鎖影の庭   作:土斑猫

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【キミだけを】

「……目の色が変わりましたね。タキオンさん」

「ああ、まるで悪い夢から覚めた様だねぇ」

 グラスワンダーに指摘され、アグネスタキオンはダブダブの袖で目を拭った。

「……へ、敵に心配されてちゃ世話ねェな」

「全くだな」

 皮肉るエアシャカールとナカヤマフェスタの顔も、心無しか。

「でも、だからって何が変わる訳でもないデェス」

「そうです。私達のお役目は皆さんを此処に釘付ける事。何も変わりません」

 言いながら、ジリジリと包囲の輪を狭めるエルコンドルパサーとツルマルツヨシ。

「ご心配なさらずに」

 和かに微笑みながら、グラス。

「先にもお伝えしましたが、事が済むまでのほんの一時、大人しくしていてくだされば良いのです。貴女方を害するつもりは毛頭ありませんので」

「……害するつもりは無い……ねぇ……」

「あんま説得力ねェぞ……」

 ニコニコ笑う彼女の手に光る薙刀を見て肩をすくめるナカヤマとシャカール。

「前から訊いてみたかったんだが、真剣かい? ソレ」

「まさか」

 『競技用の竹光ですよ』との答え。

 まあ、当たり前。

「でも、ぶっ叩かれるとクッソ痛えデェス」

 顔を顰めるエルを見て、『だろうねぇ』と頷くタキオン。

「切断用の刃は無いとは言え、相応の強度を持つ竹をやはり相応の技術と速度を持って叩き付ければ結構なダメージを付与出来る。威力制圧としては、十分だねぇ」

「痛くなければ、覚えませんので」

 しれっと怖い事を言うグラスに、一同ゲンナリ。

「さて、いつもの調子に戻ったのは結構だがよ」

 三人の動きを注視しながら、タキオンに言うシャカール。

「ビビって立ち往生キメる訳にもいかねぇぞ? 早く行かねェと、『アイツ』がやべェ」

「その点については、事前に意思確認が必要だね。シャカール君」

「あ゛?」

 何の事かと視線を向ければ、受け止め返されるのは真剣な眼差し。

「私は、『彼女』を使い潰して真理に辿り着くつもりだった。文字通り、骨の一欠片。血の一滴までだ。だが、その方針を変える」

「…………」

「正味、ただでさえ胡乱だった『到達』の可能性は更に減るだろう。だから……」

「バカか? テメーは」

 皆まで言う前に、ぶった斬られた。

「だから、今になって同盟破棄ってか? ソレじゃあ双方振り出しじゃねェか。ロジカルじゃねェにも程がある」

 目を、眼前の厄災達に戻しながら。

「オレはテメーを利用すると言った。なら、オレを利用するのはテメーの対価だ。どっちが欠けても、ロジックは成り立たねーんだよ」

「……ああ、そうだったね」

 わざとらしくそっぽを向くシャカールの顔を見つめ、タキオンは呟く。

 彼女が自分の方針に沿っていたのは、何も目的達成の為だけでは無い。それこそ、自分と同じ。大事な者を奪い去った者達への意趣返しの意があった筈。それは、現実的な目的と同様に。否、それをも凌駕する程に争い難い衝動。

 けれど、彼女はソレを理性でねじ伏せた。

 目先の復讐心では無く。

 もっと大事なモノを守る為に。

 正しく、知ある者としての在るべき姿。

 タキオンは、そんな盟友に心からの感謝と敬意を贈る。

「ありがとう」

 その、たった一言に乗せて。

「……イイハナシんなってるトコ悪ぃがよ……」

 話が纏まるのを待っていたナカヤマが、待ちかねた感じで口を挟む。

「事態そのものは何ら好転してないの忘れんなよ? コイツらどうにかしねーと、可愛い黒猫ちゃんの所にゃ行けねーぞ」

「そうですよ! 私達の事無視して勝手に話進めないでください!」

「ケー! くっさい友情劇なんざ甘過ぎて胸焼けがするデェス! 罰として狂犬グラスのイカれ殺人剣のサビになるが良いデース!!」

「そうですね、エル。まず切れ味を確かめたいので貴女の首を出しなさい」

 指差されて喚く三人。

「随分とガラが悪りぃな……」

「寧ろコッチがそっくりさん(コイツら)の『素』だろうさ。カフェ(アイツ)みたいなのこそ、少数派だ」

「私達やゴールドシップ君も気付けなかった一派だ。普段は上手く猫を被ってるんだろうが、その分の反動が出てるんだろうねぇ」

「……概ね、仰る通りです」

 デカいタンコブを付けたエルを地に落とし、グラスはあくまで和やかに笑う。

「正直、ウンザリしていますよ? 良い子のオリジナルを演じる事に」

 話す声は穏やかだが、その影には確かな苛立ち。

「私達は、早く『私達』に成りたいんです。オリジナルの代役じゃない『私達自身』になって……」

 

ーー欲しいモノを、手に入れたいーー。

 

 ああ、ヤバイな。

 彼女の目を見て、ナカヤマは思う。

 正味、偽テイオーの様に程々に曝けてくれているタイプならまだ御し易い。適度にガスが抜けて、なけなしの理性もそれなりに働こう。

 だが、彼女等の様に日頃完全に隠してるタイプは不味い。

 被った皮はあくまで仮初。内に秘めた猛気はそのまま。蓋をされた分溜まりに溜まり、何かの拍子で。

「だから、今は大人しくしていてください」

 横のツヨシも、言う。

 その瞳に、同じく危うい光を灯しながら。

「何の問題も無いじゃないですか。私達が消えて欲しいのはカフェさんだけなんです。オリジナル(皆さん)には何をする訳でもないんですから。ソレに……」

 キョロリと向ける視線は、タキオンに。

「タキオンさんにも、好都合じゃないですか? 分かってるんでしょう? あのカフェさんが居なくなれば、世界はオリジナルのカフェさんを引き戻します」

「……ほお?」

 薄らと笑んで見せるタキオン。

「ソレは貴重な情報だね。そっくりさん(君達)が場所を塞いでいる限り、皆を帰還させる事は出来ないまでは到達していたが。帰還そのモノの方法は掴みかねてたんだ。迂闊だったんじゃないのかい? そんな重要な事を易々と」

「ウソです」

 動揺を狙ったのかも知れないその言葉を、ツヨシはアッサリと受け止める。

「知らない筈無いでしょう? カフェ(あの娘)から、聞いてる筈です。絶対。分からないのは、そっくりさん(私達)を消す方法なんじゃないですか?」

「…………」

 タキオン達の沈黙が、指摘が正しい事を示す。

「ほら、やっぱり」

 クスクスと笑うツヨシ。

「簡単ですよ? そっくりさん(私達)だって、存在の構造はオリジナル(皆さん)と同じだもの。オリジナル(皆さん)と同じ方法で、終わらせられます」

 つまり、ソレは。

「でも、出来ないんですよね?」

 また、沈黙で返る肯定。

オリジナル(皆さん)は優しいですね。だから、そっくりさん(私達)オリジナル(皆さん)が好き。傷つけたくない」

 聞いていたシャカールが、『チッ』と舌打ちした。

 彼女達は、そっくりさん(自身)オリジナル(此方側)の特性の違いを理解している。

 理性と善性に縛られるオリジナル。

 本能と悪性に忠実なそっくりさん。

 双方の身体能力は同じ。

 ならば、もし一線を超えた事態になった場合。

 人社会の法の及ばない、純粋な『力』のみのせめぎ合いになった時。

 ブレーキを放せない者

 アクセルを踏み抜く者。

 何方が勝つか等、自明の理にも程がある。

「だから……」

 睨むシャカールの視線を気付かぬ振りで、ツヨシは説き続ける。

「コレは、取り引きなんです。何方にも損が無い取り引き」

「取り引き、かい?」

「ええ」

 ツヨシの姿の彼女は笑む。彼女の姿で、彼女では有り得ない歪な笑み。

「タキオンさんは、オリジナルのカフェさんを取り戻したい。だけど、その手段に踏み切れない。だから、私達が代わりにやってあげます。そうすれば、タキオンさんはカフェさんを取り戻せる。私達は、懸念の種を取り除ける。ね、Win-Winでしょ?」

「……バ鹿か? お前ら」

 ナカヤマが、呆れた顔をする。

「それじゃ戻って来るのはカフェだけだろうが。ファインは? 他の連中はどうなる?」

「諦めてください」

「んな……!」

 あんまりキッパリ言われて、絶句する。

「私達だって、譲歩してるんですよ? 真実に近い皆さんをこのままにしておくのは、リスクが高いんです。それでも敢えて見逃してあげるんですから、其方にもソレなりの対価を負って貰いませんと」

「……話にならねェ」

 憤りが籠ったシャカールの呟きは、グラスが受ける。

「ファイン様に関しましては、其れこそ諦めた方がよろしいかと」

「あ゛ァ!?」

「ファイン様は、プーカに見初められたのです。オリジナルとそっくりさん(私達)の様な、『交換』ではありません。本当の意味での、『神の搾取』です」

 説く声音は、酷く冷淡で淡々と。

「プーカは、『人災』ではありません。純然たる『天災』です。地震。台風。疫病。獣害。如何程の人々が、理不尽に喰われ。飲み込まれ。そしてコレからも飲み喰らわれて行く事でしょう?」

 ソレは等しく、世界と言う『神』が生命に課する『存在』の対価。

「比べれば、プーカと言う天災の規模は限定的。極めて小規模。『取るに足らない』程に」

 正しく。海を逆巻き、地形を変える大災。其が飲み込む幾度数多に比するのなら、たかが人社会の1コロニー。ソレすら満たさぬ数の搾取等。

「悲しみは有りましょう。やるせ無さも在りましょう。けれど、謂わば天への供物。捧げられたモノを奪い返す術など有りません。及びません。ならば」

 其処に何かを思う事自体が無意だと諭す。

「忘れろとは言いません。ソレでも、進むのです。傷を抱えたまま、歩むべきです。失われたモノよりも、次に掴めるモノを」

 そう。

 遥かの那由多より。

 生命はそうやって。

「継いで来たのです」

 見つめるシャカールのギラつく眼差しを、哀れむ様に愛しむ様に見返して。

「ファイン様の人身御供は、無駄にはなりません。お気に入りの金糸雀を手に入れたプーカは、もう此方に気を移す事は無いでしょう。少なくとも、今後数世紀は。相応の方々を救ったのです。ファイン様は。だから、尊重しては如何でしょう?」

  

 その犠牲の、尊さを。

 

 暫しの間。

 そして、エアシャカールは破顔する。

「知った事か」

 吐き出したのは、文字通り取り付く島もない言葉。

「何、勘違いしてやがる。尊重? 尊さ? 関係ねェ。オレはあくまで『糞虫なんぞにファインを盗られるのが気にくわねェ』からやってんだ。アイツの事情なんざ、知った事か」

 キョトンとするグラス。構わずに。

「世界? 神? 何の事だ? オレの神に成り得たヤツはたった一人。そしてソイツはそうなる事を拒んだ。なら、オレが傅く神はもういねェ。誰にも、何にも縛られる義理もねェ。オレは、好きな様にやる。アイツが、そうした様に」

 そして、最後に。

「ファインは、オレの所有物(モン)だ。型落ちの神なんぞに、くれてやるつもりはねェんだヨ!」

 キッパリと、言い切った。

 また、しばしの間。

「ふ、ふふふ……」

 笑い出したのは、グラス。先までの、無機質な笑みでは無い。嬉しそうな。心の底から嬉しそうな笑い声。

「なぁんだ。それじゃあ、同じじゃないですか? そっくりさん(私達)と!」

 ケラケラと笑う。

 きっと、それは彼女が生じて初めての。

 けれど。

「一緒にするんじゃねェ」

 次のシャカールの一声が、微熱に浮く様な狂喜を律した。

「お前らのは違う。お前らは、激情に任せて暴走するだけだ。例え欲しいモンを手に入れても、それじゃあ持っとく事は出来ねェ。破滅するだけだ。大事なモン、諸共にな」

「…………」

「等価には等価が返る。悪意に返るのは、悪意だけ。ロジックの基本だ。覚えとけ」

 凛とした、摂理の教義。

 何かを言いそうになって。飲み込んで。

「……御高説、ありがとうございます。でも、そうなると答えは決まってますね?」

「あァ、そう言うこった」

 

 譲る気は、無い。

 

 合わせる様に重なった言葉に、キリと唇を噛んで。

「じゃあ、シャカール先輩はそう言う事として」

 向き直る相手は、タキオン。

「タキオン先輩は、如何でしょう。正味、此方としては貴女一人が離脱していただければ無問題なのですが」

 鳥も、片翼が欠けては飛べませんでしょうから。

「ふむ……」

 考える素振りをするタキオン。

 そして。

「悪くない話かも知れないねぇ」

 サラリと言った。

「な!?」

「タキオン!?」

「悪いね、シャカール君。だが、私もキミと同じでカフェの事は最優先事項なんだ」

 驚くナカヤマとシャカールにそう言い放つと、グラス達に向かって歩み出る。

「さて、それでモノは相談なんだが……」

「エル」

「!」

 瞬間、グラスにどつかれて伸びていた筈のエルコンドルパサーがタキオンに襲い掛かった。

「タキオン!?」

 ナカヤマが助けに向かおうとするも、同時に動いていたツヨシに羽交締めにされてしまう。

「おい! 放せ!!」

「放す訳ないでしょう!?」

「お前、身体弱いんじゃねぇのかよ!?」

「生きるか死ぬかの瀬戸際ですから! 火事場の何とやらです!!」

 ギャーギャー喚き合う二人を尻目に、シャカールの喉元に薙刀を突き付けたグラスが笑う。

「詰み、ですね」

「く……」

「動かないでくださいね? 傷つけたく無いとは言いましたが、あくまで抵抗すると言うのならその限りではありませんので」

 せせら笑うグラスを睨み、呻くシャカール。

「……読んでやがったのか……?」

「私達は、貴女方の影ですよ? 貴女方がどの様な方か。どの様な考えか、全て知っています。全く、その通り。そんなだから……」

 薙刀の背で、シャカールの顎をクイと上げて。

そっくりさん(私達)オリジナル(貴女方)が愛しくて、妬ましくて、憎らしいのです」

 

 ーー壊してしまいたい程にーー。

 

 呟く顔は、酷く悲しげ。

 

「全く、油断も隙もあったモンじゃないデェス」

 ねじ伏せたタキオンをジト目で睨みながら、ボヤくエル。

「なーにかしようとしてたデスネー。どうせ、碌なこっちゃネーデース」

「ふ……ふふ……キミらに悟られるとは、私も……焼きが回ったかな……?」

 締め上げられて苦しい息を吐きながら、苦笑するタキオン。

「エル達を舐めた罰デェス……とは言え、アンタら傷つけると何かと面倒デスからネー。今からでも言う事聞くデス。そうすれば……」

「……なら、取り敢えず放してくれないかな……? 私は……あの娘の所に行かなきゃ、いけないんだ……」

「ケ」

 漏れる、呆れ声。

「何でそんな拘るデス? アイツはカフェ先輩じゃないデス。なのに……」

「ああ……分からない、のかい……?」

 首を傾げるエルを、憐れむ様に見て。

「やっぱり君達は、『まだまだ』だね……」

 そう言って、笑った。

「ケ?」

 不愉快げに歪む、エルの顔。

「結構な事デェス。そう言うつもりなら、仕方ないデス。少々、痛い目にあって貰うデース」

 言葉と共に、掴んでいたタキオンの腕を逆関節に絡め取る。

「く……」

「さ、最後の選択デス。あの裏切り者から、離れるデスよ? YES? NO?」

 軋む骨の痛みに苦悶しながら、けれど心は折れない。

「悪い、ねぇ……。ここに来て、また……日和ったりしたら……今度こそ、顔向けが出来なくなるんだ……。カフェにも、あの子達にも……」

「……ばっかデェス……」

 溜息と共に、力を込める。

 苦悶の呻めき。

 ナカヤマが、『やめろ!』と叫んで。

 終わりの瞬間、何かの影が視界を横切った。

「ぬぁあ!?」

 大きな羽音と共に覆い被さった影が、エルの額に爪を立てる。唐突な痛みに、思わず放される手。

「!」

 隙を逃さず引き抜いたタキオン。懐に手を突っ込み、取り出した小瓶の蓋を抜く。そのまま、中の液体をエルの目へ。

「ケェエアー!!?」

「な、何何……ってウミャアアー!??」

 驚いたツヨシにもついでの様に。

「あぁーっ! 目が、目がぁあー!!」

「目が凍るデェエエス!!」

 悲鳴を上げてのたうち回る二人。その目からは滝の如く涙が流れ、おまけにペッカペカと七色の光が放たれている。

 普通にコズミックなホラー。

「ほら、何してるんだい!? 二人共! 逃げるよ!?」

 目の前の惨状に真顔になってるナカヤマとシャカールに駆け寄り、促すタキオン。

「いや、助かったのは確かだけどよ……」

「お前、何ブチかましたんだ……?」

 逃げ出しながらも心配する二人。

 当然だが。

「ああ。アレはモルモット君が疲れ目が酷いと言うから、彼用に作成した点眼薬だ」

「てん……!?」

 要するに目薬。

「眼精疲労の劇的な回復が見込める反面、多少の副作用があってね。−35℃相当の体感温度と、眼球細胞の活性化による虹色発光が数十分続く」

「マイナス……35……」

「目薬に清涼感は付きものだろう? 何、あくまで体感だ。実際に冷却される訳じゃ無い。問題ないさ」

 そうだろうか?

「……そもそもテメェの薬は薬効に発光現象のプロセスを挟まなきゃならねェ縛りでもあんのか……?」

「いやぁ、アレが無いと効いた気がしないとモルモット君が言うものでね」

 タキトレ、もう戻れない。

「そんな事より急ぐよ! シリウス君だけでは荷が重いかもしれない」

 走りながら頷きつつ、一人のトレーナーの人生を案ずるシャカールとナカヤマだった。

 

 ◆

 

「……逃げられましたね」

 タキオン達が逃げ去った先を見ながら、独り言ちるグラス。当然、彼女にも七光極寒目薬の洗礼は襲いかかったのだが。咄嗟に振るった薙刀で全て防いでいた。

「全く、あの程度の奇襲も防げないとは。鍛錬が足りません」

 言いながら見下ろす同胞二人。エルは相変わらずのたうち回ってるし、ツヨシに至っては泡を吹いて気絶している。虚弱なタチの彼女には刺激が強過ぎたらしい。

 暫く役に立ちそうも無い。

 追いかける選択も有ったが、流石に一人では分が悪かった。

「……仕方ないですね。セイちゃん達に任せるしかありませんか。シリウス先輩は厄介ですが、まあ『あの方』もいる事ですし……」

 呟きながら、ふと思い至る。

 先に乱入して来た空飛ぶ影。逆転の起点となったアレは、確かに。

「マンボ君……」

 エルが学園に内緒で飼っている鷹。良く懐いている筈の彼が、主人であるエルを攻撃するとは。

「『お前は違う』と言う事でしょうね……」

 飛び去る際、自分にも向けられた視線を思い出す。

 敵意に満ちた目だった。

 主人のルームメイトであるグラスにも、ソレなりに懐いていた筈だったのだけど。

「……まあ、嫌われた……のでしょうね……」

 悪意に返るのは、悪意だけ。

 分かっているつもりではあるけれど。

「それにしても……」

 紛らわす様に、思考を移す。

「何故、マンボ君が此処に……? 彼は寮の部屋に」

「私が、出したんだよ」

 響いた声に、心臓が飛び上がった。

「鍵のかけ忘れ、エルちゃんの悪い癖だよね。変な所まで、一緒」

 堪らず、振り向いた。

 場所は、学園の中庭だった。

 降り落ちる月の光は、まるで舞台のスポットライトの様で。

 その中に、彼女は立っていた。

「スペ……ちゃん?」

 綺麗だと思った。

 本当に、女神の様だと思った。

 フラフラと歩み寄ろうとして、気付いて。

 また、ドキリと心臓が跳ねた。

 凛と立つ、スペシャルウィークの格好。

 いつもの、制服ではなかった。

 皆でだべる時の、ジャージでもなかった。

 真っ赤。

 世界を照らす朝日の様に真っ赤な衣装。

 それは。

 あの大舞台で彼女が纏った勝負服。

「日本……総大将……」

 見惚れて立ち尽くすグラスを真っ直ぐに見て、スペは言う。

「そうだよ。あの時の衣装。『グラスちゃんと、一騎打ち』した時の」

「!」

 ビクリと竦む足。

 微熱の夢は一気に醒めて。

 代わりに満たすのは、冷たい絶望。

 此処にいるのがグラスワンダーではなく、自分である事を咎められた様で。

 ああ。

 ああ、やっぱり貴女は。

 届かない。

 掴めない。

 自分は擬物だから。

 本物の貴女は掴めない。

 貴女に、嘘しか捧げられないモノだから。

 それなら。

 それなら、やっぱり。

 薙刀を掴む手に、力を込める。

 最後の覚悟を決めた、その時。

「でも、今は貴女の為」

 その一言に、醜く湧き立つ劣情が刹那で霧散した。

「……え?」

 呆然とする彼女に向かって、スペは続ける。

「決めたよ、私。私も戦う。スズカさんみたいに。皆を、グラスちゃんやエルちゃん。ツヨシちゃんもキングちゃんもセイちゃんも。皆取り戻す為に、貴女と戦う」

「スペちゃん……」

「だから、今は貴女だけを見る。スズカさんでも、グラスちゃんでもなく。今、此処にいる『貴女』だけを」

 握っていた薙刀が、パタリと落ちる。

 彼女の声が響く度。

 彼女の言葉を理解する度。

 心臓が高鳴る。

 割れてしまうかと思う程に。

 足が震える。

 砕けてしまうかと思う程に。

 血が燃える。

 全て、昇華してしまうかと思う程に。

「分かるよね? 『私達』が、戦う術。意味。すべき事。ぶつけて。全部、受け止めるから。貴女の、全部」

 ああ。

 ああ。

 シャカール先輩。

 見てください。

 貴女は、神などいないと言ったけど。

「だから、貴女も受け止めて。私の、全部」

 いるのです。

 私には。

 何も無い、空っぽな私だけど。

「私、スペシャルウィークは」

 確かに。

 確かに。

 今だけは。

「『グラスワンダーではない貴女』に」

 此処に、いるのです。

 在って、くれるのです。

 私だけの為に。

 

「レースを、申し込みます」

 

 女神が。

 

 答えなんて、決まっていた。

 迷う必要なんて、ある筈も無かった。

 震える手で、スカートを掴み。

 震える足で、地面を掴んで。

 倒れそうな意識を、一生懸命に奮い立て。

 彼女は、ゆっくりと。

 一寸の非礼も無い様に。

 恭しく。

 綺麗に。

 一礼を。

「……謹んで、お受けいたします……」

 目一杯の、感謝を込めて。

 

 素敵な、死闘(レース)をしよう。

 愛しい。

 愛しい。

 私の。

 好敵手(ライバル)。

 

 ◆

 

(……ねえ、いつまでこうしてれば良いの?)

(しっ! 静かにするデース! 今のこのこ起き上がったりしたら、脳漿ぶち撒けるだけじゃ済まないデース!!)

 いつの間にか復活してたエルとツヨシ。今はマズイと死んだ振り。

 間に挟まるは愚行の極み。

 やたらスッキリした目が状況をいち早く認識してくれたのが救い。

 つまり命の恩人、タキオン。

(……ソレにしてもさ)

(何デスか?)

(何で、レースやるみたいな話になってんの?)

(ケ……)

(スペちゃんがこんな事言い出したのも謎だし。グラスちゃんがあっさり受け入れてるのも謎だし。何なら……)

 

 私達も、受け入れちゃってんのが謎。

 

 聞いたエル。ちょっとだけ、考えて。

(そりゃ……)

 答えは、自然に。

 

(エル達が、ウマ娘だからじゃないデスかー?)

 

 聞いたツヨシ、キョトンとして。

 言ったエルも、キョトンとして。

 

 ああ、そうか。

 私達。

 ウマ娘なんだ。

 

 何故かそう思えた事が。

 とても。

 とても。

 可笑しいくらいに。

 

 嬉しかった。

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