鎖影の庭   作:土斑猫

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【閉ジル】

「マックイーンさん? マックイーンさん……」

 遠くで自分を呼ぶ声に、メジロマックイーンは泥濘の様な悪夢から引き戻された。

「あ……」

 開けた視界には、心配そうに覗き込むルームメイト。イクノディクタスの顔。

「ああ、良かった。目が覚めましたね?」

「イクノさん……」

「随分と酷くうなされていました。怖い夢を、見ましたか?」

「え、ええ……少し……」

 半身を起こしながら、時計を見る。液晶が映すのは、午前3時の文字。

「まだこんな……申し訳ありません。起こしてしまったのですね……」

「いいえ、構いませんよ。丁度、私も眠れない所でしたから」

「……え……?」

 キョトンするメジロマックイーンに微笑むと、ヨイショと腰を上げる。

「寝汗が酷いですね。シャワーを浴びてくると良いでしょう。その間に、ホットココアでも煎れておきますので」

「そ、そんな……わたくしのせいで起こしてしまいましたのに……」

「大丈夫」

 言って、汗でおでこに張り付いていたメジロマックイーンの髪をそっとかき上げる。

「ほら、このままでは風邪をひきますよ? 早く、行ってらっしゃい」

「……はい」

 優しく促され、メジロマックイーンは頷いてベッドを降りた。

 

 コックを捻ると、熱い湯が強く肌を打った。

 晒した肌を流れる湯滴。少し熱過ぎるかとも思ったが、その方が気分がシャッキリする気がしたのでそのままに。

 虚ろなままでは、また悪夢が繰り返す。

 室内に満ちていく湯気。白帷の中に、彼女が見える。

 知ってる顔。

 いつもの笑顔。

 得意のステップ。

 整ったフォーム。

 大気を切る音。

 囁きかける、声。

 目眩がする程に、甘い香り。

 何もかもが、彼女のまま。

 そう、貴女のまま。

 昨日の、貴女のまま。

 昨日の、まま。

 まるで。

 

 貼 り 付 け た み た い に。

 

「ーーーーっ!!」

 

 思わず振り払った湯気と共に、幻影は消える。

 でも、所詮は幻影。泡沫の夢。

 夜が明けて、朝日の下で会う貴女はきっとまた。

 悪夢は醒めない。

 本当に悪夢なのかすら、分からない。

 もし狂ったのが自分の方ならば。

 その方がずっと、救われるのに。

 壁に手をつき、息を吐く。

「……テイオー……」

 呟きと共に零した雫は、熱い湯に混り流れて消えた。

 

 ◆

 

「ああ、スッキリした様ですね」

 戻ると、テーブルに座って待っていたイクノディクタスがそう言って迎えた。

 差し向かいの席に座ったメジロマックイーンに、カップを差し出す。満たされていたのは、温かいココア。ご丁寧にもホイップクリームが浮かべてあったり。

「コンディションの面から見たら好ましいとは言えませんが、たまには良いでしょう」

 そう言って口にするイクノディクタスに倣って、メジロマックイーンも口に運ぶ。

 適度な熱さと柔らかい甘味が、干割れた心に優しく染みた。

「さて……」

 カップを置いたイクノディクタスが、メジロマックイーンに向かって尋ねる。

「どんな夢を、見たんですか?」

 少しだけ、ビクッとして。

「い、いえ……大したものではありません。ホントに幼稚なモノで……。き、訊かないでくださいな。恥ずかしくて、とてもイクノさんに話す様な事では……」

「テイオーさんの事ですか?」

「!」

 あからさまにギョッとする様を見て、笑う。

「譫言で、ずっと呼んでましたよ? テイオーさんの事。察するなと言う方が無理です」

「も、申し訳ありません……本当に……」

「何がですか? 大事な人を心配するのは、極めて自然な事でしょう?」

 ズバリ言われて、ピェとなる。

「だ、大事だなんて! そんな、わたくしとテイオーはただのライバルで……」

 可哀想なくらいキョどる。たまらず吹き出すイクノディクタス。

「可愛いですね、マックイーンさんは」

「かわ……か……な、何を仰いますのでわたくしなどなど……」

「テイオーさんが、ゾッコンなのも分かります」

「ひぇ!?」

 またズバリ。

 シャワーの火照りとは別の意味で顔が染まる。手にしたカップが、カタカタ。カタカタ。

「溢れますよ?」

「こ、こここれはイクノさんが、が、変な事言いますから、ら……」

「あはは、すいません。もう止めます」

 イクノディクタスが笑いながらもそう言ったので、ようやく何とか震えを収める。まだ、顔は真っ赤だけど。

「も、もう! どうしたと言うのですか? イクノさんらしくありません!」

 プンプン怒るメジロマックイーンを見て、また楽しそうに笑う。

「ごめんなさい。貴女があまりにも可愛らしくて、つい意地悪をしてしまいました。でも……」

 ふと、その声から戯れの気配が消える。

「テイオーさんの事は、本当でしょう?」

「ーーっ!」

 『だから!』と言いかけて、イクノディクタスの真剣な眼差しに押し黙る。

 しばし、躊躇し。けれど、何故かそうしなければいけない気がして。

「そうは、言いましても……」

 大事に言葉を選び選び、話し出す。

「……この感情が、本当に『そう言うモノ』なのかは……わたくしにも分からないのです……。ソレに……」

 フワリと浮かぶ、彼女の笑顔。

「あの方が、どの様に思ってらっしゃるかも……分かりませんし……?」

 頰を仄かに染めてモジモジする。

 そんな彼女を見て、イクノディクタスは『大丈夫』と思う。二人が互いをどう想っているかなんて、周囲から見れば丸分かり。恐らく、気付いてないのは本人達だけ。けれど、それでもいつも当然の様に一緒にいようとする彼女達を見れば。

 繋がる時はさして先でもなかろうよ、と言うのが多勢の見解。だから、イクノディクタス含め周囲の皆は口を出さない。自分達で辿り着くべきだし、その方が喜びも大きい筈だから。

 でも、それ故に。

「でも、昨日はずっとテイオーさんを避けてましたよね?」

「……」

 口籠るメジロマックイーン。

「何故?」

「…………」

「大事な事です。口外はしませんから」

 明らかに言い澱む彼女を、優しく促す。

「……では、ないのです……」

 沈黙する事に耐えかねた様に、漏れ出す言葉。

「今のテイオーが、テイオーでない様に思えるのです……。どう見ても、誰が見ても確かにテイオーなのです。けれど、わたくしには何か別の『モノ』の様に思えて……」

「…………」

「あの時……不審者を追いかけて行ったテイオーが見えなくなって、帰ってこなくて……ようやく見つけた時には、もう……」

 話す声は次第にか細くなり、やがて啜り泣きに変わる。

「いいえ……おかしくなってしまったのは、わたくしの方なのです……。だって、皆は変わらず『アレ』をテイオーと……わたしが……わたくしだけが……」

 絞り出す声が、苦悩を語る。

「どうして、どうしてわたくしは……テイオーを……そんな目で……」

 責めるのは彼女ではなく、彼女をそんな目でしか見れなくなってしまった自分。

 けれど、ソレに対してイクノディクタスは冷静に告げる。

「罪悪感を感じる必要は、ありません」

「……え……?」

 ポカンとするメジロマックイーンを、真っ直ぐに見て。

「貴女だけでは、ありませんから」

「……どう言う、事ですの……?」

 白い指が、掛けた眼鏡をクイと上げる。その奥で、鋭く光る双眸。

「私も感じていると言う事です。今のテイオーさんに、違和感を」

「ーーーーっ!」

 思いがけない告白に、今度こそ息を飲んだ。

 

 ◆

 

 学園に入学して以来、イクノディクタスの仮想敵は常にトウカイテイオーだった。

 他にも対象となり得る選手は多く居るだろうに。何故と問われれば、明確な理由はイクノディクタス自身にも分からない。それでも初めて彼女の走る姿を目にし、その速さとフォームの美しさに魅せられて以降。自身の宿敵(ライバル)は彼女以外、トウカイテイオー以外にはあり得ないと決めていた。もし、先の質問を繰り返されれば即座に『運命だから』と答えると断言出来る程に。

 以来、イクノディクタスの目は常にトウカイテイオーを追っていた。

 競う機会が訪れれば、柄にもなく心が躍る。

 及ばなければ、悔しさと共に次のリベンジへの炎が燃え上がる。

 トウカイテイオーが三回目の故障で折れかけた時は、カノープスの皆と共に結構な無茶をした。

 自分が、印象に反して脳筋だと言われる理由の一端。けど、その全てが今の自分を形造るモノ。今の自分を、心身共に充実させる要素。

 だから、イクノディクタスはトウカイテイオーを追い続ける。

 彼女に追いつき、追い越した先に見える世界を求めて。

 そして願わくば、その世界の先を彼女と共に走る為に。

 決して、目は逸らさない。

 故に。

 

「今のトウカイテイオーは、トウカイテイオーではありません」

 ハッキリと、言い切った。

「イクノさん……」

「見た目、癖、技術。全てが正しくテイオーさんそのものですが、中身が違います。まるで、別人がトウカイテイオーと言うテクスチャを貼り付けて偽装した様に」

 それは、正しくメジロマックイーンが感じていた違和感の言語化。

 常にトウカイテイオーと並び、追いかけていた者でなければ気づく事は叶わぬ異変。

「でも……」

 メジロマックイーンは問う。

「イクノさんは、納得出来るんですの? 姿形が寸分の狂いも無い別人なんて……」

「そうですね。私一人だったなら、無理だったでしょう。でも、今は違いますから」

 そう言って、メジロマックイーンの手を取る。

「ありがとうございます、マックイーンさん。貴女がいてくれるなら、私は……」

「イクノさん……」

「正直、どういう原理なのかは分かりません。私達の知識では、理解出来ない領域かもしれない。それでも、足掻けば何か出来るかも知れない」

 取った手を、もう一度強く握る。自分の心に、その為の勇気を満たす為に。

「力を、貸してください。本当のテイオーさんを、取り戻す為に」

「……はい……」

 零れる涙の訳は、先とは違く。けれど、不確定な可能性に溺れた為のモノでもない。ただ、自分と同じ様にトウカイテイオーを想ってくれる者がいた事。この不安と苦しみを分かち合える相手がいた事への安堵の涙。

 嗚咽を漏らすメジロマックイーンの手を、イクノディクタスは愛しむ様にいつまでも握り続けた。

 

「……何だよ」

 闇の中に、酷くつまらなそうな声。

 マックイーンとイクノの寮室の扉。それに付けられていた耳がヒョッと離れる。

「昼間はずっとボクから逃げ回ってたクセに。イクノなんかとイチャイチャしちゃってさ」

 酷く不機嫌な顔でトウカイテイオーの姿をした彼女は、今まで耳を当てていた扉に背を預けて腕を組む。

「駄目だよ、マックイーン。君はボクの、トウカイテイオーのモノなんだから……」

 ガリッと鈍い音が闇に響く。

「そんな君が、ボク以外のヤツと仲良くするなんて。許さないからね? 絶対の、絶対」

 ガリガリと爪の先を齧りながら、ブツブツと呟く。

「君は、ボクのモノなんだ。ボクがボクである為に、君はボクだけのモノでなくちゃいけないんだ」

 ガリガリ。ガリガリ。

「メジロマックイーンは、トウカイテイオーのモノでなきゃいけないんだ」

 パキリ。

 噛み続けた爪が割れ、赤い雫が指を濡らす。ソレをペロリと舐めると、トウカイテイオーの姿をした彼女はゆっくりと歩き出す。

「もうすぐ、『女王さま』が迎えられる。『門』が閉じる。そうすれば、本当の意味でトウカイテイオーはボクだけ……」

 割れた爪を、なおガリガリと。

「逃げられや、しないんだから……」

 その瞳が、妖しく燃えるは気の迷いか。

「分からせてやるから……。マックイーン……」

 ツタツタと滴る血の跡が、闇の向こうへ続いて消えた。

 

 ◆

 

 久方ぶりの、深く安らかな眠り。

 ゆっくりと開けた視界には、隣に横たわった彼女が穏やかな微笑みと共に映る。

 喜びとも安堵ともつかない優しい感情と共に、浅く溜息を吐く。

「おはよう、シャカール」

 囁く様な挨拶に、短く『おゥ』とだけ返す。ぶっきらぼうと見えるかも知れないが、コレが二人の作法。浅い夫婦よりも溶け合った、違える事無い共通認識。

「もう少し、寝てて良いのに」

 身を起こすエアシャカールに、ベッドの上で頬杖をついたファインモーションが言う。

「いや、すげースッキリしてる。コレ以上寝たら、かえって濁っちまうな」

「あ〜ん、残念。もう少し、可愛い寝顔見てたかったのに〜」

「馬鹿か? お前」

 呆れた返しに、ニカリと笑う。自分も身を起こすと、エアシャカールに近づいてしなだれかかる。絡む、腕。

「……何だよ?」

「いつものシャカールに戻ったね」

 嬉しそうにそう言って、抱いた腕に頬擦りする。

「あのワイルドなシャカールも良かったけど、私はやっぱりロジカルなシャカールの方が好きかな?」

「……悪ィ。みっともねェトコ、見せちまった……」

「アハハ、弱い時のシャカールも可愛いよ? 私だけの特権かな?」

「……趣味悪ィぞ、お前……」

「何を言う? 余が此処まで寛大なのは、貴様だけであるぞ。光栄に思え〜」

「ヘイヘイ、殿下さま」

 下らないじゃれ合い。ほんの少し前までの、日常。それを、『懐かしい』と感じる事が悲しくて。そして、尊い。

「ねえ、シャカール……」

「何だよ……?」

「引退するって、ホント?」

 ギョッとする。正直……と言うか、思いっきり触れられたく無い部分。

「……誰から、聞いた?」

「グルーヴさんにドトウちゃんに、え〜と、それから……」

 共通知人の、ほぼ全員。『アイツら……』と頭を抱える。

「友達の一大事だもの。話題にするなって言う方が、無理だと思うな」

 いやまあ、そうなのだが。

「ビックリしたよ? 思わず学園と協会に圧力かけて引退届突っぱねさせようかと思っちゃった」

 ホントにやりそうでコワイ。

「でも、ね……」

 戦慄するエアシャカールの右肩を撫でて、微笑む。

「タトゥー、消しちゃったんだね」

「……元からシールだからな。どうって事じゃねェよ」

「格好良かったのに……。どうして?」

「…………」

 わざとらしくそっぽを向くエアシャカールに、クスリと笑う。

「大きい大会に出るのに、支障があるからだよね?」

 答えは無い。沈黙は、肯定。

「くだらない風習だよね。あんなの、ロジカルでも何でもない。シャカールなら、絶対に嫌いな筈。ソレでも、君は放り出せないんだ。あの『7センチ』を超えるまで」

 沈黙。満足そうに、頷く。

「そうだよ、シャカール。君の炎は、こんな事で消えやしないよ。例え目を逸らそうとしたって、その熱に耐えられない。ソレが君であって、存在の理由だから」

 身を寄せ、耳に口を寄せ。楔を打つ様に、言葉を紡ぐ。

「まだ、答えは出てないよね。覆せて、無いよね。最後の、『7センチ』。ソレを埋める解答に到達するまで、君は止まれない。止まっちゃいけない。君は。シャカールは。私のエアシャカールは、可能性への敗北を認める『良い子』じゃいけないの」

 甘い息と共に重なるは、信頼と信仰。その鎖。

「走って。走り続けて。君のその熱が、例え自身を壊してしまっても。その残火が不可能も絶望も、焼き尽くしてしまうまで。その様を、私は魅たいの。君の輝きの果てで、私は堕ちたい」

 熱病の譫言の様な言葉。エアシャカールは苦笑する。

「お前、呪いでもかけてんのか……?」

 皮肉に、ファインモーションも笑う。

「そうだよ? だって、不公平だから。最初にかけたのは君だもの。『逃げるな』って」

「……結構、暴君であらせますな。殿下さまは」

「アハハ、ひど〜い」

 理解している。

 正しくアレは、彼女を縛る妄執の鎖。

 最初に吐きかけたのは、自分。

 だから、受け入れよう。

 元より、選択する気も無かったけれど。

「それでね」

 受諾の意思を受け取って、けれどファインモーションは身を引かなかった。

「実はまだ、終わりじゃないの」

「あん?」

「もう一つ、とびっきりのがあるよ。どうする?」

「は?」

 視線を向けて、ドキリとした。

 間近で見つめる彼女の瞳が、尋常ではない輝きを放っていた。

「お前……」

「ねえ、どうする?」

 尋ねる声は、先にも増して厳かで。

 内に孕む重さを、否応無しに悟らせる。

 けれど。

「……言えよ」

 それを理解して、なお答えは決まっていた。

「言って、良い」

 コレは、与えられた想いに対する対価。

「今更、尻尾巻くなんてダセェ真似しねェ」

 そして、恐らくは。

「毒を食らわば、何とやらだ」

 彼女自ら差し出された。

「呪いだろうが何だろうが」

 互いを繋ぐ、首枷の片端。

「飲み込んでやるよ」

 その時のファインモーションの顔を、エアシャカールは一生忘れる事は出来ないと思った。

 希望と絶望と。

 後悔と歓喜と。

 正と負が入り混じり、故に生命として最高の美しさを彩った表情を。

 彼女は望まないだろうけど。

 思う事は止められなかった。

 正しく。

 女神の様だ、と。

「あのね、シャカール」

 抱き締める様に回される腕。もう、逃がさないとでも言う様に。

「私ね……」

 囁く声の奥には、妖しい艶が孕む微かな悪意。

 そして。

 

「子供、産めないんだ」

 

 一瞬、理解出来ず。

 次に、それだけか? と思い。

 そして、意味に気がつき。

 愕然とした。

「子供の頃、病気してね。その時の検査で、分かったの」

 己の下腹部を撫でながら、続ける。

「機能が、丸々無いみたい。行為は出来ても、赤ちゃんは授かれない」

 不妊自体は、決して特異なモノでは無い。

 一生命としての価値を損ねる道理も無く。

 ただ普通に暮らし生きるのに、支障も阻害も無くて然るべきモノ。

 けれど、ソレが『王族』と言う極めて狭き血統に囲われれば。

 意味は異なる。

「そうだよ、シャカール」

 ファインモーションは笑う。彼女らしからぬ、とても儚い笑顔。

「私はね、王族の血を残せないの」

 そう、ソレは。

「王族の女性としての役目を、果たせないの」

 彼女が生まれた理由。その一つの、余りにも明白な喪失。

 聞いて、少し整理して。エアシャカールは小さく息を吐く。

「……それで、何か酷い目にあったりしたのか?」

 問いに、ファインモーションは小さく首を振る。

「それはないよ。家族も、仕えてくれる人達も。分かってくれてるから。ただ……」

「ただ?」

「国民とか……外国の人達には知られない様にされてるかな? 今の所……」

 だろうな、と思う。

 本人の痛みや苦しみを間近で見れる者達であれば、それを慮る事も出来る。

 けれど、距離が遠い者達は違う。

 その痛み苦しみは容易に好機の対象となり、娯楽や鬱憤の吐口として消費される。

 どんなに叫んでも、どうにもならない。

 それが、人心と言うモノだから。

 だからか、とも思う。

 ファインモーションが、こんなにも運命に拘り。王族としての職務に殉じようとするのは。

 きっと、自分が生まれた意味を。

 少しでも確かなものにしたいから。

 例えそれが全てでは無いにしても、決して0では有り得ない。

 彼女の、強さの根源。

 その一つ。

 話は、終わり。

 全てを受け取り、精査し、理論化し。

 エアシャカールは、全てを理解する。

「ファイン」

「なぁに?」

 そしてその上で、ソレを言う。

「それ、オレだけへの呪いじゃねェだろ?」

「…………」

 ファインモーションは答えない。ただ、次の言葉をまつ。

 

「そいつは、お前自身にも罹る呪いだろうが」

 

 正しく。

 彼女は言った。

 かの件は、国民や諸外国には伏せてあると。

 漏れれば、ファインモーションや王室に対する悪意への導線となる。

 それを、外国人のエアシャカールに晒した。つまりは。

「否応無しの一連托生って訳か。やっぱ暴君だな、お前は」

「シャカール……」

 酷く面白そうに笑うと、不安げな顔のファインモーションの腰を掴んで引き寄せた。

「ヒャ!?」

 間近に迫る、彼女の驚いた顔。紅く染まるソレが、また小気味良くて。

「面白ェじゃねェか」

 鼻先を突き合わせる様に、言い放つ。

「乗ってやるよ、その呪い。裏切ったら、諸共に破滅ってな」

「……良いの?」

「端っから退路絶っておいて、良く言うぜ。大体、言ったろ?」

 

ーー今更、尻尾巻くなんてダセェ真似しねェってなーー。

 

 紛れも無き、誓いの宣言。

 破顔したファインモーションが首にしがみ付く。

「アハハ! 素敵、シャカール!! 最高に狂ってる!」

「お互い様だろうが」

「そうだね、私も狂ってる。だから、だからもっと……」

 急に下がる、声のトーン。

 近かった顔が、更に近く。

「狂い合おうよ……。ずっと、ずっと……」

 言葉と共に、甘い吐息が香る。

 それは、誓いの締結。

 撤回叶わぬ、永久の盟約。その施錠。

 幾ら離れようとも、決して断つ事叶わぬ束縛。

 拒む理由も、権利も有りはしない。

 全てを受け入れ。

 エアシャカールは解錠の鍵を、二度と取り戻せない腑の中へ。

 甘美な美酒の如き吐息共に、飲み込んだ。

 

 ◆

 

「……ねえ、シャカール」

「……何だよ?」

「あのね。さっきの話で、シャカールが分かってない事があると思うな」

「あ゛?」

「実はね、私。赤ちゃんの事でも、運命の事憎んだりしてないんだよ?」

「は? 何でだよ!」

「だって、赤ちゃんが出来ないんだよ?」

「ああ……」

「だったら、男の人と結婚する理由が無いって事」

「まぁ、そりゃそう……んん!?」

「あは、気づいた? 流石、シャカール」

「お前、まさか……!?」

「ふふふ、もう遅いよ? 条約は、締結済みですので」

「は、ハメやがったな……?」

「ロジカルなシャカールだもん。今更破棄だなんて、非論理的な事しないよね?」

「〜〜〜〜っ! 勝手にしやがれ!!!」

「は〜い、勝手にしま〜す」

 

 夜明けまで、あと少し。

 夢の刻が終わるまで。

 今暫し、この甘美たる微睡みを。

 

 ◆

 

『……満ち 足り た ?』

 闇が揺れる。

 部屋の隅。

 世界の死角。

 生命の欄外に佇んで。

 全てを観ていた、彼女が囁く。

『もう 十 分 だね ?』

 ガリガリガリと爪を噛み。

 浅ましき劣情に現ならぬ身を焦がし。

『次 は ワタシの 番』

 悪しき妖精は。

『ずっとずっと ワタシの番 !』

 狂い狂った。

『さあ、 おいで !』

 世界を綴る。

 

「あんた……何してるのよ……?」

 嫌な夢から目覚めたダイワスカーレットが見たのは、窓辺に佇んでまだ朝焼けに足りない空を見つめるウオッカの姿。

「ああ、起こしちまったか?」

 振り向きもせずに答える様に、言い知れない不安。

「……見りゃ、分かるでしょ? それより、何してるのって……」

「門が、閉じたんだ」

「え……?」

「門が、閉じたんだよ。たった今。女王様が、迎え入れられたんだ」

「何言って……!」

 瞬間、息を呑んでベッドの中に潜り込む。

 見てしまったから。

 窓硝子に映る、ウオッカの姿をした彼女の笑顔を。

「門が閉じた」

 毛布の中で震えるダイワスカーレットの背後で、彼女が囁く。

「此れで、『俺達』は、『俺達』だけだ」

 何を言っているのか、分からない。ただ、怖い。

「なあ、スカーレット」

 呼ばれた心臓が、張り裂けてしまうのではと思える程に。

「お前も、もう……」

 微笑む気配。

 優しく。

 妖しく。

「俺だけの……」

 ベッドが、軋む。

 

 そして、その日。

 ファインモーションと言う少女が。

 世界から消えた。

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