鎖影の庭   作:土斑猫

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【欲 し い】

「会長、お茶が入りました」

「ああ、ありがとう」

 机に淹れたての紅茶を置くエアグルーヴに、シンボリルドルフは書類を読む手を止めて笑いかける。

「大分、お疲れの様です。少し、お休みになられては?」

 目の下に薄く隈を浮かべたルドルフを見て、そう進言するグルーブ。ソレに『ありがとう』と返しながら、それでもルドルフはやんわりと断る。

「ファインモーションの件が解決するまでは、少しの時間であっても惜しいんだ。光芒一閃 。物事は、どんな切っ掛けで急転するか分からないからね」

 そう言うルドルフを、グルーヴのは少し冷ややかな眼差しで見る。

「……正直、同意しかねます」

「ふむ?」

「余りにも、先が不透明です。終わりが見えないのにこの状態を続ければ、会長が尽きてしまいます。身体的にも、精神的にも」

 陽が落ち始めた生徒会室。ゆっくりと満ちていく闇の中で、エアグルーヴの姿をした『彼女』の目だけが妙に明るく。

「……拘るのは、やめるべきです」

 声が囁く。

「貴女の身は。皇帝・シンボリルドルフと言う存在は、一生徒の為だけに消費されるべきモノではありません」

 

ーーもっと、多くのウマ娘の糧となるべきモノですーー。

 

 『彼女』を模るには、余りにも無機質な言の葉。

 それでも。

 

ーーそうーー。

 

 囁かずにはいられない。

 届かない様に。

 聞こえない様に。

 そっと。

 

ーーあの時、救ってくれなかった私達の為に。今度こそーー。

 

 その為に。

 私は。

 トレセン学園(此処)に。

 

「……まるで、もうファインモーションは戻って来ないと知っている様だね」

「申し訳ありません。言葉が過ぎました」

 素直に謝る。返って来た声音の辛さに、少なからずの愉悦を得ながら。

 「いや、謝らないでくれ。私の身を案じてくれてと言う事は、理解しているよ」

 ほら、所詮その程度。

 自分に酔って、現実にすら気づけない。

「けど、私の方もその提案を受ける事は出来ない」

 彼女の意図なぞ気づかぬ素振りで、ルドルフも言う。

「私の願いは、全てのウマ娘が幸せになれる世を造る事だ。ファインモーションも、その一人。諦める事は、出来ない」

 浅い。

 浅い。

 浅い。

 意識ばかり高くて、己の器も測れぬ偽善者。

 嘲りと侮蔑。そして、怨嗟。今にも溢れ漏れそうなソレを理性で押し込め、それでも皮肉を一つ。

「……甘い、ですね」

「甘さが無ければ、此の世は地獄」

 ピクリと、目を細める。

「換骨奪胎……とも言えないな。以前読んだライトノベルの受け売りさ」

「……貴女がそんなモノを嗜むとは、意外です」

「そう馬鹿にしたモノじゃないよ。親しみ易い文体の中に、著者達の思想や知識は十分に詰まっている。場合によっては、人生の指針の一つだって見つけられる。同じ、『人』が造るモノだ。決して、一般文学に劣るモノじゃない」

 『そんなに堅物じゃないつもりなんだけどね』などと苦笑しながら、話を元に戻す。

「甘いのは百も承知さ。私に、そんな力が無いのも自覚している。悔しいけどね。それでも……」

 ほんのちょっとの間。まるで、想い人の前で大事な決意を告げる様に。

 

「私は等しく、全ての同胞を救いたい」

 

「…………」

「それは、素手で浜辺の砂をすくう様なモノだ。一人ですくえる量はたかが知れていて、手の中に収まった分も指の隙間から落ちていく」

 見つめる、自身の手。その卑小さ、無力さに向き合う様に。

「けれど、それは一人での話だ。幾人もの手を重ねれば、すくえる量は増える。零れる砂も、受け止められる。例え、全てでは無いとしても」

 握り締める。

 その中にあるモノは、決して落とさないと。

「だから私は、仲間を募る。私と願いを共有し、共に手を重ねてくれる仲間を。『エアグルーヴ』も、その一人さ。そして……」

 感じた違和感の意味を理解する前に、答えは向こうから飛んで来た。

 

「願わくば、『君』にも仲間になって貰いたい」

 

 ビクリと震えた手から、ティースプーンが落ちた。

 振り返ろうと思ったが、出来ない。確かな、視線を感じたから。

「……仰っている意味が、分かりません……」

「言った通りの意味だよ。君にも、力を貸してほしい」

 絞り出した問いに対する答え。

 あまりにも、明確。

「『エアグルーヴ』は仲間と仰ったではありませんか……? なのに……」

「そう。エアグルーヴは、大切な仲間だ。エアグルーヴだよ。君じゃ、ない」

「何の……事か……」

「いつから、紅茶の仕立てを変えたんだい?」

「!」

 あり得ない、と思った。自分は、エアグルーヴの影。写し身。彼女の流儀。所作。癖。全てはそのままの筈。

 けれど。

「違うよ」

 極みたる皇帝は、揺れる事無く。

「お茶の風味には、淹れた者の心が溶ける。茶葉の産地とか、銘柄とか。あるいは技術とか。そんなモノとは異なる次元の、もっと根底的なモノだ。そして、此れは『彼女』の味とは違う」

 断言する。

 

「君は、エアグルーヴじゃない」

 

 絶句。

 それを肯定と受け取り、ルドルフは続ける。

「君が此処に現れた日から、気づいていたよ。その上で、泳がせて貰った。意図を、知りたかったからね」

 冷たい汗が、滲み出る。

 理解した。

 浅かったのは、自分の方。

 甘く見ていた。侮っていた。

 この皇帝の力を。

 ハリボテと。

 権威を傘に着るだけの御輿と。

 そう思っていた。

 思おうと、していた。

「何日か仕事を共にして、確信したよ。君が、エアグルーヴではない事。そして……」

 手が、泳ぐ。

 溺れる者が漂う藁を頼る様に、掴んだのはペーパーナイフ。

 此方にも、確信があった。

 もう、誤魔化しは効かないと。

 あまりにも、賢し過ぎる。

 自分では、抗う術が無い。

 けれど、『ソレ』を証明されてしまえば。自分はーー。

 それならば、いっそ。

 汗で滑る手に、力を。

 

「君が、私達の力になってくれる者だと」

 

「……え?」

 思いもしない言葉に、頭が真っ白になった。

「何を……言って……?」

「言った通りだよ」

 椅子から、立ち上がる音。思わず振り返った先に、凛と立つ皇帝の姿。

 生徒会室の窓に浮かぶ真円の月。その光を背に負う姿を、彼女は美しいと思った。

 心の、底から。

「君の仕事ぶりは、素晴らしかった。エアグルーヴの作法とは違うが、遜色無い程に。そして、何より……」

 真っ直ぐに見つめる瞳。深いアメジストの輝きの中に、彼女は自分の姿を見る。

 エアグルーヴの影では無い、自分自身の姿を。

 皇帝が。

 シンボリルドルフが。

 自分を見ている。

 他の何者でも無い。

 『私自身』を。

「君は、私の知り得ない闇を知っている」

 証左の言葉。

「私が、私であるが故に思い及ばす事が叶わない痛みを知っている」

 彼女が、歩み寄る。

 彼女は、後ずさる。

「私よりも、世界の闇を見透かせるその眼差し。必ず、私が己の傲慢故に救えなかった痛みを示してくれる」

 告げる言の葉は、ただ一つ。

 

「君が、必要だ」

 

 胸の奥が鳴った。

 伽藍堂の筈の胸が。

 そんな意味じゃないと、分かっているのに。

「エアグルーヴを、返して欲しい。そして、彼女と。皆と一緒に、私に力を貸して欲しい」

 ああ、言ってくれるのか。

 私を、必要と。

 貴女に。

 皇帝に身染められた者達と。

 同じ価値が。意味が有ると。

 あの昏い穴ぐらの底で、負念に塗れて燻っていたこの身を。

「頼む」

 まるで、愛の契りを求む様に。

 差し出された手。

 夢現の中で、掴みそうになって。

 我に帰り。

 部屋を飛び出した。

 彼女は、追っては来なかった。

 そうだろう。

 あの人は、決して押し付けたりはしない。

 思いを告げて。

 選択はあくまで、此方の意思。

 荒い息を吐きながら、流した視線の先。踊り場に添え付けられた姿見。

 映るのは、自分に姿を貸した彼女。

「……『アレ』が、貴様が仰ぐ皇帝か?」

 恐怖と高揚に戦慄く口で、無理矢理笑って。

「……度が過ぎるにも、程があろう……?」

 高鳴る胸を、ギュッと握る。

「手に、負えん……」

 硝子板の向こうの彼女も、苦く笑った様な気がした。

 

 ◆

 

「やれやれ……ハラハラしたぜ……。怖いねェ、『自称』普通ちゃんは……」

 物陰から偽テイオーとナイスネイチャのやり取りを見ていたゴールドシップ。二人の姿が見えなくなった事を確認して、ようやくホッと息をつく。

 つきながら。

「もう済んだぜ。出て来いよ」

「……気づいてたのか」

 呼びかけに答えて暗がりから現れたのは、ナリタブライアン。

「そりゃあ、そんなピリピリした空気ばら撒いてたたらよ。どしたん? ご多忙な会長サマのお手伝いはよろしいので?」

「その会長の指示だ」

 ぶっきらぼうなブライアンの答えに、ゴールドシップは目を細める。

「何だよ。生徒会(あんたら)も気づいてらしたの? アレ」

「お前らが気付くモノを、私達が気付かない道理はないな」

 言って、偽テイオーが消えた方向を見つめる。

「なら、もっと盛大に動いてくれよー。アタシら善良な一般生徒だけじゃ、やれる事に限界があんのよ?」

「出来るなら、やっている」

 その言葉に、ゴールドシップの顔から戯けが消える。

「……女帝サマか?」

「ああ」

 予想はしつつも、嫌な答えに舌打ちする。

「なーんか、怪しいなーとかは思ってたけどよ……」

「厄介な事に、頭の切れ具合と仕事の早さは本物のエアグルーヴそのものだ。下手に動けば、事を成す前に潰される。会長がどうにかするとは言っていたが……」

 忌々しげな口調に見える苛立ち。察してゴールドシップは溜息をつく。

「ああ、ヒシアマ姐さんとマヤノのじょーちゃんか……」

 アグネスタキオンに頼まれて、怪しい生徒達の髪を抜いて回った時の事を思い出す。

 確かに件の二人からも、違和感を感じていたのだ。

「良く気付けたモンで」

「弁当の野菜が減ったし、絡み方もウザったさが足りん」

「……喜ばしい事なんじゃねーの?」

「調子が狂う」

 不器用な言い方の中に、彼女の二人に対する想いの大きさを感じる。

「言っておあげになったらどーよ? 喜ぶんじゃねーの? 特にマヤノのじょーちゃんなんかよ?」

「……何を言っているか分からん。アイツらは私の獲物だ。訳の分からん連中に掻っ攫われるのが気に食わないだけだ」

「……へいへい」

 『難儀だよなぁ。じょーちゃん達……』などと同情してしまうゴールドシップを他所に、ブライアンは先に進む。

「……それよりも、今のはどう言う事だ?」

 偽テイオーとカノープスメンバーとの決闘からの一連。起きた事象は、二人共に焼き付けている。

「分かんね。ただ、偽テイオーちゃんが『ヤバかった』のは確かだね」

「……レースで潰せば良いと言う事か?」

「ハッキリとは言えねー。方法論の一つではあるんだろうけどよ。ただ……」

 問題は、その後。

 そっくりさん達を消したとして、それがオリジナル達の帰還に繋がるのかが不明のまま。

 それが叶わなければ、そっくりさん達を消す意味も無い。

「それでも、何かしらの鍵になるには違いあるまい?」

「まぁ、な」

「なら、それで良い」

 言って踵を返すブライアン。

「何処行くんだよ?」

「会長へ報告だ。あちらの方も、何かしらの成果が上がっている筈だしな」

「いやいや、こっち手伝ってくんねーの?」

 わざとらしく嘆くゴールドシップに、ふんと鼻を鳴らす。

「一つに寄り集まると、手詰まりになった時に諸共だ。生徒会(私達)は私達なりにやる。お前達はお前達なりの方法で進めろ。アグネスタキオンとエアシャカールが組んでいるなら、十分期待出来る」

 『ああ、把握済みなのね』と苦笑。

「何か成果が有れば伝えろ。可能な限り協力する」

 残して去って行くブライアンの背に、『ヘイヘイ』と返す。と、ブライアンがその足を止めた。

「それと、『お前』にも言っておく」

 振り返らずに、言葉だけが。

 誰かに向けて。

「気持ちは分かるから、何かするのは構わん。だが、こちらの邪魔にならない様にだけ気を配れ。もし、下手を打って『アイツら』が帰って来れない様な事があったら……」

 

ーー絶対に許さないから、そう思えーー。

 

 一瞬、鋭い視線を肩越しに。

 そして、ブライアンの姿も夜闇の向こうへ。

「おおぅ、流石『怪物』。おっかねぇ……」

 肩を竦めながら戯けると、ゴールドシップは背後に向けて声がける。

「だってよ。お聞きになりまして?」

「当たり前です」

 夜闇の中から答える、新しい声。

「ブライアンちゃんからのメッセージ、私が聞き逃す筈無いじゃないですか」

 闇からまろび出る様に進み出て来たサクラローレルが、そう言って酷く嬉しそうに微笑む。

「いつからいたんだよ?」

「ブライアンちゃんのいる所、何処でも何時でもローレルありです」

 『……やっぱ重いわ、コイツ』と呆れつつ、ローレルの浮かれた顔を見る。

「嬉しそうな顔しちゃってまあ……。釘刺されたんだぜ。分かってんの?」

「私に向けてのメッセージには、違い無いでしょう?」

 何処かウットリした顔が、クスクスと笑う。

「相変わらずだねぇ。奴さんがアンタの事ライバルって見てないのは、分かってんじゃねーの?」

「だから、これから振り向かせるんです。彼女が最期に見つめるのが私の光であれば、ソレで良い」

 ロゼの輝きの中で、淡く燃える桜の華。その昏い情熱こそが、彼女の尽きぬ原動力。

「あのな……」

「マヤノちゃんとヒシアマちゃんの事ですか? ご心配無く。貴女達やブライアンちゃんの邪魔はしません。必要なら、協力だってしますよ?」

 ハッキリとした答え。虚言でない事が、如実に分かる。

「当たり前ですよね? あの娘達は大事な財産です。ブライアンちゃんをより鋭く気高く磨き上げ、もっと高みへ登らせる為の獲物。そして、その頂きに立つ彼女を撃ち墜とすのが私の目標。ブライアンちゃんに必要なモノは、私にとっても宝物」

「うわーお……」

 思わず引いちゃうゴールドシップ。それでも狂い咲く桜花の猛りは止まらない。

「時が来たなら、私が先にあの娘達を手折ります。ブライアンちゃんの目の前で。獲物を掻っ攫われた獣。その妄執が、全部私に。考えただけで、ゾクゾクしませんか?」

「すまねぇ。分からん」

「あら、残念」

 ゲンナリするゴールドシップを見て、また笑う。

「いつもの貴女なら、こう言った事には喜んで首を突っ込むでしょうに。やっぱり、『あの娘』が心配ですか? ファッションクレイジーさん?」

 ゴールドシップの顔が、スンと冷える。

「おいおい、おふざけも大概にしろよ? 狂い咲きのねーちゃん」

「ふふ、そうですね。少々、興が乗り過ぎました。思いの外、ブライアンちゃんの『毒』が効いた様です。でも……」

 ヒョイと腰を屈め、ゴールドシップの顔を覗き込む。

「言った事は間違いでは無いですよね?」

「…………」

「想う相手の心は向かず。けれど、奪った所で曇らせるだけ。ままならないですねぇ。お互いに」

 身を翻し、そのまま闇へ。

「いっそ、ホントに狂ってしまえればどんなに楽でしょうか?」

 降りた帳の向こうから、最後の声。

「精々、足掻こうじゃないですか。『ご同類』さま」

 遠ざかって行く、クスクス笑い。はぁ、と息を吐いて。

「……ソレが出来りゃあ、苦労はねぇんだよなぁ……」

 どうにもこうにも。道化の化粧を直さなければ、戯言を受け流す事もままならない。

「早ぇとこ、片付けねぇとなぁ……」

 そうぼやき、哀れな不沈艦もまた夜闇に沈む。

 

 ◆

 

 纏まらない心のままに、また窓の外に息を吐く。

 気温が低いのか、白く染まる息。寒さはまるで感じないのに、酷くあやふやな世界。

 それならいっそ、この痛みも苦悩も。この吐息の様に霧に溶かしてくれれば良いモノを。

 また、一息。

「あー、もう!」

 グルグル回る思考を追い出そうと、亜麻色の髪をグシャグシャと掻き回したその時。

「やれやれ、此処に居たのかい?」 

 振り向けば、苦笑いしながら腕組みするヒシアマゾン。

 優しい笑顔に、ヘニャリと弛む気持ち。

 次の句が注がれる前に、マヤノトップガンは大好きな先輩兼手強い恋敵の胸へと飛び込んだ。

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