鎖影の庭   作:土斑猫

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【信じてる】

 潜った影の中は、当たり前の様に真っ暗だった。

 ソレは黒く澄んだ真水の様に。

 スルリスルリと、身体を愛撫しては天に向かって。

 否。

 そうじゃない。

 沈んで行くのだ。

 暗い昏い、影の底へ。

『可笑し い 子』

 絡む鎖が泣く音が、そんな形を成して耳に届く。

『言う事、聞 いて。 良い子で お菓子でも 食べて れば』

 呆れた様に。

 嘲る様に。

 チャリチャリと。

『もう 、 帰れ ない 』

 言った。

『予定 じゃない か ら』

 全く面倒くさいと言わんばかり。

『 籠に 飾り ま しょう。 暗く てキ レイ。 お紅茶 あげる』

 好き勝手言われるのがとっても癪で。

 言い返せるモノかと口を開ける。

 影色の清水は入って来ない。かと言って、空気が在る訳でもない。さて、どんなモノだろう。

「……心配要りません……。すぐに、お暇します……。皆と、一緒に……」

 話せた。普通に。

「……勝手に、帰ります……タキオンさんが、迎えに来たら……』

『折れ ちゃっ た 』

「……折れません。タキオンさんは、絶対に……」

 言って、鎖に纏わる『彼女』に告げる。

 

「あの人を……アグネスタキオンを、無礼(なめ)ないでください」

 

 ほんの少しの間。

 そして。

『うフ フフ フふふふ』

 面白そうに。

『だ から、 要ら なかっ たの に』

「……結構な事です。……それと、ついでに言いますが……」

 ちょっと、大事な事。

「私も、紅茶は……要りません……。嫌いです……」

『お好み なぁ に?』

「……どうせなら、珈琲を……」

『caifeは 嫌 い』

「……趣味が合いませんね……。やはり、早々にお暇します……」

『意地 悪 』

 不機嫌そうな声。

 そして。

「ーーーー!」

 深淵の彼方から伸びて来た気配。幾条もの鎖が、幾重にも絡み付いて。

『お し お き』

 一気に引き込まれる。冷たく硬い鋼に締め付けられる、苦痛と共に。

 霞む目で見上げた先に、遠く煌めく光の粉。

 その中の彼女に呼び掛けて。

 マンハッタンカフェの意識は、真っ逆さまに堕ちて行った。

 

 ◆

 

 汚泥の底から浮いて弾ける泡の様に、アグネスタキオンの眠りは覚めた。

 視界を覆うのは、スッカリ深けた夜気・夜闇。

 状況が飲み込めず、しばしボンヤリと宙を見つめる。

(……寝てしまっていたのか……)

 横たわる感覚と、仮眠の度にお世話になるソファの慣れた感触にそう理解する。

 頭が重い。

 時間ばかり長くて、お世辞にも質は良くなかった睡眠。疲れ果てた精神の回復など叶う筈も無く。薄靄のかかった思考が回り始めるのに、また暫しの時間がかかった。

(……糖分が、足りてないのか……)

 自分の状況の次に、把握したのはソレ。けれど、だからどうしようと言う気も起きない。

 いつもの自分なら、こうしている間も惜しいと角砂糖でも齧って寝床から這い出すだろうに。

 次に思ったのは、何故こんな体たらくに陥っているのか。

 流した視線の端に、使ったままになった電子顕微鏡。

(ああ、そうか……)

 ようやく、思い出した。

 自分が何をしようとしていたのか。

 何の為にしようとしていのか。

 何の為に、『折れて』しまったのか。

 記憶の底で声が聞こえる。

 泣きじゃくる声。

 怒り、喚く声。

 気強だけど、優しいあの子。

 我儘だけど、頑張るあの子。

 可愛い、彼女達の声。

 ああ、ごめんよ……と謝る。

 自信はあった。

 必ずや、捻じ伏せられると言う自信が。

 古き時代の神秘など、科学の力を持ってすれば必ず暴けると。

 その所業を見ても、恐怖も畏れも湧きはしなかった。

 寧ろ、現世の理では有り得ない未知に心が躍った。

 けど。

 けれど。

 掻き消す様に、頭を振る。

 見ない様に。

 直視、しないように。

 そうだ、お茶を飲もう。

 とっておきの紅茶に、砂糖をたっぷり入れて。

 いつもの様に、彼女と一緒に。

 嗜む嗜好こそ、違うけど。

 この世界で一番の、私の理解者。

 卓を挟んで向かい合い。

 互いの趣味にケチを付け合って。

 渋い顔を眺めて。

 思いっきり笑おう。

 そうすれば、きっーー。

 

 異変に、気づいた。

 

 気配がしない。

 部屋の中。

 いつも感じていた筈の、彼女の気配。

 今みたいに、怠惰な居眠りから覚めたら。いの一番に覗き込んで来て、呆れ顔で紅茶を差し出してくれる。そんな、彼女の気配が。

 呼吸も。

 体温も。

 香りも。

 何一つ。

「……カフェ……?」

 呼ぶ。

 すぐに返事が、返ってくる筈と。

 でも。

「カフェ……いるんだろ……?」

 二度目。

 同じ。

 疼いていた不安と恐怖が、ゆっくりと頭を。

「カフェ……返事をしてくれ……」

 身を起こして確認すれば、ソレで済む事。

 けれど、出来ない。

 最悪の可能性が、頭を過ぎる。

 そんな事にならない様に、ああやって釘を刺したのに。

 いくら待っても、返って来るのは沈黙だけ。耐え切れなくて、また呼びかけ様としたその時。

 戸が軋む音がした。

 考えるよりも早く、身体が動く。

「カフェ!?」

 飛び起きた視線の先にあったのは、求めていた呆れ顔ではなく。

「……ようやく起きやがったか」

 剣呑な眼差しと、ぶっきらぼうな声だった。

 

 ◆

 

「……何で、君が……?」

「……さァ、何でかねェ?」

 混乱する彼女の顔を酷く珍しいモノの様に眺め、エアシャカールは座っていた椅子の上で足を組んだ。

「随分とお疲れだったみたいだな。一晩待たされるかと思ったぜ」

 なおポカンとするアグネスタキオンを見て、ヤレヤレと溜息を吐く。

「『アイツ』が言った通り、相当腑抜けてやがんな……。こりゃ……」

「……アイツ……? アイツ、とは……?」

「決まってンだろ、そんなモン」

 そんな事も察せないのかと、呆れたその時。

 鈍い音を立てて、部屋の戸が開いた。

「カフェ!?」

 反射的に走らせる視線。けれど、期待はまた空振り。

「お〜い、食いモン調達してきたぞ……って」

「……ようやくお目覚めかよ。マッドサイエンティストさま」

 入って来たのは、ナカヤマフェスタとシリウスシンボリ。

「良かったな。花札で夜明かしとはならねぇみたいだ」

「……まだ、分かンねェぞ?」

 そう返して、エアシャカールは今だ目の焦点が合わないアグネスタキオンを睨む。

「いつまで寝惚けてやがる。さっさとシャキッとしろ。糖分が足りねーなら、くれてやる」

 ナカヤマフェスタから受け取ったエナジードリンクを押し付けて来る彼女に、アグネスタキオンはただ困惑する。

「待ってくれ……状況の整理が追いつかない……」

 濁った目。彼女の証明である狂気が、完全に死んでいた。

 明らかな、逃避。

「成程……」

 察したエアシャカールは、ドリンクを引っ込めるとポケットに手を入れる。

「受け取れ」

 そう言って、取り出したモノをアグネスタキオンの手の中に落とす。

「今のお前に必要なのは、糖分よりコッチだ」

「……?」

 顔が、凍りつく。

 手の中にあったのは、見覚えのある装飾品。間違える筈も無い。

 マンハッタンカフェの、耳飾り。

「アイツの……カフェからの言伝だ」

 目を見開いて震えている彼女に、淡々と伝える。

「『アレは私を連れて行きたくないと言っていました。つまり、私が向こうにいると少なからず都合が悪い事があると言う事でしょう……』」

 聞いているのかいないのか。傍目では分からない。けれど、アグネスタキオン(彼女)がマンハッタンカフェ(彼女)の言葉を聞き逃す道理は無いと知って続ける。

「『なら、私が行けば何かしらの打開につながるかもしれません。今、やれる事をやります。だから、タキオンさん……』」

 

 ーー迎えに来て、くださいねーー。

 

「……だそうだ」

 しばしの沈黙の後、アグネスタキオンはポツリと。

「……つまり……カフェは行ってしまったと言う事かい? ……『アレ』に、連れられて……」

「ああ」

 戦慄く眼差しが、シリウスシンボリとナカヤマを フェスタを見る。救いを、求める様に。けれど、二人はただ黙って首を振る。

 彼女達も見たのだ。その様を。

 脱力した様に、ガクリと肩を落とすアグネスタキオン。あまりの痛々しさに、ナカヤマフェスタが声をかけようとしたその時。

「ーー貴様っ!!」

 アグネスタキオンが、エアシャカールに掴みかかった。もつれ合って床に倒れる二人。

 落ちたカップや試験管が、派手な音を立てて砕け散る。

「おい!?」

 思わず割って入ろうとしたナカヤマフェスタを、シリウスシンボリが止める。

 促されて見れば、此方を睨むエアシャカール。

 手を出すな、と言う様に。

「何故だ!?」

 アグネスタキオンが叫ぶ。

 血を吐く様な声で。

「何でカフェを止めてくれなかった!?」

 掴んだ襟首を、ガクガクと揺さぶりながら。

「見てたんだろう!? 話をしたんだろう!? なのに、何故!?」

「アイツが……カフェが邪魔するなって言ったからな」

「ふざけるなっ!!」

 激昂の衝動と共に、より一層大きく揺さぶる。エアシャカールの後頭部が幾度か床にぶつかるが、構いやしない。

「分かってるのか!? アイツは……TYPE・Uは私達の……ウマ娘の事なんか、少しも気にかけちゃいないんだぞ!!」

 そう。最初、取り替えっ子の事実を知ったアグネスタキオンはソレを隠蔽工作と考えていた。

 此方の世界に混乱も懐疑も残さず、ただ全てを事勿れの霧中に葬る為の。

 けれど、実際はどうか。

 すげ替えられた『そっくりさん』達は、確かに姿形・能力に至るまでオリジナルと同じ。

 しかし、その中身はあまりに粗雑だった。

 倫理観も常識も、有って然るべき理性さえも稚拙に過ぎる。

 此れではオリジナルの代役など、務まる筈も無い。否。皮が完璧な分、尚更タチが悪い。

 科学的・生物学的な確証が得られないまま、残された者達は『偽者』と分り切った相手を愛する者として生きる事を強いられる。

 それが、どれほどの苦痛であるか。

 挙句、最も配慮しなければならないファインモーションの件に至ってはその粗雑極まる複製品を置く事すらしなかった。

 一国の皇女。その失踪ともなればどれほど広く、どれほど大きな軋轢を生み出すかなど、余りにも明白だと言うのに。

 此処に至って、認識を改めざるを得なかった。

 此度の事件において、そっくりさんの存在意義はアフターケアなどではない。もっと、別の理由によるモノ。

 当のTYPE・Uには、此の世界に対しての配慮など微塵も有りはしない。

 文字通り、子供がアリの巣を滅茶苦茶にほじくり返して、興味尽きればそのまま放置するに等しく。

 自分のしたい事さえ終えてしまえば、後は『知ったこっちゃない』なのだ。

 そして、ソレが意味する所は。

「そうさ……」

 戦慄く声で言う。

「アリの巣で遊んだ子供が、それで傷付いたアリ達に何の感情も抱かない様に……」

 恐ろしくも悍ましい、結論を。

「TYPE・Uは……向こうに引き込んだ娘達の身の安全なんて、これっぽっちも興味が無いんだぞ……?」

 正しく。かのモノが人に、ウマ娘に抱く感情はソレらが虫ケラに向けると同じモノ。

 ただ、其処に在る。

 モノによっては少しだけ鑑賞価値があるだけの。

 取るに足らない、塵芥。

 其れが、アグネスタキオンが辿り着いた。

 TYPE・U=妖精・プーカの。

 本性悪性、その真理。

「くはっ」

 エアシャカールが、吹き出した。

「TYPE・U? プーカ(アイツ)の仮称か? 意味も無く、御大層な名前付けやがって……」

 向ける憎悪の視線を真っ向から見返して、不敵に笑う。

「つまり、アレだろ? 気づいちまった訳だ。アイツのヤバさと、下手に関わり続けりゃテメェの大事なヤツが盗られちまうって可能性に」

 そして恐らくは、ダイワスカーレットやスイープトウショウの有様が、その恐怖に拍車をかけた。

「だから、日和った」

 アグネスタキオンの表情が、強張る。

「せめても、自分の大事なモンだけは……と思った」

 応える声は無い。

 沈黙は、肯定。

「その為に、他の連中なンざ犠牲になっても……ってな?」

 応えは、やっぱり。

 エアシャカールは笑う。酷く愉快そうに。

「どンだけマッド気取ってても、結局テメェも本質はただのウマ娘って訳だ」

「……キミに……何が……」

 ようやく絞り出した声も、嘲笑の的。

「勘違いすンなよ?」

 今にも泣き出しそうな顔に向かって、言う。

「所詮他人な連中より、家族やら恋人やら大事な奴を優先すンのはおかしな事じゃねェ。正しいとか正しくねェとかじゃなくて、心理として当然のモンだ」

「…………」

「ソイツにしたって、本質はその大事な連中の為じゃねェ。失いたくない、自分の為だ」

 エアシャカールの目が、ギラつく。孕む荒びと昂りを表す様に。

「カフェ(アイツ)だってそうだ」

 想起するのは、今際刹那の彼女の顔。

「自分が居なくなりゃ、テメェが壊れるかもしれない事なンざ十分に理解してるのさ。その上で、こう言うやり方を選んだンだ」

 

ーーテメェを、自分の理想像に縛り付ける為にーー。

 

 引き攣る顔。酷く、愉快そうに告げる。

「笑ってたぜ? アイツ」

 其れは、想う者を束縛する狂気の発露。例え、対価に捧げるのが己であったとしても。

「……でな?」

 エアシャカールの手が、アグネスタキオンの襟首を掴み返す。身を起こし、突き付ける互いの鼻先。

「ソレはオレも同じなンだよ……」

 呪詛が呟く。

「ファインが居ねェ……」

 脳に張り付く忌憶。

 影の中から伸びて来た手。鎖。

 絡み取り、奪い去る。

 輝く金色の目。

 耳に軋む、笑い声。

 そして、飲み込まれる彼女の顔。

「ムカつくンだよ……」

 笑っていた。

 この刹那が。

 この終末が。

 自分の存在を、エアシャカールの命に。人生に。永久の傷と刻むを確信して。

「傷になンざ、してやるかよ……」

 そんな事は、許さない。

 お前だけが、傷となって満たされるなど。

「逃さねェ。引き摺り出す」

 破滅は共に。

 諸共に。

 其れが、盟約。

「この呪いは、オレのモンだ」

 取り戻す。

 捕まえる。

 その為ならば。

「利用出来るモンは、利用する。全部、何もかもだ」

 断言した。

「は……はは……」

 アグネスタキオンが、乾いた笑いを漏らす。

「だから、止めなかったのかい? カフェを……あの娘の決意を、利用する為に?」

「ああ」

 詭弁も、取り繕う事も意味は無い。

 する気もない。

「カフェ(アイツ)だけじゃねェ。テメェも利用する。あの馬鹿を捕まえる為にな。だから……」

 ぶつかる、額と額。

 間近で勝ち合う、視線。

 そして、告げる。

 

「テメェもオレを、利用しろ」

 

 アグネスタキオンの顔が歪む。ヒビ割れた、仮面の様に。

「……全く、醜悪の極みじゃないか。狂信者(ファナティック)」

「言ってろ。夢想家(ロマンチスト)」

 交わし合う、干涸びた笑い。

 と。

「……おい」

 ナカヤマフェスタが、口を挟んだ。

「誰か、来るぜ?」

 皆の目が、一斉に戸に向かう。

 澄ます耳。確かに、足音が。

「ああ。そう言や、アイツの言伝を一つ忘れてた」

 目を細めるアグネスタキオン。

「何だい?」

「どうなるかは正直分かンねェが、一つだけ確実な事が在るとよ」

「其れは?」

「貴重な『検証材料』を一つ、提供出来るとさ」

 戸が、開いた。

 ナカヤマフェスタが息を呑み、シリウスシンボリは感嘆の口笛を吹く。

 立っていたのは、マンハッタンカフェ。

 微塵の違いも無い、生き写し。

 けれど、其れを彼女と思う者は誰もいない。

 だって。其れの右耳に揺れるのは、見慣れ過ぎた耳飾り。

 彼女が遺した、今はアグネスタキオンの手の中にある筈のソレ。

「こいつは……」

「スゲェな……」

 彼女が消える様を見て、なお錯覚しそうな出来に息を吐く。

 後ろで音。

 振り返ると、アグネスタキオンが幽鬼の様に立ち上がっていた。

 そのまま、フラフラと其れに向かって歩いて行く。

 誰も、何も言わない。ただ、見守る。

 間近に立って、見つめる。手を伸ばし、頬を撫ぜる。

 ソレの手が上がり。アグネスタキオンの手に重なって。

「ただいま。タキオンさん」

 微笑んだ。

 しばしの間。

 そして。

「ふ……ふふふ……」

 漏れ始める、くぐもった笑い。

 其れは、すぐに。

「はは、ハハハハハハハ!」

 タガが外れた哄笑に変わる。

「笑わせてくれるじゃないか!?」

 叫びと共に、ソレの首を鷲掴む。

「此れが!? こんなモノが、カフェの代わりだと!? 私のカフェの!? 全く、馬鹿にしてくれるじゃないか!!」

 ギリギリと縊り締める手。けれど、マンハッタンカフェの姿をしたソレは笑みを浮かべたまま。

「成程、此れが『材料』か! カフェが提供してくれた『検証材料』! なら、存分に使わせて貰うまでだ!!」

 エアシャカールを振り返る。先までの、澱んだ瞳ではない。元通りの。否、其れ以上の狂気が燃える眼差しで。

「手伝い給え、シャカール君! コレを、徹底的に調べ上げる!! 調べ尽くして、暴く手法を導き出す!」

「ヘイヘイ」

 立ち上がるエアシャカール。歩み寄るついでに、巻き込まれた不遇な二人に告げる。

「お前ら、帰って良いぞ」

 けれど、二人は鼻で笑うだけ。

「馬鹿言え」

「此処まで来て、エンディング見ずに帰れるかよ」

 呆れ顔のエアシャカール、念を押す様に。

「えげつねェもん、見るかもしれねェぞ?」

「気にすんな」

「ヤバそうだったら、適当に跳ばすからよ」

 そんな応答に時間の無駄と悟り。

「好きにしろ」

 そう言って、アグネスタキオンの元へと向かう。

「……にしても」

 ナカヤマフェスタは、相方に尋ねる。

「随分とご機嫌だな?」

「ああ、最高だ」

 サラリと答える、シリウスシンボリ。

「体裁も建前もぶっちぎって突っ走る様は、見てて小気味良い。マジで生きてるって感じがする」

 何処か高揚した様子に、気づく。

(成程ね)

 彼女の目が、アグネスタキオンとエアシャカールの向こうに重ねる姿。

(お前さんが望む、皇帝サマの在り方って訳か……)

 其れは、近くに在って果て無い。

 永久の羨望。

 

 慌ただしく動き始める研究室の空気。

 その中で、誰が気づくだろうか。

 マンハッタンカフェの姿をした彼女。その顔に浮かぶ、恍惚とした微笑みに。

 

 ◆

 

「あら、お目覚めですか?」

 開いた視界の向こうにあったのは、彼女の穏やかな微笑みだった。

「……マックイーン……? ボクは……って、うわわっ!?」

 自分が彼女の膝に頭を乗せている事に気づいて、トウカイテイオーは思わず飛び上がった。

「ご、ごめん! マックイーン!! ボク、何でこんな事……」

 混乱する彼女を愛しげに眺め、メジロマックイーンは朗らかに笑う。

「可笑しいテイオー。何をそんなに畏まっているのですか?」

「え……? だ、だって膝枕なんて……ボク達、まだそんな……」

 言いかけて、言いかけた言葉の意味に気づいて真っ赤になる。でも、メジロマックイーンは変わらず平々然と。

「嫌ですわ。今更、そんな事を。わたくし達は、とっくに……」

 彼女がスルリと寄って来て。

 気づいた時には、口に軽く甘い感触。

「!」

 固まる唇から、ゆっくり身を離し。

「こう言う仲では、ありませんか」

 そう言って。とても綺麗に。

「ぴ……ぴぇえ……」

 ヘナヘナと腰から崩れ落ちるトウカイテイオー。口に残る柔らかさと香りで、心臓はドキドキするし頭はクラクラする。

「あらあら、大丈夫ですか?」

「ま、待ってよ!」

 また身を寄せようとして来る彼女から、慌てて後退り。

「キ、キミ、何かおかしくない!? って言うか、ココ何処なのさ!?」

 誤魔化す様に辺りを見回す。昏い空。夜なのは確か。けれど、濃い霧が立ち込めて視界が効かない。

「ふふ、何を怖がってますの?」

 メジロマックイーンが笑う。その笑顔さえも、棚引く霧に見え隠れ。

「此処は、学園ですわ。わたくし達の巣、中央トレセン学園」

「学園て……」

「ほら、ご覧なさいな?」

 霧の中で、彼女が示す。仰ぎ見た先。霧と闇の向こうに、聳える建物のシルエット。

 見覚えのある形は、確かに。

「あ……」

「ね?」

 呆けた一瞬。伸びて来た腕に捕まった。

「ぴゃ……!」

「逃げないでくださいな」

 引こうとした身が、強引に引き寄せられた。

 彼女は、こんなに強かっただろうかと思う程に。

「き……キミは……」

「マックイーンですわ。貴女の……テイオーのマックイーン」

 抱き締められる。擦り合わされる、頬と頬。

 顔は、見えない。

 体温が、低い。

 まるで、金属の様に。

「分かったでしょう? 此処は学園。わたくしも、此処にいる。全部全部、貴女の為のモノ……」

「マ……マックイーン……」

「そう、わたくしはマックイーン。貴女のモノ。貴女と一緒に、此処にいるのです……」

「待って……ボクは……」

「ああ、まだ眠いのですね。構いません。お眠りなさい。こうして、抱いていてあげるから……」

「ちが……う……ボク、は……」

 囁く声は、セイレーンの奏で。遠くなる。何もかも。

「テイオー……テイオー……可愛い、テイオー……」

 堕ちていくテイオーを抱き締め、彼女は唄う。

 恍惚と。

 喜びに満ちて。

「わたくしのテイオー……。一緒にいましょう? ずっとずっと……。星の礎が綻びて、神の御霊が霞むずっと先まで……」

 薄い唇が、栗色の髪を櫛削り。

 永久の鎖の呪詛を刻む。

「ずっと、此処で。この、影の箱庭で、永遠に……」

 

 霧の中に、写し絵の世界が揺れる。

 鎖と影で編み紡がれた、永久に変じぬ箱庭が。

 

 遠い彼方此方。

 彼女が唄う。

 優しい優しい。

 鎖の声で。

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