「タキオン」
「何だい?」
エアシャカールからかけられた声に、アグネスタキオンはパソコンの画面から目を離さずに応じる。
察していたのか、気を悪くする事も無く質問は続く。
「お前、どうする気だ?」
「何をだい?」
「とぼけんじゃねェ。シャノの事だ」
キーを叩く手が止まる。
「どうする気、とは?」
ソレでもしらばっくれる様に、溜息を。
「……お前が『方針』を転換したとして、シャノ(アイツ)の本質が変わった訳じゃねェ。アイツは、今だにオリジナルの居場所を塞ぐそっくりさんだ。アイツが在る限りは……」
マンハッタンカフェは、お前の隣にゃ帰って来ねェ。
「…………」
答えは、すぐには返らない。
返る筈も無い。
此れは、酷く残酷な質問。
今のアグネスタキオンは、シャ・ノワールの存在を好ましく思っているのだから。
オリジナルのマンハッタンカフェとは違う形でこそあるけれど。正しく。等しく。大事なモノと。
だから、此の質問は酷く残酷なのだ。
それでも、エアシャカールは敢えて問う。
超えなければ、先には進めない。
超えなければいけない、選択だから。
「タキオ……」
「ずっと、考えていた事があるんだよ」
呼びかけを遮って、口を開いた。
「確かに、『庭』へと連れ去られたオリジナル達を『此方』へ帰還させるにはその『場所』を占拠しているそっくりさんの排除は必須なんだ。そして、私達もソレを実行する方向で模索して来た。だが……」
液晶から目を離し、窓を見る。晴れない朝霧に満たされたその先に、誰かの姿を追う様に。
「ソレは、本当に私達が選ぶべき方法なのだろうか?」
「……どう言うこった?」
「この方法を明確に提示したのは、シャノを始めとするそっくりさん達だ。彼女達の知識は『記録』であり、全て与えられたもの。この場合は、明らかに創造主であるプーカから継いだ記録だろう。つまり……」
此処から生じる全ての可能性は、プーカの想定内と言う事だ。
それはエアシャカールも、理解している。そっくりさん達の記録はプーカから付与されたもの。そして、プーカは決して白痴の類では無い。寧ろ、その知識と思考は人智からなお遠い深淵にある。
「シャノが言っていただろう? 『プーカは面白い事、愉しい事しかしない』と。つまり、シャノ達から聞き、読み取り、創出した私達のプランも、プーカの掌の上の事。つまりは彼女の……」
「『面白い事』の一貫、か?」
「そうなるだろうねぇ」
そう。プーカの存在理由が『愉しむ』事のみであるのなら、彼女が敷いたレールの一本を走る今の現状が行き着くのはプーカの『愉悦』に他ならない。
「で、だ」
アグネスタキオンが、意地悪く笑う。
「キミは何だと思う? 私達にこんなルートを辿らせた挙句、プーカが得る『愉しい事』の中身とは?」
自分達のやろうとしていた事。
それに付随するモノ。
決まっている。
自分達(ウマ娘)の苦しみと、そっくりさん達の絶望である。
「ま、そう言う事さ」
アグネスタキオンは笑う。
プーカは望んでいる。
人が獣を争わせ、その様子を観察する様に。
残酷とか。
悪意とか言う部類ですらない。
ただ、興味があるから。
ただ、面白そうだから。
意味なく悦を求めるは、ただただ無垢だから。
だからこそ、『質が悪い』。
「正直な所、それでも構わないと思っていたんだ」
自分の目的は、マンハッタンカフェを取り戻す事である。その為なら、如何なる犠牲も躊躇いはしない。悪性にへつらう道化だって演じてやろう。
まして、その対価が忌々しい偽者だと言うのなら是非も無い。
喜び勇んで、生贄に捧げよう。
そう、思っていた。
「控えめに言っても、悪辣だねぇ」
自嘲するアグネスタキオンを、エアシャカールは黙って見つめる。
その意について、失望も無ければ侮蔑も無い。自分だって、同じだったから。ファインモーションを取り戻す為なら。そう思っていたのだから。
そして、それを互いに知ればこそ。
自分達は足を揃えてプーカに向き合うと決めたのだから。
「だが、結局私はそんなに『強く』は無かった」
昨夜。
あの時。
突きつけられたナカヤマフェスタの携帯。通して聞こえた、シャ・ノワールの声。
純粋に。
何の邪念も思惑も無く。
ただ己に助けを求めた彼女の声が。
邪智暴虐にならんと足掻く愚考に止めを刺した。
「シャカール君。正直な所、キミには申し訳ないと思っているよ。私の脆弱さのせいで、此処に来て振り出しに戻ってしまったのだから」
「ソレについちゃ、とっくに返答済みだろうが。今更、行動を分つのはソレこそロジカルじゃねェ。ソレに……」
ほんのちょっと、間を置いて。
「……戻ったのは、振り出しじゃねェしな」
返された言葉に、首を傾げるアグネスタキオン。
「戻ったのは『正気』だ。お前も、オレもな」
驚いた様な視線から目を逸らし、空言の様に綴る。
「考えて見りゃあ、妙な話だろうが。いくらそっくりさん(奴ら)が『違う』モンだからって、『そうする』以外の選択肢が頭に浮かばなかった。模索する発想すら出なかった。オレとお前が、揃ってだ」
自惚れる訳ではないが、それでも自身の頭の回りは把握している。自分だけではない。アグネスタキオンについても。
なのに、二人揃ってたった一本の道筋から外れる事が叶わなかった。
狂信者(ファナティック)と夢想家(ロマンチスト)。型こそ違えど、一本道を思考停止で進むなぞ互いに最も嫌う筋であろうに。
「とどのつまり、オレらも絡められてたンだよ。ヤツの悪性、『閉鎖された可能性』ってヤツにな」
そう。絡められ、転がされていた。掌の上。
けれど。
「シャノ(あの子)の声が、私達を正気に戻した。プーカの悪性に絡められてた私達を。つまり……」
そっくりさんは、プーカの理に干渉出来る。
「そっくりさん(彼女達)はオレ達よりプーカの領域に近い存在だからな。道理っちゃあ道理だな」
エアシャカールの言葉に相槌を打って。
「だが、その分縛りも強い。そうそう、踏み出せない位にはね」
そっくりさんにとってプーカは創造主。文字通り、神に等しき存在。
反意こそ覚え、与えられた『定義』を抜けようとは思えない。
少なくとも、シャ・ノワール以外の者達は。
「シャノはそもそも、他のそっくりさん達とは『由来』が違う」
基本、そっくりさん達はプーカの予定と思惑に沿って造られている。対して、シャ・ノワールのモデルはマンハッタンカフェ。本来プーカが取り込む予定ではなく、それどころか明確に難色を示した存在。シャ・ノワールの誕生にはマンハッタンカフェの思惑が多分に介入し、プーカの定めた理に対する明確なノイズとなっている。
「だから、シャノは他のそっくりさん達に比べて利己的衝動が薄い。寧ろ、利他的行動の方を望む傾向が強い」
「利他……とは言っても、ほぼほぼタキオン(お前)限定だがな」
正しく。
シャ・ノワールが生成される切っ掛けとなったのは、アグネスタキオンの役に立ちたいと言うマンハッタンカフェの願い故なのだから。
「それでも、確実にシャノはプーカの敷いた理にズレを生んでいる」
シャ・ノワールがアグネスタキオンへ協力の意を示したから、セイウンスカイのそっくりさん達は行動を起こさざるを得なかった。
セイウンスカイ達が早まったから、サクラローレルの『悪意』は型を成した。
サクラローレルの悪意は潜んでいた『恐怖』を炙り出し、数多の『不信』と少しの『結束』を生み。
生じた動きが、明らかに不本意な行動をプーカに取らせるに至った。
『閉鎖された可能性』に、確かな綻びを生んだ。
「つまりは、『意思』なんだ」
確信した響きで、アグネスタキオンは言う。
「そっくりさん達が『自分の意思』で踏み出して『閉鎖された可能性』を乗り越えた時、プーカの理は瓦解する」
『閉鎖された可能性』。定められ、決定し、固定されてしまった可能性。
そっくりさんの定義。
彼女達を縛る、オリジナルの型枠と言う鎖。
オリジナルが『出来た』事は出来る。
オリジナルが『出来ない』事は出来ない。
新しいモノを作る事は叶わず。
違った形で壊れる事すら許されない。
何もかもをなぞるだけ。
何処までも模造品であり、代替品。
世界に築かれた、オリジナルと言うパーツの空きを埋めるだけの存在。
けれどもし、そっくりさん(彼女達)がその枠を抜ける事が出来たなら?
オリジナルとは違う道に踏み出す事が出来たなら。
「……そっくりさん(アイツら)は、オリジナルの代替品としての意味を成さなくなる」
つまり。
「オリジナルの場所は空き、世界はオリジナルを引き戻す」
そっくりさんでは無くなった、そっくりさん達もそのままに。
エアシャカールが笑う。
「とどのつまりはソレかよ? 強い意思が理を超えるッてか? 全く、夢想家(ロマンチスト)だな。テメーは」
アグネスタキオンも、苦笑で返して。
「ソレが今の私の限界なのさ。だが……」
「反対する気はねェ。『一応』、理論(ロジック)は成り立ってる。Parcaeの弾き出した確率も、悪くはねェ。ソレに……」
目の前の悪友に、ニヤリと笑いかけ。
「もう、他のルートは考える気は基本ねェんだろ?」
「ああ、カフェとシャノ。二人とも助けられるプランは、恐らくコレだけだからね」
「なら、後は突っ走る」
幾つかの不安要素は依然として有るは否めない。けれど、求めるべき解の全てを満たし得る方針が現状ない事も確か。そして。
(ファインがいつまで無事かも分からねーしな……)
飽きた虜を喰ってしまうと言う、プーカの悪癖。
偽テイオーは暫くは大丈夫と言っていたらしいが、それとて彼女の憶測でしかない。
捉え所の難しいプーカの性格。危険は常に浮遊している。
いつまでも、模索ばかりしていて良いモノではない。
「問題は、どうやってそっくりさん(アイツら)を焚き付けるか……だな」
「彼女達の呪縛は強い。個人で抗うには抵抗も恐怖もあるだろう。切っ掛けが……手を引いてくれる者が必要だ。ウマ娘(私達)と、トレーナーの様に」
「トレーナー、か……」
身体構造で優れるウマ娘とて、内面は年相応の少女。未熟であり、脆くもある。
不確定の未来に怯え。
失敗に挫け。
限界に折れる。
ある者は殻に閉じ籠り。ある者は諦め。ある者は自暴と化す。
そんな彼女達を導くのは、いつもトレーナーと呼ばれたかの人達。
手を差し伸べ。絆を結び。迷い道に導を示す。
見下ろすでなく。
引き摺るでなく。
同じ道を、同じ痛みと共に切り拓く同士として。
「皆、彼らに手を引かれて今此処にいる。キミも、私もだ」
フン、とそっぽを向くエアシャカール。否定は、しないけど。
「彼らに導かれたウマ娘(私達)だからこそ、出来るかも知れない。道を知らないそっくりさん(彼女達)に示す事が」
「……お前もやンのか? シャノのヤツを……」
そう問われ、浮かべたのはとても。とても寂しげな顔。
「出来る事なら、そうしたい。だが、恐らく私では駄目だろうね」
「……何でだ?」
「あの子が……シャノが私を見る目さ」
「目?」
怪訝な顔をする同胞に、『ああ』と頷き。
「あの子の目は、想う相手に向けるモノじゃないよ。アレは、『狂信』の目だ」
「狂信?」
思い当たる節は有った。マンハッタンカフェのコピーであるシャ・ノワール。その彼女がマンハッタンカフェの想い人であるアグネスタキオンに執着するのは当然の事。
けれど、彼女がアグネスタキオンを見つめる目の光は確かにマンハッタンカフェのソレとは異なる様に感じていた。
ただ、その違和感が何かは分からず。気のせいかとも思っていたのだが。
「シャノだけじゃない。確認出来たそっくりさん達、皆が同じ目をしている。シャノと接していて、ハッキリ理解出来たよ。そっくりさん(彼女達)はウマ娘(私達)に焦がれているんじゃない。崇めているんだ」
そっくりさんは、何も無い。
オリジナルのコピーである彼女達は、全てがオリジナルの『記録』を転写したモノ。
自分で作ったモノが無ければ、この先作れるモノも無い。
空っぽ。
だから、彼女達はオリジナルと番いていた者達に執着する。何も作れない自分達に、何かを与えてくれるかも知れない彼女達。文字通りの、救いを求めて。
「そう。そっくりさん(彼女達)にとって、オリジナルの伴侶(パートナー)は『神』なんだよ」
「神……」
その単語に、ズキリと痛むエアシャカールの胸。
「そっくりさん達は、私達を崇め、崇拝し、依存する。だからこそ、オリジナルの伴侶(私達)には彼女達を救う事は出来ない」
断言。
胸が、一層強く痛んで。
「神はただ庇護し、高みから与えるだけだ。結果、被庇護者は依存し、堕落し、歩みを止めてしまう。自ら、可能性を閉鎖してしまう。そう」
神は、人を救わないし救えない。
また。アグネスタキオンの言葉が巡る度、エアシャカールの胸を痛みが抉る。
神と見とめた者に、ただ救いを求めるそっくりさん達。その姿が、『いつか』と重なって。
「……だが、そうなると難しいぞ? 全部のそっくりさん達に、『相手』を当てがわなきゃならねェ」
痛みを誤魔化す様に問うた言葉に、アグネスタキオンも頷いて。
「ああ、難しい。少なくともそっくりさん達が皆の恐怖と不安の対象でしかない現状では無理だ。だが、ソレをクリアしなければゴールには辿り着けない。だから、何とか皆の不信を取り除かなければならない。それには……」
思考を始めるアグネスタキオン。
ソレを見たエアシャカールが席を立つ。
「なら、そっちの方は任せる」
「キミは?」
「気になる事がある。ソイツを解きゃあ、場合によっちゃ皆からそっくりさんに対する恐怖を取り払うパーツになるかもしれねェ」
聞いたアグネスタキオンは、『そうかい』と言って微笑む。
「まだ理論(ロジカル)は組み上がってねェ。期待はすんな」
「いや、キミのする事だ。期待させて貰うよ、大いにね」
浮かべる意地の悪い笑みの意味を察し、小さい舌打ちを残すとエアシャカールは外へと出て行った。
◆
「ったく、タチの悪りィ奴だぜ。えげつねェプレッシャーかけやがって」
ブツブツ言いながら玄関に着くと、ドアノブに手をかけて扉を開ける。
流れ込んでくる白い朝霧と、夜気を保ったままの空気。肺の腑に流れ込む冷感が、疲れと不眠で濁っていた思考を少しだけスッキリした。
「さて……」
周囲を見回しながら、ふと居なくなったシャ・ノワールを探そうかとも思った。
けど。
「……いや、オレも違うか……」
アグネスタキオンの話を聞いた時、ならば自分が……と思いかけた事は確か。けれど、ソレはその先にファインモーションの姿を見てしまった事で思い止まった。
自分では、シャ・ノワールを導く事をファインモーションを取り戻す手段の一部としてしか考えられない。それでは、駄目。ソレを成せるのは、あくまでシャ・ノワール自身を見る事が出来る者。
打算も思惑も無く。
ただ彼女の事を願える者でなければならない。
自分達に、トレーナー達がした様に。
「オレじゃ、無理だな……」
溜息を一つ、空を仰ぐ。
「『神は、人を救えない』……か……」
白い朝霧の向こうに、彼女の顔。
「だからお前は、オレの神にならなかったのか? なぁ、ファイン……」
「そうだよ。と断言するをするよ」
独りごちた筈の言葉に返されて、振り返る。
「プリンセスはIAH。自分の『hope』をエンジョイの為に、TUAPをするはしないから」
キミが誰より、知っている。よね?
そう言って、ニコリとするネオユニヴァースに苦笑で返して。
「何処から湧いて出やがった?」
「ネオユニヴァースは『遍在』をするよ。此方彼方。キミ達の、側。ボクがICODFAAしたいから」
支離滅裂な様で、確かな理が通る独特の言い回し。捉えようの無い在り方が、今はとても頼もしい。
「……オレが考えてる事、分かるか?」
「『TFFB』」
返って来た答えに、ニヤリとして。
「行くぞ。どうせ、そのつもりだろうが?」
「ビックバン」
促して歩き出すエアシャカール。ネオユニヴァースも、躊躇う事なく付いて行く。
彼女の思考を、全て理解しているかの様に。
◆
「……なかなか、興味深い組み合わせだねぇ」
共に行く二人を窓から見送りながら、アグネスタキオンは独り言ちる。
「方や 超現実主義の狂信者(ファナティック)。方や超常境界の伝道師(エバンジェリスト)。全く位相の異なる物差し二本。交わる先に、どんなシンギュラリティが生じるモノか……」
気つけに淹れた紅茶を啜り、息を吐く。
「シャノ、キミもそうだ」
語りかける、此処にはいない愛し子。
「必要なのは、より多くの可能性と触れる事なんだ。ソレはキミの心と化学変化を起こし、自身の可能性を目覚めさせる。キミの本心を引き摺り出したのが私ではなく、シリウス君の呼びかけだった様にね」
空になったカップを、コトリと置いて。
「だから、今此処にいる皆に願うよ」
開く窓。広がる、世界に向かって。
「どうかあの子を、導いておくれ」
霧に溶かす願いの形は、恋でもなければ情でもなく。
きっと。もっと。ずっと。
◆
「……ん?」
「どうした?」
「今、タキオンさんの声が聞こえた様な気がしまして」
「あ? いねぇぞ、タキオンなんざ」
「……ですねぇ……」
「空耳だろ」
「ですかねぇ?」
「それより、こっちだ」
「はて?」
「はて? じゃねぇ!!」
「きゃん!?」
近い距離でブツブツ言っていたシャ・ノワールを突き飛ばし、怒鳴るジャングルポケット。
その手には、飛び込んで来たシャノワールに握らされた果物ナイフ。
「何だよ!? コイツは!?」
「先だって、『此方側』のスカイさんが私を壊す為に持ってたヤツです。コッソリ、拾ってました」
「そうじゃねぇ!! こんなモン握らせて、何させる気だって訊いてんだ!!」
喚くジャングルポケットに、『分かりませんか?』と小首を傾げ。
「壊して欲しいんです。『私』を」
酷く。
本当に酷くあっさり。
そう告げた。
ニコニコ、ニコニコ。
空っぽの笑顔で。