満だ。大いに不満だね」
と、言いたいところだが。そう言って男は口角を上げた。人影が怪訝な表情を浮かべるのを気にせずに、楽しそうに言葉を紡いだ。
好きに人を焼くのも、それはそれで楽しいのだ。そう続け、彼は腹を抱えて笑い出した。
「理解出来んな」
「お互い様さ。オレだって理解出来ないな。なあ、旦那」
そんな姿になってまで、生き続けたいもんなのかね? そう男は人影に尋ねた。そしてその問い掛けに、人影は無論だ、と迷うことなく答えを返した。
人影は、手にしていたウェルダンになった死体の腕を引き千切った。それを、外套で隠れている己の口元へと持っていく。
暫く、その腕を咀嚼する音だけが辺りに響いた。ふう、と骨だけになった腕を放り投げ、とりあえず人心地ついたと息を吐く。
「まあ、確かにこういう部分では不便だ。だがな、それ以外は素晴らしいぞ。己の身に付けた魔法はこの体を得て更に強くなった。体力と生命力は言わずもがなだ。不治の病に侵されていた私にとって、それがどれだけのものか」
楽しそうに笑う人影のフードの奥から、獣のような吐息が漏れる。そんな彼の様子を見て、男はそんなもんかねと肩を竦めた。
さて、と人影は残りの部分を担ぎ上げる。死体として見付かる部分はこれだけでよかろう。そう続け、ここから離れようと踵を返した。
「腕の骨だけじゃあ、流石に身元が分からんのでは?」
「問題ない。ほれ、これを見るがいい」
太く毛深い腕が、何かを骨の横に投げ落とす。どうやら指輪のようで、その腕の持ち主を判定させる証拠としては確かにもってこいだろうと思わせるものであった。
「骨と、指輪だけ残して消失、ね。カカカッ、これはまたけったいな事件になっちまうなぁ」
「仕方あるまい。『そうする』のが、雇い主の依頼だ」
違いない、と男は笑う。じゃあ退散しますか、と人影の後に続くように、彼も踵を返しその場を立ち去らんと足を動かした。
その道中、男は人影に問う。その残りは、一体どうするのか、と。
「愚問だな」
「……まあ、確かに下らん質問だったな」
これで腹を満たすに決まっているだろう。男の質問に答えるように、フードの奥でちらりと見えた牛の顔、その唇の端がニヤリと持ち上げた。
トリステインの執務室。そこでとある書類を眺めていたアンリエッタはいつになく難しい顔をしていた。隣で仕事をしているウェールズはそんな彼女を見てどうしたのかと首を傾げ、補佐に回っているマザリーニは内容が分かっているのか溜息を吐いている。
「宰相」
「はい」
「発見は、いつですか?」
「それそのものは当日かと思われます。が、ここにその知らせが来るまでに一日掛かってしまったようですな」
「まったく……。そういう時は早馬ではなく竜を使えと言っておいたではありませんか」
まあ仕方ない。そんなことを呟きながら、アンリエッタはパサリとその書類を置いた。少しだけ考え込むように天井を見上げると、視線をウェールズとマザリーニに向け、そして窓の外を見やる。
「駄目です」
「まだ何も言っていませんわ」
「駄目です」
「……今回はわたくしはここから指示を出そう、という意見が、駄目なのですわね?」
「ここで首を縦に振ると、王妃様はすぐさま意見を翻すではありませんか」
「……ちっ」
面白くない、と頬を膨らませたアンリエッタは、しかしだからといって動かないわけにはいかないだろうとマザリーニを睨む。それはそうですが、と返した彼は、意見を求めるようにウェールズを見た。
が、生憎その書類に目を通していないウェールズは、二人の会話の内容がさっぱりだったりする。
「アンリエッタ。すまないが、その書類と、事の次第を説明してくれないかな?」
「ええ、勿論ですわ」
どうぞ、と書類を手渡す。そこに書かれていたのは、とある町で起きた奇妙な殺人事件のあらましであった。一人の貴族が一夜にして腕の骨と身に付けていた指輪を残して消え去ったのだ。断定は出来ないものの、残された物体の状況からしてまず間違いなく死んでいるだろうという見解も述べられていた。
そして、その貴族の名は。
「これは確か……リッシュモンの子飼いだった」
「ええ。わたくし達が調査を行っていた木っ端の一人ですわ」
「口を封じられた、と見るのが一般的でしょうな」
やれやれ、とマザリーニは頭を振る。が、アンリエッタはそんな彼の言葉にそれだけではないと反論した。調査を始めたのはもう随分と前だ。向こうがそれに気付いていないはずもなく、もし尻尾を掴ませないためならばもうとうの昔にやっていてもおかしくない。そこまで述べると、彼女は指を一本立てた。
「恐らくもう一つ、あるいは二つほど。理由があるのでしょう」
「理由、か」
ふむ、とウェールズは書類を見直す。ここに書かれている内容と彼女の言葉、それらを合わせて予想出来ることは彼の中ではそう多くない。が、自分の考えとは別に、アンリエッタならばこういう意見を出そうだろうというものも彼は一つ持っていた。
「撒き餌、かな?」
「流石はウェールズ様。ええ、考えられる可能性の一つはそれですわ」
クスリとアンリエッタは笑う。ひらひらと手をさせながら、恐らく不必要になった人物の利用法として一石二鳥のものを選んだのだろう、と言葉を続けた。
あからさまに怪しいその死体。それを見て、出張ってくるのは果たして誰なのか。
「宰相もそれが分かっているからこそわたくしを止めたのでしょう?」
「当たり前です。……が、確かに王妃様の言う通り、動かないわけにもいきますまい」
「だから、僕に、か」
改めて意見を求められると、ウェールズとしても頭を悩ませてしまう。少なくとも今までの調査に使っていた者ではここから先に向かわせられない。まず間違いなくこの白骨と同じ結末を辿るであろうからだ。それはアンリエッタも重々承知で、だからこそ現状ここで動きが止まっている。
「この犯人の目星は、ついているのかい?」
そうウェールズが尋ねると、マザリーニは溜息を吐きながら頭を振った。今のところ、リッシュモンの手のものということしか分からない。そう述べ、申し訳ありませんと彼に頭を下げる。
「あら宰相。そうでもないわ」
「え?」
「この書類、周囲の状況も書いてあるでしょう? 白骨からほんの少し離れた場所に、何かの焼け跡が残っていたらしいですわ。――少なくとも、下手人の一人はメンヌヴィルよ」
成程言われてみれば。顎に手を当て頷いたマザリーニは、しかしそこで首を傾げた。少なくとも一人は、と目の前の王妃は述べた。それはつまり、彼女は相手が一人ではないという前提で話をしていることに他ならない。
「骨だけ残して焼く、というのは彼らしくないわ。リッシュモンがわざわざそう指示をしたとしても、残りの部分が灰も残さず消え去っているのが不可解」
そこまで言うとアンリエッタは肩を竦める。どのみち、こんな場所で話をしていたところで解決するわけでもなし。現場を調べないことには、真相など何も分からない。勢い良く立ち上がると、よし、と彼女は気合を入れた。
「ウェールズ様。わたくし、少し散歩に行って来ますわ」
「王妃!?」
「……ちゃんと、護衛はつけておいてくれよ」
「陛下まで!?」
成程、それは大変そうね。そう言いながら紅茶のカップに口を付けたティファニアは、緊張しているベアトリスを見て首を傾げた。どうしたの、と彼女に尋ねると、金縛りが解けたように首をグリンと横に向ける。
「あ、あんたね!? アンリエッタ王妃よ!? いくらわたしが大公国の一人娘だからって、そうそう会えるものじゃないの! お偉いさんなのよ!」
「……わたしも、一応お偉いさんよ?」
「あぁ!? ウシチチ馬鹿娘が生意気言ってんじゃないわよ!」
「酷い!?」
そう思うならもう少し気品を身に付けろ。そう言い放ったベアトリスは一息吐き、あ、しまったと弾かれたように視線を前に向けた。
仲が良いのですね、とアンリエッタはそんな二人をニコニコと笑顔で眺めている。
「わたくしも昔はルイズとそんな風に言い合ったものですわ。ああ、懐かしいわ」
「……いや、ついこないだも似たような会話してたでしょう」
「あらサイト殿」
背後から聞こえてきた声に振り向くと、呆れたような表情で才人が立っていた。どうやら今は彼一人のようで、主人でありアンリエッタの目的の人物であるルイズはここにはいないようであった。
そのことで首を傾げたアンリエッタは、目の前の彼女の使い魔にそれを問う。ひょっとしてまた何かやらかして補習でも受けているのか、と。
やけに具体的なその言葉を聞いて才人は顔を顰める。知ってんならわざわざ聞く必要ないでしょうに。そう続け、それで一体どうしたのかと問い返した。
「出来ればルイズが来てからの方が望ましいの。だから、少し待ってくださらない?」
「……あー、もういいです。つまり厄介事なんですね」
「心外ね。ちょっとした散歩の護衛を頼むだけですわ」
それを厄介事って言うんですよ。溜息と共にそう返した才人は、じゃあすぐここに来るよう迎えに行って来ますと踵を返す。言葉の通りが半分、一人でアンリエッタの相手をするのが嫌だったので逃げ出したのが半分。
勿論。彼女が分からないはずがない。
「サイト殿も、分かりやすいですわね」
そう言ってクスクスと笑ったアンリエッタは、ごめんなさいね、とティファニア達に視線を戻した。彼女の言葉に二人はいえいえと首を横に振り、暫しの間談笑を続ける。
「……あれ? ちょっと待った。わたし達さっきその『散歩』の理由聞いてしまったような」
「あらあら。思ったより聡明ですのね、ミス・クルデンホルフ」
ニヤリ、と目の前の王妃が禍々しく笑った気がした。今までのお淑やかな雰囲気が一変、まるで、得物を見付けた怪物のように、細い指先で隠されたその口元が歪んでいる。
「大公国は安泰ですわね。……貴女が、早死しなければ」
「ひっ!」
マズい。ベアトリスの全神経がそう述べていた。このままでは間違いなく、自分は死ぬ。そう思わせる何かが、目の前の王妃から放たれていた。
この間のティファニアとの戦闘以来、彼女は己の身の危険には敏感になったのだ。現状、だからどうした、という結果になってしまっているが。
「大公国の資金は、トリステインの貴族達もお世話になっていることですし。貴女のような方がいれば、これからも友好な関係を築けるでしょう」
「きょ、恐縮ですわ」
「うふふ。そんなに畏まらなくてもいいのよ。ねえ、ミス・クルデンホルフ」
「ひっ!」
食われる。彼女の本能がそう述べていた。ここにいると、死ぬ。半ば確信のような感覚が、彼女の中を駆け巡っていた。
一方、そんなアンリエッタのプレッシャーにそろそろ慣れてきたティファニアといえば。
「ベアトリス? どうしたの? 汗、凄いよ」
「あ、ああああんたは、何も感じないの?」
「何も、って……何が?」
「脳の栄養全部乳に行ってるのかあんたは!」
「酷い!?」
ぜーはー、と全力でツッコミを入れたベアトリスは、しかしそれにより少しだけ重圧から解放されたらしく椅子の背もたれに体を預けた。王妃を目の前にしてその態度を取る、というのが既に彼女の中で余裕など微塵も無いことを感じさせる。
しかし、それが逆にアンリエッタには好意的に映ったらしい。クスクスと先程とは違う笑みを浮かべながら、本当に二人は仲が良いのね、と目の前の紅茶に口を付けた。
「それで、ミス・クルデンホルフ」
「は、はい」
「貴女が先程の会話で出した結論、教えて頂けないかしら」
「え?」
先程の結論、というのは一体何だ。そう首を傾げたベアトリスは、つい口に出してしまった『散歩』のことについてだということに気付き苦い顔を浮かべた。とはいえ、なら話さなくともいいのかと言われれば勿論否。はぁ、と溜息を一つ吐くと、彼女はティファニアとアンリエッタの会話を振り返りながら口を開いた。
「……田舎町でちょっとした事件が起きた、と仰ってましたわね」
「ええ。ウェールズ様は基本的に王都を離れられない身、ならば妻であるわたくしがそこへ。と考えたの」
「……家畜が、狼に食われた。とのことですが」
「どこからか迷い込んだらしいのですわ。まだ被害は一件ですが、増える前に手を打たなければなりません」
「……それで、あのばけも――ミス・ヴァリエールを、ですか」
「ええ。彼女の腕っ節は、中々のものなの」
アンリエッタは笑みを絶やさない。ベアトリスのその言葉に、詰まることなく、何も含むことなど無いようにスラスラと言葉を紡ぐ。
それが、ベアトリスにとって、どうしようもなく怖かった。どう考えても嘘を吐いているのに、それがまるで真実であるかのように錯覚してしまうのが怖かった。
「ミス・クルデンホルフ」
「……は、はい」
「もしよろしければ、貴女もわたくしの『散歩』にご一緒していただけないかしら」
「も、申し出はありがたいのですが、て、丁重にお断りさせ、させて、いただきますわ」
歯が咬み合わない。カチカチと鳴ってしまうのを強引に抑え、ベアトリスは真っ直ぐにアンリエッタを睨んだ。つっかえながらも、はっきりと、媚びることなく、否定の言葉を口にした。
「……テファ、貴女はどうしますの?」
「え? ……ベアトリスが行かないのなら、わたしはやめておくわ」
「そう。……ミス・クルデンホルフが行かないなら、ね」
「ひっ!」
余計なこと言いやがってこのウシチチ。そうは思ったが、生憎ベアトリスにそれを言う余裕が残っていなかった。
当事者はまだ来ていないのだが。こうして今回の『散歩』に向かうのは、アンリエッタの他には、ルイズ、才人、キュルケ、タバサという面々に勝手に決まったらしい。
正直、あのキャラは悪役ポジションでいいのか少し悩みました。