5月3日(木) 夜
「はふ、はふ。んっ、んっ、ずるる…はぁ~! うんまかったなぁ!」
「すみません、僕らにまでごちそうして貰っちゃって」
「かまわんよ。大人になってしみじみと実感するのは、ラーメン屋くらいの金額の外食時に財布の中身を確認しなくなった点だな」
「でも、こういうのって良かったんですか?」
「いいわけが無いだろう。最近は教師が生徒と飯を食うだけでもとやかく言われる時代だ。
だが、ああいったショックの強い出来事の後に放り出して帰らせるのは私の信条に悖る」
かちゃんと空になった器にレンゲを放り込み、お冷に手を伸ばす。
清掃ボランティアの終わった後、あの小学生が置き逃げした物体の後始末を代表者に押し付け…任せた彼らは平塚教諭の誘いによりラーメンを啜っている。
「しかし、色んな意味で厄介だったな」
「ぬぅ、いかに我に室町を愛す気持ちがあると言えど、死を側にするは感覚が追いつかん」
「しかも、無視されてたあの子へのいじめって断言できないラインだし」
「死と言う非常事態に動けない、そう言う事を言われてはね」
流石に何もなしに終わる事は出来ず、平塚教諭と会釈していた向こうの教師。
彼と軽く話して事情説明をしたが、「犬が死んでてパニックになって、どうしたらいいか分かんなかった。そしたらその子が年上の人に伝えに行くって自分から言ったの」と。
ここまで筋道立っていたわけではないが、そう言う旨だった。
特におかしい所がある訳ではなく、対処としても間違っていない。
違っているのは、事前にハブにされていた状況を見ていた彼らの心情だけだ。
「ま、どこにでもあるものだし、無関係のキミたちがどうにもできなくとも仕方がない。
かくいう私だって、赴任先ならともかく別の学校と言う事だと手を出せん」
「世知辛いですね」
「口だけは出しておいたが、それ以上はな。一応、連絡先は交換しておいたがどうにもならんだろうな。
こういう時、大人だと言ってもやはり限界と言うモノを感じるよ。
一人の人間が出来る事に限りがあることを実感してしまう」
お冷を飲み干して空になったグラスを手元で転がす。
「社会人って言うか、教師ってストレスすごそうですね」
「ん~、まぁ少ないとは言わないが、それよりもやりがいを感じられるから続けられる。
こうして皆でラーメンを喰ってると、それも実感するよ。
それに、ストレスの発散方法なんて幾らでも持っているからな」
戸塚の問いかけにアンニュイな空気になりかけたのを察し、努めて明るめの声を出す。
「例えば、酒、たばこ、車…まぁ女としてはどうかと思われるのは知っているが、そんな目でみるなよ。
一大人としては健全な趣味だろうが、そうだよね、ふつうだよな、違うのか?
女生徒の中には、サバゲーしてストレス発散している奴だっているんだぞ!」
最後の方はちょっと声が震えていたのを見ないふりをする情けがあった。
それぞれが食べ終わったのを確認して、勘定を済ませると遅くならないようにだけ言づけて去っていった。
その背中が赤提灯に吸い込まれていなければ本当にいい先生なのに…と誰かが思った。
補導されるような時間ではないが、既に周囲は暗く染まっている。
「じゃあ、僕はちょっとスクールに寄ってくるから。またGW明けたら学校で」
「やっば、ママに遅くなるの言うの忘れてた! あたしも帰る! ゆきのん、ヒッキーまたね」
戸塚と結衣が分かれ、ちょっと本屋に寄りたい八幡と材木座だが…
「私たちだけが美味しい物をいただいたのは気が引けるとは思わないかしら」
「ゆ、雪乃殿ぉ!」
「は、はちまぁん!」
平塚教諭の手前ずっと黙ってカバンに押し込められていたモルガナへ差し入れをしたいと八幡を引きずっていくのであった。
感涙するモルガナはともかく、手を伸ばしてくる材木座は演技臭くて暑苦しいなとしか思わない。
「ふんふふん。寿司か、肉か…フレンチとやらも試してみてえな」
「あんまり高い物は止めて…あっ」
「どうかしたかしら。成仏したの? それとも解脱?」
「ことあるごとに死亡確認しなくても生きてるからね。
じゃなくて、前の戦利品が大分高く売れてだな」
高額、と連想してそう言えば相談しなければいけない事があったと思い出す。
そう言って、なくさないようにとカバンの底に押し込んでいた封筒を取り出し、今石燕とのやり取りを説明する。
ひょいっと、身軽にカバンの中から黒猫が地面に降りたち歩きながら聞く姿勢に入る。
今石燕の会社で本格的に戦利品、情報物質を研究し始めるかもしれない事。
その結果如何で買い取り額が上下に変動する事。
買取が一時停止になっている事、その代わりに高額で買い取ってもらえた事。
彼女は横で足を止めないまま聞き手に専念している。
一度だけ頷き、理解を示す。
「そうならせめて報告だけはしてほしかったわね。
戦利品の売却結果に関してはあなたに一任していたから、愚痴でしかないのだけれど」
「額が額だから相談はしようと思ってたんだが、そのあとほれ。
あれだ、カラオケ、とか、まぁ色々あったから完璧に忘れてたんだよ」
「つまり、あれか。特上を頼んでも良いって事か?!」
「食欲に支配されてんじゃねえよ」
ぽつり「カラオケ…そう、あの日」と口の中で呟き、納得した。
流石にあの流れで金の事を言うのは違っただろう。
「先の見通しがつかないなら、一旦そのお金はプールしておきましょう。
折角、過去のパレスに再度行ける。鍛錬と金策になる術が見つかったばかりなのに、もしかすると金策は別で考えないといけないなら余力は残しておきたいから」
「仰せのままに」
「あと、次にその人と会う時は私も同席させてもらうわ。
結果次第でしょうけど、これ以上額が上がるとなると少し話をしておかないと面倒になるでしょうし」
「そういや、税金とかその辺も考えないといけないのか。了解」
「そんな固い話はともかく、まとまった金が入ったらビュッフェに行ったり、寿司を食うのがだな…ん?」
「だから、そんな無駄遣いできる額でもねえよ。あと、人間社会を甘くみんなよ、税金滞納とかめちゃ怖いらしいから」
「どうしたの、モルガナちゃん」
足音無く歩いていたモルガナが立ち止まり、怪訝な声を出すものだから横の彼らもつられてしまう。
なんだなんだと見つめる先を辿ってみるが、何に注目しているのかが分からない。
「おい、あれ。あそこに一人で座ってる女の子…ありゃ、ボランティアの時の子じゃねえか?」
「…んん? あぁ、あれか?」
「確かに、あの子は見覚えがあるわね。多分だけれど、無視していた中の一人だったと思うわ」
「いたか? いた、ような。居たんだろうな、多分。知らんけど」
どの事を言っているのか、ようやく理解した雪乃がその少女の姿と記憶を突合させる。
彼女の言にそう言えば居たような気がする、と曖昧な記憶で相槌を打つ。
「私達が言うのもなんだけれど、子供が一人で出歩くのも不用心ね。
少し、声をかけてみましょう。気になる事もあるし」
「…さいで。じゃあ」
「おら、ハチマン。お前も行くんだよ」
正直どうでもよかった彼も、促されてしまえばついていかざるをえない。
どうでもいいというのは、行ってもいいし行かなくてもいいと言う事だから。
「そこのあなた」
「………なに?」
淀みなく、一人座り込む少女の元へ進み、躊躇いなく声をかける。
一足遅れて残りの彼らも追いついた。
雪乃の声かけにゆっくりと顔を上げて返事をするその少女。
まるで目の前の彼女のように腰まで届くほどの長い髪は少し紫がかっている。
ボランティアの時に動きやすいように選んだ服が若干スポーティだが、纏う雰囲気は落ち着いている。
年齢よりも大人びてみえ、フェミニンな空気を纏っている。
総じて、年齢が長じれば可愛いよりも美人系になるだろうと言うのが印象だろうか。
「とりあえず、これを使いなさい」
「………どうも」
その年齢相応に可愛らしさが残る顔は、しかし今は痛々しさに影を落としていた。
手渡されたハンカチでごしごしと目元を拭い、更に真っ赤になる。
「どうしたんだ?」
「あっ、猫だ」
「モルガナちゃん、って言うの」
「へぇ。にゃ~」
「おっと、ワガハイの声は聞こえないんだったか。
構わねえぞ、乙女の心を癒せるなら動物扱いなんのそのだ」
近寄るモルガナに手を伸ばし、柔らかく輪郭を撫でる。
ようやく笑いを取り戻した様子に、人知れず安堵する。
「それで、こんなところに一人でどうしたんだ。
掃除の時に居たお友達とかはどっかに居るのか」
「あっ」
「愚か」
なのに、無遠慮、無思慮、無神経に踏み込む。
今まで散々人から傷つけられてきたくせに、もうちょっと気を使えないのかこの男は。
じわり、と止まった筈の涙がにじみ出す。
だが、無配慮に口に出したと言う訳ではない。
むしろ、わざとそういう言い方をしたのだとも思える。
初めから、それも一人の同級生を意図的に無視していた姿を見た時から、印象が悪かった。
その点が、きっと彼の言葉にトゲをつけているのだろう。
しかし、そのささくれも今は的外れなモノである。
なぜなら
「かなちゃんも、こはるちゃんも…帰った。
………なおちゃんも一緒に。私だけ置いてかれたんだ」
「なお、というのはあの時、私達にあの袋を持ってきた女の子の事?」
「うん。私、失敗しちゃったから…だから、次は私が無視される番」
この加害者の少女は既に加害者というだけではなく、被害者にもなってしまっていたからだ。
もう一度握ったハンカチでふき取り、次は気丈にはっきりと断言した。
「よくある事だし。なんとなく無視しようとか、嫌な事を押し付けられる係とか。
そう言うの。だから、なんともない。我慢してればすぐ終わるから」
「なんともねえ、って顔じゃねえだろ。辛いなら辛いって言っていいんだ。
ワガハイは女性の涙を止める為なら出来る限りの事をしてやりてぇ」
「ん、可愛いね」
見え透いた強がりに、悲しそうな顔でモルガナが近寄るも『モルガナが喋る』認知を持たない少女には通じない。
うなぁ! と言葉が伝わらない事に叫ぶが、どうしようもない。
もう少しだけ詳しく事情を聴いてみるが、かいつまんで言うならば、今日の清掃ボランティアで奉仕部に声をかけて荷物を渡したことであの少女の無視される番が終わった。
これは一種の度胸試しをクリアしたご褒美的なニュアンスらしいが、おそらく部外者には完全に理解できる類いのものではなく、ふんわりとだけ理解した。
だが、その無視されていた少女が戻ってきたとき、無視が終わった事にこの少女は気付かずに以前の通りに無視してしまった。
空気が読めていない行動をしたら、ターゲットにされる。
因果応報、つまりは今までしてきた事が、今度は自分に返ってしまったと言う話。
「私、せめてボランティアが終わった後でもいいから何かしてあげたくて、自販機に行ってた。
その間にもう変わってて、私気付かなくて。みんな、なおちゃんも…私の事無視するようになった。こんなことなら、何もしないほうが良かったかなって思って、そう考える自分も嫌になって」
声が震えないようにだろうか、ずっと肩に力が入っている。
後悔も多分に含まれているだろう。
己のしてきた事が自分に降りかかって、どれだけ酷い事をしたのか。
自覚を持ってしまった罪悪感、そしていつ終わるのか分からない恐怖、友達に裏切られる悲しみ。
負の感情が押し寄せて、とにかくボーっとしていなければもっと泣いてしまうから。
そうやって感情の波をやりすごしていた所に顔だけは知っている他人が現れた。
泣き言でも言わなければどうにかなってしまいそうだった。
だから、つい零れてしまった。
「ありがと。ハンカチ返す」
「いえ、別に。帰りは」
「お母さんが迎えに来るから」
ひとしきり吐き出すだけ吐き出して少しは心が落ち着いたのか、見つけた当初よりはマシな顔つきで立ち上がる。
湿った皺だらけのハンカチをカバンに仕舞い、一礼して立ち去ろうとする少女を呼び止めるが固辞される。
それが本当なのかはともかく、あくまで他人な以上、一線を引かれてしまえば踏み込むのは躊躇われる。
「私の名前は雪ノ下雪乃、こっちの死んだ魚のような眼を「ことあるごとに変な形容詞つけるのやめろ、比企谷八幡だ」
可愛らしい猫ちゃんはモルガナちゃんって言うの。あなたの名前は?」
だけれど、せめて繋がりだけは在るのだと示したくて名前を告げる。
返ってこないかもしれない。
もう会うこともないかもしれない。
けれど、彼女は過去の自分でもある。
放っておけなかった。
「鶴見留美」
その時、八幡の頭に不思議な声が囁く
<汝は我、我は汝>
<我、新たなる繋がりを得たり>
<繋がりは即ち、前を向く支えとなる縁なり>
<我、正義のペルソナに一つの柱を見出したる>
「…この前、少し話したことがあったでしょう。私が昔虐められていたって」
「そうなのか、雪乃殿」
「戸塚を助けに行ったときか」
小さな背中が見えなくなってしばらくして、かけられた唐突な問いかけ。
その問いに脳内から『あまり覚えておくべきではない記憶フォルダ』から引っ張り出す。
『けれど、それが崩れたのは小学校3年の時。ほら、私って美人でしょう? 小さい時もそれはそれはかわいらしくてね、虐めの対象にもなったの。
きっと、彼への嫉妬だとかそう言うのもあったのでしょうね。それをあの男は…』
確かに彼女はユミコのせいではあるが、そう言っていた。
「もちろん、私がやられっぱなしで終わる訳がないのは分かるでしょう。
佐川さんも下田さんも一切私に関わる事は無かったわ」
「誰だよ、佐川さん下田さん。いや、予想はつくから返事はいいわ」
「何をされて何をし返したのか、知りたいが怖さが勝っちまうな」
「だけど、私には何故人の足を引っ張るのか、己を磨こうとせずに他者に原因を求めるのか…
そういう気持ちが分からないの。だから、彼女に聞いてみたかったのだけれど…」
少し寂しそうに「失敗だったわね」と溢す。
「けれど、代わりに彼女を少しは救う事は出来たのではないかしら…
自己満足かもしれないけれど、何も出来ないままではいられない」
そうかもしれない
あの子も気は楽になったかもな
→ただのおためごかしだ
「分かってるじゃねえか。あんなのはただの自己満足、ただのおためごかしだ」
「ハチマン!」
「…あなたならそう言うかもしれないと思っていたわ」
彼の過去の出来事と照らし合わせてみる。
ただの一人も友達とよべる存在が居なかった今まで。
たった一人で悪意に晒されていたあの時、今のように吐き出せる相手が居たら彼は救われていただろうか。
否。
何にもならなかっただろう。
強風から自身を守る為に縮こまっていた身体に一瞬だけ風よけが出来たところで何の解決にもならない。
その後に続く苦痛が余計に苦しくなる。
ならば最初からそんな無責任な救いなんて無い方がマシだと断言できる。
…それがその場限りであるのならば。
「自己満足で終わるつもりがねえって顔してんな」
「へっ?」
モルガナがむすっとした表情のまま横の彼女に向き直ると、さっきまでのしおらしい様子はどこへやら。
挑発じみた目つきがそこにあった。
「当然でしょう。手始めに、今日のボランティアの代表者にでも彼女の通う小学校を聞いてみましょうかしら。
個人名と紐づけられなくても、参加団体くらいなら調べるのは難しい事はないでしょう。
その後は、彼女の下校のタイミングでも見計らって行動パターンを把握したら、また声をかけてみるわ」
「発想がストーカーじゃねえか。そこは平塚先生があっちの先生と話してたし、そっちの線から行く方がまだ穏便だから」
ドン引きする彼に、小首をかしげながら「そう? ならそうしましょうか」と普段通りの調子で掛け合う。
独特なやり取りにモルガナが置いてけぼりを食らい目を白黒させている。
だが、彼と彼女にしてみれば、自明の理だった。
中途半端こそが一番害悪なのだと理解している彼らからしてみれば。
「何も出来ないままではいられないけれど、何か出来たつもりでいるつもりも無いから。
彼女との繋がりは継続していくわ。自己満足だとわかっていても、何も出来ないと見過ごす私では居たくないから」
「雪乃殿」
「もちろん、偉そうなことを言っていたあなたも、強制参加だから」
「藪蛇」
にっこりと満面の笑みを作って巻き込んでくる彼女にうげっと返す。
モルガナが「絶対に協力させるぜ!!」とか俄然乗り気なので逃げる事は出来ないだろう。
これはどうあっても付き合うしかないか、と諦める。
人生なんて言うたかて諦めが一番や、心の中の似非関西人が同意してくる。
それは達者が一番じゃねえのかよ、と内心で突っ込みながら帰路に着くのであった。
なお、帰った後にモルガナが「結局ワガハイ飯食ってねえぞ!」と叫んだのはまた別のお話
愚者……比企谷八幡(アマノジャク)
魔術師…材木座義輝(ギュウキ)Rank2
女教皇…雪ノ下雪乃(ライジン)Rank2
女帝…平塚静 Rank1
皇帝…葉山隼人(ツチグモ)
法王
恋愛…由比ヶ浜結衣(ザシキワラシ)Rank2
戦車…三浦優美子(???)
正義…鶴見留美 Rank1 New
隠者
運命…戸塚彩加(ノヅチ)Rank2
剛毅(力)
刑死者
死神
節制
悪魔
塔
星
月
太陽…比企谷小町 Rank1
審判
世界…奉仕部 Rank2