鎖影の庭   作:土斑猫

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【アリガトウ】

 それは記憶。

 記憶と言う名の知識。

 此処に堕ちてきた貴女を抱き止めて。

 彼女の影となった時。

 得た光景。

 知った姿。

 とっても眩しくて。

 気高くて。

 輝羅綺羅してた。

 見たかった。

 魅せられたかった。

 こんな知識だけの。

 こんな貰い物の絵画じゃなくて。

 この目に。

 自分の中に。

 焼き付けたかった。

 この箱庭では叶わなくて。

 そしてもう、叶わないけど。

 

 だけど。

 

 諦めたく、ないな……。

 ねぇ。

 

 テイオー……。

 

 ◆

 

「殺すって……」

「そんな事……」

 戦慄く声で呻くマヤノトップガンとヒシアマゾン。二人を揶揄する様に眺めて、アグネスタキオンの写身ーーたきおんはまた告げる。

「何も蟹もない。言ったままの意味さ」

 その声音には、少しの揺らぎも無い。ただ其処に在る現実を、淡々と語る。

「……たきおんさん……もう少し、言い様と言うモノが……」

「蛆の湧いた腐敗物を極上のブルーチーズと言い換えた所で、本質が変わる訳じゃないだろう?」

 マンハッタンカフェの抗議をそう流すと、たきおんは続ける。

「相応の覚悟はしたまえと言う事さ。幾らそっくりさん(私達)とは言え、自我もあれば思考もある。理屈は理解していても、流石に無機物の人形然と消える事は出来ない。他の至ってない連中に関しては尚更だ。その時には、相応の恨み節を吐くだろう」

ーーオリジナル(キミ達)に向かってねーー。

 ジワリと這い上がる悪寒。

 彼女達はアスリート。レースは競技であり、歴然とした勝負。血闘。勝者と敗者が生まれるは当然で。勝ち負けが在るならば、其処に生じる無念由縁の負念もまた当然。ソレが、全てを賭けてと足掻いた果ての結果ならば尚の事。

 その怨みつらみを受けるも、勝利の対価と覚悟している。

 けれど、それはあくまでスポーツと社会のルールに則った範囲での事。

 純粋な、生命の取り合いにて向けられる憎悪と怨嗟。そんなモノ、所詮人生の半分も知らない小娘でしかない彼女達に受け止める事など出来よう筈も。

 されど、賢人の影は容赦無く。

「それでもキミ達は選ばなければならない。キミ達の世界と友人を取り戻したいと言うのなら」

 答えなど決まっている。

 選択肢など無い。

 有り得ない。

 冷酷で。

 残酷で。

 理不尽な決まり事。

 カタカタと音がする。

 マヤノが震えていた。今にも泣き出しそうな、真っ青な顔で。

 ふらついた身体を支える様に、アマゾンが抱き止める。その彼女の顔もまた、真っ青。

「……他に、方法は……無いのですか……?」

 込み上げる胃液を堪えながら、カフェは問う。せめても、その苦しみから逃れようと。

「……直接的な殺害と言う『方法』のみを避けたいと言うのなら、別の方法はある」

 その言葉に、ホッとしかける。けれど。

「だが、その終着点がそっくりさん(我々)の消滅ーー死であると言う事実は変わらない」

 グッと息を詰める三人を見回し、たきおんは続ける。

「……何か勘違いをしてはいないか? 確かにそっくりさん(我々)はキミ達の日常を奪った。理不尽に。正しく、キミ達は被害者だ。その事実に変わりは無い。だが、それでも……」

ーーそっくりさん(我々)は、『生きて』いるーー。

 誰かの、もしくは皆の気管がヒュッと泣く。

「顕界の理から外れ、正規の生殖の手順すら踏まずに生じた不良品(イレギュラー)。それでも、個の『生命』で在る事。それだけは譲れない。それさえも否定してしまえば、私達は本当にナニモノでも無くなってしまう」

 彼女は求め、主張する。模造品として生まれたモノ達の叫びを。願いを。

「無秩序に生態系を侵す外来種であれど、駆除するならせめても『命を奪う痛み』くらいは抱いてくれ。キミ達に、『霊長』としての知恵と誇りと自覚が有るならば。それとも……」

 彼女の手がスと上がる。

「彼女が示した覚悟と行いに、キミ達はそんな中途半端な気持ちで答えるつもりかい?」

 指差す先を、皆が見る。居たのは、少し外れた場所で話を聞いていた偽りのアグネスデジタル。寂しく儚く。困った様に微笑む顔が、妙な不安を誘う。

「……デジタルちゃん……?」

「そりゃ……確かに、この子は……」

 彼女の意志は既に聞いている。

 呪わしき母への復讐の為に、此の世界を壊したいと。その為ならば、己の身も。と。

「そんなのは副次の結果さ。やはり、彼女の真意には届いていないな。キミ達は」

「え……?」

 困惑するマヤノを、たきおんは冷ややかに見つめる。

「いいかい? そっくりさん(私達)はキミ達の複製だ。『今のキミ達』と言う一場面だけを切り取った、ね。成長も無ければ、変化も無い。ソレは外面だけでなく、内面も同様。いや、変化が望めない以上、『ソレ』の意味はオリジナル(キミ達)よりも重要だ」

 昏い輝きが、見つめる。

「何よりも、優先するんだよ」

 彼女の瞳が。偽デジタルの瞳が。

「何も無い私達の証明。即ち、オリジナルが想う対象。その存在」

 カフェを。彼女達を。

「己の存在よりも、優先してしまう程に。例え、どんな形であろうとね」

 絶対に、無くさない。

 放さない。

 と。

  

 ◆

「マックイーン!」

 鎖に裂かれた胸から真っ赤な華を散らして倒れ伏した彼女を、トウカイテイオーは飛びつく様に抱き起こした。

「テイ……オー……」

「ダメ……ダメ……ダメだよ……喋らないで……喋らないで!!」

 直視するのも恐しい惨状。加えて、ソレを刻まれたのは誰にも代え難い『あの娘』の姿。

 血が下がり切った頭がクラクラする。

 早鐘の様に跳ねる心臓が破裂しそう。

 ガチガチと鳴る歯が止まらない。

 今にも卒倒しそうな意識を懸命に繋ぎ止めながら、制服から引き抜いたリボンを傷口に当てる。震える手から落ちそうになるソレを、もう片方の手で力任せに。

 でも、止まらない。

 吹き出す命の欠片が、全ては無駄と嘲る様に。

「チクショウ……チクショウ……!」

「テイオー……」

 彼女の手が、テイオーの手に触れる。

「手が……汚れて、しまいます……わ……」

「そんな事、どうだって良い!!」

 泣きじゃくりながら喚くテイオーを、とても。とても嬉しそうに眺めて。

「わたくしは、もう……消えるけど……」

「何言ってるの!? 諦めないで!」

「聞いて、くださいな……」

 駄々をこねる愛子(まなご)に、優しく諭す。

「『アレ』に、抵抗しては……駄目でしてよ……?」

「……何……言ってるの……?」

「貴女が……逆らわなければ、何も……しません……。要り用だから、連れてきた……」

「そんな……事……」

 戦慄きながら、首を振る。

 そんな事、無理だと。

 『キミ』を、こんな姿にされて。

 仇撃ちなんて、無理だと分かってる。

 それでも。

 それでも。

「言う事を……聞いて、ください……な……」

ーーわたくしを、無意味にしないでーー。

「ーー!」

 息が止まる。

 そう。

 彼女は、テイオーを。テイオーの脚を、守る為に。

 そのテイオーが、結局壊されてしまえば。

 彼女の、した事は。

「…………」

 頷く。

 憤りも。

 怖さも。

 悲しみも。

 今は。

 キミの、為に。

 見つめる目に、意志を察して。

「ありがとう、ございます……」

 微笑む彼女の、手を握る。

「ゴメン……ゴメンね……。ボク、何も……何も……」

「いいえ……」

 傷に落ちる涙が、痛みを癒す。

「呼んで……くれましたね……」

 真実の、意志で。

「だって……だって、キミは……」

「見えますか……? わたくしの……顔……」

 尋ねる彼女の顔に、もう霧はかかっていない。

 其処に在るのは、紛う事ない。

 頷くテイオー。

 空っぽが、満たされる。

「ああ……良かった……」

 充分。

 もう、それで充分。

 だから、後は託す。

 この箱庭の外。

 もう一人の自分に。

 この愛しい人の傷を。

 抱きしめてあげてと。

 貴女しか、出来ないから。

「……貴女の行く道が……」

 最期の力で、手を伸ばす。

「絶えぬ光で、満ちます様に……」

 濡れた頬を、優しく拭って。

 それを掴む手が、温かい。

「満たしてくれて……ありがとう……」

 そして、ありったけの。

ーーわたくしの……トウカイテイオー……ーー。

 最期に、笑顔を。

 華の様に綻ばせ。

 メジロマックイーンになりたかった彼女は。

 確かに、メジロマックイーンとして。

 霧となって。

 溶けて散った。

 ◆

「マヤノ君。アマゾン君。キミ達は、何故自分達が此処にいるか理解しているか?」

 急に話を振られてキョトンとする二人。

「それは……」

「デジタルちゃんが……」

 言いかけて、『アレ?』となる二人。

「……覚えて、ないんですか?」

 悩む二人に、カフェが問う。

「言われてみれば、確かに……」

「気がついたら、アマゾンさんと一緒にデジタルちゃんの前にいたんだよね。その前の記憶が……」

「仕方ないですね」

 ただただ首を捻るばかりの二人を見て、困った様に笑う偽デジタル。

「あたしが最初に見つけたのは、マヤノしゃんです。『加護』のお陰で、箱庭の影響が少なかったですから。『あの方』との間に、介入する事が出来たんです」

「あの方……? 介入……?」

「それでもしかしてと思って探して見たら、案の定アマゾンしゃんも同じ様な状態で見つけました。やっぱり『加護』のお陰で影響が薄かったですね。だから、後は同じ様に」

「二人を隣接させたのは得策だったね。『加護』が相乗効果で強くなり、ギリギリ箱庭の影響力を上回った」

「気づけたのは僥倖でした。それにしても『あの方』のお二人に対する愛。某、行程で何度尊死した事か」

「生死の境を彷徨いながらの護衛業、キミらしいねぇ」

「いえいえ。この命、全て推しの為ならば〜」

 偽アグネスのに勝手に乗っかって進め始めるたきおん。置いてけぼり食いそうになったアマゾン、慌てて引き止める。

「ちょっと待っておくれよ! 一体何の事なのさ? 加護とかあの方とか」

「……キミ達顕界の存在は、一部の例外を除いて神秘の領域には極めて無力だ」

 たきおんはそう言うと、視線を三人に戻す。

「だがね、たった一つ。神秘に対抗し得るモノがキミ達に共通して存在する」

 カフェの身が、ピクリと動く。

 それは、彼女が敢えて此の箱庭に囚われた理由。

「……それは……?」

「『精神』だよ」

 向き合うカフェの胸を指差す。

「霊とか魂とか言う概念があるが、キミ達の中に宿るソレは肉体とは別位相のモノ。正しく神秘の領域の存在だ。精神とはそこから発生する概念現象であり、それもまた神秘と言える。即ち、神秘に対して干渉出来得る代物だ」

 古来より、人の精神力が妖や魔に抗う例えは多々ある。それが、その証左。

「無論、怠惰な日常に胡座をかいた精神では高位相の神秘に抗う術は無い。だが、キミ達はアスリートだ」

 アスリート。

 己が行く道を見出し。

 その高みを目指して、日々研磨する者。

 そして、肉体と精神は干渉し合うモノで。

「そんなキミ達の精神が、そうそう『やられるだけ』とは限らない。そして、その実証となったのが……」

 たきおんの指が、マヤノとアマゾンを示す。

「キミ達を守る『加護』だ」

「マヤ達の……?」

「いや、だからその加護って……」

「キミ達二人を想う者。その精神の残滓さ。キミ達の存在に強く紐付き、世の悪性への抗体となっている」

 思いがけない言葉。

 戸惑う二人。

「マヤ達を……」

「想う……?」

「分からないかい?」

 たきおんは笑う。

 察しないのが寧ろ『らしい』と言う様に。

「マヤノ君。一昨日も『彼女』を辟易させただろう? 併走して勝てたらショッピングに付き合えと約束させたそうじゃないか。まあ、『勝てば問題ない』と言ってたそうだが」

「……あ……」

「アマゾン君。彼女、この間ブツブツ言っていたぞ? 弁当にやたら野菜を多く入れて来るから参っている、とね。もっとも、『味は良いから食えなくはないが……』と言ってた辺り、残す気はサラサラ無い様だが?」

「…………!」

 告げられた言葉に、二人の脳裏に浮かぶ姿は一人。

 大鷲の翼の様に揺れる黒髪と、常に闘志が燻る眼差し。鼻頭に貼った、トレードマーク。

「ひょっとして……」

「ブライアン、さん……?」

「そう。キミ達を守っていたのは、ナリタブライアン。彼女だよ」

 ようやく気づいたか? と言う顔でたきおんは続ける

「二つ名『影をも恐れぬ怪物』。己の影に怯え、されど逃げる事無く向き合い。遂には捻じ伏せた。オリジナル(キミ達)の影であるそっくりさん(私達)にとっては、天敵とも言える精神性だよ」

「アイツ……」

「『大切な者の想いが、キミを守る』。古くから散々使い回された『設定』だが。どうしてどうして。永く残るモノには相応の真実が潜むモノさ」

「で、でも……さ?」

 聞いていたマヤノが、モジモジしながら。

「それ、ホントなの? ブライアンさん、いっつも無愛想で……マヤがどれだけアプローチしても……だったんだよ?」

「まあ、その手合いの想いにも色々あるが……」

 ニタニタしながら、たきおん。

 正しく。相手を大事にと一口で纏めても。恋心、友愛、親心、ライバル心

……と千差万別いろどりみどり。

「それでも、ブライアン君がマヤノ(キミ)を憎からず思って……否、大事にしていたのは確かだろうよ。現状、キミらの状態が何よりの証拠さ」

「ふ……ふぇええぇええ!!??!」

 真っ赤な頬を両手で抑えてクネクネ悶絶するマヤノを、よしよしと撫でるアマゾン。

「良かったね。マヤノ」

「うん……うん!」

 それが、どんな形であっても良い。

 大事に。想ってくれている。あの人が。

 ただ、それだけで。

「アレ? でも……」

 ふと気が付いたマヤノが、アマゾンを見る。

「それだと、マヤとアマゾンさん……恋敵になっちゃうの?」

「はぁ?」

 ポカンとして。呆れて。そして、心底心配そうなマヤノの顔を見て。

 プッと吹き出した。

「アハハハハ、何バカな心配してるんだい?」

 笑いながら、マヤノの頭をポンポンと叩く。

「大丈夫だよ。アタシとアイツはそんなんじゃないからさ」

「え……でも……」

「たきおんも言ったろ? 大事って言う気持ちは、アンタが思う様な形ばっかりじゃないって」

「う~ん……良く分かんないなぁ……」

 小さな頭を捻るマヤノ。亜麻色の髪をまたクシャクシャと梳いて。

「ま、アンタももう少し大人になったら分かるさ」

「む~! マヤ、ちゃんと大人のレディーだよ!?」

「アハハ、そうだったね。ゴメンゴメン」

 戯れ合う二人の姿に、久方ぶりの安らぎを得ていたカフェ。けど、ふと一つの疑問が脳裏を過ぎる。

 ブライアンがマヤノとアマゾンを想っていたのは間違いの無い事。そして、二人もまた形はどうあれ彼女を想っている。

 それならば。

 この箱庭の理(ルール)において、存在しなければならない者が居る。

「……ブライアンさんの……」

 呟いた言葉に集まる、皆の視線。

「ブライアンさんのそっくりさんは……どうしたんですか……?」

「へ?」

「あ……」

 キョトンとするマヤノ。

 ハッとするアマゾン。

 そして。

 目を細めるたきおん。

 顔を逸らす、偽デジタル。

「……オリジナルの影としての体裁を整える為に、取り込んだ者の番(つがい)を造る……。それがこの箱庭の理(ルール)の筈です……。なら、マヤノさんとアマゾンさんの番(つがい)としてブライアンさんのそっくりさんが居る筈では……」

「そう言えば……」

「それは……」

 考え込むマヤノとアマゾン。

 探る記憶の果て、朧げな霧の中。

 浮かぶのは、微睡む自分達に寄り添うーー。

「いた……!」

「いたけど……アイツ……いや、アレは……」

 戸惑う二人。どうしたのかと、カフェが訊こうとした時。

「……いませんでしたよ?」

 平坦な。

 酷く真っ平な声が響いた。

 皆が見る先には、偽デジタル。

「デジタルちゃん……?」

「お二人の側に、ブライアンしゃんはいませんでした。いたのは、『成り損ない』だけです」

「なり、そこない……?」

「そっくりさん(私達)とて、何も無から生じる訳じゃない」

 意味を取りかねるカフェに、たきおん。

「神秘の領域とは言え、流石に母(プーカ)も神じゃない。そっくりさんを造るには、其処らにある『何か』を『核』にする」

「核……?」

「それにキミ達オリジナルの情報をトレースしてそっくりさんを産み出す訳だが……中には何かしらの原因でまともな存在に至れない場合がある。影にすら成れない哀れな何か。それが……」

 

ーー成り損ない、さーー。

 

 嘲りとも悲しみとも取れそうな声。顔。

 何かしらの影響。

 ブライアンの加護か、とカフェは理解する。

「それでも、紐づけられた意義は変わらない。そんな有り様でも、想いの対象へと執着する」

 そんなになっても……。

 悪寒。

 強い妄執。でも、それもまたオリジナル(自分達)の内面の生き写し。

「……みっともないですよ」

 偽デジタルが、憎々しげな声で呟く。

「そんなんじゃ自分の制御も効かなくて。推しにベッタリ張り付いて縛り付けるんです。あのままじゃあ、アマゾンしゃんもマヤノしゃんも……。自分の我儘で推しに迷惑かけるなんて、オタクの恥です。あっちゃいけない在り方です。だから……」

 

ーーあたしが、『ケジメつけた』んですーー。

 

 空気が凍った。

 彼女の言葉の意味。

 気づきたくは無かったけど。

 まさかとは思っていたけれど。

 彼女の表情。

 声音。

 目の輝き。

 察せない程感の鈍い者は、生憎一人もいなくて。

 それでも。

「……デジタルさん……馬鹿な事を……」

「カフェ」

 否定したいカフェの喘ぎを、たきおんが遮る。

「さっき、彼女から渡されたモノがあるだろう?」

「…………!」

 思わず、スカートのポケットを押さえる。

 中には、一振りのカッターナイフ。そして、ソレには。

「血が、付いていただろう?」

「ーーーー!」

 息を飲むカフェ。彼女は、無情に告げる。

「アレは、誰のモノだと思っていたんだい?」

「それ……は……」

 考えなかった訳ではない。

 ただ、答えに行き着きたくなかっただけ。  

「言っただろう?」

 でも。

「そっくりさん(私達)も、死ぬのさ」

 そんな甘えは許されないと。

「キミ達と、同じ様に。慈悲無き暴力によって」

 沈黙。

 誰も、二の句が告げずに。

 やがて。

「デジタル……ちゃん……」

 マヤノが、呼んだ。

 真っ青な顔で。

 震える声で。

「ウソ……だよ、ね……?」

「…………」

 偽デジタルが、瞳だけ動かして。

「デジタルちゃんが……ブライアンさんを……なん、て……」

「分かってないですね」

 返って来たのは、別人の様に冷たい声。

「アレは、『成り損ない』です。あんなモノをナリタブライアンと呼ぶなんて、侮辱を通り越した侮蔑です。勿論……」

 マヤノを映す瞳が、昏い。

「ウマ娘(貴女達)の側に居るなんて、とんでも無い事です」

 それは、正しく信仰の意。

 愛する者を、絶対と讃える狂信者の彩。

 恐らくは。

 アグネスデジタルと言う少女から、凡ゆる善性を取り去った深淵のなお暗部。

「ああ、でも……」

 一切の不純物を含まない、無機な冷水の様な声音が囁く。

「最期の声だけは、ブライアンしゃんでしたね」

 

ーー失敗作の、くせにーー。

 

「ーーーーっ!!」

 ビクリと震えたマヤノ。その時の彼女の顔を、カフェもアマゾンも知らない。

 その顔は、佇む偽デジタルにだけ向けられていて。

 それを前にした、偽デジタルの表情は。

 次の瞬間。

 

「ーー化け物っ!!」

 

 彼女のモノとは。

 マヤノトップガンのモノとは思えない絶叫が一つ。

 それを偽デジタルに叩き付け、マヤノは部屋の外へと飛び出して行った。

「マヤノ!!」

 彼女を追って、アマゾンもまた。

 黙って見送ったたきおんが、残ったカフェに訊く。

「キミは行かないのかい?」

「……はい。アマゾンさんが行きましたので……」

「先の話を聞いていたかい? ブライアン君の加護は彼女ら二人分でようやくなんだぞ? 行った先で他の生徒と行き会えば、加護が分散して弱まる。また、囚われてしまうかも……」

「大丈夫です」

 言い終わる前の、断言。

「何故?」

「……彼女が、追おうとしませんから……」

 見つめるのは、佇んだままの偽デジタル。

「なら、そう言う事でしょう……?」

「……まだ、信じてくれるのかい?」

「……彼女は、何も裏切ってはいません。全て、マヤノさんとアマゾンさんを助ける為にした事です。寧ろ……」

 あまりに、誠実であり過ぎる。己の醜ささえも、隠しておけない程に。

「……不器用ですね。貴女達は……」

「……まあ、キミ達の世界で生きるには……向いてないだろうねぇ……」

 苦笑するたきおん。

 でも、何処か嬉しそう。

「マヤノさんなら、大丈夫です……。必ず、分かってくれます……」

「……信じてるんだねぇ」

「……ウマ娘(私達)を、無礼(なめ)ないでください」

 言って、たきおんに向き直る。

「……だから、私は私のやるべき事をやります……」

 見つめる眼差しは、真っ直ぐに。

「私が『その為』に来たのなら、貴女は『その為』に生まれたのでしょう……?」

 真理を、見通す。

「貴女達が私達にソレを望むのならば……私は、ソレを与えます……」

   

ーー貴女達の命に、確かな意味をーー。

 

 たきおんは微笑む。

 そう。例えどんな軋轢があろうとも。

 どんなに嫌悪と敵意を向けられようとも。

 そっくりさん(私達)はオリジナル(キミ達)を諦めはしない。

 虚しい虚偽を救えるのは。

 いつだって、たった一つの真実だから。

 

 ◆

 

 紗羅紗羅と溶けていく霧の中、トウカイテイオーは確かに知った。

 『満たしてくれて、ありがとう』と遺したあの子。でも、奥に隠して。持って行こうとしていた、本当の願い。

「……マックイーン……」

 彼女の名を呼ぶ。

 確かにキミは、自分が『そう想う』メジロマックイーンではなかったけれど。

 それでも、あの瞬間確かにメジロマックイーンだった。

 可能性は、一つじゃない。

 なら、あんな在り方のキミがいたって良い。

 そして、キミがマックイーンなら。

 ボクはキミを想うよ。

 大好きなマックイーンとは違うけど。

 それでもキミにだけ向ける、想いを。

 想いの形だって、一つじゃないから。

 髪の毛に、触れる気配。

 とてもとても。

 冷たい気配。

 ソレを、ピシリと叩いて払う。ありったけの、拒絶の意思を。

 振り向けば、此方を見下ろす悪性妖精。

 あの子を殺めても。拒絶されても。

 何の感情も動かない目。

 五月蝿い蝶を潰す。摘んだ蟻が足掻く。

 認識なんて、きっとそんなモノ。

 でも。

「触らないで」

 毅然と放つ。

 面倒臭そうに細まる、金色の目。

 チャリと鎖が蠢いて。

「触らないでって、言ったでしょ?」

 言って、立ち上がる。

「自分で、歩くから」

 歩き出すテイオーを、不思議そうに眺めて。

 まあ良いかと、歩き出す。

 もう別の何かに移る関心を察しながら、テイオーは抜いていたリボンをまた制服に結び直す。

 白い布地に染みる朱は、あの子が在た証。

「……連れて行くから。キミの、願いも」

 そして、必ず。

 濡れた目を、グイと拭って。

 

 二人の姿が帳に消えて。

 何処か。

 何処かで。

 どうか。

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