部屋に流れていたキタサンブラックの歌声が止む。同時にダンスを終えたトウカイテイオーが、ヘタヘタとへたり込んだ。
「つ、疲れた~。もう、無理ぃ~」
「あ、あたしも……喉、ガラガラです……」
汗びっしょりで喚くテイオーに、ゲホゲホ咳き込みながら頷くキタサン。どんだけの時間、パフォーマンスしたのか。基本的に体力オバケの彼女達がダウンしてる時点で推して知るべし。
そして、そんな二人の奮闘も虚しく。当のファインモーションは眠ったまま。
『起 きな いね ぇ』
「いや……想定通り、と言うか……」
「だから言ったじゃん!? 理屈が雑すぎるってー!!」
首を傾げるプーカに抗議するテイオー達。けど、聞き流すと言うか元から聞いてないと言うか。
『 相当 アレ な歌だっ たから、煩く て 起きる かと 思っ たの だ けど。ノイズが、足り ない かな? もう 少し、ハッチャケ て』
「いや……流石にコレ以上は……」
「大体、ノイズって何さ!? うまぴょいはボク達の喜びの歌だよ!? この良さが分かんないなんて、センス無いんじゃない!?」
あまりと言えばあんまりな言い様に、徒労の苛立ちも手伝って不満たらたらのテイオー。どうせ柳に風なら、もっと言ってやろうと息を吸ったその時。
グルン。
「ぴぇ!?」
プーカの首が機械仕掛けの様に回って、テイオーを見る。
「な、何さ!?」
見る。
「だ、だから、何……?」
しげしげと、見る。
「な、何なの〜!?」
舐め回す様な視線に嫌な予感がしてきた辺りで、プーカがポソリと言った。
『儀式 の 再現 が足り ない かな? 踊り子 の『衣装 』とか』
ブフゥッ!!
「キ、キタちゃん!?」
聞いたキタサンが、舐めてたニンジンのど飴を吹き出した。ビビるテイオー。
「な、何!? 何そんなに慌ててるの!?? アイツ、そんなに変な事言ったの!!?」
顔を真っ赤にして咽込んでるキタサンを問い詰める。
「お、踊り子のいしょ……再現て……天岩戸の!? あまの、うずめの!? テテ、テイオーさんが!?? イヤイヤイヤイヤ!! ダメ駄目!! ダメでしょ!? ダメですって!!!」
質問に答える余裕も無く、キャラ崩壊のレベルでテンパりまくるキタサン。
その有様から、自分に差し迫る事態が只事ではない事を察するテイオー。
パニックが伝染するのを必死で堪えながら、首の骨が逝くんじゃないかと言う勢いでキタサンを揺する。
「ねぇ、ちょっと! キタちゃん!? 何なの!? アイツ、ボクにどんな格好で踊らせようとしてるの!? ねぇ! ねぇってば!!!?」
「そ……ソレは、その……知らない方が……」
んな事言われたって、このままじゃどの道なんである。内容知らなきゃ覚悟のしようも無いんである。
「良いから!! 教えて! 早く!!」
背後から躙り寄る気配に慄きながら、更にブンブンと。
「わ、分かった! 分かりました!! 分かりましたからぁ!!!」
流石に気持ち悪くなってきたんで、根を上げるキタサン。このまんまじゃ、今度はコッチが別ベクトルでヤバい。
「あ、あの……教えますから、その……耳、貸してください……」
「う、うん……」
何と言うか、普通に話す事すら憚られるらしい。
嫌な予感しかしない。
けど、聞かない訳にも行かない。
怯えながら、耳を貸す。
「あ、あのですね……」
「う、うん……」
熱い吐息が、くすぐったい。
「この話で、踊り子役の神様がした格好って言うのは……」
「うんうん」
「つまり、その……」
「うんうんう……ん???」
固まるテイオー。
その顔が一瞬で真っ赤になり、続けて真っ青になる。
滝の様に溢れ出す、脂汗。
「ウソ……でしょ……?」
「ガチの……マジ、です……」
心底申し訳無さそうに項垂れるキタサン。
絶句するテイオー。
『話、 終わっ た?』
「ぴわわわわっっっ!?」
無慈悲に響いた声に、飛び上がって向き直る。
「お、おま、おまおま、お前……ボ、ボクに……そそんな、とんでもない……!?!??!?」
『そっち で話し て くれ たなら、手間 が省ける わ。さ、 準備 して 』
テイオーの怯えなぞ何処吹く風。淡々と申し付けるプーカ。
「じょ……冗談だよね……?」
『人じゃ あるまい し。 冗談の 概念なんて 分から ない 』
何の感情も無く言うモンだから、尚更怖い。
「い、嫌だよ! まだマックイーンにだって許してないのに!!」
「え!? でもテイオーさんて、マックイーンさんと温泉に入った事あるって……?」
『別 に、構わ ない でしょ? 減る モノ じゃ、無し』
「ソレとコレとは違うし、そう言う問題でもないのー!!!!」
阿鼻叫喚。
『五月蝿い なぁ。面倒 だ から、私が 取っ ちゃおう 』
遂に実力行使を宣言するプーカ。
絶望と恐怖に震え上がるテイオー。
「うぇえええ!? ちょ、やめ! ヤメロやめてヤダー!!」
むんずと掴む手を噛んだり引っ掻いたり。けど、相手は表情一つ変えない。どうも、痛いとかそう言う感覚が無縁な模様。
「タスケテー!! キタちゃーん!!?」
「え、えと、そのその、ど、どうしよう???」
テイオーの今際のSOSに、コッチはコッチでパニくるキタサン。
敬愛する先輩の色々なピンチである。後輩としてもお助けキタちゃんとしても、何なら一人の善良なるウマ娘としても。諦観する選択肢なぞ端から無いのは確かだが、さてどうしたモノか。こう言う場合、一番手っ取り早いのはコッチも実力に訴える事なのだが。その肝心の実力が押し並べてアッチが上なのだ。下手を打てばテイオーを助ける所か、二人まとめて……なんて事も十分有り得る。
「ファインさんさえ起こせれば……」
要はこの根拠無い事甚だしい儀式の変わりに、混々と眠るファインモーションを叩き起こす手段が有れば良いのだが。
「でもなぁ……アレで起きなかったし……」
実際の所、先の二人うまぴょいはかなり真剣かつ力を入れてやった。相当喧しかった筈なのだが、ファインの瞼一つ動かす言葉が出来なかった。
つまり、普通の眠りとは違うと言う事。彼女を引き戻すには、もっと別人なアプローチが必要なのだ。
「ああ……ダイヤちゃん。あたし、どうしたら良いんだろう?」
切羽詰まって、いつも力をくれる相方とを繋ぐ指のリングに縋りつく。
その時。
思い出した。
二人でこのリングを買ったあの日。すぐ帰ってしまうのが嫌で、お昼ご飯を一緒に食べた。最高に美味しかった、あの時のメニューは!
想起は一瞬で確信に変わり、キタサンは枯れた喉が裂けんばかりの声で叫んだ。
「ラーメンです!!!」
「へ?」
『あ?』
くんずほぐれずしてた二人が、一斉にポカンとした。
「……キタちゃん?」
『何 言っ てん の ?』
「何? じゃありません! ラーメンですよ!! ラーメン!!!」
今までの死闘も忘れ、同じ困惑の目を向ける二人。冷えた視線を感じつつ、キタサンは力説する。
「ラーメンはファインさんの人生そのもの! いえ、ファインモーションと言う存在の構成要素です! ラーメン無くしてファインさんは在らず、ファインさん無くしてラーメンもありません! 醤油、塩、味噌、とんこつ、果ては酸辣から坦々まで! ありとあらゆるラーメンが在って初めて、ファインさんはファインさんとして在れるのです!」
ラーメンはファインモーションの始祖か何かか。
「と言う訳で、プーカさん!」
『はい?』
怒涛の如く吐き出された謎理論の途中でいきなり指名され、思わず真顔で返事するプーカ。
「この世界に、ラーメンはありますか!?」
『そも そ も、 らあめん て、 なぁに ?』
知らないらしい。
まあ、人間社会のモンじゃないし。いつ頃からは知らないが古い時代の生まれでアイルランド出身で。加えて云年前まで幽閉の身だったのだから、知ってる方がおかしいのかもしれない。
しかし、キタサンにとってはソレこそ攻め所な訳で。
「ソレです!」
ドジャーン! と指を突きつける。
「ラーメンが無い! ソレがファインさんが目覚めない理由にして原因です!! ラーメンが無い世界に生きる事を、ファインさんの本能が! 魂が! 誇りが拒んでいるに違いありません!!」
『え え……?』
「さあ、ラーメンを! 一刻も早くラーメンをこの場に、世界に!! 全ての世界線において唯一つ、ラーメンだけが貴女とファインさんの蜜月を約束するのです!!!」
もはやノリがヤバい宗教。
『そう な の? 』
「そ、そうかな? そうかも⁇」
すっかりラーメンがゲシュタルト崩壊して宇宙猫になったプーカ。訊かれたテイオーもやっぱり宇宙猫。
『なら 用意し ましょう……て か、らあめんて 何 ??』
「あ、そっか……」
此処まで延々とラーメンを語って、ついぞその本質については説明が無かった。
どうしようもない疲労感に苛まれながら、説明するテイオー。
『…… つま り、 この国 の料理 ?』
「うん、そう言う事」
『な ら、 料理 人 が要る わねぇ 』
言った瞬間、掻き消えるプーカの姿。
多少は吃驚するも、良い加減慣れては来た。とにかく、ウマ娘生最大の危機を脱した事に安堵の息を吐くテイオー。心配そうに見ているキタサンにお礼を言う。
「ありがとう、キタちゃん……。ボク、どうなっちゃうかと……」
「い、いえ。テイオーさんに何かあったらマックイーンさんに顔向け出来ないし。あたしだって嫌だし……」
言いながら、眠るファインを見る。
「そう、嫌ですよね……。大切な人が、辛い目に合うのは……」
彼女が夢見る者。彼女を想う者。その双方の痛みを思い、キタサンは目を伏せた。
「それにしても……」
ふと呟くテイオー。
「料理人を連れてくるって……誰の事だろ……?」
昏い箱庭の何処かで、誰かさんのくしゃみが鳴った。
◆
「お、カフェじゃんか? おーい」
覚えのある後ろ姿を見とめて、ジャングルポケットは声をかけた。
足を止めた彼女が振り返る。此方を見る瞳に微かな違和感を覚えて、ポケットは思わず言葉を飲んだ。
「ああ……ポッケさん……。お久しぶりです……」
薄く微笑んで、自分を凝視するポケットに小首を傾げる。
「……どうしました? 私の顔に……何か……?」
「い、いや。何かその……どうした? 疲れてんじゃねぇか?」
思わずかけた言葉に、彼女は少し間を置いて。『心配してくれるんですか?』と嬉しそうに。本当に嬉しそうにはにかんだ。
その様がとても。何だかとても儚く思えて。
ポケットは不安になった。
「いやそりゃ……おい、ホントに大丈夫か?」
「はい……寧ろ、充実しています……。生まれて来た意味を、確かに辿っているのだと実感出来て……」
「はぁ?」
おかしいと思った。マンハッタンカフェは確かに普通とはズレた世界を見ているが、こんな何かに魅入られた様な目をする事は無かった筈。
此れは。この目はまるで。
「な、なぁ……」
「カフェ」
問い詰めようとした声を、良く知る声が遮った。
聞いた時のカフェの顔を、ポケットは忘れない。「お前……」
「何をしてる? 授業が終わったらすぐに来る様に言っているだろう。時間が惜しい。早くしたまえ」
また遮る、彼女の声。自分以外の者が彼女に接する事を拒む様に。
「はい、タキオンさん」
声の主の名を呼び、カフェは小走りで向かう。まるで、飼い主に呼ばれた子犬の様に。
「すいません……。日直の仕事が、終わらなくて……」
「抜けて来れば良いだろう。そんな日常、『キミ』には必要の無いモノだ」
「はい……」
耳を疑った。友人の冷淡な声と言葉。そして、そのあからさまな不条理と悪意に何の叛意も見せずに従うもう一人の友人。
余りにも、違い過ぎる。自分の知る、彼女達と。
「おい、タキオン!」
気づいた時には走り寄り、彼女の肩を掴んでいた。
振り返った目は、濁り。疲弊し。けれど、異様な程に爛々と輝いて。
自他共に狂犬扱いで、ソレなりの場数も踏んで来た筈のポケットがたじろいだ。
「……何だい? ポッケ君。悪いが、今はキミに構っている余裕は無いんだが……」
聞き慣れている筈の声は、まるで怨嗟に呻く亡者のソレ。心臓が変な感じに高鳴るが、気圧されるのはプライドが許さなかった。
「……暫く見ねぇと思ってたら……。カフェと二人揃って、どうしたってんだ? まるでらしくねぇ……」
纏わりつく不安を祓う様に、グイと顔を突きつける。
「テメェ、また妙な実験に手ぇ出したな? おかしな薬でも飲ませたのか?」
「……何で、そう思うんだい?」
「何でもへったくれもねぇだろ!!」
側で見ているカフェを示して怒鳴る。
「コイツ見て何とも思わねぇのか!? ぜんっぜんらしくねぇ! こんなんじゃねぇだろ、カフェは!? テメェだって……」
言葉が途切れた。
されるがままだったアグネスタキオン。彼女が、突然自ら顔を突きつけて来た。
「私が、何だって? カフェが、何だって?」
「う……?」
病んだ獣のソレの様に昏く輝く瞳。気圧される。野狼に見据えられる子羊の様に。
「キミに、何が分かる?」
タキオンが言う。
「キミに、私やカフェの何が分かるって言うんだい?」
タキオンが問う。
「私やカフェが、私達の全てをキミに晒しているとでも思っていたのかい?」
有無を言わさぬ威。
迂闊な事を抜かせば、この場で咬み殺すと言わんばかりの。
「自惚れないでくれ」
冷ややかな声が縊る。
ーー光(私)と闇(カフェ)の間には、誰も入れないーー。
「例え、キミであっても」
絶句するポケットを引き戻す様に、タキオンを呼ぶ声が聞こえた。
カフェと、もう一人。ナカヤマフェスタ。
何で、アイツが?
混乱するポケットをそのままにして、タキオンは踵を返す。
もう、立ち入る術も無い。
「ああ、そうだ」
立ち尽くすポケットに向かって、振り返りもせずに彼女は呟く。
「さっき言ったね? 『カフェはこんなのでは無い』と」
その声は、つい今し方までのモノよりもずっとずっと冷たくて。
「それだけは、正解だよ」
苦しそうで。
「『私の』カフェは、あんな飼い犬ではない」
嫌悪に、満ちていた。
三人の姿が、廊下の向こうに消えて行く。もう、追おうとも思わない。
思えない。
荒んだ時を知るポケットにしてなお、今の彼女達は。
「あの……大丈夫ですか?」
「うるせえ!!」
「わひゃあ!?」
反射的に怒鳴ってしまった。悲鳴を上げて尻餅をつく相手。
「あ、悪りぃ! つい……」
「い、いんえ……。急さ声なんかがげだあたしが悪がったんで……」
差し出した手を握りながら、申し訳なさそうに謝る亜麻色髪の少女。何か聞き慣れない言葉だな? とか思った所でピンと来た。
「アンタ、確かカフェのルームメイトの……?」
「は、はい。ユキノビジンです!」
立ち上がってポンポンと塵を払うと、ユキノはペコリとお辞儀をした。
◆
「え……? カフェの奴、寮にも帰ってねぇのか?」
「はい。三日前に、タキオンさんの研究の手伝いしねばわがねすけって出でって。それっきり……」
少し後、二人の姿は学園のカフェテリアにあった。
何の用かと訊いたポケットに対するユキノの答えは、『カフェが何をやってるのか、知ってたら教えて欲しい』との事だった。
『ソレはこっちの台詞だ!』と言うのが正直な所だったものの、考えて見れば貴重な情報源。なら、蚊帳の外同士少ないながらも情報交換でもして見ようかと話が纏った。
あんまり交わりの無い者同士と言う事もあるし。
「と言っても、あんまり教えであげられる事ぁ無えんです」
取り敢えず頼んだ抹茶ラテを前に、申し訳なさそうに言うユキノ。そんな彼女を、此方はダイエットコーラなぞ啜りながら眺めるポケット。
見るからに純朴そうな顔に物腰。たまに出る朴訥な東北訛りが、ソレらをより強調する。
『俺みたいなの相手だと、緊張するんじゃねぇかな……?』などと思ったり。
そんな彼女の様子を見て取って、申し訳なさそうな顔をするユキノ。
「すいません……」
「あ? 何が?」
「訛ってて、分かり難いですよね? なかなか抜けなくて……」
「あー、んな事かよ? 大丈夫だって。問題ねぇよ。つまんねー気なんざ使うな。疲れるだけだろ」
素っ気なく言ったつもりだったのだが、フニャリと緩むユキノの顔。
「な、何だよ?」
「ポッケさんは、え人だね」
「は?」
「あたしの言葉、結構難儀な顔されるんです。最初がら、そうへってけるの……ああ、でもそっか」
思い至って、笑う。
「カフェさんのお友達だもの。え人さ決まってらよね」
「何言ってんだ。アンタこそ……」
知らずの内に、此方の表情も和らぐ。
傷ついて、ささくれ立っていたココロが凪いで行く。
自分が知る彼女の姿が、決して幻ではないのだと。証明してくれる者が、此処にいる。
◆
「……アンタ、本当に良いのか?」
「何が、ですか……?」
研究室までの道を歩きながらナカヤマはカフェの姿をした彼女に尋ねる。
前を行くタキオン。彼女に聞こえない様にと、合図しながら。
「今のアイツは、そう知ってる訳じゃない俺から見たって普通じゃねぇ。アンタの使い様を見てても、アイツらしくねぇ」
正しく。被検対象は例えトレーナーであってもモルモットと呼び、得体の知れない薬を飲ませたりする事に躊躇はしないタキオンではあるが。
故に、最後の一線は弁えている。
見誤る事も無い。
科学の発展に犠牲は付き物。故に、無意味な犠牲は出してはいけない。
ソレは、アグネスタキオンと言うウマ娘の人間性の現れであり。科学者、探究者としての矜持でもある。
然るに。
彼女に対する仕打ちに限っては、完全にタガが外れていると言わざるを得なかった。
身体能力を確認すると言っては、オーバーワークと言う表現すら生温い負荷をかけ。
耐性の限界を見極めると言っては、見るからに……普段のソレとは明らかにベクトルが違う忌避感を抱かせる薬品を煽らせる。
ーーそっくりさん(自分達)がいる限り、オリジナルの皆は帰って来れないーー。
ソレは、彼女自身が明かした事。
そして、恐らくはその言葉がタキオンの一線を崩した。
全ては、そっくりさん(彼女達)の限界を知る為。
全ては、皆をこの世界に取り戻す為。
けれど、ソレが意味する事は。
「……アイツは、アンタが壊れても構わねぇと思ってる。いや、寧ろ……」
前を行くタキオンの背を、チラと見て。
「……望んでる」
実験に挑む彼女。見つめる、タキオンの目。ソレを見る内に、ナカヤマは確信していた。
その時のタキオンの目に燃える炎。爛々と輝くソレは、未知に対する期待でも。実験に向かう高揚でも無く。
決して許せぬ仇に向ける、絶える事無き憎悪の焔だと。
「アイツにとって、アンタは仇だ。敵なんだ」
何を言っているのだろうと、ナカヤマは思う。
自分だって、『こっち側』。彼女達の消滅こそが、取るべき筋。
なのに。
「本当に、アンタは良いのか?」
こんな想いを抱いてしまうのは。
「……何で、笑ってるんだ……?」
彼女が、笑うから。
どんな仕打ちを受けても。
どんなに敵意を向けられても。
カフェの顔で。
でも、違う笑顔で。
嬉しそうに。
恍惚と。
笑うから。
「何で、アンタは笑えんだ?」
だから、ナカヤマは話しかけた。
その時は、いつかも知れないから。
せめても。
答えを知りたくて。
「……そんな、難しい話ではないですよ?」
その意を知った様に、彼女は紡ぎ出す。
友達と、内緒話でもする様に。
「嬉しいからです……」
ナカヤマの喉が、ヒュと鳴る。
そうかも知れないと思っていて。
そんな馬鹿な事は無い筈と。
願っていた答え、そのままだったから。
「私は、fetch(そっくりさん)です……。何の為に生まれたのでもない……。誰かの為に生きるでもない……。ただ、オリジナルの代わりにこの世界を支えるだけの添え木です」
そう。だから、俺達は探っている。アイツらが、戻って来れる場所を空ける為に。
今、隣にいるアンタを。アンタ達を。
「何も成せず、何も為せない。そんな、形骸の私が、今……」
ナカヤマの苦悩を、知るのか。
知らないのか。
いや、きっと彼女は。
「あの人が、新しい世界を知る役に立てています……。新しい術を見出す鍵となれています……」
金色の目が見つめるのは、彼女の背中。
己のオリジナルが想い。己のオリジナルを必要とする者。
「何て、喜ばしい事か」
そう。分かっていた。
そっくりさん達は、オリジナルの模造品。
何もかもを、持ち越す。
能力も。
知力も。
そして、想いも。
だから、彼女がマンハッタンカフェと言う存在のそっくりさんだと言うのならば。
「……アイツは、アンタを見てなんかいない」
「……そうですね。ソレがアグネスタキオンの有り様です」
絞り出した訴えにも、彼女は揺るがない。
「大事なモノを見失わず、見誤らず。ただ、探究の未知を切り拓く。マンハッタンカフェが。そして私が焦がれた、アグネスタキオンの姿です」
彼女の目は、タキオンから離れない。ただ、此れだけ。此れだけが、己の在る意味と定めた者の目。
恋と言うには余りに昏く。
愛と言うには余りに苦く。
想いと言うには、余りに醜悪。
言うなれば、ソレはきっと。
『狂信』とでも、言うべきもの。
「タキオンは、馬鹿じゃねぇ」
それでも、ナカヤマは食い下がる。
「アンタの本音に、いつか絶対に気付く。絶対にだ。その上で、自分がアンタを壊したと知ったらアイツは……」
「素晴らしいですね」
返ってきたのは、なお悍ましい意思。
「そうなれば、私はあの人に傷を遺せます。何にも無い、何も残せない筈のそっくりさん(私)が、アグネスタキオンと言う存在に永遠に消えない傷を遺せる。何て……」
ーー素晴らしいーー。
「……アンタは、カフェじゃねぇ……」
苦々しい呻めき。
承知だった筈の事を、今更の様に思い知る。
「カフェは、そんな事は思わねぇ。自分と引き換えに、アイツに一生モンを遺すなんて。そんな……」
「……ありがとうございます」
「……何がだよ……?」
「私を、マンハッタンカフェではないと、言ってくれるのですね? 誰でも無い。私は、私と。それこそが……」
喜びを隠し切れない金の瞳。輝羅綺羅と。爛々と。
ーーfetch(私達)が欲しくて堪らないモノーー。
ああ、駄目だ。
目眩がする。
余りにも、遠い。
余りにも、近い。
遠くて。
近くて。
何処にも、行けない。
青ざめた頬を、冷たい汗が一筋。
ソレを彼女の指が、ソッと拭う。
とても。とても。
愛しげに。
酷く冷たい、指だった。
◆
「あー、たくっ!」
残った氷をガリガリ齧りながら、ポケットはぼやく。
「結局何やってやがんだ? アイツらは。タキオンの馬鹿野郎だけならまだしも、ブレーキ役のカフェまでこんな心配かけてよ!」
「あー、でも。心配はあたしが勝手にしてらだげだすけ……」
「心配してる事に変わりはねーだろ!?」
凄まれて、『へ、へぇ……』とか言って縮こまっちゃうユキノ。
「こうしてても、埒があかねぇな……。いっそカチコミでもかけるか? どうせ二人とも居るのはあのボロ部屋だろうし」
「あの、ソレなんだども……」
「あ? 何?」
ゴチャゴチャ考えた頭がヒートしてきたので、いっそ最終手段に訴えようかと思い始めたポケットに、ユキノが水を挿す。
「あたしも、お邪魔して見るべどが思ったんです。んだども、良ぐ考えだらその……」
何やら言い淀む。心無しか、顔が赤い。
「な、何だよ? 変な顔して、アンタまでおかしくなったのかよ!?」
「い、いえ。そうへる訳でねんだげど……」
「じゃあ何だよ?」
「いや、その……アレでねだが……」
「アレ?」
「だすけ、カフェさんとタキオンさん……お付ぎ合いしてらんだよね?」
「……は?」
思わず目が丸くなる。
え? アイツらってそう言う仲だっけ?
言われて見れば、確かにそんな気も……。
いやけど、何かピンと……。
「もしだげど。今度のがソッチ関係の事だったら、勝手に乗り込んだりしたらご迷惑でねがな? とが……」
悩むポケットを置いといて、コッチはコッチで変な心配してるユキノ。ポケットもいやいや、アイツらに限ってそんな事……と思いつつ。万が一そんな現場にズカズカ入ってったりしたら流石にマズイよなと思ったり。いや、『そんな』現場ってどんな現場だよ何考えてんだ俺!? と混乱気味。
「いや、だったらどうすりゃ良いってんだよ!?」
「どうすべし……」
揃って頭を捻る二人。と、そこへ。
「おや、珍しい組み合わせだね」
かけられた声に振り返る。確認した途端、慌てて立ち上がるポケット。
「フジさん! ご苦労様っす!!」
「こんにちはです」
気を付けの姿勢でお辞儀するポケットの横で、ユキノも挨拶。
「アハハ。大丈夫だよ、ポニーちゃん達。そんなに畏まらなくても」
苦笑いして手を振るフジキセキ。もう一度、目慣れないコンビを見て尋ねる。
「それにしても、本当にどうしたんだい? 何か困ってたみたいだけど」
「あ……」
「ソレは……」
顔を見合わせる二人。ヒソヒソと相談。
「おい、どうするよ?」
「フジさん、タキオンさんと同じ栗東寮の寮長さんだ。ひょっとしたら、何が聞いでらがも知れねだ」
ユキノの言葉に、渋い顔をするポケット。
「……あんまりフジさんの手を煩わせたくないんだけどよ……」
「そった事へって。背さ腹はがえられねだよ?」
「う〜ん……」
しばし悩んだものの、ソレで答えが出るならとっくに出ている訳で。
「仕方ねぇか……」
溜息を吐いて、待っててくれたフジへ向き直る。
「フジさん、実は……」
「ん?」
かくかくしかじか。
「……ふーん。確かにタキオンからは暫く研究室に泊まり込む旨は聞いてたけど……」
ソレ自体は以前からちょくちょくあった事だから、さして気にも止めていなかったらしい。
「流石に、ソレは様子がおかしいね。カフェまで巻き込んでるとなると……」
少し考えて、頷く。
「分かった。私から事情を聞いて見るよ」
「ありがとうございます」
「すんません……。つまんねぇ事で迷惑かけちまって……」
申し訳なさそうに畏まる二人に、気にするなと笑いかけ。
「これも、寮長の仕事だからね。寧ろ、教えてくれて助かったよ。二人共、ありがとう」
「フジさん……」
感じ入ってるポケットを他所に、ふと思い出すフジ。
「ああ、そうそう。私はユキノに用があったんだった」
「へ?」
「シチーが探していたよ。何か約束があったんじゃないのかい?」
聞いて、『あ!』と立ち上がるユキノ。
「そうだった! 新しいコスメ、一緒さ選んでもらうんだった! すわね! あたし、こごで失礼しあんす!」
「大丈夫大丈夫。ほら、急いで急いで」
「は、はいー! それだば、ポッケさん。まだ一緒にお茶すべね!」
そう言って手を振ると、猛然とダッシュするユキノ。
「シチーさん、今行ぎまーす!!」
「……変なヤツ……」
自分の事を棚に上げてそんな事言ってるポケットに笑いながら、フジは呟く。
「ソレにしても……」
ポケットの耳には、決して届かない様に。
「困ったモノだね。タキオンと、そして……」
その瞳の妖しい輝きは、誰に気付かれる事も無く。