「やめな! カフェ!!」
キタサンブラックの頬を打とうとしたマンハッタンカフェを、ヒシアマゾンが後ろから羽交締めにして止める。
「そうだよ! キタちゃんのせいじゃない!」
自身もカフェに抱き付いたマヤノトップガンも叫ぶ。
「違うよ! こんなの違う!! あの人も! 『たきおん』さんだって言ってたじゃない!? カフェさんは、『カフェさんのままでいて』って!」
「アイツの願いだろ!? アンタに託したんだ!!
アンタが真っ先にぶち壊してどうするって言うのさ!?」
「…………っ!!」
届いたのだろうか。
カフェは大きく息を吐くと、キタサンの頬を打とうとしていた手を握り締めた。
降ろしたソレを、胸に抱き込む様に。
「く……ふぅ、う……」
震える身体から嗚咽を漏らす彼女を、アマゾンとマヤノが抱き締める。
「そうだよ……。それで良いんだ……」
「大丈夫だよ……側にいるから……マヤ達は絶対……」
その様を、立ち尽くしたままキタサンは凝視する。沸々と鎌首をもたげてくる。
自分が何か、取り返しの付かない事をしてしまったと言う。
不安と、恐怖。
その場を前に、立ち尽くすしか出来ない者はもう一人。
「……デジタル」
仮初の名を呼ばれ、アグネスデジタルの姿をした彼女はハッと視線を向けた。
「何が、あったの?」
真剣な顔のトウカイテイオー。
「テイオーしゃん……あたしは……」
「分かってる。『こっち』のデジタルだね?」
「!」
「『あの娘』と、同じ匂いがするから……」
「テイオーしゃん……」
「ね、教えて。キミ達に、何があったの?」
「それは……」
「教えてやっておくれ」
言い澱む偽デジタルに、アマゾンが言った。
「少しでも、『アイツ』の事を、覚えてくれる奴が在る様に……」
その言葉に、偽デジタルは驚いた様に目を見開いて。
「……分かりました」
何処か、感謝する様にそう答えた。
◆
「あー、美味しかったー」
そう言って、マヤノは大きいお腹を抱えて仰向けに転がった。
「こら、マヤノ。食べてすぐ寝ると牛になるよ」
「ふひょひょ、マヤノしゃんのポンポンお腹! キュートなおへそ! 眼福の極み! 有り難や有り難や……」
オカンらしく注意するアマゾンに、神仏に拝するが如く拝む偽デジタル。
アマゾンの料理を食べ終わった皆が思い思いにくつろぐ様子を愛しげに眺めながら、アグネスタキオンの姿の彼女は手にしたカップを口に運ぶ。
「う〜ん、苦いねぇ」
そんな事を言いながらもチビチビと飲み続けるたきおんを、カフェは面白そうに見つめる。
「……面白いですね。タキオンさんは、いつも一口でやめてしまうのに……」
「だからだよ」
渋い顔をしながらそんな事を言う彼女に、小首を傾げる。
「つまり、コレの一口目以降はアグネスタキオンの知らない味だ。つまり、私だけの記憶になる」
「……貴女だけ、の……?」
「そう」
また、チビリと含んで。
「キミが……マンハッタンカフェが『たきおん』と言う存在だけの為に供してくれた、私とキミだけを繋ぐ記憶さ」
「……!」
その言葉と笑顔に、思わずクラリと来た。
「どうだい? オリジナルはこんな具合に口説く事は無かった筈だ。新鮮だろう?」
「……たきおんさん……」
「ははは、冗談だよ。そう怖い顔をしないでおくれ」
睨むカフェにそう戯けて、それでもとても大事そうに珈琲の入ったカップを抱く。
「分かっているさ。キミはオリジナルのタキオンのモノだし、そう在る事こそが正しい。だから、私はコレだけで十分なのさ」
形だけ使い古したカップの中に満たされた珈琲。ソレはたった今、カフェが煎れたモノ。過去の記録でもなく。『今』の模造(コピー)でもなく。偽り無く、マンハッタンカフェその人が『たきおん』と言う存在の為だけに煎れた真実(オリジナル)。
その事だけが、何よりも愛しく嬉しく。代え難い。
「私だけの、本物(オリジナル)。私だけのモノ。この味さえあれば、私は……」
経ち消える様に途切れた言葉がとても儚くて、とても不安で。
もう一度、彼女の名を呼ぼうとした時。
チャリンと。
鎖が鳴った。
『あ ぁ。い た 、 いた ぁ』
響いた声に、怖気が立った。
皆の目が、一斉に其方を向く。
窓。そこに、ベッタリと張り付く様に。
「プー、カ……!」
誰かが、呟く様に叫んで。ソレに答える様に微笑んで。窓を開ける事も無く、ヌルリと入り込んで来た。
部屋の気温が水底の様に冷えて、水藻の様な匂いが満ちる。
声も出せずに竦み上がる皆の元へ、チャリチャリと鎖を揺らし。
立ったのは、アマゾンの前。
彼女より尚頭一つ高い位置から見下ろして、首を傾げる。
『変 ねぇ。 全部 決まっ た所 に 置いてお いたの に 。 歌姫 も。 踊り子も。 何 で置いた 所 に 無いのかし ら』
何を言ってるのか分からない。ただ、口調から彼女が自分達を『その程度』としか認識していない事は理解出来た。
アマゾンの肌を、冷たい汗が落ちる。
『ま ぁ、 良いか 。 ティターニア 。らあめ ん。 早く 持って』
言葉が途切れた。一拍の間。そして。
グリン!
その首が、絡繰の様に突然横を向いた。揺れる黒髪の間で、金色の目が妖しく光る。
見ていたのは。
カフェ。
『あ らぁ ?』
次の瞬間、プーカはカフェの前に。
息を飲むカフェを、しげしげと見る。
『あな たぁ、 出て 来てたの ぉ?』
少し、考える様な素振り。そして。
『あ ぁ。 分かった ぁ』
ニパリと、笑った。
『あな たね ぇ? 貴女 が動く からぁ、 他のも、 動いちゃ うん だ わ ぁ』
「!」
突然走った痛みと冷感に強張る、カフェの顔。
ダラリと下げられていたプーカの両手が、カフェの両肩を掴んでいた。
「は、放して……!」
『駄目 ねぇ ダ メね ぇ 。悪い 子ねぇ』
カフェの訴えになど、貸す耳も無い。ブツブツと、独り言。
振り解こうとしても、ビクともしない。ウマ娘の膂力すら、及ばない。
『悪い 子。 悪 い 子。いけな い 子』
金色の目を、キョロキョロキョロと動かして。
『いけ ない 子 は』
こう、言った。
『 食 べ ち ゃ お う 』
「……え?」
言葉の意味を、すぐに理解出来た者はいない。
アマゾンも。
マヤノも。
当のカフェも。
『そちら側』である筈の、偽デジタルも。
呆けるカフェの目の前で、プーカの顔がズルリと崩れた。
仮面の様だけど、綺麗だった顔はもうソコに無く。
ただ、ただ。災禍が捲く。
ソレは鳴く風洞であり。
逆巻く水渦であり。
蠢く闇であった。
びょうびょうと鳴き歌う、奈落であった。
此処に至り、皆が悟る。
今まで見ていたモノ。
幾許でも見慣れるウマ娘としての造形さえも、『ソレ』にとっては仮初であり。戯れだったのだと。
本当のソレは。
もっと悍ましく。
もっと恐ろしく。
何もかもが。
及ばぬモノ。違うモノ。
禍しき、モノ。
「ひ……!」
壊れた笛の様な声が漏れる。
カフェは、初めて知った。
アマゾンも。
マヤノも。
偽デジタルでさえも。
本当の怖れと畏れの前に。
悲鳴さえも出るモノではないのだと。
渦巻く深淵の中に、音が聞こえる。
シャリシャリシャリと。
黒風に混じって回る、無数の鎖。
飲み込まれれば、まるでフードプロセッサーに放り込まれた肉塊の様に。
「ーーーーっ!!!」
せめても抵抗をと、もがくカフェ。
肩を掴んでいた手はいつしか幾条もの鎖に変わり、彼女を幾重にも。
イ イ コ ニ シ ナ サ イ ナ。
渦巻く闇が。
風が。
水が。
ホ ン ト ウ ニ ワ ル イ コ ダ コ ト 。
呆れた様に、そう言って。
フワリと浮く、カフェの身体。
放り込む気だと、知れたけど。
恐怖と涙に霞む視界の隅で、泣き喚きながらがむしゃらにしがみ付くマヤノとアマゾン。
ビクともしない。
意にも介さない。
そも、どうしろと言うのか。
風も。
水も。
闇も。
人の手で。ウマ娘の手で。
届く領域では無かろうに。
視界は逆しまに。
刹那に巡るのは、今までの。
親の顔。
友の顔。
師の顔。
珈琲の香り。
町。
世界。
熱。
苦さ。
芝の匂い。
甘さ。
走る。
痛み。
喜び。
懐かしい、あの。
走馬燈。
最期に、あの人。
ああ。
ああ。
どうか。
せめて。
せめて。
もう一度。
抱き締めて欲しいなんて言わない。
側にいて欲しいなんて望まない。
ソレでもどうか。
声だけでも。
ダ ァ メ 。
クスクスクスと。
笑う音。
そして。
暗転。
「待ちたまえ」
響いた声は。
望んだ色。
◆
何故、届いたのかは分からない。
ソレが、彼女の意を汲む理由など在る筈も無いのに。
ひょっとしたら、彼女の決意が。
覚悟が。
想いが。
幾許なりとも、畏れさせたのかも知れない。
いつも。
いつかも。
いつの代も。
魔に怖れを。
神に畏れを。
与え得たのは。
成し得たのは。
ただ一つ。
気高き、心。
真っ逆さまに堕ちる筈の身体が、ピタリと止まった。
汗と涙でグチャグチャになった視界を巡らす。
そこには、不敵な表情で凛と立つたきおんの姿。
「プーカ、貴女は彼女に罰を与えたいのだろう?」
怖れも畏れも。
緊張すら感じさせない声で、彼女は説く。
「なら、彼女自体を食べてしまうのは悪手だねぇ。ソレでは後悔も苦しみも、一瞬で終わってしまう。反省する暇だって無いだろう?」
何だ?
彼女は、何を言おうとしている?
場の誰もが、分からない。
理解出来ない。
「後悔も反省も、後の人生が有ってこそ生きるモノだよ。だから、今彼女を食べてはいけない」
プーカは動かない。
カフェを放り込もうとした姿勢のまま。
聞いている。
話を。
「だから」
次の句も、普通に紡いだ。
いつもの。
当たり前の調子で。
あっさりと。
「食べるなら、私を食べたまえ」
皆の顔が、凍り付いた。
「ば……何を……何を言ってるんですか!?」
「ほら、動揺しただろう?」
蒼白になって叫んだカフェを見て、とても嬉しそうに笑う。
「彼女はね、私を好いているんだよ。こんな『紛い物』の私を。愚かにもね」
マヤノとアマゾンも、震えながら。
「たきおんさん……」
「アンタ……」
彼女達に『来るな』と目で送り、続ける。
「貴女も、相応に人やウマ娘は見ているだろう? なら、理解は出来ずとも知識として知っている筈だ。彼女達は、『好いた存在が壊れる』事を何よりも苦しみ、何よりも恐れる。自分が、傷つくよりも」
「やめて! 何も言わないで!! これ以上は、本当に!!」
必死に喚くカフェを、愛しげに。本当に、愛しげに見て。
「何よりも、彼女は『そっくりさん』じゃない。『オリジナル』だ。代えは効かない。摘んで仕舞えば、『庭』の維持に多少なりとも影響が出る。貴女的にも、愉快ではないだろう? そう意味でも、適任は私だ」
「やめて!! プーカ! 私でしょう!? 貴女の機嫌を損ねたのは、私!! だから、だから!!」
「聞き分けないねぇ。本当に、イケナイ子だ」
苦笑いの顔は、困った様で。でも、とても嬉しそうで。
「さあ、十分に証明は叶ったろう? 食べるべきは、私だ」
「駄目です!!」
ありったけの力で怒鳴ろうとしたカフェの声を塗り潰したのは、偽デジタルの声。
「駄目です! たきおんしゃん!! 貴女は、まだ皆さんに必要な人です! いなくなっちゃ駄目です! 代わりになるなら、あたしが……あたしが!!」
マヤノが、引き攣る様な声を漏らした。
ソレを見て、やっぱり嬉しそうに笑って。
「キミはダメだよ。『でじたる』君」
「どうして!?」
「どうしてって、キミはまだ『満たされて』ないじゃないか」
「え……?」
ポカンとする同胞に、優しく説く。
「キミには、会いたい人がいるのだろう? キミが生まれた意味。本当の、『推し』が」
「それ……は……」
「なら、もう少し頑張りたまえ。彼女達と一緒にいれば、必ず道は繋がるだろうさ」
「でも……ソレじゃ貴女は……」
「私は、良いのさ」
そう言って、手元を見る。
在るのは、珈琲が入ったお気に入りのカップ。大切に、抱き締めて。
「会いたい人にも会えた。私だけの、想い出も得た。もう、十分なんだ」
「たきおん……しゃん……」
そして、見つめるアマゾンの方を見て。
「と言う訳さ。もう暫く、面倒見てやっておくれ。キミなら、安心して任せられる」
「…………っ」
返事なんて、返せない。それでも、歯を食いしばって頷く。
せめても、彼女が想いを遺さぬ様に。
満足そうに、頷き返して。最後に言う。
「プーカ、分かったろう? 貴女はアマゾン君に用があるらしいが、それなら此処に居る全員を連れて行く事だ。彼女達は皆、繋がっている。一緒にしておけば、きっと『面白い』事が見れようさ」
一通り言い切って、大きく息を吐く。最期に一口、珈琲をチビリと含んで。
愛しい苦味を、しっかりと染み渡らせた。
絶対に、無くしてしまわない様に。
「ダメ……やめて……お願い……おねが……」
最後まで願う事すら許されず、カフェはポイと放られた。必死の体で受け止める、アマゾン。マヤノ。そして、でじたる。
慌てて起き上がったカフェの目の前で、プーカがたきおんを掴み上げた。
「お礼を言うよ、カフェ。私を、『アグネスタキオン』ではなく『たきおん』として想ってくれて。お陰で、思い残す事も無い」
「たき……」
「満たしてくれて、ありがとう。私の」
最後まで聞く事は叶わなかった。
ポトリと落とされたたきおんは、渦巻く闇風の果てにアッサリと消えた。
大事なカップを、その胸に抱いたまま。
悲鳴は無かった。
苦しみは無かった。
筈である。
気付くと、元の姿に戻ったプーカがニコニコと見下ろしていた。
『ねぇ ? 分かっ た ? 言う事 は、 聞か なきゃ ダ メ よ ?』
スッキリした顔でそう言って、ぷぺっと何かを吐き捨てた。
ペタリと湿った音を立てて落ちた『ソレ』は、小さな口から出て来たとは思えない大きさ。小豆色のソレが何かと知れても、青ざめる気力すらもう無くて。
『やっ ぱり 美味し く ない な ぁ。 『コ
レ 』』
抱き上げようとした手の先で、沙羅紗羅紗羅と還っていく『彼女』の欠片。もう気にかける事も無く。
プーカはコシリと口を拭いた。
ソレでも正しく、プーカは興味を得てくれたのだろう。
彼女の言葉の通り、皆を離す事無く共に運んだ。
その無邪気もまた、彼女の真理。
無辜の悪。
◆
「そん、な……」
全てを聞いたキタサンが、戦慄く声で。
「あた……あた、しが……余計な……事、言った……から……?」
「……違います」
カタカタと震える彼女に、俯いたままのカフェが呟く様に。
「……キタさんの、せいじゃありません……あの人は、あの人は……ただ……」
慰めも、否定も形にならない。
だって、自分もまだ。
「ごめ……なさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
ポロポロと涙を溢して泣き出したキタサンを、カフェが抱き締める。
抱き締めて。黒い髪に顔を埋めて。彼女もまた、嗚咽に震えた。
『ねぇ 。シェフ ? 作っ て。 早 く。 らあ め ん、 つく っ て 。私の ティターニア 起こ し て。 ね?』
二人の事など、気にも止めず。
いつの間にかいたプーカがねだる。
フラフラと、立ち上がるアマゾン。逆らう事はしない。ソレをすれば、全てが無駄になる。
彼女の遺志も。
勇気も。
願いも。
「……キミは、またやったんだね?」
代わりの様に、テイオーが呟いた。
「あの子みたいに、また……」
今だって焼き付いてる。
赤い彩の中で、笑ってくれた『あの子」の顔。
「許さないから……」
それくらいの決意は、赦されよう。
如何な、不条理の下であろうと。
そんな不条理の、下だからこそ。
「絶対に、許さないから……」
聞き流す内にも入らない。
悪性の意、少女の呪いすら空風にも足らず。
「……ねえ、たきおんしゃん……」
泣きじゃくる皆を見つめ、でじたるはもういない同胞に紡ぐ。
「あたしは……でじたんは……やっぱり、化け物なのですよ……」
だって。
だって。
皆が、こんなに泣いてるのに。
ソレが、同胞(あなた)の為である事が。
こんなにも誇らしくて。
こんなにも、嬉しいなんて。
彼女の瞳からも、雫は溢れ。
それもまた、罪であろうか。
最期の時。
ちょっとだけ、彼女は思った。
でもね。
でもね、カフェ。
少し。
ほんの少し、我儘を言うのなら。
一度で良いから、走って見たかった。
記録でしか知らない、あの緑のターフを。
何処までも。
キミと一緒に。