鎖影の庭   作:土斑猫

10 / 57
【私はなぁに?】

 冷たい夜は過ぎ。

 虚ろな日は沈み。

 また。

 不安な夜が来る。

 

 学園に二棟ある寮。

 前日の不審者騒ぎを鑑みて、両棟では就寝時間後にそれぞれの寮長及びその寮の生徒で腕に覚えのある者数名が見回りをする事になった。

 とは言うものの、端から不審者の捕縛なんか企んでいる訳ではなく。要は間違い無く出るであろう、深夜の外出禁止令をゲーム感覚で破ってやろうとか考える阿呆共を見せs……注意するのが目的。

 よって選ばれた生徒も、規律を守る模範的な者ばかり。

 

「……の筈じゃなかったのかい……?」

「……ハハハ。何と言うか、意気衝天この上無しと言った感じだね」

 此方は美浦寮。途方に暮れた声で嘆くのは、寮長・ヒシアマゾン。その隣りで苦笑するのは、同じく美浦寮在籍の生徒会会長・シンボリルドルフ。

 見回りを始める前から疲れ切った様子の二人だが、ソレもやむなし。集まった面子が凄かった。

「おや、どうしました!? アマゾンさん! 会長さん! ひょっとして連日の激務でお疲れですか!? ならばご安心を! この私が学級委員長の名にかけてバッチリバクシン的に補佐しますので! バクシン! バクシーン!!」

「聞いたぞー! 不審者ってヤツ、テイオーに勝ったって! なら、ターボがソイツ捕まえればテイオーもターボの挑戦断れないなー!?」

「ケケケケケ! よりにもよってエルの縄張りで狼藉を働くとは愚かの極みなのデース! 丁度良いデェス! あんまり平和過ぎてスパイスが欲しかった所なのデス! パパ直伝のルチャで血祭りに上げてやるのデェス!」

 サクラバクシンオーにツインターボにエルコンドルパサー。

 声からキャラから、非常にうるさい。

「何て言うかこの……人選の趣旨が違うんじゃないかねぇ……?」

「本人希望で募集したのが不味かったかな? 正しく、軽慮浅謀だったね」

「すまねぇ……。アマ姐さんに会長さん……ターボにゃ邪魔になるから駄目だって、散々言ったんだが……」

 心底申し訳なさそうに詫びるイナリワンに、米神を押さえながら首を振るヒシアマ。

「すまないね、イナリ……。いや、ターボはまだ良いんだよ。寧ろ問題は……」

「彼女だろうねぇ」

 シンボリルドルフの言葉に、ソーッと後ろを見る二人。視線の先には、基本お祭り気分のメンバーの中で一人ガチの殺気を放つグラスワンダー。

 手には、ご丁寧に愛用の薙刀。

「グ、グラァス……?」

 余りの鬼気に一抹どころじゃない不安を感じたエルコンドルパサーが、恐る恐る声をかける。

「……何ですか? エル……」

 底冷えのする声と共に向けられる視線は、完全に狩る者のソレ。思わずヒェッて言う。

「あ、あのデスね? 多分コレ、色々デンジャラスデスから……やっぱりグラスは部屋で寝てた方が……」

「エル……」

「は、はいデェス!!?」

「聞きましたか? 件の狼藉者は、スズカさんやテイオーさん達のみならず、スペちゃんの前にも姿を見せたそうです……」

 いや、そりゃスペちゃんがスズカさんと一緒にいたから流れ上そうなっただけで寧ろスペちゃんは被害受けてない方……とか言いそうになったけど下手な事言うと飛び火しそうなので流すエルコンドルパサー。

「何処のロバの骨とも知れぬ身で、スペちゃんを怖がらせるなど大胆不敵言語道断……」

 ギリギリと薙刀の柄を握り締める音。

 今にも、握り潰しそう。

「グ、グラス……落ち着くデース……」

「神妙に縄になり、沙汰を受けるならばソレで良し。しかし、そうでなければ……」

「ハ、ハラキリはチョット……」

 何とか最後の一線は守らねばと足掻いてみる。

「切腹? その様な誉れなど、赦す筈が無いでしょう?」

「ケ?」

 

「こ の 場 で 首 を 獲 り ま す」

 

 端正な顔に浮かぶのは、正しく鬼神の笑み。

 控えめに言って、ヤバイ。

 ヒシアマゾン始め常識人三人の認識、完全に統一。

 とは言え、他の面子は面子でこの程度の事で大人しくなる道理もなく。

「何、件の不審者を捕縛してしまえば何の問題もありません! 我々が力を合わせれば造作もない事! さあ、行きましょう! 学園の平和の為にバクシンです! バクシンバクシンバックシーン!!!」

「待ってろテイオー!!」

「デ、デスネー! 一発でノックアウトすれば問題ナッシングデース!」

「せめても刃の錆にする価値が有れば良いのですが……」

 意気揚々と進撃を始める問題児共を見て、イナリワンが呻く。

「ちくしょう! エルの奴、しれっとアッチに入りやがった!!」

 此処までの流れから抑止力(コッチ)側になる事を期待してたらしい。

「ゾンビと戦うくらいならゾンビの仲間になった方が楽、と言う事かな? 理論的ではあるが、自在不羈な彼女らしくはないかな?」

「てやんでぃ! 見下げ果てた野郎だ!!」

 恨み節を吐くイナリワンの横で、腹を決めるヒシアマ姐さん。

「去ったヤツを恨んでもしようがないよ。良いかい? 万が一の時にはアタシ達が全力で止めるよ」

「成程、そう言う事になるね」

 不敵に笑うシンボリルドルフ。

「思いの外、愉快な夜になりそうで欣喜雀躍と言った心持ちだよ」

 何だかんだ、地味に楽しそうだったり。

「……あたしらは一体何と戦ってんだ……?」

 途方に暮れるイナリワンの自問を掻き消す皆の声。

 その喧騒を耳にしながら、他の寮の生徒達は頼もしさと共に思うのだ。

 『……うるせぇ……』と。

 

 

「ふふ、向こうは随分と賑やかな様だね」

 変わって此方は栗東寮。ヒシアマゾンと携帯で連絡を取っていた寮長のフジキセキが、電話越しに聞こえる喧騒を聞いて笑う。

「こんな遅い深夜なのに、皆さん元気ですね。凄くとっても楽しそうです」

「とは言え、他の生徒に迷惑っス。会長やアマゾンは、もっとピシッと言うべきっス!」

 釣られてクスクス笑うナリタトップロードの横で、バンブーメモリーがフンスと息を吐く。

 言うて、かの二人もやれるモンならやっていようが。

「やれやれ、相変わらずだねぇ。向こうの困ったちゃん達は。こーゆー時くらい、真面目にやんなさいよと」

「アンタが言うっスか? どっちかって言ったら、アッチ側だと思ってたっスが」

 横で聞いていたゴールドシップの台詞を聞いたバンブーメモリーが意外そうな顔をするが、彼女はニヤニヤするだけ。

「言ってくれるじゃん、風紀委員長サマ。やる時ゃビシッとキメるゴルシちゃんですわよ?」

「知ってるよ。ただ、ソレを考慮しても今回は随分掛かってる感じがするね? 普段なら中々にエキセントリックな君との会話が、こんなにスムーズに進んでいるじゃないか? ソレが何よりの証拠さ」

 フジキセキの指摘に、ほんの一瞬真顔になって。

「やだねー、このウマ娘誑しは。変に鋭くってさぁ」

「……マックイーンの件かい?」

「ま、そう言うこった」

 少し潜めた声に、ストレートに答える。

「件の不審者と遭遇してから、不調は戻ってない様だね。まあ、間がないのもあるだろうけど」

「マックちゃんはそんなヤワじゃねーよ。あんななってんのは、まず間違い無くテイオーのせいだ」

「テイオーちゃんですか? けど、あの子も特に被害は無かった筈じゃ……?」

 ナリタトップロードの疑問に、『ああ』と面白くなさそうに。

「何の変わりもねーよ。いつものメスガキ全開、はちみー大好きのテイオーちゃんだ。トレーニングで走っても、軒並みベストレコードよ」

「問題ないんじゃないっスか?」

「問題ねーよ。気持ち悪ぃ位にな」

 ちょっとだけ。けど、すぐにいつもの彼女に戻って。

「とにかく、マックちゃんが見てらんねぇ。あの甘味狂いが、好物のカップケーキも喉を通らねーと来た。けど、当てもねえからな。取り敢えずやらかしの張本人に何しでかしたか聞いてみたいんだよ」

 悪い顔でジャリジャリ錨を揺らす様に、ナリタトップロードとバンブーメモリーは顔を見合わせる。

「まるで、父親みたいだね」

 苦笑するフジキセキに、ニヘラと返して。

「そう見える? そーゆーノリじゃ、ねーつもりなんだけどなぁ」

 ヘラヘラする顔を見ながら『分かってるよ』と思う。それでもメジロマックイーンの想いを一番に考える奇友を、彼女は気高く思うのだ。

「まあ、実際に犯人がまた出るとは限らないけど。もしもの時には程々に。やり過ぎちゃって過剰防衛とか笑えないからね?」

「へぇへぇ。けどよ」

 ニヤリと笑んで、横を親指で示す。

「他の連中も、割と殺意たけーぜ?」

「その通りですわ!」

 答える様に飛んで来たのは、凄まじい覇気。

「この神聖なるトレセン学園に土足で踏み込んだ挙句、我が盟友方に狼藉を働く極悪人! このカワカミプリンセスがバッチリキッチリお灸を据えて差し上げますわ!」

 気分はプリファイ。ノリノリで拳をポキポキ剣呑に鳴らす。

「悪党退治は武道家の務め……」

 静かな呼気と共に、ユラリと燃える闘気。

「金剛八重垣流の名にかけて! かの罪人、しかと討ち取って見せましょう!」

 ガツッと打ち合わせる拳の響き。此方もやる気満々闘志満ち満ちのヤエノムテキ嬢。

「……ぶっちゃけ、この二人だけで戦力過多なんだけどよ。アンタも結構やる気じゃね?」

「まあ、私の可愛いポニー達が怖い目に遭わされたのは確かだからね。正味、腹は立ってるさ。ただ、彼女達に声をかけたのは……」

「何無駄話してんねんで! はよ行こ!」

 ギュゴゴゴゴゴゴ! ギュ!

 割り込む様に飛んで来た声と、合いの手を合わせるかの様な奇っ怪な音。

「少しでも早く解決しないと、彼女達がね?」

 苦笑するフジキセキを見て、納得した様に声と音の方を見るゴールドシップ。

「何わろとんねん!? こっちはマジでやばいんやで!」

 ほぼ絶叫に近い声で喚くタマモクロス。となれば、その隣で死にかけの古龍の如き奇鳴を立てているのは当然の様にオグリキャップ。フラフラしてて、明らかに絶不調。

 て言うか、顔色がガチでヤバイ。

「す、すまない……フジ……。本当に……本当に不味いんだ……」

 ゲッソリした青い顔で、呻く様に訴えるオグリキャップ。その様、ほぼほぼリビングデッド的な何か。

「夜間外出禁止令のせいで……夜食が調達出来ない……。この状態が続いたら……私は私でなくなってしまう……」

 苦悶の声と共に鳴り響く腹の音は、正しく崩壊を告げるプレリュード。

「あの……続くってまだ一晩目……」

「私が私でなくなるって……どうなるのでしょう……?」

 オグリの謎の状態異常に、絵も言われぬ不安と恐怖を覚える皆。そして、今更の様に思うのだ。

 この人、本当にウマ娘なんだろうか? 実はモグラ娘だったりしないだろうか? 一時間食べないと死んじゃうとかないだろうか……と。

 でも、そんな外野より切実な脅威に晒されてるのは同室のタマちゃん。

「ほら、分かったやろ!? はよ行こ! ほんで犯人のアホタレを捕まえて外出禁止令解かへんと取り返しのつかん事になる!」

「いや、今夜また必ず出るとは限らないけど?」

 必死の形相で詰め寄るタマモクロスに、ちょっと困り顔のフジ先輩。

「駄目なんだ……フジ……そんな悠長な事を言っていては……。私は……私はもう、タマが美味しそうに見えて仕方ないんだ!!」

「見い! はよ何とかしぃひんとウチが食べられてまう!! ウチにはまだレースで稼いで食わせんならんチビ達がおるんや! オグリのモノになる訳にはいかへんのやー!」

 魂の叫び。

「許してくれ、タマ! 我慢の出来ない私を許してくれ!!」

「そこは我慢したれや〜!!」

 言葉だけなら甘々な会話に聞こえなくもないのだが、この場合はガチの『捕食』なのだろう。

「はいはい。じゃあ見廻りの途中でキッチンに寄ったら、そこでオヤツにしようか。寮長特権さ」

 そんな狂態を前にしながら特に動揺も畏れも無く、テキパキと仕切るフジキセキ。寮長の冠位は伊達ではない。

「じゃあ、出発するとしようか。皆、バラバラにはならない様にね。お互いが確認出来る様に動いておくれ」

「了解ですわ!」

「全身全霊を持って務めさせて頂きます!」

「ほら、聞ぃたやろ!? オグリ! もうちょっとだけ我慢しぃ!」

「わ……分かったタマ……。頑張る……。ところでタマ、タマのほっぺはフニフニして美味しそうだな……。一口だけ、良いだろうか……?」

「全然分かってへーん!!!」

 先の美浦に勝らず劣らずの賑やかさで進む一行。その殿を守る様に歩くゴールドシップがふと窓を見る。

「……また、霧が出て来やがったな……」

 窓の月夜が、澱む白に塗り替えられる。

 まるで昨日の。

 黄昏の様に。

 

 ◆

 

 そんな栗東寮の一室。

 灯りの落ちた部屋の中、サトノダイヤモンドはベッドの中で静かに息を殺していた。

 常夜灯の淡い光だけの薄闇。シンと静まり返った空気の奥遠くで、何人かの喧騒の声。

 きっと、昼間言っていた先輩達の見廻りの声。

 けれど、彼女がソレに安寧を得る事は無い。何故なら、不安の根源は。この部屋の中に、今共に。

「ダイヤちゃん」

 隣のベッドから聞こえた声に、ビクリと震える。

「先輩達、頑張ってるね。大変だね」

 彼女の声。

 知ってる声。

 大好きな、声。

 だけど。

「何も、怖い事なんて無いのになぁ」

 クスクスと、笑う声。

 ああ。

 違う。

 違う。 

 同じ声。

 同じ顔。

 同じ香り。

 でも、この子は。

 この人、は。

「違くないよ」

 すぐ後ろで、声がした。

 身体が凍る。

 いつの間に?

「起きてるんでしょ?」

 息を殺す。

 けど。

「ダイヤちゃん」

 声。

 耳元。

 吐息。

「ひっ!?」

 思わず声を上げた瞬間、上掛け越しに抱き締められた。

 強くはない。

 酷く優しい、抱擁。

 でも。

 だからこそ。

 動けない。

「ほら、やっぱり起きてた」

 嬉しそうな。

 そして、心底愛しげな声。

「眠れないの? 怖い? 寂しい? なら、一緒に寝てあげようか?」

 

 囁く声に、先までとは違う意味で心臓が跳ねる。

「ね、そうしよう? 昔みたいに。お泊まりした時。ダイヤちゃんのお父さん達が、いない時。ダイヤちゃん、よく泣いちゃったよね? 寂しいって。だから、そんな時はあたしが」

 ベッドが軋む。

 上がって来る気配。

「ね、ダイヤちゃん」

 甘い。

 声も。

 息も。

 離れてても感じる、体温も。

 あまりにも同じで。

 あまりにも優しくて。

 だから、許してしまったら。

 きっと。

「やめて!」

 身体が竦むから、せめて振り絞った声。

 彼女の手が、ピタリと止まる。

「どうして?」

 困惑する声。

「貴女は、キタちゃんじゃない!」

「あたしはキタだよ?」

「違う!」

「どうして? 全部、『あたし』だよ? 声も。形も。走るフォームも。レコードだって、ベスト。誰が見たって、『完全』なキタサンブラック」

 そう。

 そうなのだ。

 何もかも。

 この子を象る要素全てが。

 この子が間違い無く『キタサンブラック』である事を証明する。

 自分が。

 この『サトノダイヤモンド』が見てさえ。

 だから。

 だからこそ、許せない。

 彼女も。

 自分も。

「やめ……」

「この気持ちだって……」

 放とうとした拒絶に被さる様に。

「君を……ダイヤちゃんを大好きな気持ちだって、あたしだよ?」

「ーーーーっ!」

 止まった。

 言葉も。

 呼吸も。

 その声で。

 そんなに、ハッキリと言われた事なんて。

 固まったサトノダイヤモンドを、困った顔で見つめ。

「……そうだ」

 何かを、思いついた様に言った。

「確かめよう」

「……?」

 何を言っているのか、分からない。

 困惑するサトノダイヤモンドを置き去りに、彼女は続ける。

「確かめようよ。お互いの身体、隅々まで。分かるよね? 覚えてるよね? あたし達なら! 小さい頃の、二人だけで知ってる事! そうすれば、あたしがキタだって証明出来るよね? 認めてくれるよね!?」

 言ってる事の意味に気づいて、一気に血が上がり。そして下がる。

「ね、そうしよう!? 早く!」

 混乱から抜け出せない内に、伸びて来る手。ソレが、首元のホックをプツリと外した時。何かが切れた。

「やめて!!」

「きゃあ!」

 力一杯突き飛ばした先。見下ろすと、酷く驚いた顔で転がる彼女の姿。

「ダイヤちゃん……」

「うるさい! 贋物!!」

 叩き付けた言葉に、今度は彼女がビクリと竦む。

「ご、ごめんね! あたし……」

「うるさいって言った!!」

 弁解も、謝罪も許さない。

「喋らないで!! キタちゃんの声で! 顔で! その姿で! 聞きたくない!!」

「ダイヤちゃん……」

「呼ばないで! その声で私を呼んで良いのは、キタちゃんだけだから!!」

「あたしは……」

「貴女なんかじゃ、ない!!」

「ーーーーっ!!」

 荒い息を吐くサトノダイヤモンドを、彼女は途方に暮れた表情で見つめる。しばしの間。

 やがて。

「!」

 ユラリと立ち上がる彼女。ダイヤは身構えるが、近づく事は無く。そのまま、外に出るドアの方へ。

「……ちょっと……頭、冷やして来るから……」

 酷く、疲れた声。

 演技でも、嘘でもなく。

 本当に、傷付いた声。

 胸が、錐を刺した様に痛む。

 キタサンブラックに。

 彼女の形をしたモノに。

 そんな声を出させてしまった痛み。

「ダイヤちゃん……」

 彼女が呼ぶ。

 まるで、コレだけは譲りたくないと足掻く様に。

「ごめんね……」

 靴を履く音。

 ドアを開ける音。

 閉める音。

 そして、静寂。

「……キタちゃん……」

 はだけてしまった胸元を隠していた上掛けを握りしめ、サトノダイヤモンドは静かに嗚咽を漏らした。

 

 ◆

 

 深夜の廊下。

 誰もいない廊下。

 薄闇の満ちる中、彼女は通路の窓から霧に霞む月を見ていた。

 頭の中では叩き付けられた単語が幾度も。幾度も。

「あたしは、キタ……キタサンブラック……けど、違う……あたしなのに……あたしは、そうなのに……でも、違う……ダイヤちゃんは、違うって言う……」

 譫言の様に呟くソレは、呪詛か。はたまた答えの無い自問か。

「違うって……ダイヤちゃんが……ダイヤちゃんが、違うって言うなら……あたしは、キタじゃない……?じゃあ……それなら……それなら……」

 

ーーあたしは、何ーー?

 

 終わりも答えも見えない呟きを、またループしようとしたその時。

「何やってんだ? お前」

 不意にかけられた声に、顔を向ける。目に眩しい、懐中電灯の光。

「……ゴールドシップ、さん……」

「外出禁止令出てんだぞ。一人で、何してんだ」

 近づいて来たゴールドシップが、妙に冷めた目で彼女を見下ろす。

「大体、昨日初っ端に襲われたのはお前だろうが。なのに、随分と平気な顔して出歩いてるじゃねーか。なあ」

 

キタサン。

 

 呼びかけられた名に、身体が震えた。

「……見え、ますか?」

「あん?」

「キタに……あたしは、キタサンブラックに……見えますか?」

 ゴールドシップの目が細まる。

 しばしの間。そして。

「キタサンだろ」

「!」

 投げられた答えに、身体が震える。

「『今』のキタサンは、お前しかいないんだ。余計な事、考えてんじゃねーよ」

「今の……」

 呆けた様な顔で呟く彼女に、さらに投げる。

「何があったか知らねーし知りたくもねーがな。そんでも今此処にいるキタサンはお前だけだ。その居場所を守れんのは、お前だけだ。お前が逃げ出したら、此処から『キタサンブラックの場所』が無くなっちまう。そんな事は……」

 睨みつける。あの子の証を、縫い止めて置く為に。

「アタシが、許さねーからな」

 そこに、好意も哀れみも無い事は分かった。

 何故かは分からないけれど、此の人が自分を見抜いている事も分かった。

 此の言葉が、決して自分の為では無い事も。

 けど。それでも。

 確かな、救い。

「ありがとう……ございます」

 弱々しいけど、心からの謝意。居心地悪げに、小さく小さく舌打ちをする。

「分かったんなら、戻れ。サトノを一人にしてんじゃねえよ」

 その言葉が、彼女を我に返す。

 サトノ。

 サトノダイヤモンド。

 ダイヤちゃん。

 あたしの。

 あたしの、たった一つの。

 例え、拒まれても。

 否定されても。

 君だけが。

「ダイヤちゃん……」

 もう、その目にはゴールドシップも映らない。踵を返して走り去って行く後ろ姿を見送り、また舌打ちをする。

「んだよ……? ありゃあ……」

 サトノダイヤモンドの名を呟いた時の、彼女の目を思い出す。

「ガチじゃねーか。参ったね……」

 ブツブツ言いながら、歩き出す。

「アレじゃあ、『証明』なんて出来やしねーじゃん。下手な真似したら、コッチがアタオカ判定食らっちまう」

 進む先。曲がり角。

「だからよ」

 曲がると同時に。

「まだ、無茶はすんなよ? スイープちゃん」

 立っていたスイープトウショウにそう言った。

 

 ◆

 

「……いつから気づいてたのよ?」

「あんだけバリッバリの殺気出してて、隠れてたつもりかよ? このゴルシ様を舐めちゃいけませんのよ?」

 ニタニタするゴールドシップに『嫌な奴』と毒づきながら、『彼女』の去って行った先を見つめるスイープトウショウ。射殺す様な視線を見ながら、ゴールドシップは訊ねる。

「で、ありゃ何なのよ? 魔法使い(スイープちゃん)の領分でしょ? あの手合いは」

「……『妖精』よ」

「あ?」

 あっさり出て来た答えに、流石にポカンとする。

「……昼間、カフェとデジタルが会ったらしいわ。話聞いた感じ、ほぼほぼ確定」

「へえ……そりゃまた随分とファンシーな事で」

「妖精なんて、そんな良いモンじゃないわよ。下手な奴だと悪霊死霊の方がよっぽどマシだったりするんだから」

「ほうほう。では偉大なる魔法使い殿、此度の犯人様はどの様な?」

「……『下手な奴』。ソレも、とびっきり」

 ヒューと口笛を吹く。ジロリと睨むスイープトウショウ。

「で、その『とびっきり』がやらかしたっぽい『アレ』は?」

 示すのは、彼女が睨む先。

「多分、『changeling(取り替えっ子)』よ」

「何だ? そりゃ」

「妖精がやる『定番』の『悪戯』。人間の子供を、自分の『作り物』と取り替えて連れ去るの」

 ゴールドシップの声から、戯けが消える。

「……で、どうすんだ?」

 返って来たのは、『さあ?』と言う空返事。

「召使いにするとか、養子や伴侶にするとか。後は、食べちゃうとか。色々言われてるけど、ホントの事は誰にも。所詮、悪戯だから。妖精(アイツら)には大した意味も無いのかも。だから……」

 

ーー後で返すとかのアフターケアも、全然よーー。

 

 周囲の空気が、心無しか冷えた気がした。

「取り戻す方法とか、ねーのか?」

「有るわよ」

 答える顔は、苦虫を噛み潰したソレ。

「取り替えっ子を吊し上げて、足の裏に油を塗って直火で炙るの。その子が泣き叫べば、少し気の良い奴なら『酷い事はやめてくれ』って出て来て子供を返してくれるそうよ?」

「……へえ、簡単だな」

「そうね。貴女、やってくれる?」

「遠慮しとくわ」

「あら残念。言っとくけど、アタシも趣味じゃないの」

「誰か心辺りねーか? そう言う趣味の奴」

「いないわね。いたらとっくに縁切ってるし」

「流石のゴルシちゃんにも、そんなマニアックな界隈に伝はねーわね」

「期待してたのに」

「聖女ゴルシちゃんを何だと思ってらっしゃる?」

 顔を見合わせ、虚しく笑い合う。

 一頻り笑うと、溜息をついたスイープトウショウが訊ねる。

「で、アンタは何してるのよ? フジ達と愉快な仲間達で見廻りしてたんじゃないの?」

「はぐれた」

「は?」

 思わぬ返しに、ポカンとする。

「何つーか、一人一人居なくなって。ソイツ探してる間に全員。勝手知ったる寮だってのに。訳分かんねー」

「……ハメられたわね」

 冷ややかな声で、言う。

「やっぱ、そうだよなー」

 否定しない。

「『替えられる』わ。また、誰か」

「掌の上ってか? 面白くねぇな……」

 毒づくゴルシを無視し、スイープトウショウはまた彼女が去った先を見る。

「キタサン……」

 切ない声は、ただ薄闇に溶けて消えた。

 

 ◆

 

『うふ ふふ ふ ふふふふ』

 揺蕩う霧の中に、声が鳴る。

『揃っ た。揃 った。語り部に書士に衛士に道化。料理長も三時のお茶のお相手も。お 役目、全部、揃っ た揃った』

 とてもとても。

 嬉しそう。

『お庭 は完成。みんな 完璧』

 チャリチャリ。

 チャリチャリ。

『後 は、 お迎え。主殿』

 鎖が歌う。

『全部 あげるよ』

 喜びの歌。

 

ーーティターニアーー。

 

 そしていつかの。

 約束を。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。