鎖影の庭   作:土斑猫

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【赤。紅。朱。】

「あれ? デジタルちゃん、どうしたの?」

「……え?」

 マヤノトップガンの声に、アグネスデジタルの姿をした彼女は初めて気づいた。

 手を上げて、頬に触れる。

 濡れた感触。

 涙が、一筋。

「どうしたの? どっか、怪我でもした?」

「いいえ。ただ……」

 空殻の己を本物と変わらぬ態度で接してくれる彼女を尊く思いながら、答える。

「……救われたのかも知れません。何処かで、同胞の何方かが……」

「?」

 彼女が見る方向を、マヤノも。

 霧と夜闇の向こうで、小さな光が瞬いた気がした。

「……ついて来いって話だったけどさ」

 先頭を歩く偽デジタルに、ヒシアマゾンが訊ねる。

「何処に行くんだい? さっきまでの話だと、アタシらだけじゃどうにもならないみたいな感じだったじゃないか?」

 ソレは、先にアマゾンとマヤノが偽デジタルに会った時の事。

 まだ意識朦朧とする二人に向かって、彼女はこう告げた。

――あたしでは、お二人をお帰しする事が出来ません。だから、せめても安心出来る様ご一緒に――。

 と。

「事情が変わりましたので」

 偽デジタルは返す。

「確かに、あたしだけの知恵や力ではどうする事も出来ません。けど、ソレはさっきまでの話。今は、貴女がいます」

 言って見るのは、マンハッタンカフェ。

「……どういう事ですか……?」

 首を傾げるカフェに、微笑んで。

「カフェしゃんは、思ったのでしょう? 『プーカ(アイツ)が自分を連れて行きたがらなかったのは、何か不都合が在るから』だと」

「……ええ」

「ならば、ソレが真理か『検証』しましょう」

 『検証』。

 その単語に、少しだけ胸が疼く。

 そんなカフェの感情の揺れを見透かす様に、偽デジタルは続ける。

「まず、カフェしゃんがいらっしゃった事で確実に起こった『事象』があります」

「……事象」

「ええ。この箱庭は、中央トレセン学園と言う世界の影です。故に、常に本来の学園と同じ姿を取ろうとします。在るべきモノは造り、無いモノは造らない。その条件下に、『マンハッタンカフェ』が摂り込まれました。だから、箱庭は生み出します。マンハッタンカフェが存在するなら、ソレと対になる存在を。自分が、トレセン学園であり続ける為に」

「……私の、対……?」

 分かりかねると言った顔のカフェを見て、また笑う。

「分かりにくかったですか? ならば、もっと易く言いましょう」

――マンハッタンカフェ(貴女)の、嫁です――。

 瞬間、目の前の霧が晴れた。

 現れたモノに、皆が息を飲む。

 特に、カフェにとって。余りにも見慣れたソレは。

 古びた引き戸。窓から洩れる妖しい光。そして、戸の上には、『理科室』と刻まれた名札。

 そう。それはトレセン学園屈指の魔窟。

 旧理科室改め、マンハッタンカフェの趣味部屋。そして、共に兼ねるは。

「さあ、カフェしゃん」

 身を引き、手を伸べ。デジタルの彼女は促す。

「この部屋は、貴女によって。貴女の為に。造られました」

 誘う声は、酷く甘く。

「この子の『初めて』を奪うのは、貴女以外にはありえません」

 竦んでいた足が、踏み出す。まるで、焔に魅かれる羽虫の様に。

「この子の胎の中で、『あの方』は待っています」

 囁く声が、断言する。決まり切った事を。

「貴女を。貴女だけを。マンハッタンカフェだけを」

 伸ばす手。震える指が取っ手に当たり、カタカタカタカタと音を立てる。

「さあ、開けてください。そして、この閉鎖された可能性に風穴を!」

 開いた戸。溢れ出る、薬品の匂い。その懐かしい薬煙の奥に。

「……やあ、予想より早い到着だね」

 椅子に腰かけた背。白衣。聞き慣れた、声。

「然したる手配も無く有効な手段が入手出来るとは。やはりキミ達は『持っている』ようだ」

 感心した様で。興味深そうで。愉快そうで。気怠げな、声。

「どうしたんだい? 入って来たまえよ? 遠慮する理由なんて無いだろう? 此処は、『私達』の巣なのだから」

 回転式の椅子がグルンと回る。露わになる顔は、予定調和。

「さあ、おいで」

 囁く声は、甘い紅茶の香。

「可愛い、可愛い」

 チャームポイントのブカブカ袖を、プラプラと差し伸べて。

「私の、カフェ」

 アグネスタキオン、そのままの顔で。

 彼女はとても。

 とても愉しそうに笑った。

 ◆

 含んだ液体は、いつもの味。

 レモンの香り。蜂蜜の甘味。何もかも。

 舌に馴染んだ、お気に入り。

 けれど、飲み下す後味は。

 ただただ。

 空虚。

「どうしました?」

 隣りに座っていた彼女。

 『メジロマックイーン』が、問いかける。

「貴女の好物の、はちみーですわ。お気に召しませんの?」

「うん……何か、違うんだ……」

 それでも律儀に飲み干して。空の容器を傍らのクズかごに入れる。

「お調子が悪そうでしたので……。少しは気晴らしになるかと思ったのですが……」

「ゴメンね……マッ……クイーン……」

 ああ、まただ。と思う。

 目の前の彼女の名を呼ぶ度に、何故かソレが喉に引っかかる。

 まるで、心の奥の何かが彼女をマックイーンである事を認めないかの様に。

「貴女が謝る事ではありませんわ。調子が悪い時など、誰にでも有る事ですもの」

 

 そう言って、彼女は自分が食べていたマロンプリンをひとさじ掬う。

「では、こちらは如何ですか?」

 差し出されたスプーン。間接キスとか言う概念が頭を過ぎり、思わずドギマギ。

「き……キミって、こう言う事するタイプだったっけ?」

「ふふ、今更何を言ってますの? 貴女とわたくしは、もう十分……」

 艶美に笑む顔。

 けれど、記憶が無い。

 確かに、愛しいと思っていた。だけど、ソレはまだ一歩手前だった筈で。ここまで交じり合う、その過程の思い出が。

 まるで、曖昧。

 霧に霞む、この笑顔の様に。

「……あまり、考えないでくださいまし」

 霧の向こうで、困った様な声。

「考え過ぎるから、疲れてしまうのですわ。思い悩むよりも、ただ真っ直ぐに己の道を走り続ける……」

 口の中に挿し込まれるスプーン。栗の甘の中に、微かに彼女の香り。

「それが、わたくしのテイオーでしてよ?」

 そう言って、彼女は取り出したスプーンをペロリと舐める。

「う、うん……」

 それでも、飲み下す甘露はやっぱり虚ろで。

 

 

 ◆

 

「タキオン……さん……?」

「そうさ。私はアグネスタキオンだよ。キミの、マンハッタンカフェの番(パートナー)のね」

 悪戯っぽく微笑む顔。煩わしくも、側にあるを当然としていた。

 マンハッタンカフェの、存在肯定。その一つ。

「どうしたんだい? さあ、おいで」

 ブカブカの両腕を、大きく広げる。帰っておいでと、言う様に。

 ずっと張り詰めていた気持ちが、揺らぐ。

 もう良いよ。

 疲れたよ。

 休もうよ。

 と。

「そうだよ。キミは、十分に頑張ったじゃないか。労苦には、対価が必要だ。だから、おいで」

 

ーー癒してあげるーー。

ーー溶けてしまうまでーー。

 

 ふらりと、足が。

 後ろで誰かが、叫ぶけど。

 そんな事は、どうでも良くて。

 この人が欲しい。

 今は、この人の温もりが。

 灯に誘われる羽虫の様に。

 鮟鱇の餌に寄る小魚の様に。

 全てを忘れて。

 委ねようとして。

 

 あの人の、声が弾けた。

 

「……どうしたんだい?」

 夢から醒めた様に身を引いたカフェを見て、タキオンの姿をした彼女は小首を傾げる。

「……貴女は、タキオンさんでは……『私の』アグネスタキオンではありません……」

 高鳴る鼓動を収めながら、キッパリと言い放つ。

 

「私が帰る場所は、貴女ではありません」

 

 拒絶の意志を真正面から受け止めて。

 彼女は。

 アグネスタキオンである事を否定された彼女は。

「フフ……」

 何故か酷く嬉しそうに。

「アハハハハハ」

 笑った。

「合格だよ。『彼女の』カフェ」

「……何の、事です……?」

 戸惑うカフェ。向けられる笑顔は、形は同じでも確かに違う。

「キミのその気概だよ。『彼女』の影たる私に惑わされなかった。多少危うくはあったが、まあ許容範囲だ」

「……試した、と?」

「当然だろう? 此れから共同戦線を築く相手が、ハニートラップの様な低レベルの謀に引っ掛かる様な愚物では困るからね」

「ハニ……!」

 あんまりあからさまな言葉選びに一言言おうとした所で、後ろの気配に気づいて振り返る。

 ニタニタしながら見てる、マヤノとアマゾン。

「……何です?」

「んふふ。カフェさん、誤魔化さなくても良いよ。今更だし〜」

「アンタも、あんな可愛い顔するんだねぇ……」

 ヒクつくカフェ。

「い、いえ。今のは……」

「綺麗な百合をいくら無作法に飾ったって、本質は変わらないよ?」

「マヤもそう思いまーす!」

「…………」

 抵抗するだけ深みにハマると悟り、色々諦める。諦めた所で、一人足りない事に気づいて下を見ると。

「タキカフェ……尊い……ありがとうございましゅ……」

「…………」

 何だかんだ、この娘も基本はデジタルなのだなぁ……と満ち足りた顔で横たわる彼女を見て思ったり。

 

「ま、茶番は此処までとしておこう」

 騒ぐ皆を愉しげに眺めていた偽タキオンが、場を引き締める様に言う。

「時間は有限だ……と言うより、正直猶予はあまり無い。サクサクと計画を進めようじゃないか」

「……有限、とは?」

 カフェの問いに、偽タキオンはニヤリと笑んで。

「おいおい。こんな状況がいつまでも維持出来ると思っているのかい? 不安定なモノは安定を求める。当然の道理だろう? もっとも、今回の場合その安定とは……」

 

ーー奈落に落ちた先の、ドン底での停止だがねーー。

 

「……どう言う事です?」

 明らかに不穏な意味を孕む言葉。嫌な気配を感じながら、カフェは問う。

「……今以上に、酷い状態が訪れると……?」

「そうさ」

 即答。そして、断言。

「問題点は二つ。『キミ達側』と『私達側』、双方にだ」

 曰く。

 まずは『箱庭』に取り込まれた『本物』達。

 今でこそ自我を保ってはいるが、人のソレの様にウマ娘の精神にも限界がある。いずれは箱庭に侵食され、同化する。本当の意味での箱庭の装飾品となり、無意無限の時を彷徨う亡者と成り果てる。

 自身で逃れる事は叶わない。

 個々の精神力に対して、神秘たるプーカの力は強大に過ぎる。加えて、己の存在意義を求める此方側のそっくりさん達の執着が楔となる。

 次に、『現世』に置かれた『そっくりさん』達。

 彼女達は、『成長』も『可能性』も打ち止めの存在。常に変動する現世においては、歪みを生じる異物でしか有り得ない。広大な世界では微々たるモノ。ソレでもその周辺を『壊す』には十分で。

「……取り替えっ子は妖精達のありふれた悪戯だからね。昔から現世に放り出されたそっくりさんはごまんといる。で、そんな彼ら彼女らの大半がどうなったかと言うと……」

 説く声音は、自嘲と怒りと諦観に。

「己と現世との隔たりに耐えられなくなって、周りを巻き込んで自滅した。所謂サイコパスと判断された歴代の重犯罪者達。その何割かが、私達の同胞の慣れ果てさ」

 要するに。

「誰も幸せにならないんだね……」

 疲れ切った様なマヤの呟きに、重い沈黙が降りる。

 取り替えっ子は、あくまで妖精の『悪戯』。

 悪意にすら満たない児戯に、意味を見出すなど滑稽の極みとは言えど。

「……貴女は……」

「『たきおん』と呼べば良い」

 絞り出す様なカフェの呼び掛けに、彼女は言う。

「心情としては甚だ面白くないだろうが、代名詞だけでは流石にコミュニケーションに難が生じる。何、個体識別の為の番号と思えば良い。ペットに想い人の名前を付けるなど、さして珍しい行為ではないさ」

「ペット……」

 自分と言うモノに、プライドとか無いのだろうか。無駄な自尊より本質を優先する所は、オリジナルに近いと言えば近いのだろうが。

 取り敢えず、咳払いなぞして気を取り直す。

「たきおんさんは、私達に……本物側に協力してくれるのですか……?」

「そのつもりさ」

 掛けた問いに、アッサリと返る答え。

 それでも、ただ信用する事は危うい。まして、モデルが『彼女』であるなら、尚の事。

「……何故?」

 探るのは、更なる深淵。

「貴女から見れば、私達は敵の筈です……。貴女達を『偽物』たらしめる、障害……。なのに、何故?」

「理由なら、彼女から聞いているじゃないか」

 そう言って示したのは、偽デジタル。

「私はね、『アグネスタキオン』なんだ。どう足掻いた所で、彼女と言う存在に擬えて作られた。だから、生きる喜びもまた彼女に倣う。あの、狂った探究心の権化にね」

「……!」

 悟るカフェの顔を見て、寂しげに。

「分かるだろ?」

 そう。彼女達も、この箱庭も。オリジナルの一場面を切り取った複製品。与えられた時を超える事も出来なければ、変える事も叶わない。

 そんな彼女達の喜びが、『可能性の追求』と言う相反する概念に設定されてしまっていたら。

「そう……」

 カタリと立ち上がるたきおん。

「分かるだろう? カフェ」

 立ち竦むカフェに、顔を寄せる。香る薬品と紅茶の香気。

「偽デジタル(彼女)は、実に良い表現をしたよ」

 下から、嫉妬する様に見上げる眼差し。先に偽デジタルが見せたソレと同じ、狂気と憎悪。

「正しく、『控えめに言って地獄』と言うヤツさ」

 その空っぽに、ただ一つ孕まされた絶望。

「なら、私のすべき事も決まっている」

 向けるべきは、ただ生みの母。

「壊してやろうさ。あの悪性の喜びを」

 其処より精製したる、呪いと言う名の劇薬を。

 

 ◆

 

「テイオー……テイオー……」

 腕に絡まる熱。囁きかける、蕩けた様な甘い声。

 全ての型は、正しくあの娘。憧れで。好敵手で。大好きなあの娘。

 けど……。

「ねえ……」

「何ですか? テイオー」

 かけた声に、見上げる顔。

 いつも見る度、綺麗だと思った顔。

 けど、今のソレはやっぱり霧の向こうに霞んで見えて。

 だから、気づくしかなかった。

 だから、委ねる事は出来なかった。

 どんなに望んだ温もりでも。

 どんなに夢見た甘さでも。

 それを、『この娘』に求めてしまう事は。

 彼女に対する裏切りだと、気づいたしまった。

 だから。

「キミは、誰?」

「――――っ!!」

 ヒュッと、気管が詰まる音がした。

「な……何を、仰い……ますの……? おかしな、テイ……オー……」

 笑い飛ばそうとする声が、震える。

 絡まる腕も、震えている。

 カタカタ。カタカタ。

 まるで、悪戯を咎められた子供の様に。

「わた、わたくしは……マックイーン、ですわ……。メジロ家の……跡取り、で、で……中央トレセン学園の……生徒で……あ、貴女の……トウカイ、テイオー……の……」

「ボクはまだ、マックイーンに言ってない」

 放った言葉に、『ヒッ!?』とか細い悲鳴が上がる。

「ボクは、まだマックイーンの心を確かめてないんだ。なのに、どうしてキミは当然の様にそうしているの?」

「それは……それ、は……」

「ボクは、これから作っていくんだ。あの娘と……マックイーンとの世界を。そこには、昨日も。今日も。明日も欠けちゃいけない。なのに、キミが持っているのは『今だけ』だ」

 ギクリ、と跳ねる身体。

「そんな事……わたくしは、覚えてますわ……! 貴女とのレースも……貴女との約束も……わたくしを、救ってくれた……あの走りも……」

「……覚えてないよ」

 そう。

 それは、とっくに気づいていた事。

 気づいた、理由。

「『知ってる』だけだよね?」

「――――っ!!」

 正しく。

 彼女が話す思い出には、想いがなかった。

 自分で刻んだのではない。ただ、与えられた知識をなぞっただけの。

 空っぽの記憶。

 それを、共に刻んだテイオーが見抜けない筈はなく。

「だから、キミは違う」

「い、いや……」

 彼女が、イヤイヤと首を振る。

「ボクの大事な、あの娘じゃない」

「お願い……お願い……」

 絡んでいた腕は、今はすがりつく形。まるで、慈悲を乞う様に。

 揺れる、憐憫の情。

 それでも。

「……駄目だよ」

「あ……」

 そう。それは、決して許されない事だから。

 あの娘の為に。

 自分の為に。

 そして、何より。

「キミが、向き合わなくちゃ……」

 自分を知らない、この娘の為。

「違う……違うの……」

「キミは……」

「何でもするわ……何でもしてあげるから……だから……だから……」

 そのなりふり構わない懇願が、逆にテイオーの決意を後押しする。

 このままでは、きっと。

「キミは」

「お願い……わたくしを……『わたし』を……」

「マックイーンじゃ……」

「否定しないでぇ!!!」

 

 ――チャリ――。

 

「!」

「!!」

 テイオーの言葉も。

 彼女の叫びも。

 その小さな音でかき消された。

 小さな小さな。

 鎖の音に。

 次の瞬間、テイオーの後頭部を激痛が襲う。

 悲鳴を上げる間も無く宙に浮く身体。涙に滲む目で背後を見れば、覗き込んで来る金色の目。

「お……お前……!?」

『見つ け た』

 テイオーのポニーテールを掴んでぶら下げたプーカが、独り言の様に呟く。

「放せよ、馬鹿! 禿げちゃうじゃないか!!」

 満ちる恐怖と混乱に抗おうと、大声を張り上げる。けれど。

『さ 。戻り まし ょ』

 聞く耳持たない……と言うか、本当に聞こえていないかの様に独り言ちて踵を返す。

「痛!」

 再び漏れる悲鳴。

 無造作に放り出されて、お尻を強かに打ち付ける。けれど、肝心の髪は掴んだまま。そのまま、ズルズルとテイオーを引きずって歩き出す。

「痛い! 痛いよ!!」

 どんなに叫んでも、反応は無い。

「放せ!! 聞いてるの!? 放してってば!!」

 反応、無し。

 まるで空気に話しかける様な手応えに、テイオーは理解する。

 正しく、コイツは自分を対等に会話する相手と見なしていない。

 主人と下人……否、もっと酷い。恐らくは、子供が捕まえた小鳥を鷲掴みにして持ち帰るに等しい認識。

「このぉ!!」

 このまま連れて行かれたら、何をされるか分からない。

 明確な危機感に、本能が動く。

 元より、身体の柔軟なテイオー。思いっきり反動を付けて、プーカの尻を蹴り上げた。

『…………』

 流石に効いたのか。プーカの足が止まった。ここぞとばかりに、捲し立てる。

「痛かったでしょ!? だったら、早く放して!! でないと……」

『五 月蠅 いな ぁ』

「!!」

 もう一度蹴り上げようとした脚に、何かが絡まる。プーカの、尻尾。

『折っ ち ゃおう』

「な……!?」

 言葉の意味を理解する前に、脚にかかる強烈な圧力。

 へし折るなんて生易しいモノではない。文字通り、捻り潰すつもりなのだと分かった。

「やめ……」

 先までとは比べ物にならない恐怖。

 やっと治った脚。それが、また。今度は、もう。否、折るのではなく。文字通り『砕かれて』しまったら。再び、走るどころか。

 奪われる。

 自分の意味。

 居場所。

 喜び。

 未来。

 希望。

 あの娘との、約束。

「嫌だ! やめろ!!」

 振りほどこうと振り回しても。

 まるで獲物を屠る大蛇の様に。

 軋む音。

 痛み。

 圧。

 悲鳴。

 絶望。

 そして。

 

「やめてください!!!」

 

「!」

 聞こえた、懐かしい声。ハッと見開いた目の先で、乱れ舞う葦毛の髪。

「駄目です!!」

 彼女だった。

「コレは……コレだけは!!」

 キミは彼女じゃないと。

「テイオーの、脚だけは!!」

 突き放そうとした、あの娘。

「奪わせません!!」

 その娘が。

「テイオーの未来です! 意味なのです!!」

 一生懸命に。

「もう、あんな風に!! あんな顔!!」

 本当に。一生懸命に。

「泣かせたりしない!!」

 怖い筈の、ソレに抗って。

 引き剥がそうと、齧り付いて。

「放して!! 放しなさい!!」

『…………』

「イタ!?」

 巻き付いていた尻尾が解けた。支えを失った身体が落ちて、尻もち。

「いったた……」

「テイオー!!」

 呻くテイオーに、駆け寄る彼女。赤く痕の付いた脚を、抱き締める様に。

「大丈夫ですか!? 怪我は……骨は!?」

「う……うん、大丈夫みたい」

 そう言って、パタパタと動かして見せる。

 それを見て、崩れる様に座り込む彼女。

「良かった……本当に、良かった……」

 安堵の声と共に、落ちる雫。

 胸が、キュンと痛んだ。

「キミ……」

 近寄って、濡れた頬に触れようとして。

 

 鎖が、鳴った。

 

 ◆

 

「さて、では講義を始めようじゃないか」

 ツカツカ歩いて部屋の隅のホワイトボードの前に立つと、たきおんは皆を見回してそう言った。

「まずキミ達が知らなければならないのは、そっくりさん(私達)の攻略法だな」

「攻略法……とは?」

「文字通りさ。今、向こうのキミ達の居場所はキミ達のそっくりさんが占拠している。一つの世界に存在出来る個人はそれぞれ一人だけ。キミ達が帰るには、キミ達のそっくりさんを排除して場所を取り戻す必要がある。分かるかい?」

 頷くカフェ。後ろではマヤとアマゾンもうんうんと。

「結構」

 機嫌良く頷いて、たきおんは話を続ける。

「問題は、その排除の方法だが。一番手っ取り早い方法が、有るには有る」

「……手っ取り早い方法……ですか?」

「ああ。確実で、尚且つ実に簡単な方法だ」

 言って笑う。何か、嫌な含みの有る顔だとカフェは思った。

「……その、方法とは……?」

「『壊す』のさ」

「……は?」

 ポカンとする皆を見て、たきおんはまた笑う。

 嫌な顔で。

「そっくりさん(私達)は文字通りキミ達オリジナルの複製品だ。当然、身体構造もそのままだし、生命維持の原理もそのままだ。つまり……」

 

――ウマ娘(キミ達)と同じ方法で『壊す』事が出来る――。

 

 シンと落ちる、静寂。

「アンタ……何を言ってるんだ……?」

「分かり難かったかい? なら、もっと噛み砕いて言おうか?」

 引き攣った顔で尋ねるアマゾンを一瞥して、また説く。

「要するに、生命維持に必要な器官を暴力的・薬学的干渉によって破壊し、生命活動を強制的に止めると言う事さ。まあ、オブラードを取った言い方をすれば……」

 

――『殺す』と言う事さ――。

 

 誰かが、ゴクリと息を飲んだ。

 静寂の向こうで、何かが。

 

 ◆

 

 瞬間、真っ赤に咲いた華の色を。

 トウカイテイオーは一生忘れる事は無いだろう。

 霧を裂いて伸びて来た一条の鎖。

 それは、涙を拭おうとしたテイオーの指を追い越して。

 彼女の胸に真っ直ぐに。

 悲鳴は無く。

 ただ、真っ赤な華を咲かせて。

 叫んだ名前。

 それが、向けられたのが自分だと気が付いて。

 彼女は、嬉しそうに。

 本当に嬉しそうに。

 メジロマックイーン、そのままの。

 綺麗な。

 綺麗な。

 笑顔を。

 

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