鎖影の庭   作:土斑猫

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【宵闇の猫】

「一つだけ、聞きたい事がある」

 可能な限り感情を抑えた声で、アグネスタキオンが尋ねた。

「此の時間軸の……私達の知るサクラローレルは、どうなったんだい……?」

「居るよ。此処に」

 そのローレルは、そう言って自分の胸を指した。

「私の中で、眠ってる。此の時間軸での権限を、私に譲って」

「ソレは……」

「彼女の。此の時間軸のサクラローレル自身の“意思”だよ」

 答えを継いだのは、ネオユニヴァース。

「“此処の”サクラローレル。スピリチュアル境界を彷徨う『自分』の声が、彼女には届いた。レスポンス。コンタクト。元より、『感受性』が優れた彼女のcharacterが、『fairy』と言うディザスターに“誘発”されたphenomenonに感応するをして、“特例”をクリアした。そして……」

 

 『干渉』は“許可”された。

 

「……お前は、何かしたのか?」

「『彼女』を、ポイントへ“導く”をしたよ。“ミラクル“を“サクセス“させるには、時間的。局所的。限定的な“terms”のコンプリートが必要だったから」

 エアシャカールの問いには、そう答え。

「『ソイツ』が『こんな事』をしでかすと承知しててか?」

 スマホに映る例の動画を見せながら尋ねたシリウスシンボリには。

「of course」

 と、何の躊躇いも無く。

「『彼女』の“意味“が“改訂”の『possibility』であるならば、彼女の成そうとする事『全て』にソレが存在するから」

 ユニヴァースは説く。

 『彼女』が『此処』に居る意味を。

 『彼女』が、肯定される様に。

 彼女らしい、何処かズレた世界の言葉で。

「『彼女』の時間軸に“彼女”は『absence』だった。けれど『この』時間軸には“彼女”は『exist』。『異物』の“介入”。『予定』にイントラプトした“予定外”。ソレだけで、『この』世界は『かの』世界をなぞるをしない“かも”だよ」

 確定した歴史。

 其処に到達する前に、其の道筋に置かれた異物。

 時間が歴史を確立するのは摂理。

 理。

 その力は、正しく『神』の領域。

 たった小娘一人分の『異物』が『障害物』と成り得るかは、甚だ疑問。

 幾許の抵抗も示す事叶わず、踏み潰されて終わりの公算は高い。

 その一方、『何か』を起こす可能性も確かに有る。

 線路に置かれたちっぽけな石が、巨大な列車を挫く事もあるのだから。

 だから、ユニヴァースは説く。

 提言する。

 彼女の。

 今のどうしようも無い状況を作り上げてしまった彼女の。

 そんな、危う過ぎる彼女の意味を。

 意義を。

 居て良い、理由を。

 必死に。

 懸命に。

 一生懸命に。

 だって、彼女は。

「だから……」

「あー、ぐだぐだうるせェ!!」

 ユニヴァースの言葉を、シャカールの声が遮った。

 苛立つ瞳に見据えられ、口を紡ぐ。

「終わりの見えねェ『証明』を延々続けるんじゃねェよ。お前らしくもねェ。要するに……」

 

 未来のローレル(ソイツ)を、助けたいんだろ?

 

 ユニヴァースの目が、輝いた。

「いつの時代のだろうが、何処の世界のだろうが。ソイツは間違い無くオレ達の『サクラローレル』だ。だから、助けたい。それだけの話だろうがよ? ったく。見え見えだっつゥの」

「……うん」

 素直に、頷く。

「『彼女』は、『サクラローレル』。どんなに変節し、変質しようとも。アブダクトされた、皆と同じ。ぼくの。ぼくらの仲間。同胞。フレンズ。たった一人の、『ローレル』だよ。その彼女が、泣いてる。だから、ネオユニヴァースは助けるを、したい。でも、わたしだけじゃ、不可能だから」

 そして、皆に向かってペコリと。

「『お願い』。力を、貸して」

 タキオンが、溜息を吐いた。

「やれやれ、私は随分と信用されて無いんだねぇ? シャカール君」

「そりゃ、学園史上最“狂”のマッドサイエンティストだ。無理もねェっちゃあねェだろうよ?」

 身も蓋も無い。

「……コレでも大分自重してるつもりなんだがねぇ……?」

 チラッと見るのは、マンハッタンカフェの姿の彼女。

 普通に目を逸らされる。

「えぇー!? ちょっとキミ! 今此処に至ってオリジナルのカフェの仕草する事はないんじゃないか!?」

「……すいません。今此処に至って自分に嘘をつく事は……」

「えぇー!!?」

 感情重い割には、結構あっさり裏切る。

「五月蝿ェ。良いから話進めろ。時間が勿体ねェだろが」

 シャカールに頭を掴まれて、グキッとユニヴァースの方に向き直される。

「ま、まぁ……先に了解した通り、私達は彼女が『サクラローレル』である事を否定しないよ」

 目の前のローレルを、真っ直ぐに見つめながら。

「なら、拒む理由なんか無いだろう? 気持ちは皆キミと同じだよ」

「此処まで出鱈目な事が起きてる中で、時間逆行(タイムリープ)程度を否定すンのも非論理的だからな」

 溜息吐きながら、シャカールも言う。

「キミ達は、どうだい?」

「だとよ?」

「今更なのは、同じだろうが」

 振られたシリウスシンボリにまた振られたナカヤマフェスタが、即答する。

「それに、事が人間達にまで及ぶってんならコッチとしたってグタグタやってる余裕はねぇ。使える手札は多い程良い」

 呟く彼女の眼差しは焼け付いている。ゲームに興じている時の、悦を愉しむ輝きでは無い。もっと、かけがえの無いモノを賭けた戦いに挑む意志。

 彼女には、大切な人が居る。

 トレーナーや友人達と同じ。けれど、別な次元で大切な人。

 もし、このローレルが言った通りの道を世界が転がり落ちて。

 人が無茶苦茶に『する』方と『される』方に分かれるならば。

 あの人は、間違い無く『される』側に立つ。

 例え、ナカヤマ(自分)が『よせ』と叫んでも。

 例え、枯れかけの身体がその暴意に耐えられないと知れていても。

 自分の生きた証と意味を遺す為。大事な教え子達を、守る為に。

 分かり切った事。

 だから、ナカヤマは先攻を選ぶ。

 彼女のターンになど、回しはしない。

 その前に、ゲームは終わらせる。

 ウェイジャーの一つも、欠かす事無く。

「アンタに好きにやられたのは、正直面白くねぇ……」

 ローレルを睨みながら、シリウスは笑う。

「だから、今度は私の番だ。此処に居ろ。その悟り切った癖に未練タラタラの面、良い感じに鳴かせてやるよ」

「そんなの、簡単だよ?」

 艶な挑発を受けて流し、かのローレルは『彼女』を示す。

 タキオンとシリウスの後ろ。

 カフェの姿。

 自身が、その苦悶を焦がれ求める『そっくりさん』。

「取り敢えず、その娘を頂戴。その娘『で』遊べば、この火照りは収まるから」

 ーーほんの、一時だけどーー。

 冷えた声音の奥。昏く燃える情念。

 其れが彼女に届かぬ様に立ちながら、タキオンは毅然と返す。

「悪いが、ソレは出来ない」

「どうして?」

 キョトンと不思議そうな顔をして。

「その娘の役目は終わったの。お馬鹿さん達にボロを出させる釣り餌の役。だから、もう在る意味は無いよね? ね?」

 ローレルが、グイと顔を寄せる。

 互いの呼気を感じる距離。

 爛れた桜花の香気が薫る。

「頂戴。私には、その『権利』が在る」

 爛々と輝く花弁が告げる。

 諦めない。

 許さない。

 絶対に。

 阻めば、その矛先はひょっとして。

 ソレでも、タキオンは。

「駄目だよ。『ローレル君』」

「!」

 懐かしい。そして、嬉しい呼び方。

 綻ぶ、悪夢。

 その刹那に、捻じ込む様に。

「確かに、キミにはその資格が有るだろう。間違い無く。そして、ソレを否定する権利も資格も私には無い。いや、例え此処の誰であったとしても。ソレを踏まえて、尚私は言おう」

 

ーーキミの手は、汚させないーー。

 

「悪意が生むのは悪意だけ。キミが言った言葉だ。例え成すのが、資格あるキミであったとしても。ソレが悪意である事に代わりは無い。なら、その悪意はまた別の悪意を生むのだろう? なら、結局同じだ。ただ、転がり落ちるルートが違うだけ。行き着く先は、同じ破滅だろう」

 ローレルは返さない。

 分かっている。彼女自身が、誰よりも。

「悪意を断つには。その歴史を変えるには。私達が悪意に染まってはならない。例え、どんな不条理を受けたとしても。次の悪意を、生み出してはいけない」

「……口で言うのは、簡単だよ?」

 絞り出す声が、ようやく返す。

「キミは何? 聖人? 神様? 違うよね? 私と同じ、ただのウマ娘だ。なら……」

「そう。きっと、キミと同じ様に堕ちるのだろう」

 否定はしなかった。

 ソレをするのは、余りにも傲慢で。

 それ以前に身の程知らずな事だから。

「それでも、私はその『結果』を知る事が出来た。キミが、教えてくれた。私と『同じ』、キミが」

 同じ場に生き。

 同じ道を歩み。

 等しい目標を目指した。

 同じウマ娘。

 同じ命。

 等しい、価値。

 だから、受け入れなければならない。

 彼女が転げた道は。

 また自分の足元にも在るのだと。

「言葉だけの『理論』は、キミと言う『実証』によって。確かな『証明』となり、本当の『知識』となって私達に刻まれた」

 『未知』には、手は出せない。

 『仮定』では、定まらない。

 けれど。

「『既知』であれば、対処は可能だ。まあ、要は私達の心構え次第ではあるが。ただ……」

 にへら、と笑って。

 もう一度、『彼女』を見る。

「これだけは確約しよう。キミをこれ以上、堕とさせはしないと」

 桜色の花弁が、フルリと震える。

「キミの分の『距離』は十分に稼がれたよ。此処から先の走者は私達だ。キミは、インターバルの時間だよ」

「ま、そう言うこった」

 ナカジマが。

「テメェのレベル過信して、肝心な時にヘマやられても困るんでな」

 シリウスも。

「目先の頭取りに気ィ取られて、配分を見誤るなんざロジカルじゃねェ」

 そして、シャカールが。

「最高のゴールは、必ずキミに切らせよう」

 タキオンが、断言し。

「約束だ。『私達の』、サクラローレル」

 約定の血印を押した。

「…………」

 そんな皆を、ローレルはまるで奇跡でも見るかの様な目で見つめ。

「……眩しいなぁ……」

 そう呟いて、踵を返す。

「……何処へ行くんだい?」

「此処は、やっぱり『私』の居場所じゃないみたい」

 まだ、薄闇の残る戸口へ向かいながら。

「『化け物』はお似合いの場所に戻るよ。何も考えないで良い、夜の中」

 止める者は居ない。

 どんなに論を述べようと、今の彼女の安らぎはソレしか無いと知っているから。

 でも。

「サクラローレル」

 でも此れだけはと、声をかける。

「もし、寂しくなったら。『此処』に“来る“をして。ネオユニヴァースは、わたし達は、『此処』でキミを待ってるをするから。エタニティ。エンドレス。いつでも。いつまでも」

 

 ーー独りぼっちになんか、しないからーー。

 

 彼女は、受け取って。

 ほんのちょっと、立ち止まり。

 『ありがとう』と。

 すぐに闇に溶けたその声は、確かに皆が知る彼女の音色。

 

 ◆

 

「ネオユニヴァースは、改めてお礼を言うをするよ。ありがとう」

「だからねぇ、別にお礼を言われる事じゃないんだよ。キミが頭を下げなくても、私達はこうしたろうさ」

 ペコリとお辞儀をするユニヴァースにそう言って、タキオンは己の後ろを示す。

「寧ろ、お礼なら彼女に言ってくれ。彼女のお陰で、私は自分を取り戻す事が出来たんだからねぇ」

 急に振られてキョトンとするのは、カフェの姿の彼女。

 向き直りながら、語り掛ける。

「ありがとう。キミが自身を晒してくれたから、私はそっくりさん(キミ達)の可能性に気付く事が出来た」

「可能性……? そっくりさん(私達)に……?」

 戸惑う。

 自分達は、『閉鎖された可能性』の申し子。

 可能性なんて、最も無縁のモノである筈なのに。

「私は、そっくりさん(キミ達)をあくまでオリジナルのコピー。変わらない。変われない。だから、どうしようもない。排除するしか、その場所を空ける事は出来ないと考えていた」

 ピッタリと、型にはまり込んでしまった障害物。自身で変化の望めない無機であれば、型を空けるには排除するしか無いけれど。

「でも、キミの本質を見て理解した。そっくりさん(キミ達)が不動不変のモノでは無い事を。キミ達自身が変われるならば、別の方法が必ずある。キミ達が、自身の意思で型を抜ける方法が」

 そして、彼女に手を差し出す。

「今までの、非礼を詫びるよ」

 今にして、タキオンは理解する。

 カフェが、自身を対価に彼女をもたらした意味。

 ソレは、ただの研究材料としてではなく。

「その上で、改めてお願いしたい」

 正しく、新しい可能性を導く為の。

「力を貸して欲しい」

 『協力者』、『導』としてだったと言う事を。

「本当の、『同士』として」

 ソレを聞いた時の、『彼女』の目の輝きを。

 場に居た皆は忘れない。

 だってソレは。

「……はい……はい!」

 確かな、一つの『生命』の光だったのだから。

「キミに、『名前』をあげよう。これまでの非礼のお詫びと、キミが示してくれたモノへの対価として」

 手を取り、立ち上がった『彼女』に告げる。

「マンハッタンカフェでは無い、キミの。キミとしての名前を」

 ソレは、『彼女』自身が言った事。

 名前には、言霊が宿る。

 その者の存在を肯定し、確定させる『呪い(のろい)』であり『呪い(まじない)』。

 『マンハッタンカフェ』と言う看板の概念でしか無かった彼女は、ソレを頂く事によって唯一無二の『彼女』となる。

 例えソレが、ちっぽけな絆の中だけだったとしても。

「名前……私の……」

 漏れる、感の極まった声音。

 彼女にとっての、重さの証。

「さて、ではどう言ったモノが良いかな? 何か、希望はあるかい?」

「希望……」

 言われて、ちょっと考えて。

「だったら……『chat noir』……が良いです……」

 おずおずと、そう言った。

「ふぅん、『シャ・ノワール』かい? フランス語で『黒猫』の意味だが、何か理由g……ん?」

 訊こうとしたタキオン。あれ? と気付いてシリウスを見る。

「何だ? 私が勝手に呼んでたヤツじゃないか」

 そう。彼女をカフェのコピーと見る事をやめたシリウスが使っていた呼称である。

「はい。何か、とても良かったもので……」

「えぇー!?」

「アッハハハ、そうかよ!? 可愛いヤツだな、お前!」

 笑うシリウスに頭をクシャクシャと撫でられ、はにかむ彼女。

「シャ・ノワール(黒猫)。ヨーロッパでは、幸運を運んで来ると言われてるよ」

「幸運運んで来る猫か。良いんじゃねぇか? 験担ぎにもなるしな」

「じゃあ、改めてよろしく。だね。『シャノ』」

 口々に言うユニヴァースとナカヤマの横で、何か不満そうな顔のタキオン。

「どうしました? タキオンさん」

「何が難しそうな顔してらげど?」

「お腹でも痛いの?」

 心配したカワカミプリンセス達が訊くが、答えは返らず。ただただ苦虫を噛み潰した様な顔をするタキオン。

「あ゛ァ? 何だお前、まさか名付け役を取られたのが面白くねェとか言うんじゃねェだろうな?」

 シャカールの指摘にも、沈黙。

 沈黙は肯定である。

「あれま、タキオンさん以外ど独占欲強いんだなはん」

「でも、『シャノ』さんはカフェさんじゃねーんですのよ?」

「わー、浮気だー! いっけないんだー!」

「いやいや、待ってくれ! 別にそう言うんじゃ無いんだ! 無いんだが……」

 ユキノビジンやハルウララの言葉に慌てて弁解するも、やっぱり歯切れが悪い。

「……だな。コイツのはそう言うんじゃねェ」

「おお、流石シャカール君! 分かってくれるかい!?」

 しげしげと観察してたシャカールにそんな口を挟まれて、思わず感謝の声。

「コイツ、親御気取りだぞ。娘をソコらのチャラウマに盗られた気になってんだ」

「シャカール君!?」

 速攻裏切られて崩れ落ちる。

「拗らせ方が別方向だったべ……」

「クッソめんどくせーですわ」

「あはは。タキオンさん、お父さんなんだねー」

「おいコラ。誰がチャラウマだ?」

 皆が口々に好き勝手言う中、ブツブツと嘆くタキオン。

 その様を見ていたシャノは、また別の気配に気付く。

 ユニヴァースが、彼女を見ていた。けれど、気配は彼女のモノでは無く。その、後ろ。

 恐らく、認知しているのは自分とユニヴァースだけで。

 『視えて』いるのは、自分だけ。

(……其処に、いたんですね……)

 本来の『憑代』がいなくなり、何処に居場所を見出していたのか分からなかったけど。

 仮初をユニヴァースと定めたのは、道理なのかも知れない。

 『憑代』のソレとは形は違えど。

 『異界』を知る彼女であれば。

 認められる事こそが、型を持たない『彼女達』が此処に在る術。

 そっくりさん(自分達)と同じ様に。

(ごめんなさい……。だけど、だけどもう少しだけ、許してください……)

 不可視の向こうから見つめる彼女に、儚く願う。

 今、暖かい此の夢に微睡む事をと。

 可か否か。

 言の葉を返す事は無く。

 マンハッタンカフェの『お友だち』は、ただ黙って其処に在る。

 まるで。

『私だけで決める事は無い』とでも言う様に。

 で。

 そんなやりとりなぞ知る由も無く、今だ悩み悶えるのはタキオン。

「うう……このやるせなさ、敗北感……未知だよ。全く未知の感情だ……。まるで脳が破壊される様な……。ハッ!? ひょっとしてコレが以前デジタル君が言っていた『NTR』と言うヤツなのか!?」

 苦悶の挙句に、とんでもない結論に辿り着く。

「……NTRって何だべ?」

「トップロードさんの事かな……?」

「……やめとけ、そいつァ風評被害だ……」

 溜息吐くシャカールの耳に、何処かで誰かのクシャミが聞こえた。

 

 ◆

 

「!」

 何処かで、『彼女』のクシャミが聞こえた気がした。

 思わずキョロキョロして、そんな事在る筈も無いと思い至り。

 溜息を吐いて。

 また膝に顔を埋めた。

 

 どんなに長い夜も。

 どんなに痛い時も。

 どんなに無慈悲な物語も。

 いつかは、抜ける。

 終わりが来る。

 

 例えソレが、何の解決になって無くても。

 

 薄っすらと白み始める宙の果て。

 その白に溶けて行く彼方の星々。

 寮室の窓からソレを眺めながら、アドマイヤベガは無為な刻を過ごしていた。

 ペシャンコに冷えたベッドの上で、小さく小さく。脚を抱えて。

「アヤベさん……」

 隣のベッドから、カレンチャンが声をかける。

「もう、朝ですよ……。少しは、寝ないと……」

「良いの……放っておいて……」

 振り返りもせず、そう答える。まるで、魂が抜けてしまったかの様な声音。カレンの内が、キュウと痛む。

 痛みの理由は、強い自己嫌悪。

 アヤベに対する心配とか。何も出来ないもどかしさとか。そう言うのが有るのは当然だけど。

 それ以上に大きいのは、今のアヤベの心が『彼女』だけで占められている事。

 ナリタトップロード。

 アヤベのライバル。

 アヤベの親友。

 そして。

 アヤベの闇を、照らした星。

 彼女がアヤベの救いとなったのは確かな事で。

 だからアヤベが彼女を想うのは当然の事で。

 自分も、ソレを知っているけど。

 こんな時でも、アヤベが想うのが隣りに居る自分では無くて。此処に居ないあの女(ひと)である事が、怖い。

 アヤベの心が、遠くに連れて行かれてしまう気がして。

 いつかの様に。

 あの女(ひと)は、そんな事しないって分かっているのに。

 ああ。

 嫌だな。

 嫌だな。

 濁ってて。

 見苦しい。

 こんなの、全然。

 可愛く、ない。

 こんなだから、カレンは。

 貴女の、星には。

「……カレンさん」

「ひゃ、ひゃい!?」

 グルグルと煮詰まっていた思考が、一気に吹き飛んだ。

 目を向けると、アヤベの視線は変わらず窓の向こう。けれど。

「貴女こそ、少し休みなさい。ずっと、してたのでしょう?」

 

 ウマスタの、削除要請。

 

「え、あ……は、はい……」

 カレンの愛用するSNS、ウマスタグラム。他のSNS同様、あの事件の映像は幾つも転載されていて。次々と増える観覧数が、あの悪夢が世界にばら撒かれている事を如実に教えていた。

 カレンはその一つ一つを違反報告し、削除要請を出し続けていた。

 夜の間。

 ずっと。

 ずっと。

「馬鹿ね……」

 疲れた声が、呆れた様に笑って。

「そんな事したって、キリが無いし。大体、すぐに反映されるモノでも無いでしょう?」

「で、でも……」

「本当に、馬鹿なんだから」

「あー、ひっどーい!」

 アヤベの声が、少しだけ笑って。

 ソレが嬉しくて、カレンも笑う。

 一頻り笑って、また少しの間。

 おずおずと、カレンが切り出す。

「ねぇ、アヤベさん……」

「何?」

「そっち、行っても良い?」

 答えは返らなかったけれど、アヤベがちょっと身をズラす。意味を受け取り、いそいそとベッドを降りる。

 アヤベのベッドに移ると、彼女の隣りにポスンと座った。

 覗き込む様に、顔を見る。

 疲れ切って、隈の寄った目。けれど、その光は濁ってはいなかった。綺麗な彩で、白に溶けて行く星々を見つめていた。

 ああ、大丈夫だと思った。

 今のアヤベは、大丈夫。

 何処にも行かない。

 囚われない。

 もう、暗い道を彷徨ったりしない。

「……カレンさん」

「何ですか?」

「トップロードさんの事、なのだけど……」

 出て来た名前に、ドキリとする。

 ただ、その揺らぎがさっきみたいに濁ったモノでない事は分かった。

「フラッシュさんと、ファルコンさんから聞いたの。何が有って、どうしてこうなったのか……」

 エイシンフラッシュと、スマートファルコン。彼女達が、一体何を知っていたのだろうか?

「滅茶苦茶な話よ? 小説だとしたって、三流も良いトコロ。でも……」

 

 私は、本当だって思った。

 

 言葉の選びから、どんな話だったのかは察せた。

 そして、アヤベが其れを受け入れる事が出来た事も理解出来た。

 カレンもまた、知っているから。

 以前のアヤベの目が、いつも何かを見ていた事を。

 ソレは彼女の全てを染めていたモノで。

 彼女の全てを縛っていたモノで。

 そして、彼女のとても大切なモノ。

 自分には見えなかったし、話してくれる事も無かったけれど。

 その事だけは、確かに分かった。

 いつしか呪いは解けて。

 アヤベの生命はアヤベに戻って来たけれど。

 ソレは、今でも変わらず彼女の大切。

 そんな彼女なら。

 彼女だから。

 理解し、受け入れられる事象が在る。 

 この世界の軸から、外れて彷徨う。

 摩訶不思議。

 そして。

「だから、私はトップロードさんを連れ戻しに行くわ」

 だからこそ、貴女は立ち向かう。

「トップロードさんは、私を照らしてくれた」

 貴女にとって、ソレは未知では無く既知。

「今度は、私が彼女の帰り道を照らし出す」

 なら、貴女は恐れない。

 とても強くて、優しいから。

「絶対に……」

 その手が届くまで。

「あの娘を、諦めない」

 走り続けるだろう。

 だから。

「……アヤベさん」

 此方を向いた目を、真っ直ぐ見返し。

「カレンにも、教えて。アヤベさんが、聞いた事」

 私も知りたい。

「カレンも、行くから」

 未知を既知に。

 絶望を希望に。

 決意を、ください。

「一緒に、行くから」

 貴女の為の。

 剣となるから。

 

 そっと寄せた肩は。

 冷えていたけど、温かい。

 

 寮の屋根の上で、『彼女』は全て見ていた。

 心配しながら。

 でも、大丈夫と確信しながら。

 そして、その想い通りに夜は白んで。

 そう。私の役目は終わってる。

 隣りに寄り添う星は、もう私じゃない。

 だから、安心して進んで。

 そして、大切な宝物を。

 貴女達を惑わす凶星(まがつほし)。ソレは。ソレだけは、私が持って逝くから。

 だから。

 だから。

 頑張って。

 

 ーーお姉ちゃんーー。

 

 想いと共に流した視線。

 その先で走る姿。

 桜と勿忘。

 二輪の華。

 走る。

 疾る。

 大事な人の。

 大事な想い。

 ソレを、ただ一人に届ける為に。

 そう、私も走ろう。

 彼女達の様に。

 大事な人の、想いの為に。

 もう一度、天翔る星となろう。

 

 白む夜の下。

 桜と蒼の星が駆ける。

 輝羅綺羅。

 輝羅綺羅。

 輝きながら。

 

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