「このままサボっちゃいましょうよ〜」
「そう言って俺から携帯奪った挙句アラーム消したの誰だっけ」
「……1時間だけだからさ!」
ソファーの奥に身体を寄せ、トレーナーさんを誘う私。
しかし当の本人は私のことなんかいないかのように邪険に扱い構ってくれない。
「じゃあトレーナーさんが私に芝2000mで勝てたら大人しくトレーニング受けます」
「じゃあスカイが俺のこと好きって言ってくれたら一緒に添い寝してあげる」
ギィーっと大きく椅子を引き、クルリと身体を回転させたトレーナーさんがそう言う。
「顔真っ赤だよ」
「うるさいですよーっだ」
別にトレーナーさんのことが好きじゃない訳ではないし、素直に気持ちを伝えたいっていうのもある。
でも少し恥ずかしいし、自分の気持ちを面と向かって話すのは難しい。
「トリックスターのセイちゃんには逃げ続けるのが似合ってるな、とか思ってるんでしょ」
「そ、そんなことないですよ!」
頭の中を見透かされたかのような発言に身体が一瞬固まる。
事実逃げ続けているのは私だし、トレーナーさんが言ってることは正しい。
でも同じ気持ちなんだしいいかなって思っている自分もそこにいて。
「……今日はぎゅーして寝ていいですから」
「乗ったその条件」
最低限の妥協、自分が踏み出せる最大限の一歩。
まだセイちゃんがトレーナーさんに負けを認めるのはちょっとだけ早い。
「自分から誘っておいて逃げ続けるの、ちょっとずるい気がするな」
「そりゃセイちゃんは逃げウマ娘ですもん」
踊りだす尻尾、忙しなく動く耳。
感情の変化に忠実なそれは私の意志と関係なしに揺れる。
まるでトレーナーさんを誘惑するように。
「もうちょっと詰めて。じゃないと俺が落ちる」
「そう言ってセイちゃんとくっつきたいだけではないんですか?」
「気がついたなら黙っているのがデキる女ってやつだよ」
自身を覆い隠すように長い腕を私を包む。
トレーナーさんが動くたびに鳴る布切れ音とソファーの軋む音。
やがてぎゅっと身体を抱きしめられたら全身で感じる体温、そして彼の心音。
落ち着いたそれは強張った私の身体を弛緩させ、夢の世界へ招待をしてくる。
「猫みたい」
「にゃぁ……」
「やめろ俺が我慢出来なくなる」
そんなトレーナーさんの反応にクスリと笑い、まるで本当の猫のように頭を擦りつけアピールする。
構って欲しい、そんな思い込めたそれは無事に届いたのか耳に触れるか触れないかくらいの慎重な手つきで頭を撫でてくれるトレーナーさん。
少し雑なそんな撫で方に妙に安心するのはウマ娘としての本能か、或いは私が彼に恋をしているからなのか、真相は誰にも分からない。
分かりたくもないこの気持ち。
こんな距離感がいいなって思う自分が一人、でもワンモアステップを踏み出したいなっていう自分も一人。
でも今は目の前にいるトレーナーさんを堪能する時間。
難しい考えはセイちゃんには向いてないからね。
「おやすみなさいトレーナーさん」
「こらスマホ返せ。どーせアラーム消したんだろ?」
「ちぇっ、バレちゃいましたか」
スカートのポケットの中に入れた携帯を大人しく返し、せめてもの仕返しにと脚を絡める。
私は逃げるけどトレーナーさんは逃さないから。
「なんてね」
「ん、どうした?」
「なんでもないですよーっ」
そうして意識は微睡に耽る。
カット。
まるで映画が終わったかのような起床。
暗転からのライトアップ、窓から差し込む夕日がほんの少し眩しい。
「あれ……?」
すんなり身体を起こせたことの違和感。
そこに在るべき存在がいないことによる不安。
辺りを見渡してみるも部屋にはトレーナーさんの姿が見えない。
勢いよく身体を跳ね上げ、ソファーから立ち上がる。
いつもトレーナーさんが座って仕事をしているところにも。
私と真剣に策を練る時に使っているホワイトボードの近くにも。
苦いものが苦手なのに何故かしきりに飲みたがるコーヒーメーカーの前にも。
いない。
先程私がトレーナーさんから奪った携帯が机の上にある。
近くにいくも何処かに行くとのメモもない。
いない。
「あ、あれ……トレーナーさん?」
そう吐いた私の言葉にも返事はない。
ただの一音、虚空に消えていく独り言。
「ど、何処に行ったんですか?」
笑顔を振りまいていた筈の彼が消え、何処か存在が朧げで。
心臓のBPNがあがる。さながらクライマックスに走りだす協奏曲のように。
「私を一人にしないでください……」
彼がいないと知ってしまい心の中には負の感情が増え続ける。
我慢しなきゃ、だってまだ本当のことじゃないんだし。
ダメだった。
その場に蹲るように膝から倒れる。
止まらない涙、漏れ出す嗚咽。
寂しい、不安、そんな悪い感情が私を蝕み更に孤独を加速する。
「スカイ!!」
扉が開く音、その後覆いかぶさってくるのは私の大好きな人の身体。
背中から伝わってくる彼の心臓の音。
私が落ち着く音。
「何処に行ってたんですか」
「少し書類を出してたんだ。ごめん、君を一人にして」
「不安でした。ねえトレーナーさん」
涙はいつの間にか乾き、口調も落ち着いたものへと変化した。
ぎゅっと、いつもトレーナーさんがしてくれるように私も抱きしめる。
でも恋人同士がやっているような甘いものなんかじゃない。
「す、スカイ……?」
束縛、拘束とも呼べるように包容。
彼の苦しそうな喘ぎ声と共に漏れ出す吐息。
耳にかかるそれは私の身体を震わせ、歓喜という感情を植え付ける。
「悪かったスカイ、君を一人にしないって誓ったのに」
「いいんです、これからもずっと一緒にいてくれるなら」
トレーナーさんが私に言った。
もう一人にしない。何処に行っても、誰が何を言おうと俺が味方だ、と。
トレーナーさんが頼んだ。
俺に好きって言ってくれ、と。
好き。
好き……?そんなちっぽけな感情なんかじゃない。
感情の深淵
心の底から湧き出るこの感情に"好き"なんて言葉で表すのは違う気がする。
逃げ続けるんだって言われたけどレースでも前を取られたら取り返す。
べつに最後にゴール板を駆け抜けたウマ娘の勝利なんだから。
ずっと一緒にいて、最後に差し返せばいい。
何をしようが、何処に行こうがトレーナーさんはずっと一緒。
これがセイちゃんの恋愛術。
「愛していますトレーナーさん」