遅く、寮室に戻って来たエアシャカール。フラフラとベットに近寄ると、着替えもせずに倒れ込んだ。
「……今、お帰りなのですか……?」
隣りのベッドで寝ていたメイショウドトウが、声をかけた。心配で、寝付けてなかったらしい。
「…………」
「この所、毎晩です……。トレーニングに障ります……。身体にだって……」
「……うるせぇ」
拒む言葉。張り詰めた糸の響きに、メイショウドトウは口を紡ぐ。
「お前にゃ関係ねぇ……。黙って寝てろ……」
「……はい」
言われて、毛布に潜り込む。
ここの所のエアシャカールの様子は、明らかにおかしかった。
食事をろくに取れていない。
そのくせ、トレーニングにはタガが外れた様に過剰に打ち込む。
その後は、クタクタに苛め抜いた身体を休ませもせずフラリと消える。学園を抜け出し、夜の街へ消える姿を見たと言う話も聞いた。
そうかも知れない、とも思う。
遅くに帰ってくる彼女の身体からは、微かに汗と煤けた街の匂いが香るから。
トレーナーの注意にも、耳を貸さないらしい。
元々トレーナーに対して反抗的なスタイルではあったが、ソレは自身の精密な論理に基づく信念があったからこそ。
故に、ソレを汲み取れる今のトレーナーと会ってからは上手くやれていた筈なのに。
今の彼女は、まるで指針を失っている。
下手をすれば、そのまま破滅に突っ込みかねない程に。
実際、望んでいるのかもしれない。
引退を、考えていると聞いた。
何もかもを片付けて、そのまま……。
嫌な考えを、頭を振って消そうとする。元よりネガティブに傾き加減な自分ではあるが、過ぎた妄想の分を切り捨てたとしてもなお今のエアシャカールは危うい。
「らしくないですよぅ……。全然、論理的(ロジカル)じゃないですよぅ……」
普段の彼女の優しさを知るメイショウドトウにとって、今の姿は余りに痛い。
呟く耳に、寝息が届く。
寝入ったのだろう。けれども、酷く浅いソレは安らぎとは程遠く。
きっと、日が昇る前には彼女は目覚めてしまうだろう。そしてまた、癒しようもない喪失を抱えて彷徨うのだ。
閉鎖された可能性の迷宮を。
「……救いは、無いのですかぁ……?」
答えられる者は、誰もいない。
鎖が鳴る。
夜闇の何処かで。
チャリチャリと。
◆
学園の中で、不思議な噂が流れ始めていた。
曰く。消灯後の寮の中を歩き回る者が居る。
曰く。誰もいない筈のターフでチャリチャリと鎖を引き摺る音がする。
曰く。会話をしていると横から知らない声が割り込んで来る。目を向けても、誰もいない。
怪談話としては、さして珍しい部類でもない。
けれど、怪談は又聞きの又聞きだから楽しめるモノ。実際に自身が体験したとあっては、穏やかでいられる方が少ない。正味、胡乱な噂と言うにはかの事象は些か各々の体験談の内容が統一され過ぎていた。ソレはその事象に確かな実体がある証左。生徒達の間に、滲む様に広がっていく不安と恐怖。ソレ自体が神秘であり、生物学的にも強靭な部類に入るウマ娘と言えど。
それ以上に得体の知れない領域はやっぱりコワイ。
「ちょ、ちょっと待って下さ〜い!!」
窓の下から響く悲鳴。何事かと覗いてみれば、大勢の生徒達の追跡から必死の形相で逃走するマチカネフクキタルの姿。
「私が出来るのは占いであって、除霊やお祓いは専門外なんですってば〜!!」
どれだけ説明しても、恐怖と不安で半ば暴徒と化した生徒達は聞いちゃくれない。
一人を大勢で追い回すその様は、正しく哀れな子鹿を狩る餓狼の群れ。
「助けて〜! シラオキ様〜!」
尾を引く絶叫を残して視界を去って行く団体を見送り、マンハッタンカフェは持っていたコーヒーのカップを口に運ぶ。
「フクキタル君も災難だねえ。まぁ、興味の無い者にとっては占いもまた、オカルトの一種と言う事かな?」
部屋の奥で何やら作業していたアグネスタキオンが、そんな風に言った途端。
「ふんぎゃろ〜〜!!」
集団が去って行った方向から断末魔。
「おや、逃げ切れなかったか。スタミナに不安があるのかも知れないねえ」
などと言って、クックと笑うアグネスタキオン。
「助けに行かなくて……良いんですか……?」
「大丈夫だよ。獲って食われる訳でもないだろう?」
まあ、そりゃそうだ。
納得して、コーヒーを啜る。
「ソレにしても、短い期間ですっかり話題が浸透してしまったねえ。やはり、他の又聞き前提の怪談話とは些か性質が違うと見るべきか」
「……さっきから……何をしてるんです……?」
アグネスタキオンの手元を見たマンハッタンカフェが訊く。何やら大きな紙に、マーク付けをしているらしい。
「ああ、気になるかい? 丁度いい、大体終わった所だ。こっちへおいで」
そう言って、ちょいちょいと手招きする。
言われるままに近づいて覗き込む。
「此れは……?」
「トレセン学園の見取り図さ」
「ソレは分かります……。この、沢山の赤いマークは……何ですか……?」
「例の怪異とやらが、出現した場所さ」
思わぬ言葉を聞いて、目をパチクリする。
「どうしたんだい?」
「ひょっとして……調べてたんですか……?」
「まあね、意外かい?」
意外である。
「貴女は、こう言う手合いには興味を持たないモノと……」
首を傾げる相方を見て、愉快そうに笑う。
「まあ、そこらの空虚な戯言ならその通りさ。だが、今回の事例は明らかに何かしらの『中身』がある。得られるモノが有り得るならば、手を出して見るのも一興だろうよ」
まだしっくり来ない様子の彼女に、グイと顔を寄せる。
「カフェ」
「!?」
「君は些か勘違いしている様だが……」
驚く瞳に、間近に迫った瞳が映る。
何処か常人とは違う輝き。未知への探訪と言う、終わりなき餓欲に満ちた狂人の目。
「科学とは、神とやらが敷いた限界に至る為のモノでは無い」
その輝きが、確かにマンハッタンカフェを魅了する。
「その限界の先に座す、神そのモノをこの手中に引きずり落とす為のモノだ」
ああ、そうだ。
「其処に到達する為なら、私はあらゆる知識を貪り尽くす」
宵闇の少女は思い出す。
此の人は、こう言うモノなのだと。
「全ては、その為の手段であり道具だ。人も、ウマ娘も、私自身も。そして……」
ぶかぶかで、怪しげな薬品の香が染み付いた袖。それが、マンハッタンカフェの顎をクイと上げて。
「君もまた、その例外ではない」
私は、だからこの狂った光の影である事を選ぶのだ。
薄く笑んで、持っていたカップを机の上に。
「では……」
空いた手で、己の顎を掴む袖越しに。
「その道具の私に……」
此方こそ、逃がす気はないと握り締める。
「貴女は、何を望みますか……?」
そう。餌など幾らでもくれてやろう。
私と言う影が、貴女と言う光を呑み喰らうその時まで。
捧げられた贄としての言葉か。それとも孕む真理を見てか。
飢え狂う光は、舌舐めずりする様に綺麗に笑んだ。
「……赤いマークは、此れまでに観測された怪奇現象の出現位置だ」
カフェの前に広げた見取り図を示しながら、タキオンは説明する。
「……広い……と言うか、ほぼ敷地の全域ですね……」
「そうさ」
マンハッタンカフェの言葉に、頷く。
「各教室や施設、寮、ターフは勿論、果ては用具置き場や地下牢に至るまで。この手の怪異は理科室なら理科室、トイレならトイレと観測される場所が固定されるのが定番だが、この点だけでも変わり種だと言う事が分かる。と言うか、此れはまるで……」
「……トレセンの構造を、調べている……?」
その呟きに、ニヤリとする。
「そうだよ、カフェ。コイツ……仮に『TYPE・U』とでも呼称しよう。TYPE・Uは、明らかな目的を持って『巡検』している。それこそ、トレセンの構造全てを把握しようとするかの様に。そして……」
赤ペンを持った手が伸び、見取り図にマークを加える。
「此れが、昨夜TYPE・Uが観測された場所だ」
マークが打たれた場所を見て、マンハッタンカフェは目を細めた。其処は、唯一マークが記されていなかった箇所。全ての空間が、埋まった。
「そう、巡検は終わったんだよ」
アグネスタキオンは断言する。
「私の考えが正しければ……」
彼女の目が、昏く輝く。言い知れぬ高揚に、沸き立つ様に。
「TYPE・Uの行動は、次の段階へと移る」
「……次の段階、とは……?」
「さあ? ソレを推測するには、流石に情報が足りないねえ」
わざとらしくお手上げのポーズを取るアグネスタキオン。
「……楽しそうですね……」
「楽しいさ」
悪びれも無く答える。
「まだ私の知が及ばない領域があるかと思うと、ゾクゾクする」
その言葉が孕むのは、人智外に対する畏怖でもなければ敬意でもない。
如何にその領域を喰い荒そうかと企む、捕食者の熱情。
「さて、それでだ」
クルリとマンハッタンカフェの方を向く。またグイと顔を寄せ。
「君は見たのかな? TYPE・Uの、姿を?」
当然の問い。
マンハッタンカフェと言うウマ娘が、常人とは違う世界を見ている事は公然の事実。であれば、その異界の住人であろうTYPE・Uも彼女の視界に入っているは道理。
しかし。
「……見て、いません……」
答えは、真逆。
「ほう……?」
彼女を見つめる。猜疑ではない。好奇心。
「奇妙な話だ。TYPE・Uは先にも言った通り、トレセン全ての場所に現出している。そう言ったモノに親和性を持たない一般生徒も遭遇している。君の目に止まらない筈はないのだが」
「……誘導されています」
「誘導?」
「ええ……『お友だち』が、行かせてくれません……。TYPE・Uが、居る場所へ……」
実際の所、件の怪異に興味を持たなかった訳ではない。
その正体を確かめようと、気配を感じる方向へ行こうとした事が何度かあった。けれど、その度に。
「お友だちが……入ってきます……。気づくと、別の場所に……」
マンハッタンカフェの隣人たる『お友だち』は、彼女にとって基本無害の筈。その存在が干渉してまで彼女の行動を阻害した例は、タキオンが知る限り一度しかない。
「ですから、私は何も……」
「いや、十分だ」
申し訳なさそうな言葉を遮る。
「何がですか……?」
「言った通りだよ。今の話で、次のTYPE・Uの行動がほぼ確定した」
「……?」
「分からないか?」
首を傾げるマンハッタンカフェに、アグネスタキオンは説く。
「知っての通り、お友だち君は君の害となる行動はまず取らない。それは、今までのデータが証明している。その彼女がそこまでの強行手段取るのであれば、ソレもまた過去の事例から理由は明白だ」
「……!」
何かに気づいた様子に、『そうさ』と頷く。
「お友だち君が君とTYPE・Uとの接触を妨害する理由はただ一つ。TYPE・Uが君に害を成す存在と看破しているからだ」
理由は、至極簡単で。
「ならば、TYPE・Uの次の行動も容易に想像出来る」
結論もまた、単純。
「ヤツが次に狙うのは……ウマ娘(私達)だ」
窓の外はいつしか黄昏。
空に貼り付く朱が溶け。
ゆっくりゆっくり。
帷が落ちる。
満ちていくのは。
甘い霧。
その向こうで。
チャリチャリと。