鎖影の庭   作:土斑猫

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【微焔】

 それは夢。

 ほんの一時。

 世界に居場所を無くした時。

 熱病の微睡みの様に溶けた。

 泡沫の。

 嘔吐する程に甘い、白昼夢。

 少し意地の悪かった掃除夫。

 何処から仕入れて来たのか。

 嫌な笑みと共に囁かれた言葉。

 真実。

 意味までは分からなくても、自分が居る理由が無くなった事だけは分かった。

 申し訳なくて。

 父に。

 母に。

 そして、国の皆に。

 情けなくて。

 悲しくて。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 一緒にいる事が辛くて。

 逃げる様に引き篭もった、書庫。

 やたらと広い、奥の奥。

 本を読んで、紛らわそうと。

 けど、全然ダメで。

 堪え切れずに、シクシクと。

 そうしたら。

『泣い てる の?』

 声が、聞こえた。

『どう し たの? 可愛い 子』

 どうしてか、怖くなかった。

 それが、人やウマ娘の声ではないとすぐに分かったけど。

 その時の自分には、寧ろそれが安堵となった。

『一 人?』

『寂 し いの ?』

『悲し いの ?』

『迷子 な の?』

 射抜かれた様に、心が鳴った。

 流れ込んで来る甘い蜜。

『な ら』

 見透かした声。

 笑っているのが、分かったけど。

『お話、 しよ う』

『遊 ぼ う』

 歌う様な囁きは、もう放してはくれなくて。

『お いで 』

 優しい毒が、心のひびを。

『おい で 』

 後は、ただ。

『お手を ちょう だい』

 導かれるままに。

『ほ ら』

 手を伸ばす。

『こ こ だ よ』

 引き出したのは、書庫の一番奥の棚。

 一番下の、一番隅っこ。

 きっと、言われなきゃずっと。

『さあ さあ ほら』

 手に取ったのは、古い古い。今にも崩れてしまいそうな絵本。

 表紙には、ボロボロに錆び付いた止め金。

 触れたら、ポロポロと。

『開 い て』

『開 け て』

『わたしを』

『出 し て』

 表紙を掴んで。

 開いた。

 朽ちた止め金は。

 あっさりと。

『うふ ふふ ふふふふふふふふふ ふふ ふ』

 ばら撒かれる、鎖の音。

 締め切られた室内に。

 風。

 霧。

 闇。

 月の光。

 満ちた中に。

『ア リ ガ ト ウ』

 『彼女』は立っていた。

『お 礼 に』

 怖くて綺麗な笑みと鎖の向こう。

『あげ る』

 白い手が、私を愛でて。

『ずっと ずっと ずっと 』

 青白い唇が。

『安らかな 箱庭を』

 舐める様に。

『可愛い 可愛 い』

 キスをして。

――ティターニア――。

 後はそれきり。

 霧の中。

 

 ◆

 

「おい、!monad」

「あ゛ぁ゛?」

 不機嫌そうに返事をした彼女の前に、店のマスターはカップを一つ置いた。

 中には、八分目まで満たされた白い液体が湯気を上げている。温められたミルクの香に混じって、クローブの香りが鼻をくすぐった。

「何だ? コレ」

「『アイリシュモスのレメディー』だ』

「……頼んでねぇぞ?」

「奢りだ。飲め」

「…………」

 断る意味も理由も無い。カップを手に取り、口に運ぶ。

 香辛料の混じったミルクの甘味が、不思議なとろみを纏って優しく喉を流れた。

「煮立てたアイリッシュモス(海藻の一種)が入ってる。風邪を引いたり、疲れた時に滋養として飲むもんだ」

 そう言って、少し意地悪そうに笑う。

「『アイルランド』の伝統料理だよ」

 ぐっ!?

 思わず咽せかけて、マスターを睨む。けれど、彼は何処吹く風。

「飲んだら、帰れ。店も閉める」

「……マスター」

「帰れ」

 先を読んだ様に語尾を強めた声が、彼女の口を塞いだ。

「何日目だ? お前さんの音楽は素人なりに人気があるから店としては助かるが、『本業』を疎かにするのは上手く無い」

 彼女の耳が、ピクリと震える。

「オレは……」

「未練がある事を、その時の勢いで『辞める』なんて言うのは『ロジカル』じゃないな」

「!」

 マスターの視線が自分の右肩を見ている事に気づいて、口を紡ぐ。

「自分の『矜持』よりも大事な、『執着』だろう? 雑に扱ったら、後悔しか残らないぞ」

「………」

 黙ってカップを空にする。煙草に火を着けるマスターに、一言。

「……おやすみ」

「ああ、おやすみ。!monad……いや、シャカール」

 !monadと言う仮面を脱いで、エアシャカールに戻る彼女。店を出ていく姿を見送り、煙草を一吸い。

「……若い、ねぇ……」

 吐いた煙は、いつもよりも苦かった。

 

 ◆

 

「結局……か……」

 見上げた学園の影に、エアシャカールは自嘲混じりの呟きを漏らす。

 どんなに見失って。

 どんなに自棄しても。

 結局、戻って来る場所は此処。

 全ては、漠然とした行き止まりの明日。

 閉鎖された可能性。

 それを運命と言うのなら。

 その掌の上で覆そうと喘ぐ自分の、何と卑小で滑稽な事か。

 そして、また思う。

 そんな自分は、彼女にはどう見えていたのだろう。

 躊躇う事も。

 恐れる事も無く。

 運命を、愛していると言い切った彼女には。

 滑稽と思ったろうか。

 愚かなと蔑んだろうか。

 否。

 そうではない。

 そんなシャカールの無意な葛藤を、なお己には無い強さと讃え。彼女は祝福の様に捧げてくれるのだ。

 貴女は、気高い。と。

「……大概、狂ってんな……オレも……」

 もう、彼女に救いを求める事は辞めた筈なのに。

 どんなに願っても、与えられはしないと思い知った筈なのに。

 それでもまだ、自分は彼女を求めるのだ。

 ファインモーションと言う、自分だけの女神を。

「……ロジカルじゃ、ねえ……」

 そう独りごちて、閉じた門をひらりと超えた。

 

 ◆

 

「……面白いくらいに誰もいねえな」

 夜闇と霧が漂う中庭を彷徨きながら、シリウスシンボリは至極つまらなそうにぼやく。

「そりゃそうだろ。単なる外出禁止ならまだしも、原因は訳分からねぇ不審者だからな。ちょっと悪ぶってみたいだけのお前さんの取り巻き程度じゃ、普通に怖くて出てこねえよ」

 隣を歩いていたナカヤマフェスタが、半ば呆れた声で言う。

「て言うか、そろそろ戻ろうや。お守りする対象もいないなら、こうしてたって仕方ねえだろ?」

「うるせぇな。なら、一人で戻ってろ。大体、何でついて来てんだお前は?」

「……お守りだよ。どっかの反抗期真っ盛りの誰かさんのな」

 そんな相方の言葉に、シリウスシンボリの目がギラリと光る。

「お前、何か勘違いしてねぇか? 別に私は皇帝様に逆張りしてやってる訳じゃねぇぞ?」

 『分かってるさ』と思う。

 こうやって彼女が戒厳令の中出歩いてるのはシンボリルドルフに対する浅い反抗心からではない。

 自分を慕って真似をしたがる連中を案じているのは確か。機会あらば件の不審者をどうにかしてやろうと企んでるのも、此処の平穏が脅かされてる事に本気で腹を立ててるから。

 まあ、あとついでに自分以外の部外者が皇帝様を困らせてるのが気に食わないと言うのも多分にあろう。

 なら例の見廻り組にでも加われば良いモノを、ソレはソレで皇帝の意に自ら従う気がして癪なのである。

 まあとどのつまり、結論から言えば。

「ガキなんだよなぁ」

 である。

「……上等だ、皇帝様の前にテメェから決着付けてやる……」

 米神ヒクつかせて凄むシリウスシンボリ。けれど、肝心の相手がこっちを見ていない。

「オイコラ、どこ見て……」

「……ストップだ。嬢ちゃん」

「あ?」

「保護対象がいたぜ」

 何の事かと示された方を見る。

 いたのは、庭木の幹に持たれて佇む一人の女性。黒いスーツに身を包んだ姿は、確かに見覚えがあるもので。

「……何でアイツが一人でいるんだ?」

「知らねぇ。訊きゃ分んだろ」

 言って、躊躇いなく歩み寄るナカヤマフェスタ。そりゃそうだと後を追う。

「何か、御用ですか?」

 声をかける前に、かけられた。

「気づいてたのかい? 流石、プロだな」

「アレだけ賑やかにしていれば、馬鹿でも気付きますよ?」

 そりゃそうかと納得するナカヤマフェスタと、分かっちゃいるけどムッとするシリウスシンボリ。

「で、アンタは何してるんだい? こんな夜中に、オマケに不審者騒ぎの真っ只中だ。大事な『殿下様』は、どうした?」

「少しばかり、感傷に浸っていました」

「感傷?」

「ええ。覚悟していたつもりなのですが、それでも中々堪えるものです」

 

 愛しい金糸雀を、籠から放つと言う事は。

 

 そう言って、アイルランド王族直属SPのピッコロプレイヤーは少しだけ寂しげに微笑んだ。

 

 ◆

 

「……妙に、あっさり入れたな……」

 自身の寮室の前に立ちながら、エアシャカールは灯りの落ちた周囲を見回す。静寂の中、何処か遠くで喧騒。確か、今夜から見廻りがあった筈。見つからなかったのは僥倖かもしれない……などと考えて舌打ちをする。引退をチラつかせながら、明らかに未練がある自分が滑稽だった。

 振り払う様にドアに手をかける。あっさりと回るドアノブ。いつもの様に、鍵がかかっていない。こんな状況だと言うのに。

「……不用心だろうが……馬鹿野郎が……」

 それでもルームメイトの優しさに感謝しながら、部屋に入る。足音を忍ばせて、寝室へ。

 常夜灯だけの、暗い部屋。反応は無い。彼女はもう、寝ているのだろう。

 正直、ホッとする。今の自分では、下手に気遣われたらどんな返しをしてしまうか分からない。自身のコントロールが出来ない。彼女にとってこれほど見苦しく無様な有り様はなかったが、もう自分ではどうする事も出来なかった。

「う……」

 軽い目眩を覚えてベッドに手をつく。込み上げる吐き気を堪え、乱れた息を吐く。

「クソ……ザマァねぇ……」

 自身への悪態を零した時、背後に気配を感じた。

「大丈夫?」

「!」

 聞こえた声に、振り返る。

「ああ、やっと振り向いてくれた」

 仄明るい世界の中で、本当に嬉しそうに微笑む彼女。

 今、一番会いたくて。

 今、一番会ってはいけない。

 声も出せず固まるエアシャカールに、彼女は静かに歩み寄る。

「酷いよ、シャカール。全然気づいてくれないんだもの」

 少し、膨れてみせる。

「お前……どうして……?」

 何とか絞り出した声。ソレが自分に向けられたものである事を、この上無き祝福の様に受け止めて。

「ドトウちゃんと、交代して貰ったんだよ。時々やってたよね? 忘れちゃった?」

「……!」

「危ないよ?」

 逃げる様に後ずさった足が、ベッドのへりに当たる。そのまま、尻餅をつく様に。

「疲れてるんだね。シャカールらしくない」

 視線を合わせる様に、彼女がしゃがみ込む。

 間近で合わさる視線。彼女の瞳に映る自分の姿が、常夜灯だけの薄明かりの中でも酷くハッキリと見えた。

 彼女の手が、動く。意図を察して、掠れた声で呻いた。

「やめろ……」

 手が、止まる。

「もう、終わりだろうが……お前と、オレは……もう……」

 そう。

 そう言う、約定。

 書に認めた訳でも。

 言葉で交わした訳ですらない。

 それでも、ソレが互いの共通認識。 

 いつか。

 けれど必定。

 夢が覚めた時。

 また、互いの道を歩める様にと。

 だから。

 だから。

「ソレは、ズルいと思う」

「何……?」

 不満げな。凄く不満げな顔で、彼女は言う。

「だってあの時。先に不履行宣言をしたのは、『貴様』だゾ?」

「!」 

 返す言葉を失うエアシャカールを見て、勝ち誇った様に笑う。

 癪に触って。

 イラつかせて。

 側にあるのが当たり前になってた、笑顔。

「君は好きにした」

 止まっていた手が、また。

 停滞していた時を、動かす様に。

「だから、私も好きにする」

 ダメだ。

 理性が叫ぶ。

 触ってはダメだ。

 触れてはダメだ。

 感じては、ダメだ。

 今、許してしまったら。

 自分は、もう。

 コイツを。

 懇願する様な。許しを乞う様な眼差しを見て。

 彼女は、また笑う。

 聖母の如き、想いを込めて。

「ゴメンね」

「……?」

「私もちょっと、ズルをしたよ」

 ペロッと、舌を出して。

「私がこうするのは、君のせいじゃない」

「え……?」

 

「私が、こうしたかったからだ」

 

 瞬間、エアシャカールを包むファインモーションの熱と香り。

 

 全てが弾け飛ぶのは、必然。

 

 霧の中で、上弦の君が逸らす様に雲に陰る。

 蕾を閉じた華々が、内緒話をする様に。沙耶沙耶、沙耶沙耶。

 風に鳴る。

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