魔が在る。
名を、『each uisce』。
時に『each uisge』と呼び、『kelpie』とも称す。
其は可憐なるウマ娘の姿にて、川の流れ泉の水面に佇むモノ。
美しさと甘き聲に誘われし者の手を取りて、己が褥の水世へ攫う。
攫われし者は帰らない。
ただ、かのモノが嫌う肝の臓のみ。
ぷかり。
ぷかりと。
水面に浮かぶ。
水辺の聲に恋すは禁忌なり。
かくも悍まし。
妖(あやし)の魔の愛なれば。
◆
「『美味しくない』って……喰うのか!?
「そんなに意外?」
血の気引いた顔で詰め寄るゴールドシップに、トウカイテイオーの姿をした彼女は色の無い声で言う。
「プーカはウマ娘じゃない。人でもない。違う存在のモノが違う存在のモノを食べる。生きる為に。世界の摂理でしょう? キミ達だって……ああ、違うか」
思い当たって、クスリと。
「
「ーーーーっ!!」
堪りかねて怒鳴ろうとしたゴルシの横を、誰かが走り抜けた。
短い悲鳴。
「お、おい!?」
気づけば、仰向けに倒された偽テイオーに馬乗りになったサクラローレルが悪鬼の様な形相で彼女の首を掴んでいた。
「許さない!!」
締め上げる。
ウマ娘の力で。
少女のソレそのままの、細い首を。
食い込む程に。
いっそ、握り潰してしまおうかと言う程に。
「そんな事、許さない!! 絶対! 絶対!!」
血を吐く様な叫び。
巡るのは、かの地獄。
「あんな事、もうさせない! 誰一人だって、零さない!! いなくなんてさせない!!」
「待て! 落ち着け!!」
ゴルシの声は届かない。
制止の手も、振り解かれる。
「私が守るんだ!! ファインちゃんも! ブライアンちゃんも!! チヨちゃんもバクちゃんもマヤちゃんもマベちゃんもトレーナーさんも!! みんな、皆!! ミンナ! 私が! 今度こそ!!」
偽テイオーは、抵抗しなかった。確かな苦悶に喘ぎながら、それでも。
「死んじゃえ! 消えちゃえ!! 壊れちゃえ!!! 皆の前に! みんなの代わりに!! 皆の為に! お前なんか……お前達なんか!!!」
ガクガクと揺さぶりながら、荒ぶ怨嗟のままに力を込める。ゴルシが、何とか引き剥がそうとしたその時。
ピ シ リ 。
「!」
ローレルが、我に返った様に手を離した。喉を抑えて咳き込む偽テイオーを見下ろす。
「貴女……?」
「ハハ……きっつ……。ボク、こんな事あの娘にしちゃってたんだ……」
後ずさる様に離れるローレル。苦しげに喉を鳴らす偽テイオーも、立ち上がる。
「キミの言った事は本当だね……悪意には、悪意が返ってくる……」
何が起こったと見ていたゴルシは気付いた。乱れて肌けた服。その奥に見えた胸元に。
「お前……ソレ……」
「ごめんね、ローレル。今のボクじゃあ、キミの慰めには足らないんだ。もう、『壊れかけ』だから……」
「……『あの時』、にか……?」
尋ねるゴルシに、微笑んで。
「うん。あの時、ボクは認めちゃったから。自分は『トウカイテイオーじゃない』って」
ーーもう、消えるだけなんだーー。
「…………!」
「アハハ、何でそんな顔するのさ? ローレルまで」
面白そうに、けれど儚く笑って。
「……面倒くさいよね、キミ達は。あんなに憎んでたのに、いざ目の前にすると痛みを感じちゃう……」
「…………」
今の今まで、彼女の首を締め上げていた自身の手。確かな殺意に満ちていた筈のソレを、ローレルは戸惑いに満ちた目で見つめる。
「ローレル、やっぱりキミはサクラローレルなんだよ。鬼にも化け物にもなっちゃいないし、なれやしない……」
偽テイオーは、ケホッともう一度咳をして。
「……そんなだから、ボク達はキミ達にはなれないんだろうなぁ……」
何処か遠くを見る様な目で、そう呟いた。
「お前……」
「ねぇ、ゴルシ」
何かを言おうとして、先に呼びかけられて。
思わず黙ってしまったゴルシに向かって、彼女は言う。
「確かにプーカはファイン様に飽きちゃうさ。けど、すぐじゃない。それなりの時間を待ったし、相応の手間もかけたんだ。執着は有る。味わい尽くすには、まだ時間は有るよ」
「……だから?」
向けられる瞳が何かを言いたがっているのを察して、問う。
「ボクに、時間をちょうだい」
「時間? 何のだ?」
答えの代わりに、自分の心臓を示す偽テイオー。
「本当はね。否定を受け入れちゃった『あの時』に、ボクは消える筈だったんだ。けど、そうはならなかった。まだ、ボクはこうして存在してる」
ーーきっと、『あの娘』のおかげーー。
「ただ、永らえただけ。近い内に、やっぱりボクは消える。けど、こうなったなら。こうなった意味を作りたい」
ーー『あの娘』に応える為にーー。
「……意味って、何だ?」
「ボクの『記録』の中には、『奇跡』が在るんだ」
ソレは、あの日の記憶。
手折れかけた翼が。
やっぱり手折れかけた翼の手を取って。
もう一度、共に駆けようと。
もう一度、その火を灯そうと。
全てを賭けて。
折れかけの翼で羽ばたいた。
青い空。
緑の芝。
輝いた風。
命の軌跡。
かくも気高き、帝王の輝き。
「ボクの中に在るのは、ただの『記録』。薄っぺらい『知識』だけ。だから、知らない振りしてた。コレからの『トウカイテイオー』には、関係無い事だって。塗り潰せば良いんだって。でも……」
何処かに在った。
確かに有った。
あの刹那の輝きへの。
焦がれ。
憧れ。
だから。
「ボクも、遺したい」
そう、決めた。
「遺す……? あの時のテイオーの……」
「自惚れないでよ!!」
激昂したのは、やはりローレル。
「やっぱり、お前は贋作だ! 分かって無い! 何にも分かって無い!! 出来る訳ないよ! アレは! あの奇跡は……お前が……お前みたいな張りぼてが、テイオーちゃんを……」
「そうだよ。ボクには出来ない」
「!」
少しの抵抗も無い言葉が、またローレルの怒りを萎えさせる。
「アレは、『トウカイテイオー』だから出来た事。あの時の『トウカイテイオー』が、『メジロマックイーン(大切な人)』の為だけに。自分の全てを賭けて成した事」
カタカタと、内の記録が再生する。
あの熱を。
あの煌めきを。
その、根源を。
「ボクには、無理なんだ」
もう一度、自分に言い聞かせる様に。
「足りない。届かない。資格も無い。同じ芝の上にさえ、立ってない。分かってる、『つもり』」
声が聞こえる。
『あの時』の、彼女達の声。
『あの娘』の、声。
『トウカイテイオー』を騙る限り、お前は『何物』にもなれないと。
鋭く。痛く。でも、真摯に。
だから、届いた。
穿って、くれた。
愚かしい、継接ぎだらけの傲慢を。
「だから、ボクはボクだけの『奇跡』を起こす。あの光には届かなくても、ずっと、ちっぽけでも。『トウカイテイオー』じゃない、ボクだけの『奇跡』を。『ボク』が……ボク『達』である意味を遺す」
「……何言ってるか、分かってんのか?」
ゴルシは問う。
怒りでも。
侮蔑でもない。
彼女のモノとも思えない。
静かな声で。
「アレは、文字通りテイオーが全てを賭けてやったモンだ。経験。鍛錬。自身の体。そして気持ち。持ってるモン、全部を全振りして成したモンだ。軽いモンじゃねぇ。きっと、皇帝(ルドルフ)だって届きゃしねぇ。自分で自分の事を『代用品』だって認めちまったお前が……」
「そうだね。だから、ボクはソレに『命』も上乗せしてみようかなって思ってる」
「!」
「流石に、そこまでは……だったよね。テイオーも」
ようやく吃驚させられたと、嬉しそうに笑う。
「当たり前だよ。いくら尊い奇跡を起こせたって、対価が命じゃ釣り合わない。遺されるのは、『救い』じゃなくて『呪い』だ。オリジナル(キミ達)の命って、そう言うモノでしょ? だから……」
コレは、代用品のボクだけのアドバンテージ。
「ま、文字通り代用品でオマケに消えかけだから。どれだけの嵩増しになるかは分かんないんだけどね」
「…………」
ゴルシは、彼女の顔を見る。
ジッと。
ジッと。
その瞳の奥を。
何処まで本気なのか。
デマカセでは無いのか。
調子に乗った軽口ではないのか。
重さを知らぬ戯言ではないのか。
見て。
探って。
行き着いた結論は。
「……本気、かよ」
「アハハ、信じて貰えた」
嬉しそうな彼女に、改めて問う。
「何で、ソコまですんだ? そう言うキャラじゃなかっただろ。お前」
正しく、ゴルシが知っていた彼女は。
極めて自己中心的で。
傲慢で。
そのくせ酷く未熟で。
脆かった。
典型的な、『Fetch(そっくりさん)』だった筈。
なのに、どうして?
「うーん、何て言うのかな? 消えるのが決まっちゃって、覚悟が決まったって言うか……このままじゃ癪だから、死に花の一つも咲かせてやろうかな〜? なんて……」
ちょっと戯けて見せて、黙ったままの二人の顔に苦笑する。
「……そだね。此処に来て、変な誤魔化しは無しだね」
そして、照れ臭そうな顔をして。
「くだんないんだ。カッコ付けたい娘がいるだけ」
軽く見開く、ゴルシとローレルの瞳。
何かを握り締めた手を見つめる、偽テイオー。
「ボクに時間が出来たのはきっと……ううん、絶対その娘のお陰。だから、最期に証明したい」
キミがくれた時間は、無駄じゃなかったよって。
絶句したままの二人に向かって、言う。
「キミ達にも、お礼を言うよ。プーカを焚き付けてくれたお陰で、誰にも邪魔されない時間が出来た。ありがとう」
ペコリと、頭を下げて。
「このサービスタイム、目一杯使わせて貰うから」
そう。今すぐに挑む事は出来ない。
時間が必要なのだ。
今のままじゃ、足りなさ過ぎる。
少しでも、戦える域へ。
「じゃ、もう行くね。ボクの話した事、タキオン達にも伝えておいて。何かの役に立つかも知れないし。あと……」
視線を、ローレルに移して。
「皆んなの所にお戻りよ。『コッチ』は、やっぱりキミの居場所じゃない。桜が咲くのは、お日様の下じゃなくっちゃ」
答えは返さない。ただ、目を逸らす。
そんな彼女に微笑んで、偽テイオーは踵を返す。
「じゃあね。やらなきゃいけない事、いっぱいあるから」
そのまま、流れる霧の中に。
見えなくなる寸前、ゴルシが怒鳴った。
「おい! 覚悟しとけよ!?」
立ち止まった、その背に向かって。
「甘くは、ねぇぞ!?」
分かっていた。
彼女が、何をしようとしているか。
その願いが、トウカイテイオーの道の先に在るならば。
挑むべき、『相手』は一人。
「くっそ強ぇえからな!? マックちゃん……『メジロマックイーン』はよぉ!!」
少しの間。
そして。
「望む所!!」
目一杯の声が、ソレに答えた。
彼女が消えた向こうを、見つめる二人。ローレルが、ポソリと呟く。
「……信じちゃうんだね……?」
「お前は?」
答えは、沈黙。
察して、問いを変える。
「お前んトコの、アイツはどうだったん? あんな風に、変わったのか?」
また、沈黙。
「そうか……」
確信出来た。
変わって来ている。
間違い無く。
「じゃ、行こうぜ」
そう言って、ローレルの肩を叩く。
「……何処へ?」
「決まってんだろ。今の情報、早くタキオン達に共有しなくちゃよ」
そう。彼女が言った通り。
桜が咲くべきは、明るく暖かい光の下。
キミにはまだ、その資格が有るのだから。
◆
彼女は、ふと足を止めた。
向けた視線の先には、窓ガラス。映る姿に、語りかける。
「……トウカイテイオー……」
同じ姿をした、違う彼女へ。
「叶うなら、キミと戦いたい」
どんなに『そうじゃない』と自覚しても、今の自分の存在は彼女と同義。世界は、同じ二人を認めない。自分が今の自分で在る限り、絶対に叶わない事。それでも。
「それが出来たなら……ボクはきっと……」
握り締めてた、手を開く。中には、クシャクシャになった絆創膏。
あの日、あの娘がくれた。
何より大事な、本当の想いの導。
時間の概念が崩れた、曖昧の空。
満ち欠けの朝の中にも、光る星。
竜の骨燃やす、全天次位。
故に気高き、白の恒星。
カノープス。
◆
「ん……」
「どうかしましたか? テイオーさん」
不意に胸に手を当てたテイオーを、キタサンブラックが心配そうに見た。
「ううん、何でもない。ただ……」
微かな熱を持って疼く感覚。まるで。
(誰かに、レースしようって言われたみたい……)
久しく感じていない。けれど、決して忘れない本能の昂り。
「ああ……レース、したいなぁ……」
「そうですね……。もう、どれくらい走ってないだろう……」
テイオーの呟きに、キタサンも頷いて宙を仰ぐ。
何も変わらない、沈黙の庭。
平穏ではあるけれど、平穏しかない。
心の昂りも。
脚の疼きも。
解き放つ術が無い。
ただ空っぽの夢に微睡みながら、生き腐れて行くだけの世界。
やっぱり此処は、ウマ娘(自分達)の生きる場所ではないのだ。
溜息をついたキタサンが、目の前の鳥籠を見る。中で眠る、彼女を。
「起きませんね。ファインさん……」
「『アイツ』も起きてくれないって言ってたからなー。やっぱり、ラーメンが無いと駄目なのかも」
「そう言えば、『アイツ』も帰って来ませんね?」
「そうだね。『ラーメン作らせる為に料理人(シェフ)を連れて来るって言ってたけど……」
「誰の事でしょう……?」
二人が頭を捻った瞬間。
「わ!?」
「きゃっ!?」
忽然と目の前に現れた複数の人影に、揃って驚きの声を上げた。
「え……此処って……?」
「あ、マヤ!?」
「テイオーちゃん!?」
「アマゾンさんにカフェさん!? ソレに、デジタルさんも!」
唐突に現れた四人も、二人を見て驚きの声を上げる。
「マヤ達も連れて来られてたんだ!」
「う、うん……」
「……? 大丈夫ですか? 何か、酷く疲れてるみたいですけど……」
「あ、ああ……ちょっと、あってね……」
四人が酷くやつれている事に気づいたキタサンとテイオー。心配する二人に、ヒシアマゾンはそう言って笑って見せた。やっぱり、酷く傷ついた顔で。
「でも、会えて良かったです! そっか、『アイツ』が言ってた『シェフ』ってアマゾンさんの事だったんだ!」
キタサンの言葉に、怪訝な顔をするアマゾン。
「……何の事だい?」
「えっとですね、実は……」
事の次第を話すキタサン。説明を聞く内に、四人の顔から色が消えて行く。
「……どうし……」
不信に思ったキタサンが尋ねようとした時、誰かが横に。
見ると、幽鬼の様に立つマンハッタンカフェの姿。
「カフェ、さん……?」
「……貴女なんですか……? キタさん……」
妙に鬼気迫る気配に戸惑うキタサンに構わず、カフェは問いかける。
「……貴女が、言ったんですか……? 『アレ』に……プーカに、私達を……連れて来いと……?」
「は、はい……」
名指しをした訳ではない。けれど、ファインモーションにラーメンを提供する事を発案したのは自分。なら、やはり発端は自分。
キタサンが、肯定した瞬間。
カフェの表情が変わった。
その時、自分に向けられた彼女の眼差しを。キタサンは一生忘れない。
怒り。
悲しみ。
やるせなさ。
そんな数多の負念が混沌と混じり合った、紛れも無い。
憎悪の眼差し。
声も出せずに竦み上がるキタサン。彼女の頬に向かって、カフェは無言で手を振り上げた。